イタリア・ミラノへ
From Zermatt to Millano 2000/06/07



 翌日、朝6時起床。すばらしい天気であることを願いつつ窓を開けたのですが、相変わらずツェルマットは雨でした。景色のすばらしいところで、その肝心な景色が見られないなんて、話にならないです(涙) で、ここでのんびりしていても仕方がないと思い、天気の悪いツェルマットに早々と見切りをつけ、ミラノに行くことを即決! 思い立ったらすぐに行動開始。朝7時半、ホテルの朝食を一番に済ませ、ホテルから荷物をまとめて早速ツェルマットの駅へ向かいました。


早朝のツェルマットの駅前を電動のオープンカーで楽しむカップル (実は荷物を運んでいるだけでしたが^^;)

 経路としては、ツェルマットを出発し約1時間ほどでBrig(ブリーグ)という駅に到着。そこで乗り換えて、イタリア・ミラノへゆくというもの。電車は8時半すぎにツェルマットを出発。10時前に乗換駅Brig(ブリーグ)到着。すぐに窓口でミラノ行きの電車の予約を済ませ、乗り換えまでの小1時間、街を散策。気がつけば散策に夢中になってしまい、ミラノ行きの電車に乗り遅れそうになりました(苦笑) 11時すぎミラノ行きの電車に乗り込みました。


鉄道交通の要所 Brig(ブリーグ)駅 ここからあちこちへと線路が延びていて、そのうちの一つがイタリア・ミラノ行きでした

 もちろん、電車でスイスからイタリアに行くと言うことは、国際鉄道です。ヨーロッパは国同士が陸続きなので、電車での国境線越えが当たり前なんですが、僕にとっては生まれてはじめて電車での国境線越えでした。電車が出発すると、しばらくすると検札の車掌とともに、税関の職員二人がやってきました。でも、職員といっても軍人のような二人組で、腰には拳銃をぶらさげていました。パスポートチェックは見ただけですぐに返却され、拍子抜けでした。飛行機での出入国のようにハンコを押されたということもなく、形式的な荷物チェックのみで、なんの問題もありませんでした。

 電車は、スイスとイタリアの国境にあるシンプロン峠の下を走る、ながーいトンネルをひた走り、その後、いきなりイタリア側に出たかと思うと、なんとそこはめちゃめちゃいい天気に変わっていました。また、イタリアに入ったとたん、街の景色もなんとなくスイスのおしゃれな感じから、なんとなくあか抜けない感じの町並みに変わっていました。やっぱり、国がちがうと町並みも変わってきます。もちろん、西洋風の建物はあまりかわりはないのですが、なぜかおしゃれさというか街の美しさが少し変わっていました。


ミラノ駅周辺 わからないかもしれませんが、電車全体ペイントで落書き?だらけ。時々、きれいな最新型の列車にも。。。

 でも、これはイタリアがおしゃれじゃないと言うことではなく、僕が思うのはスイスの町並みの美しさやいろどりのきれいさが、他の国とくらべて、一つ上をいっているからだと思います。スイスという国は、それだけ他の国とは違っている国だという感じがします。それに、国民性もスイスの場合はほんとうに暖かみの感じる事が多かったものです。それ以外の国でも、みな暖かい感じがしたのですが、スイスは特にそう感じたものでした。


イタリアミラノ駅 で、でかいっ!! でも、駅には見えず、美術館みたいな気もしないではないですね(笑)

 スイス・ツェルマットを8時半頃に出て、イタリア・ミラノ到着は、だいたい13時頃。で、ミラノ駅について困ったのは、なんの準備もしてこなかったこと。これには、旅行に来てはじめて困ってしまいました。イタリア語の辞書もなければ会話本もない。また、旅行者にとって基本の、地図もイタリア観光のガイドブックさえも持っていないのです。それよりも一番困ったのは、なんの目的もなくミラノに来たこと(苦笑) だから着いて、何をしていいのかもわからず、ただ重たい荷物をかかえたまま、ここで一泊するかどうかということから考えなければいけなかったのです。無目的な上に、観光情報もなく、ただただ、これからどうしようかと駅の中で一人、呆然と立ちつくしていたものです。

 で、とりあえず、街をうろつくことにしました。でも、付近は大きなビジネス街のようで、何を見て回るということもなく、ただ、大きな無機質なビルの間を、大きな重たい荷物を引きずって歩いていました。で、大通りから裏通りに入り、なにかおもしろいものでもないかと探していたのですが、ふと前を見ると、探そうかどうしようか迷っていた
ホテルがあるではないですか! どこに行けばホテルがあるかさっぱりわからなかった僕にとって、これはほんとうに渡りに船でした。ホテルを見ると、こういうぐあいに星が三つ ★★★ 門の所に書いていました。ということは、中級でベーシックなホテルです。でも、ホテルの相場も何もわからないので、とりあえずは値段だけを聞いてみようと、そのホテルに入りました。


これがそのホテル あとで気がついたのですが、裏通りは三ツ星中心のビジネスホテルだらけでした。

「こんちは。すみませんが、ちょっとお聞きしたいのですが、部屋は空いていますか?」
「こんちは。本日お泊まりですか。ハイあいていますよ」
「ところで、一泊はいくらでしょうか」
「一泊100万リラです。」

この時点では、イタリアのお金も持っていなくて円→イタリアリラへの変換レートがわからなかった。2000年6月頃、100万リラは日本円換算約5400円。すごい変換レートですねぇ(苦笑)

「100万リラですか。わかりました、またあと出来ます(Come after again)」
「ちょっと待ってください、お客さん。100万リラじゃダメですか」
「いえそういう訳じゃないのですが」
「これでは高いのですか?」

「実はイタリアリラのお金を持っていないのです。だから、またあと出来ます(Come after again)」
「もしよかったら、90万リラにしますのでいかがですか?」
「といわれても。。。 うーん、申し訳ないけれど、あとでまた来ます(Come after again)」

「ちょっと待ってください、お客さん。90万リラでもダメなんですか」
「ノーノー そういう訳じゃないんです」
「これでも高いのですか?」

「本当にイタリアリラのお金を持っていないのです。だから、またあと出来ます(Come after again)」


受付の人は、ため息をつきながら仕方がないという感じで、

「わかりました。じゃ、もう80万リラ(約4300円)にしますから、これでいかがですか?」
「うーん、僕はいったい、どうすればいいのかなぁー。。。 お金を持っていないのに。。。」
「これできめてくれませんか? もうこれ以上はとても無理なんです・・・」
「う〜ん。。。 わかりました、オーケーです。カードで払いますので、クレジットカードが使えますか?」
「あいにくクレジットカードの機械が壊れていて使えないのです。現金でないとダメなんですが」
「じゃ、今から銀行で換金してくるけれど、それでもいいですか」
「オーケーです」


 なんと、訳が分からないまま(円→リラ変換レートも知らないまま)、イタリアで僕はホテル宿泊料金の値切りをしてしまったのです(苦笑) 別にまけて欲しいとも思っていなかったし、とりあえずホテルの相場だけでも知っておきたいと思っていたので、宿泊料を聞いただけなのですが、スキー用の大きなケースを引きずっていたので、勝手に受付の人が
「高いから決めてくれない」と勘違いしたのか、お客を逃がさないようにしようとしたのか、必然と受付の人は値引きでの対応になってしまったようです。

 あとで気がついたのですが、
まわりは本当にビジネスホテルだらけだったし、たぶんほかのホテルに行ったら、おなじような会話になって、そのホテルには二度と戻ることはなかったでしょう。見たところ、受付の人の対応もホテル自体も、それほど悪い感じがしないから、ここまでまけてくれるんだったらここで泊まってもいいや、と思い決めてしまいました。関西人らしくというか(笑) でも、駅の近くのホテルで二割引とは、本当にラッキーでした。。。


ミラノ駅周辺 町並みがフランスとよく似ているといえばよく似ています やっぱり当たり前ですが西洋風ですね

 ホテルを決めたのはいいけれど、両替をしなければいけないようになってしまいました。そして、銀行に両替をしにいって困ったのが、銀行に行っても扉を開けてくれないこと。銀行前で扉を開けようとして四苦八苦して困り果てていたところ、近くにいたポリスマンが飛んできました。えらいこっちゃ、銀行強盗に間違われたかと思い、ポリスマンに「I want to exchange. 」というと、ため息をついて困ったようにな顔をして、「ここの銀行は、1時から3時までの間休みなんだ。だから、あと15分程待ちなさい」と言われました。なんと、イタリアは休憩時間が2時間もあるのです。それも、日本じゃ一番集中して仕事をしているはずの1時から3時までの間が休みとは! やっぱりお国柄ですね。ポリスマンはそれ以上何もいわず、すぐに立ち去ってゆきました。

 で、しばらくして両替が出来たのですが、
1万円のトラベラーズチェックを両替をしたら、180万リラくらいありました。また、100万リラ札があるのには驚きました。なぜ10分の1くらいのデノミ(通貨切り下げ)をしないのか不思議な感じです。こまかいコインのお金から100万リラ札というお金まで、たくさんの種類があり、僕はお金を使うにあたってたいへん混乱してしまったものです。フランスフランから、スイスフラン、イタリアリラと、となりどうしの国ながらも、国によって通貨がバラバラで、ほんとうに不便でややこしいものです。こう考えると、ユーロという統一通貨が必要になってきているのは、やはり必然的な流れなのでしょう。。。

 

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2000年8月15日アップ