古い絵日記20
3月 31日

安倍首相肝いりの教育再生会議が「道徳を評価対象の教科にする」という案を出しているそうです。

あいかわらず国家による民の管理がお好きな人たちのようでつくづくうんざりします。この国は確実に老いていると思います。

しかし、老いは避けられないとしても、もっと良い老い方はできないのでしょうか。

 

上から古びた理屈を押し付ける「道徳」ではなく、教師と生徒が話し合って考えを深める「ヒューマニズムについて」考える授業にすべきです。

「ユダヤ教徒は何故パレスチナと争っているのか」「イスラム教とキリスト教、そして仏教の違い、また人間にとって宗教とはどういう関わりの歴史があるのか」

「組織と人権について」「人の心理といじめについて」などのテーマで論じたりレポートを書かせたりすれば、自分以外の世界への関心だって高まるでしょう。

 

それでも「道徳」という名称にこだわり、これを評価するというのなら、まず「道徳とは何か」について定義しなければならないはずです。

なぜなら、自分達で考えるよりも、上から規律を教え込む傾向の強い「道徳」は、権力者によって「国へ忠義」を教え込まれる場になる可能性が高いからです。

最悪でも、盲目的に「年長者を敬い」「家を大事にし」た弊害に、能力の無いリーダーが立って地域や家が不幸になった過去を教えるべきであり、

「道徳」とはあくまで「道」と「徳」について、生徒それぞれが考えるようになることであって、上からの「洗脳」の場になる危険性は取り除いておくべきです。

 

〜ここ数日のニュースだけでも、安倍内閣とそれに後押しされた官僚達の暴走は目にあまります。〜

「従軍慰安婦の日本軍無関与の主張」 「教科書検定で沖縄戦での日本軍による集団自決強要について削除要求」

 「原爆被爆者の地方裁判所による認定に対し認定を国は控訴」 「菅総務大臣によるNHKへの管理強化」

 

国の過去の行為の正当化にはものすごく敏感なくせに、国民(および近隣諸国)の戦争被害には恐ろしく鈍感な安倍内閣。

ここまで「国民」をないがしろにし、国家のメンツばかりを優先する政権によって導入される「道徳」の内容を、精査しないまま受容すべきではありません。