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3月 24日
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〜昭和21年1月、戦犯として28歳でシンガポールの絞首台で処刑された木村久夫氏の「遺書」から〜
『 私の死に当たっての感想を断片的に綴っていく。
(略)
日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。
日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。
(略)
私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。
江戸の敵を長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私も同じく日本人である。
彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のようにも見えるが、かかる不合理は
過去において日本人がいやというほど他国人に強いて来た事であるから、あえて不服はいい得ないのである。
(略)
日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難を一身に浴びて死ぬと思えば腹もたたない。
笑って死んでいける。
(略)
苦情をいうなら、敗戦とわかっていながらこの戦を起こした軍部に持って行くより仕方ない。
しかしまた、更に考えを致せば、満州事変以来の軍部の行動を許してきた全日本国民にその遠い責任があることを知らなければならない。
(略)
日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、思想的、人道的の試練と発達が足りなかった。
万事に我が他より勝れたりと考えさせた我々の指導者、ただそれらの指導者の存在を許してきた日本国民の頭脳に責任があった。
かつてのごとき、我に都合悪きもの、意に添わぬものは凡て悪なりとして、ただ武力をもって排斥せんとした態度の行き着くべき結果は明白になった。
今こそ凡ての武力腕力を捨てて、あらゆるものを正しく認識し、吟味し、価値判断をすることが必要なのである。
これが真に発展を我が国に来す所以の道である。』
(日本戦没学生記念会編 「新版 きけわだつみのこえ」 岩波文庫)