プロローグ




 今回の旅行の始まりは、師匠であるFさんにせっつかれたことから始まります。「いつ行くんだ」ときかれて、「6月くらいです」と答えたことから、必然と6月に行くことになったのです。そして、

 「もしスイスに行くんだったら、仕事を絡めてゆきなさい。ただ単に遊ぶだけの旅行なんて、いつでもいくつになってもできるんだ。けれど、君はいずれ近い将来責任ある仕事をしなければいけないし、君のこれからの人生を考えるときに、やっぱりただふつうに遊びに行くだけではもったいない。君の将来にプラスにできるように、ぜひ、現地の君の仕事と関わりのある会社を回りなさい。たった一件だけでもいいから、行ってなんでもいいから仕事の話をしてきなさい。

 そういった経験をしておくと、将来何かあったときに君は対応できる人間になれる。そのアプローチの仕方など、私が戦後の海外渡航禁止時代に、私の会社の仕事の関係で、世界中を回った経験から、知っていることをいくらでも教えてあげる。ヨーロッパも仕事やオリンピックの関係で、私は何度も訪れている。だから、そういった経験をしなさい。大変だと思うけれど、将来君の仕事のためにもきっと役に立つはずだから。。。」

 と、海外へは旅行とだけしか考えていなかった僕に、旅行プラスアルファをすることを勧めてくれました。


最高の景色が楽しめるという氷河急行 せっかくなので奮発して一等席に乗りました(笑)

 正直、はじめは、ほんとうに大変なことを勧めてくれるものだと思っていました。海外の会社をまわるといっても準備に時間がかかるし、観光だけじゃないからスーツや革靴も準備して持って行かなくてはいけないのである。そうなったら荷物が増えて、移動も思いやられるものです。でも、話を聞いているうちに、そういった経験を積んでおくのも、ほんとうに将来のためになるのじゃないかと思いはじめてきました。そして、スイスの機械屋に現地からアプローチをかけることにしたのです。そのターゲットとなる機械屋を日本にいながらにして調べる方法は、Fさんから詳しく聞いたので、時間はかかったものの、何の問題もなく日本国内での調査は終わりました。

 また、スイスだけでなく、フランスやミラノにもできれば行くように強く勧められました。これも、今後の仕事にかならずプラスになるという、Fさんの話でした。けれども、こればっかりはかなり難しい話でした。休みも有り余るほどではないし、フランス語やイタリア語なんて、わかるわけがないので、現実的に不可能だと思ったのです。けれども、ヨーロッパを10回以上仕事で、または、オリンピックの役員として訪れたことのある経験は、ほんとうに聞いていて感心するものでした。


朝6時半頃のスイス・クール(Chur)の街 たいへんこころが落ち着くところでした

 そして、ちょうどそのころにスイスに行った知り合いの方に、ナマのスイスの話をたくさん聞いているときに、こういう事情でスイスに行き、ひょっとしたらフランスのパリやイタリアのミラノにゆくことになるかもしれないという話をしてみると、

 「フランスのパリでいとこがデザイナーで仕事をしているから、紹介するから一度メールをしてみたら」

 ということで、なんとパリで自分で会社作って頑張っているデザイナーさんを紹介してもらいました。そしてメールアドレスを教えてもらいメールをしてみたら、直接仕事とは関わりはないけれども、僕の仕事の関連するところにも仕事でゆくので案内できるという話だったので、フランスにゆくことが決まり、さらに泊めてくれるというありがたい話もあり、はじめは予定するつもりもなかったフランスパリ行きが本当に決定したのです。


フランスの駅前のタクシー乗り場より ベンツのタクシーが待っていました

 それからがまぁ大変でした。全日程は6月1日〜10日までの10日間。仕事をかなり穴をあけることになったので、仕事のその手配をかたっぱしから徹底的にやってゆき、仕事で長期間穴をあけても大丈夫なように、万全の準備をしました。不在の間、職場の人にそして得意先にとりあえず迷惑をかけることがないように、仕事関係を最優先で詰めてゆき、観光なんかはまったく調べる暇はなかったのです。

 また、海外の工場を回ることから、仕事が終わってからいろいろな下調べやなんだかんだということもあって、旅行寸前は残業からくる慢性の疲労と睡眠不足とが重なったヘロヘロな状態で、まったく英語の勉強もできず、もちろんフランス語ドイツ語などの勉強も全くせず、観光するところの下調べもなにもすることなく、ただ準備だけで精一杯の状態で旅立つことになったのです。

 あぁ、われながらどんな旅になるのやら、と疑問に思いつつ。。。

 

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2000年7月8日アップ