ナハ10系●オハネフ12
2021年 1月 3日更新
国鉄客車・オハネフ12 (公式側) 国鉄客車 オハネフ12(公式側)
国鉄客車・オハネフ12 (非公式側) 国鉄客車 オハネフ12(非公式側)

 オハネフ12は、昭和31(1956)年に登場した10系軽量客車群の第一陣・ナハネ10がそのルーツとなる。
 本系列の軽量客車は、スハ43系以前の在来型客車とは全く異なる、 車体全体で荷重を負担する設計とすることで主台枠を廃し、 その名のとおり大幅な軽量化を達成して、当時の増え続ける輸送需要に応えると共に、 今日の車両設計の礎となったことは御存知の通りである。
 ナハネ10は、在来客車よりも連結面間を50センチ延長して寝台数60で登場したが、 その後の使用経験を踏まえて、その増備車は給仕室を拡張して寝台数を54に戻したナハネ11に移行した。 また、ナハネ10自身も昭和38(1958)年に同様の改造を受けて、ナハネフ10へと改造されている。
 この緩急車改造では、デッキ寄りの第1室を撤去して、 元の給仕室を足し合わせた空間を概ね半分ずつ折半して、新たな給仕室と車掌室を設置している。
 更に、昭和40年代になると冷房改造が実施され、屋根上へのクーラー設置と、 この電源を賄うための発電セットが床下に追加されている。 形式はこの改造による自重増加でオハネフ12へと変わった。
 なお、前述したグループ全般に亘る改造の他に、外観の変化をもたらした改造として、 一部の車両にトイレの貯留式化が実施されている。
 革新的な設計を採り入れた10系客車だったが、晩年になると設計時に未知数だった耐久性や、 当初想定されていなかった種々の改造による負担が問題点として顕在化する一方で、 国鉄の分割民営化への潮流の中で、代替車両が開発されることなく使途消滅という形で数を減らしていった。
 10系寝台車は昭和57(1982)年秋のダイヤ改正による夜行急行列車の廃止・余剰になった14系への置き換えで、 その大半が整理された後、出雲区に集約された最後のグループが昭和60(1985)年春に、 山陰本線の夜行普通列車「山陰」の廃止によってその任を終えた。

オハネフ12 2010 (1985年 2月 8日 出雲市駅)
オハネフ12 2010 米イモ
(留置車両)
1985年 2月 8日 出雲市駅
 出雲市駅構内側線に留置された2010号。本車も1982年11月改正で宮原区から転属した車両である。
 右側には1984年2月改正で使途を失ったスユニ50が、また後方にはオユ14と思われる車両が留置されている。
オハネフ12 2018 (1982年10月17日 大阪駅)
オハネフ12 2018 大ミハ
青森発 大阪行き 急行きたぐに
( 寝台車連結は新潟~大阪間 )
1982年10月17日 大阪駅
 大阪駅に到着して、宮原への回送を待つ急行きたぐに。
 トイレ窓は両方とも白色ガラスで、床下には汚物タンクを装備している。
 同年11月のダイヤ改正の後、出雲区へ転属して山陰本線の普通列車「山陰」に使用された。
 「きたぐに」では給仕員による寝台解体が無いので、ところどころに中段寝台が見える。
オハネフ12 2022 (1983年 8月16日 松江駅)
オハネフ12 2022 米イモ
京都発 出雲市行き 829レ(山陰)
1983年 8月16日 松江駅
 松江駅でのんびりと時間を潰す夜行普通列車・山陰のオハネフ12 2022。
 前年まで宮原にあって急行きたぐにを組成していたが、現在は出雲で残り少ない余生を過ごす。
 転属後に検査を受けた模様で車体は比較的美しく、 米イモの表記も正規のペイントが為されている。
 お盆の多客輸送の最中であるが、ゴールも近い松江では寝台車の乗客は僅かだった。
オハネフ12 2033 (1982年10月17日 大阪駅)
オハネフ12 2033 大ミハ
青森発 大阪行き 急行きたぐに
( 寝台車連結は新潟~大阪間 )
1982年10月17日 大阪駅
 急行きたぐにの最後尾・11号車に連結された2033号。 初期に製造されたグループなので、妻板に水平リブが施されている。
 「きたぐに」は全線で架線下を走るため、軽量客車の銀色屋根が美しく、クーラーのドレン孔もよく分かる。
 同年11月のダイヤ改正の後、出雲区へ転属して山陰本線の普通列車「山陰」に使用された。
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