出来すぎた偶然の話
 

 

 書こうかどうか迷いながらずっとここ数年を過ごしてきましたけど、個人HPなのでいいかなって思い、書くことにします。

 僕はスキーを始めてから、多くの不思議な偶然が起こりはじめました。まぁ、偶然と言えばそれまでですが、偶然ではすまされないんじゃないかなって思うこともたくさんあります。

  まず一番はじめに取り上げるとすれば、「雪の危険な体験談」の「ファンスキーの危険性」シリーズです。このファンスキーのことを取り上げたときから、僕はあまりにも偶然の出来事を体験し、ずっと不思議な気持ちを抱き続けてきました。



 まず、ことのはじめは、僕の知り合いの方がファンスキーで怪我をされたこと。で、そのころちょうど、このHP上で「雪の危険な体験談」を募集しはじめていた。でもまぁ別に不思議ではないですよね。

 でも、僕がその体験談・ファンスキーの危険性の前編・後編を2000年1月20日にアップして、わずか2日後、なんと僕は、ファンスキーヤーが怪我をするのを”まのあたり”にしてしまいました。HPで、「ファンスキーの危険性(前編・後編)」をアップした”張本人”の”目の前”で、ファンスキーの事故を直接目撃してしまったのです。

 まぁ、それも偶然かもしれないですよね。でも普通、大怪我をする事故を目の前で見る確率って、どのくらいあるのでしょうか。また、普通のスキーの事故を見るならともかく、野麦ではあんまりいないファンスキーヤーが、ファンスキーの事故を”HPで取り上げた人の目の前”で、”ファンスキーの事故”を”一部始終”、それも”滑りだしてから、転倒して、止まる最後まで”、ファンスキーの事故を目撃するって、確率になおしたら、いったいどのくらいなんだろうか。

 この時は、僕は”偶然一級の事前講習を受けて”いて、僕が、その場に”いたくていたわけじゃなかった”のです。僕が、上から降りてきて、イントラの先生に滑りをチェックされ、そして次の人が降りてきて、その人が滑りをチェックしてもらって、次の人が降りてくる寸前で、”ゲレンデを見ていた時”だったのです。僕がチェックされる番であるなら、絶対に事故の一部始終は見なかっただろうし、滑ってきた人がチェックを受けているのを聞いていたら、事故の詳細までわからなかったかもしれないのです。あまりにも、「できすぎた」タイミングだったように思えてならないのです。

 そしてその結果、「ファンスキーの危険性・続編」ができたのです。「鉛筆が斜面を転がるように、人が転倒して、足がからまって転倒。救急車で運ばれた」という、具体的で詳細な報告になりました。(実は僕がパトロールを呼びに行ったんです)

 そして、その後かなりの反響があり、その反響の一つに、HPを見た”とある方”から具体的な情報をいただき、「あれはかなりひどい怪我になっていた」ということを知りました。あの事故のレポートのいきさつは、偶然にしては、あまりにも出来すぎた話なのです。

 さらに、僕にとって、ファンスキーの事故のレポートを初めてアップしてから、たくさんの不思議な思いをしてきています。もうひとつ書くとすれば、ファンスキー関連につながった、不思議な出会いが一つあります。それはその一年後に、なぜかその当時SAJの最年長デモンストレーターだった金子裕之さんと知り合いになりました。

 これは金子裕之元デモの弟さんと、”偶然”知り合ったことがきっかけとなって、そして弟さんに赤倉の「ホテル金甚」に(運転手役目だけど)招待され、デモだった金子裕之さんに会って直接長時間話をする機会があり、その時に”偶然”ファンスキーの話題ができたことから、「安全にスキー・ファンスキー・スノーボードを楽しむために」ができたのです。

 けど、このへんも不思議で仕方がないのですが、なぜ僕みたいな一般スキーヤーが当時のデモと知り合いになり、それも、偶然にしては出来すぎた話の40年以上も滑っていてスキー神髄を知るようなデモに出会い、別にファンスキーのことを話したかったわけでもなかったのに、なぜか自然と話はファンスキーの話になって、それがきっかけとなって、その時の会話をHPで公開することになったのだろうか、と思うのです。

 ほんとうは、まだまだ大きな偶然があるのですが、これは僕以外の方がかかわっているために、ここで書くことはできないのです。けれど、なんだか信じられない偶然がHPをやっていて、たくさん経験しました。

 そしてさらに、その後もファンスキー関連に関しては不思議な偶然が続いたのですが、僕はなんだか、雪の神様が、自分が守っている雪の世界でファンスキーでたくさん人たちが怪我をするのを見て、こころを痛めて、たまたまHPで危険な体験談を募集している僕に、こんな偶然を作ったんじゃないかと思ってしまうんです。僕はHPで取り上げたというか、取り上げて書くことが必然的になっていたんじゃないかと思ってしまうんです。

 そのほかにスキーをはじめてからというものは、たくさんの偶然があります。そういった偶然をいくどか経験すると、やっぱり雪の神様というか、自然の神様がいるんじゃないかと思い始め、さらにを何度も不思議と思うことが繰り返されてしまうと、否が応でも自然と信じてしまうようになりました。

 僕は昔から無宗教で、無神論者でしたが、今はいつの間にか入信してしまったスキー教という宗教は別にして(笑)、神様の存在はどうも信じてしまいます。たったひとりで滑り続けていたりするときによく、僕たちは自然の神様に見守られながらスキーをしたり生きていっているんだなぁって思ってしまいます。

 このHPは、いつの間にか20万ヒットを越え、時に人気サイトと呼ばれることもあります。でも、僕は「人気サイト」というものを作ったつもりはなく、雪の世界が大好きなので、ただ思うままにこのHPを作ってきました。もちろんヒット数が伸びるのはうれしいし、来てくださった方が読んでくれるのにやりがいがあり、とても感謝していますが、僕は運営をしている「だけ」の人です。ヒット数が多いのは、雪の危険な体験談に寄せていただいた方がいるからということは、間違いのないことですし、うぬぼれるほど、まだ落ちぶれてもいないです(笑)

 また、このHPは、エッセイ「1998年の想い出」で書いたように、もともとは母への感謝の気持ちをこめて作ってきたいきさつもあります。そして、こころから大好きだったヤマトのおっちゃんの影響もあります。そして雪の世界からは、たくさんの想い出と、たくさんのすばらしい体験と、たくさんの事を学んできたと思っています。その気持ちもあって、雪の危険な体験談のコンテンツができたのです。雪の神様への恩返しにすこしでもなればいいなって思いながら、毎日の生活の合間にちょこちょこHPをやってきています。

 僕は一人でひたすら野麦で滑っているのがとても好きな普通の(変わった?)雪運動愛好家です。雪の感触のすばらしさを感じ、自然の中で自然を相手に、自然と無我夢中になって楽しめる世界が大好きで、いつも自然と自然に感謝して滑っています。そして、このHPがきっかけとなって僕みたいな雪の世界が大好きな仲間がたくさんでき、そしてみんなで雪の世界で我を忘れて楽しみ、しあわせを感じることができれば、と思っています。

 その手段はスキーであっても、スノーボードであっても、ファンスキーであっても、なんでもかまわないと思っています。手段はちがっても、雪のすばらしさを知る仲間達と一緒に雪の世界を楽しむことが出来れば、身もこころもまっしろになることができれば、これ以上にうれしいことはないと思っています。


2003/10/29up