(2008.03.25)

金瓶梅(笑笑生)

地方都市のボスが金とコネを使って権力の階段をのし上がっていく様を描いた近代的なリアリズム小説。好色小説という評価は誤りではないが、この作品の本質ではない。『水滸伝』の有名な武十回を物語の端緒として借用しているものの、世界観はまったく異なる。人物の描写は極めてリアルで痛々しささえ感じる。特に、潘金蓮や陳経済などの描写は背筋が寒くなるほど。助平な興味本意で構わないから、ともかく手に取ってほしい。四大奇書のうち、本書だけだが特定のインテリが書斎で一人で書き上げたもので、近代的な意味での小説の名に値する。各所に欠点もあるが、強烈な現実の重みがのしかかってくる傑作。蛇足ながら、山東夜叉の李貴など、『水滸伝』の原型説話(楊温ランロコ伝等)の登場人物もチラホラでてきて、『水滸伝』成立の傍証資料としても興味深い。さらに蛇足ながら、社会思想社の文庫版(全四巻)は、巻が一つ増えるごとに刷数が半分になるのが面白い(^_^;

●没価値という危険性

いろんな意味で非常に面白いのが陳経済。もともと有力者のバカ息子で、西門慶の娘の婿になるが、潘金蓮と密通をして西門家を追い出されたり、女遊びで嫁さんを自殺に追い込んだりと、まったくロクなことはしない。それで乞食の親分の男妾にまでおちぶれるけれど、そうなると不思議なもので、やけに他人に親切になって病人を看病したり、人から恵まれた金で仲間に酒や肴をおごってしまう。金を恵んでくれた人は立ち直ることを期待していたんだが、どうも善意の方向が期待していたのと違うんだね。金じゃ駄目だと悟って道観に入れてくれるんだが、そうなるとそこでまた持ち前のこすっからさがムクムクと……で、羽振りのよくなった春梅と再開して、またも小悪党に早変わり。結局、くだらないいざこざでやくざに刺し殺されてしまう。

決して多重人格じゃない。世の中舐めたボンボンが、状況に応じて変わって行くさまが妙にリアル。先を読む聡明さも、将来を考える慎重さもなく、現在の状況だけに流されて遊んだり、威張ったり、親切になったり。それでいて「陳経済」という統一性は決して失われていない。『金瓶梅』の特徴は、一応、勧善懲悪・因果応報の枠組を持ちながら、人間の観察や描写においては、決して「価値」を持ち込まなかったこと。呉月娘や応伯爵、王六児、秋菊などの描写を見ても、人間のモノサシに儒教を使っていない。良いも悪いもない、あるがままの人の姿を赤裸々に提示している。

儒教道徳に則った人物が酷い目にあうことも、不道徳な人間が良い思いをすることもある。かと言って、逆説を述べているのでも、逆説を合理化する詭弁を弄しているのでもない。道徳と人の運命に何の因果関係もないことを、ごく当たり前にさらりと描いている。人の運命を左右するのは善悪の区別とは無縁の人間関係なのだ。明らかに作者は価値を拒否している。この「没価値」という特徴は、当時の中国社会において「好色」以上に危険なものだったであろう。


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