テロなどの悲しい現実があります。 今、世界的に「他者の痛みがわかるか」という ことが問われているように思います。 ここで、意外に見落とされているのは、 「他者の心」は努力しないと見えてこない、と いうことではないでしょうか。 「他者の心」は個人が「自らの心」を理解できる 枠のなかから推測するしかありません。 勝手に、自動的に見えてくるものではなく、 自分の心の枠を広げ、そこから他者を思う 努力なしに、「痛み」は見えてこないでしょう。 (私に主張する資格がないのを承知の上で) 暴力の応酬以外の問題解決の可能性は、 私たちが「他者の痛み」を理解する努力を、 心がけることからしか開けてこないのでは ないか、という気がします。 |
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