(2007.12.31)

志賀直哉が消化できないのこと

志賀直哉と言えば『暗夜行路』と『城の崎にて』を覚えておけばテストで困ることはない。社会常識としてもそんなもんだ。ひょっとしたら、高校時代に少し読んだかも知れないが、あまり覚えていない。大学時代には近代日本文学を少し系統的に読んでみようと思いたち、志賀も一冊読んだのだが、それもさして強い印象を残さなかった。まあ、読みやすいな、という程度だった。むしろ、数年前にラジオの朗読を聞いたのが印象に残っている。少なくとも『小僧の神様』と『正義派』は聞いた記憶があるが、耳で聞くと目で読むのとは随分違い、ぐいっと引き込まれる感じがした。純粋に面白かった。ただ、「状況を切り取った」ような作風自体に奥行きを感じることはできなかった。まあ、こちらの感性の鈍さが最大の原因であろうが。

それが今年、たまたま放送大学で近代の日本文学の講義を聞いて、志賀の文体が後世に与えた影響が極めて大きいということを知った。漱石や鴎外や芥川のような大文学者たちよりも、後世への影響力は大きかったらしい。漱石や芥川の大きさは、私でもそれなりに理解できる。特に個人的には漱石へのレゾナンスが大きく、大学入りたてのころに読んだ『それから』が、自分の人生観の大きな転機になっている。たぶん、同じ経験を持っている人は少なくないと思う。志賀の影響力が、その漱石よりも大きいとは、ちょっと実感として理解できない。もちろん、内容と文体は一応切り離して考えるべきだろうが……で、再び一冊手に取ってみることにした。岩波文庫版『小僧の神様 他十編』。今度の興味は内容や作風ではない、文体である。

−−成る程、と思った。物事は歴史的なコンテクストの中で理解しなくてはならない。それは、物理学だろうがカメラだろうが文学だろうが、基本的には同じことだ。志賀の平明・簡潔で直接感情に訴えて来るような文体は、今でこそアタリマエの文体であり、それゆえ看過されがちではある。しかし、この文体が日本文学に最初に登場して来た時の衝撃はかなりのものだっただろう。それを念頭に置いて読むと、再読作品にも随分違った印象を覚えるから不思議なものだ。

プロの作家として、修辞や文飾のテクニックに長けていることは重要である。それは、初期の小説家たちには特に強く意識されていたように感じられる。作家なのだ、先生なのだ、文章の技量が凡人のそれを圧するのは当然である。だが、技術はしょせん技術、後世の才人たちに容易に真似され、乗り越えられてしまう。振り返って見れば先駆者は虚しい骸をさらしているだけだ。しかし、直裁な感情の発露は、そしてそれを的確に捉えた平明な文章は、それ自体永遠である。志賀の文体は所謂「テクニック」ではないから、真似をすることは可能でも、それだけでは意味がない。作家の人間性自体が作品なのだ。

ただ、では自分が志賀の何たるかを理解できたのかと言うと、これが甚だ心許ない。というか、正直全然わからない。芥川が『城の崎にて』を絶賛する理由もわからない。無論面白かったし、優れた作品だとは思うが、脳天を突き抜けるような感情は決してわかなかった。生きていることと死んでしまっていることが両極端ではないのは、私にはむしろアタリマエのことのように思われた。志賀と自分との間にあるピントのズレは、多分、解決不可能なものだと思う。


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