グリンデルワルド
Grindelwald in Switzerland. 2000/06/08

 

 間違えた列車に乗って行って、引き返して来て、そしてようやく1時間以上遅れてグリンデルワルドに到着しました。そうしたらそこになんと、クールやインターラーケンで出逢った母娘さんに、ここでまた再会したのです。なんという運命のいたずらなのでしょうか(笑)、僕がどの電車に乗ればいいのか迷ってうろうろしているときに、停まっていた電車の窓から、いきなり母娘さんの娘さんに声をかけられたのです。


世界の車窓から スイス・グリンデルワルド行きの列車より by Snowman-Yukio (笑)

 で僕は、窓からその娘さんに「グリンデルワルドに行って、そこから高山列車に乗ろうと思うんだけれど、どの列車に乗ればいいのか知っている?」と聞くと、娘さんの乗っているその電車だと教えてくれました。そしたらすぐに出発のベルが鳴り、僕は大慌てでその列車に飛び込むようにして乗り込んだのでした。ほんとうにラッキーだったです。乗る電車も調べていなかったので、もし乗り遅れていたら、また時間のロスだったのです。また、一度ならずとも二度三度と旅先で偶然出逢った母娘さんがいる、そんな偶然がなければ、僕はこの列車に完全に乗り遅れてしまって、さらに時間を無駄にしてしまったところでした。

 車内は少し混んではいたものの、ちょうど偶然にも、その母娘の対面席だけが空いていて、僕はそこに座らせてもらいました。でも、その母娘さんから聞かれてしまいました。「なぜ1時間以上前に出発したあなたが、私たちよりもおそくここについたの?」って(笑) で僕は「実は忘れ物をしていたようだったので、もときた道を引き返して取りにかえっていたのです」と答えました。「忘れ物はなんだったんですか?見つかったんですか?」と娘さんが聞いてきたので、僕は「実は忘れ物はとてもいいものだったんですよ。だから取りに帰る必要があったんです。何かというのは、内緒なんですよ(笑)」というと、その母娘さんは不思議な表情をしていました。僕はあえてそれ以上の説明をせず、にこにこしていました。

 でも、ほんとにラッキーでした。もうすこしでまた列車に乗り遅れ、時間を無駄にするところを、偶然にもクールとインターラーケンで出逢った母娘さんに、さらに再会して、こんなところで助けてもらえたのです。そしてまた、観光の事についていろいろと教えてもらいました。娘さんは、僕がイタリアに行って来た話をすると目を丸くしていましたが、グリンデルワルドから山頂までの行き方など、僕がなんにも乗り換えなどを調べてきていない事に、さらに目を丸くしていました(笑) なんとかなるさ、でそれまでなんとかやってきたのですね。。。

 で、その親子さんとはツヴァイリューシャイネン?(Zweilutschinen)駅で別れることになりました。記念撮影をさせてもらったのですが、地元のスイスの人はおちゃめですね、しっかりと一緒に写真に入ってきてくれました(笑) また僕は、全然下調べをしてこなかったので、乗り換えの必要なこの駅(たぶんツヴァイリューシャイネン Zweilutschinen)でも、どの列車に乗っていいのかさっぱりわからず、結局その娘さんに僕が乗る電車を教えてもらいました。僕もほんとうにいい加減なヤツですね(笑) また、それも教えてもらうやいなや、出発のベルが鳴り、またあわてて母娘さんに別れをつけて、あわてて電車に飛び乗ったのです。


写すときにはなぜか地元のスイス人たちも入ってきました(笑) 母娘さん、連絡もらえれば写真送りますよー!

 で、車内では早速車内検札がありました。僕は鉄道の何とかパスというものを持っていたので、ものすごく安心していました。検札に来た人は、クリントン大統領をもう少し若くしたような感じの人でした。僕は何気なく何とかパスを見せると、クリントンさんは困ったような表情を見せ、「あなたのこの切符ではこの列車には乗れないんですよ。ということは切符を持たずに乗っていることになるから、できたら次の駅で切符を買ってくれないかな」と言われてしまいました。やっぱりいい加減なことをしていては、必ずボロが出てしまいますね。下調べも何もせず適当な事ばかりしているから、こういうことになってしまうんです

 で、次の駅に着きました。僕は駅をおりて切符売り場に行き、切符を買い求めました。すると、窓口の人が「悪いんだけれど、あなたが乗る次の電車が来るのは、あと1時間後になるんですよ。それでもいいですか?」「えっ?」(時計を指さして)もう時間で、今の列車が出発したはずです。次の列車が来るのは、1時間後になるけれどどうしますか? ここでの停車時間は一分だから、切符を買わずに乗るとこうなってしまうんです。次の列車まで1時間あるけれど待って乗りますか。それとも引き返しますか。。。」

 なんてことか!! 果たして、またここで1時間ロスすることになるとは。。。 もう、このときばかりは怒る気にもなれず、自分の不手際にあきれてしまいました。でも、もうここまで来て引き返すと言うことも、翌日は日本に帰らなくてはいけないのでそういうわけにも行かず、せっかくここまで来たからには、仕方がないのでもう1時間くらいなら待って次の列車に乗ってゆこうと思い、「わかりました。切符を買いますので、お願いします。」と言い、1時間ほど待つ決心をしました。


こんな雄大な景色を目の前にして引き上げることは、ぜったい出来なかった。。。

 そして、カードで切符を買い、切符をカバンに入れて、今から1時間どこをぶらつこうかなと思って駅の外の街を見渡していたら、いきなり僕の視界にクリントン大統領みたいな人があらわれました。その人は、さっき乗っていた列車内で検札に来た人でした。僕は「なんでここにいてるのかな。車掌交代かな」と思っていると、そのクリントンさんは僕に向かってにっこり笑って、「I don't forget you. Let's go !」というではありませんか

 そうです、クリントンさんは僕を待っていてくれたのです。どうやら、僕たった一人だけを待つために、その電車の出発を遅らせてくれていたのです! 僕は思わぬ展開に面食らってしまって、あれよあれよとせかされるまま、乗ってきた電車にクリントンさんとともに乗り込みました。そしたらすぐに電車の扉が閉まり、待ちかねていたように電車は出発しました。

 この時ばかりは、スイスの人の親切さにおもわずうなってしまいました。また、ほんとうの心の温かさに触れたような気がしました。なんといっていいのか、ほんとうに感動してしまったものです。言葉も出ないくらいに、ひたすらこころがあたたかい気持ちにつつまれてしまったのです。

 実はこれまでにも、違う路線のスイスの列車内で、検札に来た車掌さんが、電車の乗り換えの時に僕が列車を降り損なったりしないようにチェックを入れてくれたりする事がありました。また、僕の降りる駅を覚えてくれていて、「次の駅で降りるんだよ」とわざわざ言いに来てくれたこともありました。なんといっていいのか、スイスの人たちのあたたかさには、ほんとうに感動してしまったものです。こういったことは、仕事をしているという職務とかそういったことなんかではなく、ほんとうにスイスの人の、海外から来た人たちに対するこころのあたたかさ、やさしさ、そしてこころのゆとりというものを感じてしまうものでした。

 おそらく、スイスで旅をしてみてなんとなくこういったことはすぐにわかると思います。スイスという国はほんとうにひと味違います。日本の団体旅行の旗を持ったガイドのあとをついてゆくパックツアーでは、なかなかそういった経験なんて出来ないと思います。できればスイスに旅行に行くのなら、グループ旅行、カップル旅行、もしくは一人旅をおすすめしたいです。 

 


もうすぐ山岳鉄道に乗換 この岩山をくりぬいたトンネルをすすんでゆき、頂上付近まで行くことが出来るのです

 グリンデルワルド駅で一度乗り換えて、その次の乗換駅はクライネ・シャイデック。僕は、先ほどの出来事があって、ものすごくこころがあたたかい感情に包まれたまま、ずっと車窓から見えてゆく自然の景色を見ていました。で、その車窓から見える景色は、僕が生まれてそれまでに見てきた景色のスケールが、全然違ってきていることに気がつきました。あまりのその景色のすばらしさに、僕は自分の持っていた理解力や想像力や感受力の甘さを、つくづくおもいしらされてしまいました。あえていうなら、そこでみた光景のすごさに、自然界の偉大な力、言うなれば神さまの存在を感じてしまいました。

 もう、景色が圧倒的だったんです。よく地震や火山の噴火、台風なんかの災害に遭ったときに、人は自然の前では人間の力の無力さを感じるというけれど、人間の無力さを感じることよりも、比較の対象が別格なのかもしれないんだと思いました。人間の無力さなんて、ほんとうに自然の前では意味がないほどかもしれません。ましてや人の人生なんて、大自然の悠久な時の流れの中では、流れ星のように一瞬に消え去ってゆきます。

 でも、人は自分の今を生きるのが精一杯で、一生をとても長いものだと感じ、時に生きている自分さえをもごまかしてすごしてしまうこともよくあります。でも、過ぎ去ってみれば、ほんの一瞬の出来事にしかすぎないと思うことも、よくあることです。

 で、旅行してみてやっぱり感じるのは、1日はほんとうにあっけなく過ぎ去ってしまうこと。10日間の旅行の日程も、この日ホテルで一夜を過ごしたら、もう帰国しなければいけないことになります。一週間以上も旅行してきているというのに、時の流れというものは、ほんとうにあっけないものです。でも、旅行のたのしい時間はあっという間に過ぎるのではなくて、たのしい時間もつらい時間も、とらえ方は違ってもやっぱり時間の長さはおなじなんですね。

 旅行の前日、疲れ果てていたけれども精神的にはかなり高揚していたことを思い出し、今、もうすぐ帰国が迫っている事を感じると、こころが寂しくなってしまう。でも、毎日はいつも等しく時間が流れてゆく。そう考えると、ほんとうになんでもないような毎日を、もう少し一生懸命に頑張ってみるということを、もうすこしまじめに取り組んでいきたいと思い始めていました。

 話は旅行の話から離れてしまったのですが、僕は、自然を感じながら、一人そういった考えを頭の中でし続けていました。目の前に、数百万年、数千万年の歴史を持つ存在を感じつつ。。。

  

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2000年8月15日アップ