生徒会会長 〜第1部〜
まぁいわゆる想い出話というものです

 

 僕が高校に入学した時に、人生を変えてしまうかのような大きな一つの出来事があった。僕が新入生代表として、入学式で挨拶をする事に決まったのである。これは別に成績がよかったわけではない。ただ単に、抽選で選ばれただけの話である。不思議なことに、そのあとクラスにいったら、いきなり学級委員に選ばれた。新入生代表だったと言うだけの理由である。さらに、高校の生徒会(正式には自治会:わかりやすく生徒会とします)の顧問の先生からも、何度も何度もお誘いが来て、断りきれずに、ついに生徒会で議長の一員として務めることになった。もちろん、クラブは、もともと入るつもりだった水泳部に入った。でも、おかげでぜんぜんクラブ活動に力が入れられない状態になってしまったのである。

 さらに続くことは続くもので、1年生の後期も学級委員になってしまった。1年間通してする学級委員は、普通はいないのである。先生も苦笑いである。まぁ、正確には押しつけられてしまったという方が、正しいのかもしれない。でも、クラスはみな仲が良かったし、とても明るいメンバーだった。クラスの文化祭では、仲間達と一緒に先頭に立って、劇をおもしろおかしくやっていたり、体育祭でも、クラスみんなでさんざん遊び倒したものである。また、体育祭が終わったあとのクラスコンパも企画し、予約を入れに僕一人で行ったんだけれど、高校1年生のくせにおっさん顔だったので、都合のいいことに大学生と間違えられ、普通の宴会コースになったのである。そして、クラスのみんなで行ったときは、店の人に一発で高校生とバレ、お酒を出し渋られるという事態になった(苦笑)

 また、後期の生徒会には、会長の立候補者が2年生にいたんだけれど、これが悪評高い生徒だったために、先生から僕にどうしても出てくれ出てくれ出てくれ出てくれと、1週間ほど毎日・毎休み時間・毎放課後に職員室に呼び出されて先生から懇願され、仕方なく生徒会会長に立候補した。そしたら、相手の批判票がこちらに集まり、その2年生の対立候補を押さえて当選してしまった。なんと、1年生のくせに生徒会会長になってしまったのである。創立(70年以上)以来初めてだったそうな。お陰でクラブにはなかなか行けなくなってしまい、先輩からはえらく怒られてしまった。。。

 関係ないけれど、生徒会会長という役目がら、朝の朝礼で朝礼台に登ってよく(連絡事項などの)話をしたりしていたけれど、自画自賛になるけれど、それまでの生徒会の会長にくらべて僕は圧倒的に評判がよかった。それはなぜか? 30秒以内で話が終わるからである。それまでの会長は、朝礼台に上がって、連絡事項を3分ぐらい話をすることもあった。みんなには、話が長いと大不評であった。話が長いと聞くのもイヤだし、話すのもイヤになってくる。だから、僕は連絡事項はすべて生徒会の新聞に懇切丁寧に書きまくって発行し、読めばすぐにわかるようにしたのである。だから朝礼台にあがっても「文化祭の申し込みは、生徒会新聞にきちんと書いてありますので、よく読んでおいてください」と、ひとことで終わるのである。時間にしたら10秒くらいかな(笑)毎回毎回、10秒以内であがって降りるため、あまりにも早すぎるとみんなげらげら笑うのである。ストップウオッチで測る奴もいたくらいだった。「たまにはもっとしゃべれー」というヤジをうけたりするくらいだったし。 でも、そのほうがインパクトが強くて評判もよかったのである。校長先生もあきれて笑っていたし(笑)


高校2年生・体育祭 はずかしー!!

 それよりも、生徒会の新聞の発行を頻繁にしたのは、朝礼台上での連絡よりも、文章に残る方がよいという考え方からである。このころ読んだビジネス書に書いていたから、そのように実行したのである。けどこれが、高校の事務室長泣かせとなった。新聞で使用する紙の消費量が、例年の20倍以上になって大赤字が出てきたという。僕は1週間に2回くらいは、僕は生徒会活動の連絡のために、生徒会新聞を発行していたのである。例年は、1年に4回くらい新聞発行があればいい方だったらしい。それが1週間に2回くらい、懇切丁寧にこれでもか!これでもか!!といわんばかりに、僕が書いた汚い字で発行するのである。もちろん、配るのは全先生・全校生徒に配るのである。時には、食堂のマナー向上を訴えることを載せたときは、「載せていますよ」と言う意味で、食堂のおばさんにも配っていたりした(かなり喜ばれた^^)

 特に文化祭・体育祭前などの行事前は、さらに発行が増えた。事務員室の人は、僕が輪転機の前にいると、決まってやってきては、「予算が足りない。ほんとに足りないんだ。もう、20万円以上の赤字が出てしまっているんだ。なぜ君はこんなに新聞を発行するんだ。少しは発行する回数を減らしてくれないかな。」と、うらめしそうにこぼしていた。もちろん、僕は当時ニキビだらけだった顔に笑顔満面で笑い流していた^^。時には、書きまくって2枚同時発行することもあったし。また、これには、新聞部があきれかえっていた。生徒会新聞を書いていたのは、ほとんど僕一人で書いていたから。新聞部は1年に2回くらいだったし。計算してみたら、僕一人で、1年2万枚以上、紙を消費した計算である。

 1年生の3学期の終わりに、クラスのお別れパーティーというのをやった。クラスの男女40人ぐらいで、もちろん飲み会である。僕が行って予約して、店を一件借り切って、警察などにばれないように気を使って飲み会をやったのである。もちろん、店の人は僕がクラスのメンバーを連れてきたら、高校生ばっかりでびっくり仰天である(笑)こういうときは、おっさん顔が役に立つのである(笑)なんたって、水泳部に入ったときに、2年生のマネージャーの女の先輩が、僕を見て「幽霊部員の先輩だと勘違いして「先輩こんにちわぁー」って挨拶していたほどだから(苦笑) 高校1年の僕を3年生と間違えるなんて、ひどい話である。そのとき俺は15歳だったのに!!

 でも、店を貸し切ってやったのが裏目に出たのか、ひとりやたらと陽気な奴が、お酒を飲み倒していたのである。お酒の怖さの知らない高校1年生なので、飲めば飲むほど陽気になって、調子にのりすぎて一気飲みばかりをしていたのである。気がつけば、気分が悪いといい、次第に動かなくなったと思うと店の中で吐きまくり、どうしても店の外に出さなくてはいけないようになった。仕方がないので、僕はそいつを店の外に連れて行き、幹事の役目がら、道ばたで介抱をしていた。

 でも、店の外でも顔を真っ青にして、道の上で吐きまくるのである。人通りの多いところだったので、サラリーマンがじろじろと見ていくのが、何ともいやだった。また、そいつは「気分が悪い〜!」と、ときどき大声で叫ぶのである。恥ずかしいのなんの。通りがかりの人は「高校生じゃないか」という顔をして通り過ぎてゆくのである。僕はなすすべもなく、困り果ててしまっていた。

 そうこうするうちに、なんと、警察がやってきたのである!!ひょっとして、通りすがりの人に通報されたのかもしれない、そう思うと戦慄が走った。「やばい!学校にばれる!!」 人目につくところだったので、通行人から警察に連絡がいったのだろうか。警官が二人、自転車に乗って、まっしぐらにこちらに向かってきながら、何か二人で言葉を交わしていたのである。僕の顔を見据えながら。。。

 僕は逃げ出したかったけれど、僕は逃げようがなかった。酔いつぶれている友人を投げ出して逃げても、調べられたらすぐにバレるのである。逃げることもできず、ただひたすらじっとしているほかにはなかった。警官二人は、ゆっくりとしたスピードで僕らの方にやってきて、そして、近づいてくるとともに、自転車のスピードをさらに緩めた。そして止まるか止まらないかのスピードになった。僕はなるだけ平静を装い、うめいている友人を介抱し続けていた。そして、声がかかるのを待った。


ついにご厄介か。。。

 けれど、奇跡がおこったのである。警官二人はなぜか、僕の顔をじっと見ながら、自転車のスピードを少し上げて去っていったのである。なんと!助かったのである。本当に奇跡的に警察の手にかからずにすんだのである! 心の底から、めちゃめちゃほっとしてしまった! 僕は、警察行きを助かったという安堵感から、しばらく呆然としていた。「あぁーたすかってよかったなぁー」って思いながら。。。けれど、助かってよかったーという気持ちとともに、なぜたすかったんだろうという気持ちも強くわいてきた。

 しばらく、僕はそのことをずっと考えていた。なにかおかしい。。。慈悲をかけてくれたのだろうか。そんなことはないだろう。大阪の警察は、そんなに甘くはないのである。おかしい、おかしすぎる。何かきっと訳があるはずだ。。。そして、あることに気がついた。あぁっ、ひょっとして、また大学生に間違えられたのかもしれない! 僕が介抱している奴は、顔をじっと伏せたままなので、ぜんぜん顔がわからないのである。だから、僕の顔をだけを見て、「大学生か。。。」と判断したのかもしれない。。。う〜ん、俺は警官にまでおっさん顔と判断されてしまうのか!!

 

あまりにも長い話になったので、また第2部へと続きます(笑)
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