特集●客車点描
 このコーナーでは、旧型客車の床下機器など、 鉄道模型制作のために撮影した資料写真を中心にご紹介します。
 ご同業の皆様の記憶に残る光景と照らし合わせて、懐かしんでいただければ幸いです。

1.スハ43系サイドビュウ
2.オハネフ12 床下サイドビュウ


1.スハ43系 サイドビュウ
2009年 7月14日更新
 私の趣味は16番鉄道模型の制作である。 このサイトで紹介した写真も、本来の撮影目的は模型用資料収集のためだった。
 当時のネガの中には下に示したような、客車のサイドビュウを何枚かに分けて撮影したものがあった。 恐らく、模型趣味誌の資料に倣って真似てみたのだと思う。
 当時はプリントされた写真を、窓割りを参考にして適当な位置で切断して貼り合わせたのだが、 あれから四半世紀を経た今日では、同じことがパソコンのモニター上で意図も簡単に出来るだけでなく、 僅かな水平のズレさえも修正できるようになった。
 多くが対向ホームのような近距離からの撮影なので、 レンズの中心を外れるほどに奥行き方向の位置の違いが、 窓割りと床下機器との位置関係のズレとして現れるから、二次元画像としての正確さは得られない。 これは、以下に示した写真で、ベンチレーターが不自然に写っていることで御理解頂けると思う。 更に、フィルム面と車輌が平行になっていないと、写真の継ぎ目で車両同士がうまく繋がらなくなってしまう。
 しかし、客車に関する模型製作向け資料が充分ではなかった当時の実情からすれば、 これは限りなくリアルな資料であり、貼りあわされた写真を眺めては大いに感激したものだった。
 被写体となったのは下り普通列車「山陰」の終着駅・出雲市の構内側線に留置されていた、 お昼の546レ・豊岡行きになるとおぼしき編成だ。
 編成には狙っていたスハ43系の中間車と緩急車が組み込まれていただけでなく、 どちらもキリ番という偶然が重なった。
 また、片や木製窓枠・Hゴム支持大窓の客用ドア・上段内折の洗面所窓・鋼製水槽、 片やアルミサッシにHゴム支持標準窓の客用ドア・原形トイレ窓・FRP水槽と、 バリエーションに富んだ形態だったことで、模型製作には都合の良い有意義な資料となった。

オハ46 600 (1985年 2月 8日 出雲市駅)
オハ46 600 米ヨナ 1985年 2月 8日 出雲市駅

スハフ42 100 (1985年 2月 8日 出雲市駅)
スハフ42 100 米ヨナ 1985年 2月 8日 出雲市駅
 何れも、4枚の写真を並べて合成したものです。
 画像をクリックすると、新しいウィンドウが開いて結合前の個々の写真、を大きなサイズでご覧頂けます。


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2.オハネフ12 床下サイドビュウ
2009年 7月14日更新
 特集記事でも御覧頂いた通り、10系ハネは私を最も魅了した車両だった。
 僅か52センチ幅、高さは70センチにも満たない寝台は、既に陳腐化したあまりに窮屈な空間ではあったが、 10系ハネはこの時点で唯一「窓が開く」寝台車であった。
 通路側の下降窓を一杯に開けて肘を載せ、規則正しく刻むジョイント音をBGMに舞い込む風を浴びれば、 そこが都会であっても地方の海岸線であっても、旅の郷愁はいやがおうにも高まったものだ。
 そして、この叙情豊かな寝台車は、結果として私の模型熱を高める存在となった。
 ここに示したのは模型制作の資料とすべく、 1983(昭和58)年夏に乗車した、普通列車・山陰のオハネフ12 2022の通路側床下を撮影したものである。
 撮影方法は、既に紹介したスハ43系サイドビュウと同様に、山陰本線・松江駅の列車に対向したホームで、 少しずつ移動しながら写したものだが、 カメラと車両との距離が近いために、写真左右端に向かって光学歪が大きいことを御了承願いたい。
 本サイトでは珍しいモノクロ写真であるが、これは旅行費用縮減のために採った策である。
 21世紀の現在では、安価となった記録メディアにデジタルカメラで好きなだけ写せばよいのだが、 私自身若輩者だったこの当時は、カラーフィルムへの出費もなるべく抑える必要に迫られていたのだ。
 このため、本稿に限らず旅客車の形式写真を撮影するときも、 フィルムの節約のために、一度撮影した車番は再び撮らないなどの方針で臨んでいたことで、 手ぶれ写真の取り直しが出来なかったり、反対サイドの資料が揃わなかったなど、 今となっては悔やまれることも多い。
 また、このオハネフ12に於いても、寝台側の床下写真は記録しなかった。
 日中(朝)に停車時間の比較的長い主要駅で、寝台側が撮影出来る場所が無かったことも一因であるが、 最大の理由は何を隠そう「乗ることに夢中」だったのだ。
 余談ながら、このようにフィルム代にも事欠く状況であったから、旅の1泊目に「山陰」の寝台を奮発した後は、 山陰ワイド周遊券を手に、須佐を折返し点に「さんべ5号・6号」、 「山陰」の座席で福知山へ上り、始発までホームのベンチ、 などとといった車中泊・駅泊という体力勝負の旅行だった。
 まあ、それらも今となっては経験できない昭和と言う時代のいい思い出なのだが。

オハネフ12 2022 (1983年 8月16日 松江駅)
オハネフ12 2022 米イモ 1983年 8月16日 松江駅

 9枚の写真を並べて合成したものです。
 画像をクリックすると、新しいウィンドウが開いて結合前の個々の写真を大きなサイズでご覧頂けます。
 通路側全景の参考となる写真も掲載しています。
→旧型客車形式写真室のオハネフ12 2010も 御参照下さい。

オハネフ12の模型 (1985年頃)
 資料を基に1985年頃にペーパーで自作した16番のオハネフ12。(模型写真も1985年頃撮影)

(1)  形式図から模型化寸法を割り出し、ケント紙に窓を抜き、 屋根は汎用の木製屋根板に2ミリ厚の角材を継ぎ足して高さを稼いだ。 客用ドアはプレス製パーツ。
(2)  窓上の水切りはサーフェーサー処理後にφ0.2銅線を焼き鈍し、溶剤で薄めたクリヤラッカーで接着。
(3)  寝台側窓の縦桟は、 GM製のコルゲート板(薄手のアルミ粘着シートにプレスして表現したもの)の平らな部分を帯状に切り出して貼付け、 横桟は銀色塗装で表現。
(4)  屋根上・床下機器の殆どはフェニックス製。精緻なエコーモデル製が充実し始めるのは後年の事である。
(5)  当時はインレタの品種も少なく、書体の良好ないさみや製は、ややサイズオーバーなのが玉に瑕だった。 出入り台の行灯はGM製のNゲージ用ステッカーを流用。
(6)  後方は同じく自作のスハネ16と、 小高製のナロネ21ペーパーキットをベースに窓割を修正改造したオロネ10。


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