保護前の脱水症状や低体温は三日ほどで改善し、少しは希望ももちましたが、足腰に力が入らない症状についてはまったく改善せず寝たきりです。
点滴をすると確かに少し調子が良くさそうにみえることは確かでしたが、それでも食べる量は元気な時の3割ほどで、体重は少しずつ減っていき、
だるそうな仕草をすることも増えていきました。点滴七日目くらいから、「これは回復しないのではないか。今やっていることは延命治療なのではないか?」
と悩むようになりました。
それでも1日点滴を休むと、明らかに状態が悪化するようにみえたため、情に流されその後も1日置きに2回点滴に行ってしまいました。
しかし9回目の点滴のあと、これは回復しないものを無理に点滴で延命しているだけと判断し、
「良い看取りをするにはどうすればいいのか」を模索し始めることに決め、(先生に相談の上で)病院通いを止めました。
しばらくはシリンジで水と流動食を流し込むと飲みこんでくれましたが、その量も次第に減り、亡くなる二日前には水も受け付けなくなりました。
火葬に出した後、世話仲間たちは「暖かい環境で愛情に包まれて最期を迎えられたのだから猫も幸せだよ」と言ってくれますが、
私は保護したことが良かったのか今でも迷っています。
保護した日は朝方氷点下にまで気温が下がる日が続いていましたから、動けない以上、当日、遅くとも二日後には死んでいただろうと思います。
「眠るように死ねる」ことが理想の死だとしたら、まだ内臓が正常な間に(あまり痛みがない間に)冬山で遭難する人のように眠気が襲って
そのまま死んでしまうのが良かった、のじゃないかと思うこともあります。
ただ、昨年は24匹が行方不明になり、その3割は間違いなく病死でした。しかし、「体調が悪そうだな」とか目や鼻の状態から「猫風邪だな」と
いう程度しか状況の把握ができておらず、猫たちに何が起こっているのか知りたい、と思っていました。
何か健康を損なっているように見えた時に、「どういう状況なら、人間が手を差し伸べることで運命を変えることができるのか」ということの
物差し(判断基準)を得たい、という思いが強くなっていた時でもありました。
だから今回は血液検査もお願いして症状を科学的に解析してもらい、現代の獣医学や、人が住環境を整えることでどれくらいのことが可能なのか
知りたいと思っていたので、少しつっこんで対応してみたのです。
もし今回の猫がもう少し若く、猫エイズ陽性ではなかったら、数日の点滴だけで回復したかもしれない。
良い動物病院を知り、若いけど気持ちの暖かい先生にもお世話になり、皮下点滴や強制給仕の良い点も・問題点も垣間見え、
いろいろと学ぶことができ、今回のことがまったくの無駄だったとは思っていません。
今は田向健一著「生き物と向き合う仕事」という動物病院の先生が書かれた本を読んでいます。
獣医大の講義は、まだ人間のための動物利用の観点からの学問の域を出ておらず、動物の臨床の研究についてはまだまだ道半ばであることなどを
興味深く読んでいます。これも先日旅立った猫が教えてくれたことだと思っています。
まだしばらくの間は、猫に関わる時間を減らすのは難しそうです。
