8月26日

「プライド」というものについて考えるようになって、もう10数年になります。「あの人はプライドが高いね」 「あの人はプライドがないのか」。

どうやら多くても少なくてもいけないようですが、“プライド”という概念の内容、評価基準は曖昧なことが多いと感じます。

プライドの“質”というものに何かキーがあるのではないでしょうか。

私は、「昔の自分と比較して、今の自分が成長している」ことに“プライド”を持つことにしました。

私は、誰かと比較して自分が優位だということに対して抱く“プライド”を最低のものと考えています。

なぜなら、後者では、自分が何もしなくても、誰かを貶めることや不幸を喜ぶことによって“プライド”が満たされるケースが多いからです。

 

ここは、かつて欧米のように市場拡大のためではなく、プライドの為に戦争を拡大した珍奇な国でもあります。よほどプライドが好きなようです。

当時の参謀本部の生き残りの一人は、「日本は降参すべきではなく、本土決戦をすべきだった。

もし日本人が全滅しても、誇りが残ればその方がいいじゃないか」と言っていました。

「沽券にかかわる」とかいう言葉ばかりを重視しそうな総理大臣候補よりも、現実を見てまっとうなことをいう谷垣貞一氏が評価されない日本を憂います。

“プライド”という夢の維持だけに全力を注ぐ空虚なリーダーをみんなで支持しながら、この国はゆっくりと自滅してゆくのでしょうか。