この事件の最大の異様さは、やはりこの動機と犯行のギャップだろう。子供のころに飼っていた犬を保健所に処分されたからと言って、保健所と直接関係のない厚生省の元官僚を殺すというのは、あまりに理不尽だ。そのため、本当の動機は別にあるのではないか?あるいは真犯人の身代わりに出頭したのではないか?と言った憶測も盛んだった。しかし、その後の取り調べで、「犬の敵討ち」が本心であるらしいことがわかった。そうなると今度は識者なる者たちが、彼の内面を勝手に解釈して、彼を責めに掛かる。犬にかこつけて不遇感を成功者に向けた、言わば「妬み」であると。
もちろん、この男の言い分はまったく理不尽だし、同情の余地はない。しかし、その心象風景には意外なほど自然なものを感じる。理由はどうあれ、生きるに値しない人生を見つけてしまったとき、倫理も論理も無価値なものとなる。思いだけだ残って、自分の存在がそこに集約されて行く。その意味では黒衣の未亡人にも似ている。おそらく、自己存在のアピールとか、嫉妬とか、損得とか、自己正当化とか、正義感とかは、少なくとも彼の意識の表面には一切なかっただろう。あったのは復讐心だけ。
その復讐心ですら理性的な思考を経ていないため、まるで見当違いの方向に向かった。そして、そのことを自覚しても後悔できない。過ちを認めてしまえば、最後の拠り所を失ってしまう。やってしまった以上、正しいと思い込まなくてならない。そもそも、彼の言葉を信じるなら、ターゲットにされるべきは、地元の保健所の職員、しかも「明日来なさい」と言っておきながら、勝手に犬を処分した職員であるのが筋だ(もちろん、親が持ち込んだ犬を子供が引き取りに来ても、騙して処分するというのは、その職にある人達の暗黙のルールであった可能性が高く、その職員を責めるのも間違っているとは思うが:なお、その後に伝えられた供述は、ここに述べたものとはかなり異なっているようだが、いずれにしろ厚生省とは関係がない)。
その恨みの矛先が、いつのまにか厚生省や高級官僚に変わった。そこには、社会に対する不満があったことは確かだろうが、どう考えても、犬の処分と高級官僚には正当な因果関係はない。この論理の飛躍は、おそらく正常な人間関係の中にあれば起きなかっただろう。極端に単純化して言えば、周囲が嫁さんを世話して、子供でもできていれば、この「決起」はあり得なかったはずだ。人は相互関係の中で初めて正常を保つことができるのであり、孤立してしまえば「何でもアリ」になる。倫理も道徳も損得も、そして論理すらも勝手に飛躍する。私個人は自由や個人主義の信奉者だが、一方で人の孤立という弊害を認めないわけにはいかない。今回の事件も、「どうやったら防げたのか?」を考えると、その本質が「孤立化」にあったことに気付く。
そもそも、どんなに悪いシステムでも、それなりに機能していたものを壊してしまえば、必ず弊害が出てくる。システムの「いいとこ取り」なんて不可能だ。フセインを排除したら宗派間抗争で物凄い犠牲者が出たし、派閥を弱体化したら人材が枯渇してしまったし、談合をなくしたら建設会社の雪かきサービスがなくなったし、飲酒運転を厳罰化したらひき逃げが増えたし、家制度を壊したら地域共同体が崩壊し、孤立した人間が犯罪に走るのを防げなくなった。悪いものをなくすのは正しい事だが、なくしたらどうなるかをあらかじめ予測し、対策を取っておかないと、状況は逆に悪化する(ついでに言っておくと、天下りをなくせば官僚の質が極端に低下するだろう)。
自由も個人主義も、いつのまにか自己責任論にすり替えられて、すべてを個人でひっかぶらなくてはならない社会になってしまった。それは束縛を嫌う個人のエゴイズムと、市民の連帯を阻みたい政治家や大企業の思惑の、奇妙な目先の一致によって生まれた風潮だ。自己責任論と貧困大国化は表裏の関係にある。小泉政治の完全否定をしないかぎり、人の孤立化と異常犯罪は、もう防ぎようがない。
なぜこのような人物が総理総裁になれるのか? 自民党の人材枯渇は深刻である。もちろん、知的能力が低くても統率力が飛び抜けているというのならば話は別だが、麻生にしても安倍にしても、いともあっさりと身内から見放されている。総裁選で圧勝したはずなのに、庇おうという気配すら乏しい。明らかに人材の質が落ちているのだ。なぜか? おそらく、その最大の原因は派閥の弱体化だろう。かつての派閥は、総裁レースの場だった。派閥の中で金集め・人集めを競い、派閥の長になれば他派閥と競い、最終的に総裁の座を手にする、言わば人材育成機能を持っていた。「派閥」という言葉には暗いイメージが強いが、人材育成という点ではアメリカの大統領レースにも似た点があった。
しかし、そうは言っても、派閥の弊害は非常に大きい。結果的には、例の頭のおかしい人が派閥をぶっ壊してしまったわけだが、そうでなくても早晩消えざるをえないシステムだっただろう。だが、それならば派閥に代わる人材育成システムを作るべきだった。それがないために、政治家は鍛練の場を奪われ、ある意味フラットな存在となった。もはや誰でも良いのである。要は、選挙に勝てるように「ルックスがいい」とか「面白いことを言う」とか言った、ほとんど芸人と同じレベルで総理が選ばれるようになった(さもなければ「家系」だ)。だが有権者はバカではない。結果はかくのごとし。安倍は惨敗、麻生は敵前逃亡と、惨澹たるものである。これで石原のボンボンが次期総裁なんてなったら大笑いだが…
そう考えると、同じ世襲でも福田は良くやった方なのではないかと思う。結果的に実績は残せなかったが、あのねじれ状態では誰がやっても上手くはいかない。むしろ、あがきながらも破綻がなかった点は評価しても良いと思う。好き嫌いは別として安定感と言うか、少なくとも「まとも感」があった。だが、公明党は目先の選挙のために、その福田を引きずり降ろした。安倍や麻生を担いだのも、定額減税(給付金)をゴリ押ししたのも公明党だった。そして自民党は公明党と手を切っては政権を維持できない。…まあ、そういうことだ。
ならば、その破綻からの復活を担うのも、また歴史の必然性を持った人物でなくてはならい。その人物は、今までの負の歴史から明確に断絶した人物でなくてはならない。すなわち、ブッシュより「ましな」人物ではなく、ブッシュとは「正反対」の人物でなくてはならない。アメリカ国民は、そのことを皮膚感覚で感じていたのではないかと思う。その文脈で見れば、オバマの肌の色が黒いのも、むしろメリットであったとさえ言える。投票日前に楽勝ムードが出たのも、歴史の転換に参加する当事者意識を高める効果こそあれ、気の緩みにはつながらなかったように思う。この選挙戦は、明らかに、二つの利益集団の利権争いとは別次元の、社会の底流を変革する出来事のように感じられた。
ただし、現実は過酷だ。「ヒトラー以来の人類の災厄」と言われるブッシュの残した負の遺産はあまりに大きい。たとえオバマの政治的・経済的手腕が期待以上に優れていたとしても、返済不能な額の借金は、やはり返済不能なのである。アメリカに決して明るい近未来はない。むしろ、オバマに求められるのは、辛い時期を国民に納得させる説得力だろう。不法行為をした者を監獄に送り、不道徳な蓄財(たとえ適法であっても)をした者から財産を合法的に取り上げ、真に困っている者を救うという、指導者としての本来あるべき姿だ。しかし、馬鹿正直にそんなことをすれば暗殺が待っている。
政治家は正義に殉じて聖人になるのが仕事ではない。と言って、過度の妥協をしてしまえば、期待が大きい分だけ失望も大きくなる。人々は信じる者を失って、社会は更に悪くなる。オバマの指導者としての力量が極めてシビアに試される状況なのだ。期待はしつつも、大きな不安を感じずにはいられない。
日本のバブル崩壊よりも遥かに速く、遥かに大規模に破綻が始まっている印象だ。確かに、米国政府の対策も迅速・大規模な印象を受けるが、だからと行って、処理が簡単に進むとは思えない。不良債権はガンと同じで、初期段階で発見して切除することができれば治療は難しくない。しかし、ここまで転移が進んでしまうと切除は不可能。米国の信奉する市場原理主義に従って、すべてのガンを切除すれば、即座に経済全体が死んでしまう。結局、あれほど否定していた公的資金の投入による延命より他に道はなくなった。
しかし、どれほど迅速・大規模に公的資金を投入しても、結局は経済は回復しないだろう。日本の不況が長引いたのは単に対策が拙かったというだけではなく、そもそも、回復不能な状態に陥ったからだ。米国も同じで、返済不能な借金を抱えてしまった以上、通常の方法では復活不可能。日本の場合は、そのツケを労働者に回すことで乗り切った。労働者を搾取し、貧乏人から税金を絞り取って企業に貢ぐことで得た「経済成長=貧困大国化」だ。しかし、米国の労働者は既に使い捨て状態であり、それすら不可能だろう。大きなイノベーションや戦争などがない限り、米国経済の復活はない。朽ちていくだけだ。
要するに、市場原理主義は根本的に間違っていた。それは、必然的にバブルを生み、必然的に破綻して、必然的に多くの人々を不幸に追い込むシステムだった。しかも、バブルによって受けた恩恵よりも、遥かに酷い不幸を、遥かに長い期間に渡って与え続ける。これは結果論ではなく、多くの識者がずっと以前から指摘していたことだ。だが、おサルのジョージ・ブッシュにそれを理解する能力はなかった。頭の良い人物が優れた為政者になるとは限らない。しかし、バカが大統領になれば、必ず惨澹たる結果を招く。己の欲望を抑える羞恥心を知らないし、結果を予見する能力もないからだ。アメリカ人はこの教訓を肝に銘じるべきだろう……無論、日本人も。麻生総理は止めた方がいい。
だが、それを、あの段階で断定口調で公表してしまった日本の警察の態度はどうだったろうか? まあ、悪意はなかったろうし、迅速な事実の公表は賞賛されてもよいことなのだが、相手が外国となると、それなりの配慮が必要となる。翻って中国側の立場に立ってみれば、突然降って湧いたように事件が起きて、自国での捜査もロクに始まってない段階で、いきなり重大犯罪の犯人と断定されたのだから、腹を立てるのはむしろ当然だろう。彼らが最も重視するメンツを潰されたのだ。そんなことで事実が曲げられては堪らないと思うかもしれないが、「そんなこと」という段階で、すでに処方箋を誤っているのかも知れない。客観的な事実の解明と、効果的な事件への対処には、異なったモノサシが必要だ。
こうなると、中国国内で犯人が検挙される可能性はほぼゼロ。無論、日本の警察も国内犯行の可能性なんて真面目に考えてないだろう。つまり、迷宮入りで感情的しこりだけが残る。両国政府は政治的な決着を図るだろうが、ハテサテどんな形がありうるのか……単に時間が解決してくれるのを待つだけかもしれない。
私は、この事件を単なる企業に対するハライセ事件と見ているが、もし思想的な背景があって日中関係を破壊するのが目的だったとしたら、実に巧妙な策略だと言えるだろう。歴史上の謀略事件を見ると、些細なことから大きな戦争にまで致ったことがしばしばある。傍目八目で、なんでそんなことで戦争に突っ走るのかな?ミエミエなのに……という気もするのだが、今回の事件でその原因を実感できたような気がする。不信と憎悪という火薬に、謀略という導火線が火を着けるのだ。火薬がなければ導火線があっても爆発はしない。
ただ、この事件で一つだけ良いこともあった。食品の国産回帰だ。そもそも、日常の食料を外国に頼るのは異常だ。人件費が高くても日本国内で製造して、高い金を出してそれを買え。金がないというなら、ケータイを解約しろ、薄型TVを売り払え。育ち盛りの子供がいるなら、「ごめんね、ウチは貧乏なのよ」と正直に言え。子供に惨めな思いをさせたくないからと言って、危険なものを食わせるのとどちらが罪深いか考えろ。貧乏は悪いことじゃない。空腹を抱えることも勉強だ。常識で考えてみても、あの数の冷凍ギョーザがあの値段で買える方が変だろう。水や空気もそうだけど、生命を支える最も基本的な部分が、タダ同然のローコストで入手できることに不自然さを感じるべきだ。食べ物は尊いのである。ウカタマなんである。たぶん、そうした感覚は生の実感と表裏一体のものだと思う。
安倍は「年金」「カネ」「失言」で負けたというよりも、それらの問題によって、姑息で卑小な人間性があぶり出されてしまい、それに国民が拒絶反応を示したというのが正しいだろう。問題を起こす方も起こす方だが、むしろ問われたのは、問題に適切に対処できないの安倍の宰相としての資質。年金問題で見せた卑怯な責任転嫁体質、強行採決の連続に見られる独善性、「成長路線」という名目で格差を放置した弱肉強食主義、松岡や赤城を庇い続けた身内に対するえこ贔屓。自民党内部からは「安倍さんだけの責任ではない」という擁護論もあるようだが、とんでもない話。100%安倍の責任だ。もはや政策云々ではなく、安倍の人間性に国民が不信任を突きつけたんだ。
ネオコンの特徴は、エリート階級に生まれ、常識的な苦労を知らず、独善的で他人の言葉に耳を貸さず、己の過ちを認めない態度を「信念」と強弁し、他人に厳しく身内に甘く、都合が悪くなるとすぐに責任転嫁に走り、悪者を作っては攻撃することで人気を取り、そして現実対応能力が決定的に欠如している、ということ。安倍、ブッシュ、小泉、石原バカ太郎、前原(民主党前代表)、ぜ〜んぶ、同じタイプ。今回の選挙結果は、国民がそうしたネオコンの胡散臭さに気付くようになってきた証拠…と信じたい。
これは、安倍の取り巻き全般に言えることだが、現実の重み、人の痛み、他人の心というものを理解する能力が根本的に欠落しているように感じる。現実から遊離したバカが自分に都合の良い妄想ばかりを言い合って仲良しクラブを作っているだけだ。−−そう、やっぱりオウムに似ているんだよ。マスターベーションに耽りすぎて、世間の常識が見えなくなっている状態。だから、世の中でもアホの常識が通用すると感じてしまうのだろう。
しかし、こんなバカどもが教育や憲法を弄ぼうとしているのに、なぜ国民は怒らない?怒るのは自分の財布の問題だけか?
皮肉なことに、社会に格差を生み出したり、犯罪を誘発したり、国際緊張を引き起こしているのは、実はこうした反動政治家どもだ。国民は貧乏になればなるほど、犯罪が増えれば増えるほど、大量殺戮の危険性が高まれば高まるほど、それらの問題を産み出している張本人どもを支持する。そして、そういう輩がさらに大きな力を持ち、悪い状況を拡大再生産していく。虐げられた者たちが、虐げる者たちを賛美する異様な−−しかし、歴史的に見れば決して珍しくはない状況が再現されている。
では、過去このような状況に陥った場合、どんな結末になっているのか? ズバリ、戦争である。現在の状況から平和や共存を掲げる政治に再生できる可能性は限りなくゼロに近い。権力は、すべての問題の責任を他国に押し付け、他国と戦争をすることで、求心力の維持と実益を得ようとする。そして、負けた方が軍国主義やファシズムや侵略を懺悔して、理想主義を掲げ始める……ま、現在のアメリカはその状況に近くはなっているが、死者数千人規模の負け方では、根本的な反省はないだろうね。
閑話休題。フランス大統領選に戻ろう。得票率は53%対47%。この差を大きいと見るか小さいと見るかは微妙なところだが、少なくとも、半数近くがサルコジにノーと言っているのは事実。そして、当選直後、新大統領が豪華なクルージングを楽しんでいるまさにそのとき、国内では大規模な反サルコジ暴動が勃発し警察と正面衝突。これが新しいフランスのあり方を象徴している気がする。権力は特権階級化し、利己的な欲望を隠そうともしなくなり、反対者に対しては容赦なく暴力を行使する。そして、多くの国民はそれに知らぬ顔を決め込む−−そういう国になっていくのだろう。現在のロシアはそういう国だし、アメリカも日本も似たような状況だ。
ま、日本人一人ひとりに悪意はないかもしれないが、ひょっとすると、過去の侵略に対して「金払ったんだからいいだろう」という気持ちがあるのかもしれない。だから、小泉のバカがああゆうことをしても「通ってしまう」と軽く考えたんじゃないかな。賠償(経済協力)と反省は別。確かに日本は金は出したが、小泉政権になってからはアジア蔑視外交をやってたからね、反省している人の態度じゃない。
今回の問題は、欧米や東南アジアの新聞にも取り上げられているが、各紙の論調は概ね中国側の主張に沿うものだ。小泉のバカは自分の行動が国際常識からかけ離れていることをまったく理解していない。第二次世界大戦を語るとき、軍国主義者たちは日本は欧米からの圧力を受けて孤立したために、やむなく戦争に突入したなんて言っているが、今回のことを見ると何だかデジャビュ。悪いことして他人から注意されても聞く耳持たないんじゃ、そりゃ孤立もするわな〜〜とつくづく思うのであった。キムジョンイルをどうこう言えないよ。 (2005.04.14)
今年も、初戦は流石に見応えのある投手戦だったが、二三戦目は接戦と言うよりどんぐりの背競べ。選手個人の能力はひとまず置くも、巨人のチーム力には相当大きな問題があると言わざるを得ない。しかも、それは去年からずっと引きずっている問題で、何度も何度も指摘されながら、今年になっても全然改善されていなかったというのが印象的だ。
よく傍目八目と言うが、確かに当事者と言うのは意外に問題が見えないものだ。組織と言うのは、時として恐ろしく愚かな判断をして、破滅に突き進んでしまうことがある。三菱自動車とかNHKとか大日本帝国とか…。端から見たら、そんなことしたらヤバイってのが明らかなのに、組織の中にいると判らないんだな、これが。いや、「判らない」というよりも「通らない」と言う方が正しいかも知れない。利権が大きく、旨い汁が吸えるような組織ほど、保身の欲求が強くなる。正しい意見を述べて、既得権益を侵そうとする人間を排除する。人間という動物は本質的に目先の欲望に負ける存在なのだ。
巨人も球界の盟主を気取ろううとすればするほど、視聴率を上げようとすればするほど、首脳部が保身を図れば図るほど、泥の沼の状態に陥ちていく。堀内も滝鼻もそれが判らないのではなく、判りたくないのだろう。彼らがどうなろうと知ったことではないが、プロ野球全体が道連れになりそうなのが恐い。(2005.04.04)
ただ、これでホリエモンが勝ったと見る向きは少ない。いいとこ四分六。しかも、六分はフジだ。フジには法的措置以外にもさまざまな対抗策がある。後先考えずに食らいついたホリエモンには明確な展望がない。最終目標がフジテレビの支配だとしたら、そうとう遠い道程だと言わざるを得ない。
それに、ホリエモンがいつまで持つか、というのも甚だ疑問だ。最近のホリエモンはテレビに出演しても異様に動揺している。地裁決定が出ても、心底喜んでいるように見えない。心の中にかなり大きなわだかまりを抱えているような顔色だ。おそらく、リーマンとの関係で、表に出せないような厳しい状況に追い込まれているのだろう。結局、フジもライブドアも食い物にされて、漁夫の利は外資にさらわれる、というオチが着くんじゃないだろうか? (2005.03.11)
昔、専売公社の役人がタバコと肺癌の関係は医学的に証明されてないとか寝言を垂れていたが、こういう馬鹿者はいくら攻撃しても構わない。しかし、一部の問題をことさら大きく取り上げて、個人の嗜好を攻撃するのは恐い気がする。同じような感覚は、石原慎太郎のバカが大手銀行を狙い撃ちした外形標準課税をブチ上げたときにも感じた。さらに言えば、ヒトラーのユダヤ人迫害とも類似点が非常に多い。
少なくとも初期段階のファシズムは、大衆に対して極めて迎合的である。それは、大衆の不満を吸い上げて、特定の人々を攻撃することで人気を集め、その人気を元に権力を手中に収めて行くからだ。タバコの害も、銀行の不正も、ユダヤ人の金儲けも、大衆が苦々しく思っていたことだろう。しかし、それらは法律に則って冷静に対処すべき問題だ。感情に流されて「あいつらは悪いから何をしても良い」ということではない。
まさか、WHOがファッショだとは思わないが、銀行を攻撃した石原慎太郎や、北朝鮮を目の仇にしている安倍晋三には、ヒトラーと極めて近いものを感じる。大衆の憎悪を増幅することで人気を取り、最終的には個人的な欲望を達成しようとしているとしか思えない。タバコ問題は、そういう連中のそういう手法が、ナチス時代同様、現在も極めて有効だということを実証してしまっている。正義や人道は、個人の好悪や利害とは別のところにある−−そんな当たり前のことを、大衆は忘れてしまっているような気がする。(2005.03.04)
今回の報道を見ていて気になるのは、この事件を犯人個人の問題で片付けて、こうした「異常者」から学校を守る方法に議論が終始している感があることだ。確かに、当事者にしてみればそれこそ最大の問題。可能なら、子供一人ひとり、教師一人ひとりにボディガードを付けたいくらいのことは思っているだろう。だが、本当にこれは個人の問題なのだろうか? 単なる一異常者の犯罪ということであれば、ありふれた(そう、ありふれてしまっている!)殺人事件の一つであり、たまたま舞台が小学校であったに過ぎない。そう過敏になることはないはずだが……
しかし、この事件には、そうでない何かを感じる。これは、現在の社会状況の中で起きるべくして起きた事件であり、今後も似たような事件が起こりうるのではないかという気がする。私だけでなく、多くの人がそのことに(無意識にせよ)気が付いている。それが底知れない不安を呼び、滑稽にさえ見える過乗反応を生んでいるのではないだろうか? 丁度、9.11の後のアメリカのように。
この事件が個人の問題ではなく、社会状況の中から生まれた物だとしたら、その原因は良く考えなくてはならない。無論、そう簡単に結論が出せるような問題ではないが、私が何となく感じているのは、アメリカ型効率社会の行き着いた果てだということだ。「いくら儲けるか」が評価の全てであり、人間性やキャリアに対するリスペクトを著しく欠き、責任論が何よりも優先し、口では平等を唱えながら異質なものを迫害し、美辞麗句で飾りながら強者が欲望を丸出しにしていく社会、強者が強者であり続けるために、好き勝手にルールを変える社会、貧富の格差は拡大し、階級は確実に固定化しているのに、ごく希に現れる成功者をこれ見よがしに宣伝して、まるで万人に機会が均等であるかのように欺いている社会。
その中でドロップアウトした人間はどうなるか?−−犯人を庇うつもりは毛頭ない。また、ドロップアウト(私自身もそうだ)が全員同じような事件を起こすなどと思われては甚だ心外だ。さらに言えば、私は国粋主義者ではないし(逆の立場だ)、戦前の道徳を肯定する気は全くない。しかし、希望を奪われた人間は、己の命さえ、さして重要なものではなくなる。このことの恐ろしさはよくよく考えなくてはならない。彼らは、我々の社会が生み出しているのだ。
既にアメリカでは小学校は刑務所化している。同じ価値観をベースに社会を作れば、結局、同じところに行き着く。問題の根源を見据えない対処療法は滑稽なだけだ。だが、教育現場の教師たちに、社会の価値観を変えることまで望むのは無茶だ。(2005.02.19)
しかし、HDDレコーダと言うのは想像以上の難物。何と言っても機能が多すぎて繁雑だ。おまけに、私の購入した機種は取扱説明書がタコで、知りたいことが全然書いてない。こんなじゃ、年寄りは絶対に使えないよ。操作だって、キーボードとマウスを使わなきゃ無理だよ。リモコンだけでやらせるから、イライラしちゃって…。ランダムな処理ができるのは物凄いメリットだけど、いらん機能が多すぎるなあ。たぶん、技術のあり方としてはかなり間違った方向の製品だと思う。(2005.02.11)
その後、新会長が「政治家への事前説明は好ましくない」と方針転換した一方で、やっぱり事前説明は続ける意向らしい。何だかわからない人だ。海老澤元会長の顧問就任を「これほど反発が出るとは予想していなかった」という感覚といい、本当に大丈夫なのか、この新会長は? 組織内部の価値観が世間からかけ離れていることを自覚できないのでは、オウムの連中と変わらないぞ。
この問題で、東大教授が受信料支払い停止運動を始めたようだが、大いに賛同する。(2005.01〜02)
それに、日朝関係を拉致問題だけで考えるのは誤り。被害者や家族の心痛はたいへんなものだとは思うが、情緒に流されて徒に敵対的感情を持つのでは、最後は戦争しかなくなる。それに、国際世論がこの問題に驚くほど冷淡な理由を考えて見るがいい。同じ被害を受けた韓国ですら今の日本よりは遥かに冷静だ。敵対じゃなくて解決が重要なのだ。(2005.01)
巨人の汚さは、単にルールを破るというよりも、ルール自体を自分の有利なように変え、しかも、それによって弱小球団の経営が破綻するように仕向けている点にある。球界一の人気球団という立場を利用して、自球団に有利なシステムを他球団に強要する。ブッシュ政権とそっくりの体質なんだな。
こういう巨人の体質は第二次長嶋監督時代から始まった。しかし、長嶋さんの馬鹿は愛嬌である。その愛嬌を真に受けてとんでもないことをしでかしたのがナベツネだ。そして、ネベツネの悪行を「経営努力」と称して正当化した「巨人ファン」こそがプロ野球を腐らせた張本人だ。
さらに言えば、そこまで汚いことをやりながら優勝できない。貧乏球団が金満球団を倒すというのは、それはそれでスカっとすることなのだが、巨人に関してはその爽快感すらない。チームがゴタゴタして、野球としての体をなしていない。ハナからチームワークなど眼中にないし、頼みのスター選手も腐らせてしまう。名悪役にすらなれない巨人は、プロ野球そのものから面白さを奪い取ってしまった。
たとえ汚い手段を使ったにせよ、スター選手を集めた以上、彼らの能力を十分に発揮させるのは球団の義務だ。そうでなければプロ野球自体の魅力が薄れる。「たかが選手」というフロントの体質が、選手をダメにしている。過去に業績を上げた選手には、たとえ結果が出なくてもそれ相応の尊敬を払わなければならない。けなしたら腐っていくだけ。四番打者は任せるもの。競争させるなんてもってのほか。 (2004.10)
これは当時かなり大きな問題になった。もちろん、マスコミ(特に朝日)は大豊を徹底的に非難した。その非難の趣旨は、審判は人間だからミスジャッジは付き物、たとえミスジャッジでも審判の判断が最終的なもの、それに文句があるからと言って暴力を振るうのは怪しからん、というものだった。しかし、現場の選手やOBの雰囲気は全然違った。ともかく、このデミーロ氏のジャッジは、当時の日本人には目茶苦茶に見えたのだったのだ。
「たとえミスジャッジでも、審判が下したジャッジが最終的なもの」なんていうのは、野球をやっている人間なら誰でも百も承知だ。それを認めなければ、そもそも草野球なんて試合にならない。しかし、それにも限度がある。審判に審判としての最低限の能力があることが大前提だ。プロの試合で、まるで幼稚園児がでたらめに言っているようなジャッジをされたらどうだろう?
最初は「お客さんだから」と苦笑いで済ませていた選手たちも、生活が掛かるようなギリギリの場面でそんなジャッジをされたら堪らない。解説者も厭味の一つも言わざるをえないという有り様だった。暴力を振るった大豊に非はあるにしろ、振いたくなる気持ちはみんな持っていたのではないだろうか?
もちろん、当時の日本人は、日米でストライクゾーンにこれほど大きな差があることは知らなかった。それはデミーロ氏も同じことで、おそらく「後進国」の日本のストライクゾーンをまともに調べることもしなかっただろう。それを強く責めることはできない。責められるべきは、こんな無茶な企画をした連中だ。レスリングのレフェリーに大相撲の行司をやらせるようなものだから。
人間にはミスはつきものとか、暴力は悪いとか、当たり前のことを言うより、そもそも何でこんなことが起きたのか、きちんと考察することの方が重要だと思ったね。たとえすべての当事者に悪意がなかったとしても、彼がジャッジをやる限り、日本の公式戦は成り立たない。幸い、デミーロ氏は(文字通り)泣いて帰って、日本の悪口をいっぱい言ってくれたおかげで、こんなバカげた行事は二度と行われなくなったがね。(2005.01)
ということで、ホームラン軒ファンの私としては大いに喜んだのだが……これがもひとつなのだ。醤油味はやや臭みがあるし、味噌味も辛すぎる。全体的にシツクコなった上に、量も多くなったような気がする。化学調味料の味がきつい。十数年前の記憶との比較なので、単に私が歳を取って嗜好が変化しただけという可能性もあるが、どうもちょっと…。それでも、ホームラン軒独自の麺の歯ごたえは健在。加ト吉にはお礼を言わなくてはならないだろう。でも、もうちょっとアッサリ味にしてね。(2005.01.25)