4月12日(号外)

中国や韓国において反日運動が高まっていることに心が痛みます。

この問題は複雑多岐にわたる原因を有していると思われ、簡単に語れるものだとは思えないのですが、中国や韓国の立場にたってみれば、

日本の誠意など感じられないのは明らかで、彼らの怒りは理解できます。(そして日本のなかでこの事件への様々な議論がおこるべきことだと思います)

国連のアナン事務総長が言うように、「日本は国連の常任理事国をめざす前に、隣国との関係を良好にすべき」です。

それすらできずに、常任理事国として国際関係をどのように改善していこうというのでしょう。

 

他国から見れば、日本の(常任理事国入り希望の)態度は「金はアメリカの次に出しているのだから、発言権をよこせ」というものでしょう。

金で尊敬や愛情は買えない、というごく当たり前のことだと思います。そうした心理面への影響の大きさを官僚・政治家は理解していません。

 

昭和の近代日本史を学んでいると、日本は哲学や国際関係に定見なく、「強いものに尻尾をふる」ことしかしてきていません。

その狭い視野で突き進んでは周辺国と自国益に被害を与えながら、そのことに対する反省・謝罪をし教訓を得ることができていません。

生真面目さと手先の器用さで、アジアでいち早く欧米の科学・工業技術を獲得できた力には自信を持ってよいと思いますが、その能力と

文化や環境の異なる民族の入り乱れる国際社会へ「よりよき人間社会の未来像」をイメージし、提案・実行できる能力とは別のものです。

昨今の日本の政策や発言をみていると、残念ながら日本の官僚・政治家はそのために必要な

人間の価値の多様性に対する洞察力や、共存への知恵を編み出す思想・能力をもっているとはとても思えません。

 

敗戦後、日本を復興するにあたって人材不足から、結果的に戦争当事者を中枢部に多く登用せざるを得ませんでした。

そのために日本の中枢自身による反省が難しくなり、いつになっても「あの戦争は、間違っていなかった」という過去を美化する方向性ばかり出てきます。

しかも本格的な復興は、冷戦構造の悪化によってアメリカが日本を対東側の防衛ラインとして重視したことによって促進された経緯があります。

そうした社会情勢下で、日本は大東亜戦争への反省と教訓を得る機会を失ってきたことを見直す必要があると思います。

 

高齢化社会を迎えるにあたって、若者のマイノリティ化と力不足も深刻です。人間は高齢化して未来への可能性に夢を見にくくなると、

どうしても過去を美化して過去に夢を見ようとする傾向が強くなる気がします。活動範囲の縮小から、視野も狭くなりやすい。

この傾向が、国全体に広がりつつあると危惧しています。

ご高齢の過去首相経験者を集めたりして、その感覚の延長で憲法や外交政策も決めていかれたのではたまりません。

 

もっと露骨な言い方をすれば、現在の日本の経済は中国市場の存在なしには成り立たなくなっています。

その国に対して“メンツを保つ”だけの実質を伴わない政策や発言を繰り返す安っぽい中枢部を、国益上、これ以上放置していてはいけないと思います。

 

日本では《組織》というと中央集権型しかイメージされませんが、これでは優秀な人間の能力を組織として活用できないと思います。

(しかも、権威保身者によって内部を私物化するなど腐敗・硬直化しやすい)

政治家の仕事も、個性的な個人のアクティブな集団としての組織体系にシフトしていかなければ、

寄り合いのボスの思い込みが、大きな声と集票力で物事が決まっていく《多勢に流されやすい)だけの前時代的な中枢・司令部の性格のまま

国際社会における国の方向性すら決まっていってしまいます。(もっと世界が見れている人材が活用されていない=国益を損じています)

政治家・官僚の仕事を透明化して情報公開させ監査し投票による罷免権をつくるなど、彼らにこそ能力主義を導入すべき時がきていると思います。

 

改善すべきことが改善できない社会であることが、この国の最大の問題であると憂うところから、僭越ながらこうした意見を表明します。