後 発 隊 出 国

竹川  徹


 タイのイミグレーションオフィスでの初めての意志疎通は、当時 チャンピオンベルトを手にした「ユーリ・エビハラ」の一言で得られた。 さすがムエタイの国である。というより語学の弱さゆえの後発隊である。


3月24日

 10時半、サブハウスに多くの部員が集まってくれた。一年生が用意して くれた日本酒が配られる。水産学部に移行した自分には、久々の シーハイルである。しかしこの時は、まだ出国の実感は涌かない。

 部員が車で新千歳空港まで送ってくれる。空港では大韓航空で チェックインし荷物を預け、めしを食う。かつどん大盛りで、しばし 日本食に別れを告げる。

 14時、部歌で見送りを受けて搭乗口へ。最後まで慌ただしく飛行機に 乗り込むと、いらいらしている自分に気づく。「いかんいかん、これから 行こうとしているネパールでは、思いどうりに行かないことばかり なんだから」と自ら戒めると、ようやく出発の実感が涌いてきた。

 ソウルを経由して夜中にバンコクに着いた。しかしこの後が大変だった。 飛行機を下りたまではいいが、トランジットとかトランスファーという 英語が書いてあるが、自分たちが出国手続きをしてしまって良いのか いけないのか、あの大量の荷物はどこへ行ってしまったのか、さっぱり 解らない。バゲージ、バゲージと連発しながら、どうにか イミグレーションを通過するのに1時間。次に機内預かりになった ハンマーが行方知れずになってしまい、2つの案内カウンターを行ったり 来たり。結局、荷物が揃って空港内のファーストフードで落ち着くまでに、 2時間もかかってしまった。しかし、言葉が解らなくても何とかなる ものである。こんな旅はとても楽しい。この日はファーストフードの横に、 ザックに転がって寝た。


3月25日 タイはバイクの町

 目覚めると大変天気が良く、堀川と空港近くをブラブラしに行く。 高架の下に露天が立ち並び、いろんな食べ物が並んでいる。狭い道に バイクがやたらと走っていて、エネルギッシュに活動している。帰りには ぜひ遊んで行きたい。

 空港にかえって搭乗手続きをしていると、偶然、在田先生の奥さんと お子さんに会う。世の中狭いものだとつくづく思ってしまう。昼ご飯を ご馳走になり、一緒に飛行機に乗り込んだ。

 カトマンズの空港には、秦とサーダーのダワが車で迎えにきていた。 久々に会う秦の顔は、げっそりと痩せていた。二人ともひどい下痢に やられて、松岡は今その最中だそうだ。空港を出ると物ごいがよってきて、 空港職員も金をせびろうとする。この国の予想外の貧しさにカルチャー ショックを受ける。

 夜は6人揃ってチベット料理で再会を祝う。


3月26日 最終チェック

 朝から食料の買い出し、エージェントとの打ち合せなど忙しく動く。 カトマンズの街には日本の祭りの夜店のような土産物屋がたくさんあり、 とても魅力的である。暇を見つけては、ちょこちょこ遊びに行くのだが 時間があまりない。登山が終ったら目いっぱい遊ぼう、と諦めた。

 いよいよ明日から、長い長いメラピークを目指しての旅が始まる。 まだネパールのペースがつかめず、この先の予想が立たないが、 6人で良く考えてのんびり進めて行こう。