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1月27日
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『一体、日本の将官、指導者に欠けていたものは何なのか、一言で言えば自己評価の能力と独創性・創造性の欠如ではないか。
また、その前提であるべき事実認識の能力ではないか。
(略)
日本という枠内での、軍部という井の中の蛙が、仲間ぼめという相互評価で、土地ころがしのように軍部の評価を高めて
無敵無敵と自称したところで、それは単なる自画自賛で国際的評価としては通用しない。
だが、戦争はまさに国際的事件であり、国際的評価に耐え得ないものは、はじめからこれに対処できるわけはない。
(略)
ああいう種類の人たちは結局「軍人」を演じていただけで、内実は「から」だったのだ。軍人としての能力は皆無だったのだ。(略)
こういう人の気違いじみた暴力と暴言の背後にあるものは、一言でいえば「無敵皇軍」という自画自賛的虚構を、「虚構」だと
指摘されまいとする、強弁であり、暴言であり、暴行であり、犠牲の強要である。
(略)
自らがデッチあげた「無敵」という虚構に足をとられ、それに自分が振りまわされ、その虚構が現実のようであるかの如く振舞わねばならなくなり、
虚構を虚構だと指摘されそうになれば、ただただ興奮して居丈高にその相手をきめつけ、狂ったように「無敵」を演じつづけ、
そのために「神風」に象徴される万一の僥倖を空たのみして無辜の民の血を流し続けた、その人たちの頭の中にあったものこそ
血ぬられた「絵そらごと」でなくて、何であろう。妄想ではないか。』
(「一下級将校の見た帝国陸軍」 山本七平:1975年著)