7月23日

「無痛文明論」(森岡正博 著

トランスビュー 刊 を読んでいます。

「楽」や「快」を追い求め続ける

現代日本の「無痛文明」は果たして

人間がめざす理想の社会の姿なのか、

と問題提起します。

「痛み」を避け続けた結果、自らの生の充実を

見失い、他者の痛みを理解できない人々の

世界が現出しているのではないか、と。

(解決指針については同意できない所が多い)

ミラン・クンデラの

「存在の耐えられない軽さ」のテーマ、

「重さは本当に恐ろしいことで、

軽さは素晴らしいことであろうか?」という

問いを重ね合わせて思い出しつつ、

自らを見つめ直す必要を感じています。

※ 文章全体に完璧に論理を組み上げよう、という強引さが目立つ。それは完璧に人間を規定しようとすることになるが、

それを可能にするために、著者の人間観の内側を最大限に拡大してもカバーできない領域が存在することが想定されていない感じがする。

(そもそも人間の定義が可能なのか?)また、批判を封じるためだけの矛盾した論考もバラバラに配置されているように思えた。

問題を明瞭化した功績は買うが、完璧な答えを用意しようとする(またそれが可能だとする)姿勢には、(負けず嫌いな性質が見え隠れして)首をかしげる。