7月9日

テロなどの悲しい現実があります。

今、世界的に「他者の痛みがわかるか」という

ことが問われているように思います。

ここで、意外に見落とされているのは、

「他者の心」は努力しないと見えてこない、と

いうことではないでしょうか。

「他者の心」は個人が「自らの心」を理解できる

枠のなかから推測するしかありません。

勝手に、自動的に見えてくるものではなく、

自分の心の枠を広げ、そこから他者を思う

努力なしに、「痛み」は見えてこないでしょう。

(私に主張する資格がないのを承知の上で)

暴力の応酬以外の問題解決の可能性は、

私たちが「他者の痛み」を理解する努力を、

心がけることからしか開けてこないのでは

ないか、という気がします。