サイクリスト
第3部

 

 どうも、僕は大変な人を乗せてしまったようだった。聞くと22歳。京都大学の2回生(?)で京都大学の最大規模を誇るサイクリング部に所属し、自転車であちこちを旅しているという。写真のMTB(マウンテンバイク)は、本人いわく「ボロ自転車」と言っていたが、実はサイクリング部から借りたものだそうだ(笑)でも、知っている人なら知っている、シマノのLXばかりついている自転車だった(僕のもフルLX)。そして、車の中で暖をとっている彼はようやく震えが止まり、表情にも余裕が出てきたようだった。

「今から自宅に帰るところなの?」
「はい、明日の昼までに絶対大学に行かなくてはいけないんです。どうしても休めない実験があるので、今から急いで京都に戻るところなんです。」
「昼までに戻るったって、あと300km以上あるはずだけど、どうするの。どこかで電車に乗るの?」
「お金がないので、この近くの駅から電車に乗って、なんとか中津川駅までいけたら、そこから一睡もしないで走ればなんとか帰れると思うんです」
「そんなむちゃくちゃな!今お金いくら持っているの?」
いま持っているのは1200円くらいかな。それでなんとか行けるところまで電車で行って、それからはどうしても明日の昼までには帰るつもりです。だからホントはお風呂も入りたいんですが、お風呂にはいるとお金がなくなるんです」
「え〜!!なんでそんなちょっとしかお金を持っていないの??全部使ったの?」
家を出るときに7000円少ししか持って来なかったので
「え〜!!7000円!!そんなんで、よく旅行に行く気になるなぁー!!!1週間、7000円で過ごせるの?」
「大丈夫ですよ。お米とガソリンさえしっかりあれば、あとは必要な栄養を現地で買えばいいんですから」
「でも、カロリー不足になるんじゃないの?きちんと食べているの?」
「はい。でも、カロリーを取るのは取っているのですが、形のあるものでは取っていないので、おなかがぺこぺこなんですよ。カロリーを取るのは米以外には、コーヒー牛乳やチョコレートとかです。」
「よくそんなので生きていけるなぁー!!俺だったら、ぜったい行き倒れて餓死しているなぁー。ここにおにぎりとおかきがあるから食べる?いつも俺、余分に食べ物を買っておくのが習慣だから、余っているから食べて」
「ええっ!いいんですか?いま僕、胃袋に何も入っていないので、いただけるととってもうれしいんです」
「遠慮しないでもいいよ。ここにコーヒーもあるからこれも飲んでいいよ」
「ありがとうございます、それじゃいただきます」

 不思議なことに、野麦峠はいつも僕に不思議な出逢いを与えてくれるところだ。山道を幽霊と思ったのがサイクリストで、それもものすごい自転車野郎だった。チェーンをはずれているのを見なかったら、僕はおそらく、ひと声もかけずに適当なところで追い越して去っていただろうとおもう。

「俺、家が大阪だから、もしよかったら送っていこうか?」
「ええっ!!ほんとうですか!?」
「うん、べつにいいよ。俺、どうせ一人だし」
「やったー!帰れる!!明日の実験に間に合う!!!」
「でも、一つだけ条件があるんだけれど、送り賃として1000円だけもらえるかな?俺ホントはいつも下の道ばかり走って、名古屋からは名阪で安く帰るんだけれど、京都になると名神高速を使うのがいちばんいいから。それが条件になるんだけれど、いいかな?」
「いいですいいです。高速を使って帰れるんだったら、なおさらいいです」
「それじゃ、商談成立!自転車は分解できるかな?荷物も結構多そうだなぁ」
「はい、できるはずです。荷物は多いですよ。かんじきもピッケルも持ってきていますから」
「かんじき!俺、実物を目の前で見たことがないから見せてくれるかなぁ?写真も撮らせて欲しいけど、いいかな?」
「いいですよ、少し寒さもやわらいだところなので、さっそく、準備しましょうか」


鈴蘭高原を出て3時間も走らないうちに僕に出逢い、ひかれそうになる(笑)
1998年12月6日(日)午後7時すぎ

 そうして彼の写真を撮ったりしたあと、自転車をばらして、すべての荷物を僕の車に積み込んで走り出した。出逢いというのは本当に不思議である。繰り返しになるけれど、あの暗闇の山道を走っている彼の自転車のチェーンが外れていなかったら、こういう出逢いはなかったのである。彼のいうボロ自転車のチェーンが、出逢いの縁(チェーン)だったのだろう。彼とは車の中でたくさんの話をした。彼は京都大学で物理学を学んでいるという話を聞いて、僕はアインシュタインの特殊相対性理論のおもしろさを彼に話した(勉強したわけではなく、本で読んだだけ)。こういう話は、なかなかできる人がいないからものすごくうれしい機会だった。比較的簡単な特殊相対性理論から、むちゃくちゃむずかしい相対性理論(僕はわからないけれど)、遺伝子(DNA)の話など学術的な話題を久しぶりにできる相手だったので、とてもうれしかった。彼にとっては、当たり前の世界なんだろうけれど。

 また、彼の父親は四国にある国立大学のエイズウィルスの研究では高名な教授(1997年6月NHK全国ネットのサイエンス・アイでエイズウィルスの研究に関して放映される。この方はエイズウイルス研究者として、世界的にも有名)だったりもした。また、彼の弟も、彼と同じ京都大学の学生だそうだ。(生物の研究に進むという←メールで確認)。兄弟揃って京大の理系の学生というのも、不思議でおもしろいものだ。

 僕は、何かに本気でのめり込める人間がとても好きなのである。彼は、ただ単なる有名な大学の学生じゃないのである。閉鎖されている雪山を、たった一人で、それも京都から7000円少しだけを持って、このくそ寒い中を自転車で旅しているのである。普通なら、雪山で遭難することも考えてしまうのに、彼はそんなこと乗り越えた考え方ができるのである。

 「装備がきちんとしているからできるのです」と言っていたのが印象深かった。もちろん、それでもとても危険なので、彼の行動にすべて賛成することはできないけれど、猛吹雪の中、閉鎖された道路を伝って山を越え、一人テントの中ですごし、シュラフの中に入って眠る。普通の人間じゃ考えられない(彼には失礼かな?)行動を、平然とやってのけるのである。これって、僕の常識をはるかに越えてくれる人なのである。僕が彼に何度もいったのは「俺、尊敬するのは年上も年下も関係がない。本当にすごい人間を俺は尊敬する。俺、君を尊敬する」と。そういうと彼はけげんな顔をしていたけれど、本当にそう思う。


乗鞍スカイラインにて12/4 背景左から笠ヶ岳・抜戸岳・槍ヶ岳・穂高岳(見にくいけれど)

 彼とたくさんの話をしながら、車を走らせていた。そして国道19号線を入ったところで、いつものかなり長い渋滞に巻き込まれてしまった。そこで、ラーメン屋で夕食を取ることにした。彼はお金を持っていないからと言ったが、それは承知の上である。彼からもらった送り賃としての1000円は、もともと僕は、彼におごることを考えてもらったのである。ラーメン屋ではもちろん1000円以上の食事(餃子と大盛りラーメン)をしてもらい、彼のおなかもようやく空腹を脱し、そして身体も暖まったようだった。そして店を出て、車を走らせようとしたら、渋滞はさらにひどくなってしまっていた。でも、抜け道はいくつかあるので、彼にその渋滞の抜け道を説明しながら走り、京都大学の天文台の横を通ったりして、ほとんどの渋滞は回避しながら帰れたのである。また、中津川からは約束通り、普通は使わない高速を使って、彼の京都の自宅まで送っていった。

 でも、ほんとにいい想い出になった。彼にとってラッキーなことだったかもしれないけれど、僕にとっても、たくさんのいい話を聞かせてくれて、素晴らしい想い出になり、とってもラッキーだったのである。こういう出逢いってめったにないけれど、こういう素晴らしい出逢いがあると、ほんとうに生きていてよかったと思うのである。


マリシテン頂上 日本舗装路最高地点 


乗鞍岳という碑がある前でのスナップ(畳平)

 彼からは1月の正月明けに封書が届いた。その中に入っていた写真が、HPにある写真である。車がバックのもの以外は、彼から届いた写真である。 彼は不思議なことに、旅行中に「現場監督」というけっこういいカメラを、自転車旅行中に知り合ったオッちゃんから、タダでもらっているのである。これはカメラ版Gショックみたいに、ハードな使用にも耐えるカメラなのである。普通の写真機じゃ、厳寒の中、きちんとカメラが動作するかどうか不安なものである。「現場監督」というカメラなら、厳寒の中でもきちんとシャッターがおりると思う。偶然とはいえ、もらうカメラがあまりにも彼の用途にぴったしのカメラである。彼は、この変な形のカメラの価値がわからず、捨てようかと何度も思っていたそうな。おそらく、僕がカメラの特徴から性能から値段までをきちんと説明したので、今でも持っているはず。でも、もらうカメラがあまりにも彼にぴったしすぎるのは、偶然の域を通り越しているかのような気になるのは、僕だけかな。 そして、彼からの封書の中に、一通の手紙が入っていた。その手紙の消印は青森県大間岬(本州最北端)からだった。少しだけ文章を抜粋すると。。。

ところで僕は今、本州最北端の大間岬(青森県)というところにいます。12月21日に京都を出て、千葉県一周や仙台で年越しをしながら、自転車でここまでやってきました。残り時間はあとわずかですが、これから北海道へ渡ります・・・(1月5日の日付があった)

やっぱり、僕は彼を尊敬してしまうなぁ。。。

 

彼から送られてきた写真と、その説明があります。こちらをクリックしてください