9月9日

現実には何も育てたことも、創りだしたこともない観念的な人物が、そして自分と異なる価値観をもつ文明に対する関心のない人物が

この国のリーダーに選ばれ、自分の頭の中にできている一面的な論理的整合性に見合うものだけを、認め推進させるやせ細った国つくりが始まる。

文化というものが、様々な個性や異文化のルツボのなかで、時に孤立し、時に交わりあって生まれるダイナミズムも、

人が、個性的な人々の様々な価値観と出会い、選び、別れ、また出会いながら自分を見つけ、豊かに育っていくプロセスも、

国という枠組みしか考えられない単純に観念化された彼の頭の中の、構想にないものとして排除されるだろう。

 

アイデンティティの未成熟ゆえの無自覚のコンプレックスからか、文化創造の成り立ちへの無知からか、(日本の)オリジナル探しにばかり固執し、

日本的と呼ばれるものの多くが中国文明の影響下で生まれたものを、過度に排除して考えたがる彼らの思い込みによって、

アジアの一部として影響を多大に受けつつ、明治以後は西洋文明の影響を両立させながら成長してきた日本の文化は痩せ細るだろう。

 

日本の暗き日は、まだまだ長く続くように思える。これは工業化という文明の表面だけを輸入して、

一見文明先進国の仲間入りができたようにみえたけれども、その文化の内面性を充実させてこなかったツケだと思う。

自分達の属する社会の在りようについて、「お上まかせ」ではなく、自分達で考え、決めていかねばならぬことを私達が実感するには、

まだまだ、多くの痛みを私達自身の身体で実際に受けてみないと、その必要性を知ることはないのかもしれない。