9 月 4 日 

 National League 

MILWAUKEE BREWERS VS ST. LOUIS CARDINALS

ミルウォーキー・ブルワーズ VS セントルイス・カージナルス

Milwaukee County Stadium   Milwaukee ,WI  


午前6時に妻に起こされる。妻はこのホテルのパンフレットを見てたらしく、ジェーンに同じ系列のホテルを予約して貰おうと提案した。確かにパンフレットには全米各地のフェアフィールド・インが載せられていて、ミルウォーキーにも1軒あるようだ。フロントにはジェーンは居なかったが、別の人が私達の話を聞いてくれ、ミルウォーキーのフェアフィールド・インに電話をかけてくれた。しかし、既に部屋は開いてないそうで、彼女は他のホテルもあたってくれたが、何処も空きは無いそうだ。彼女に礼を言うと「役にたてなくてゴメンナサイ。でも、行ってみれば空いてる所も必ずあると思うわ」と言ってくれた。私達は急いで出かける準備をして、食堂で朝食を食べた。しかし、私達が特別早い訳ではなくて、他にも朝食を採っている人は数人いた。朝食は数種類のパンとコーンフレーク、シリアル類で、おかずは無かった。食べ終わるとジェーンが来てくれて「あなた達、大丈夫?」と言ってくれた。「ありがとう。なんとかなるよ」と言ってチェックアウトの手続きをして出発した。

地図で見るとI-43とI-90の分岐はゴチャゴチャしてそうだったので、I-43に出るまでは私が運転したが、フリーマン通りからI-43へは、I-90を経由しなくても一本道で出ることが出来た。I-43は交通量も少なかったので車を路肩に停め妻と運転を交代した。ハイウェイ初運転の妻は少し緊張気味だったが直ぐに慣れて、素晴らしい景色の中を走る楽しさを味わっていた。日本の高速道路との1番の違いは、何と言っても景色になってしまうのだが、道路の近くに民家が無いので、道路が高い防音壁で囲まれてない。それが更に眺めを良くさせていた。暫く行くと道路に動物の死骸が倒れていた。「あれ何だろう?」通り過ぎる時に良く見てみたが、見慣れない動物だ。「猫にしては大きいね」「家も無いのに猫が居るわけ無いだろー」と言い合っていたが、「アライグマじゃん」「きっとそうだよアライグマだよ」と2人は無理矢理アライグマを見た思い出を作ってしまった。後で調べたが、あの辺はアライグマも勿論生息しているが山猫も多いらしい。しかし灰色の太った体に縞々の丸っこい尻尾。あれはアライグマだったと信じている(ドッチでも良いじゃんと言われそうだが)。私達は日本に帰ってからも「野生のアライグマ見ちゃったよー」と自信満々に話したのだった。

移動距離としては今日(ベロイト→ミルウォーキー)が一番長いが、最も自然と触れ合えそうなのも今日のコースだった。もし、今日の試合開始に間に合わなくても、明日も同じカードが行われる。野茂が既に投げてしまっていたので(2日)今日は宿探しに専念して、時間によっては観戦は明日でも良かった。明日(5日)はシカゴに戻るが、ホテルの予約はしてあるので時間は遅くても大丈夫だ。それらの事を考慮して、少し寄り道していく事になった。ディレバンDelavanで降りて州道50号を東南へ向かう。ウィスコンシン州は小さな湖が沢山あるが、地図を見てハイウェイから近そうなジィニバ湖Lake Geneva を見ていく事にした。州道に入ると益々田舎に来た感じがしたが、映画に出てくるような寂れた酒場や大きな農園もあって、都会よりもアメリカを感じられた。山を切り開いたと思われる牧場は、敷地内の丘を馬が走っていて、とても雄大だった。10キロ程走り木の看板に「Lake Geneva Williams Bay」と書いてあったので右折して砂利道に入った。しばらく行くと湖が見えた。駐車場があったので、小屋にいたおばさんに料金を聞くと「見るだけなら無料だよ」と言われ、何の事か解らなかったが中に入った。駐車場には十数台の大型の4WD車が停まっており、皆ボートを牽引していた。「これの事か」と納得し車を降りた。乗用車は私達だけで、写真を頼んだ人に「見に来たのか?変わってるな」と言われた。確かに見学するようにはなってないので、湖畔を歩くのも限界があったが、なるべく水辺まで行って写真を撮った。薮蚊のような虫が沢山いて騒いでいたら、咳払いが聞こえた。よく見ると草むらに隠れる様にして釣りをしている人が数人いた。邪魔になるようなので車に戻り出発した。

州道50号を更に7〜8Km東に向かうと今度はレイク・ジィニバの街がある。ここは州道沿いに綺麗で個性的な家が建ち並び、一見別荘地の様だった。湖畔は遊歩道になっていて道沿いに煉瓦敷きの駐車場もあった。さっきと同じ湖だがこちら側はボートではなくてヨットが多かった。とても良い景色で(そればかり)湖畔のベンチに座ってボーっとしてしまった。小さな街を抜けるとスグにハイウェイの入口で、近くにはウォル・マートもあった。州道50号からU.S12 に乗り一路ミルウォーキーを目指そうと・・・標識に「East Chicago」の文字。どうやら反対方向に乗ってしまったらしい。私がナビをしていたので私の責任だが、地図だと斜めに交差している場合は分かりずらい。シカゴも確かに東方面だが、ミルウォーキーも此処からだと東なのだ。まあU.S12 は一度西へ戻る感じでもあるので弁解にしかならないのだが・・・。次の出口ペル・レイクPell Lake で乗り直しU.S12 を北上した。往復で10Kmほどロスしたが時間にしたら大した事は無い。ついでに良い景色だったので路肩に車を停め写真を一枚。

エルクォーンElkornで再びI-43 に乗り、今度は真直ぐミルウォーキーを目指した。 この辺がベロイト-ミルウォーキー間のほぼ中間である。妻は大分運転に余裕が出て来た様で、先ほどからサングラスをかけ片手運転である。出発した頃に比べると交通量は多くなったが、それでも混んでる感じは全くないので快適に運転出来ると思う。しかし、景色に気を取られてるのか、さっきからどうも注意散漫のようだ。車も少しだが左右にフラフラする。「リラックスし過ぎじゃ無いの?気を付けろよ!」と言ってはみたが、妻の顔は「?、なにが??」と言っていた。それから5分も経たないうちに、合流して来た車を早めに避けようと、妻は外側の車線から内側に車線変更した(日本でもやりますよね)。それと同時に「プワァーーーン!!」と大きなクラクション。間一髪セーフ。左側のミラー確認を怠った為、直ぐ後ろの車が見え無かった様だ。「あ−良かったー!」「ぶつかるかと思ったよ−」そのあと少し怒ろうかと思ったが、緊張させてもいけないので「大丈夫か?運転変わろうか?」と、取り合えず言ってみた。妻は「大丈夫」と言ってサングラスを外した。既にハンドルは両手で握られていた。私もその後気を付けたが、サイドミラーの確認は意外な落とし穴があるようだ。左ハンドルや右側通行は意識して左右逆に出来るが、無意識に見てしまうミラーは左右逆になると微妙な首の振り方が、日本で運転している角度だけで行われてしまうのだ。ちょっと難しい話だが、確認は大袈裟すぎる程やった方が良い。事故を起してからでは遅いのだから。

その後、たまに「君は運転上手いんだから」とか「都内だって君は余裕だもんネ」と煽てながら、出来るだけリラックスさせた。(緊張しすぎもダメです)ミルウォーキーに近ずいててくると、立体交差で下をくぐる事が多くなってきた。私は地図を市内地図に変えた。AAAで貰った地図には、市販の物とAAA発行の物があり、後者には地図上にAAAの営業所も載っている。ミルウォーキーの地図はAAA発行だったので、私達は先ずI-43から一番近い営業所を訪ね、ホテルを探して貰おうと考えていた。I-897との合流を過ぎると交通量が極端に多くなった。ミルウォーキーはシカゴほどの大都市ではないが、やはり市街地は何本かのハイウェイが複雑に絡み合っている。AAAのある州道41号は市内では27th通りと表示されている。両方とも数字なので解りずらいが、第三京浜が国道15号の様なものだ(ちょっと違うかな)。しかし出口では両方の名前で表示されていたので混乱する事もなかった。降りて2〜300メートル走ると「AAA」の大きな看板が見えた。時間はまだ午前10時30分だ。

妻に「お疲れさま」と言うと「このくらい全然余裕ですよ」と返ってきた。さっきの後遺症はもう無いようだ。AAAの中はシカゴの営業所と違い、一見町役場と言った感じで、男性はワイシャツにネクタイ、女性は皆地味な私服だった。相談カウンターが3つあり順番待ちの客が数人いた。私達も大きめの番号札を取って、待ちながらパンフ等を見ていた。私はトイレに行きたくなったので、一番偉そうな男性(この人以外は接客中で聞けなかった)にトイレの場所を聞いた。トイレは何と地下一階に在った(地上2階建てなのに)。トイレから戻ってみると「番号札は地図を貰う人だけだって」と妻。私達は直ぐに奥のカウンターに通され、係りの女性に用件を伝えた。彼女が「予算は?」と聞いてきたので「80ドルまで」と答えた。「ミルウォーキーなら何処でも良いの?」と言う質問には、「出来れば此処から近い方が・・・」と答えた。彼女は直ぐに電話をして、相手と話し始めた。話しながら「泊まるのは一晩だけ?」「タバコは?」「ベッドはダブル?ツイン?」等の質問をしてきた。彼女は時折早口になるので、その度に「ゆっくりと簡単に言って」と頼んだ。暫くして彼女が笑顔になり電話を切った。「予約できたわ、目の前のホテルよ!」と、入口のガラスのドアの外を指差した。確かに州道を挟んで向かいにはホテルが在った。「本当は$69だけど交渉して$61にして貰ったから」と続けた。私達がお礼を言うと彼女は「他に用件は?」と聞くので、カウンティー・スタジアムCounty Stadiumとダウンタウンの行き方(大体分かっていたが)を訊いた。地図を見ながら彼女は「下からでも行けるけど両方ともハイウェイの方が早いわよ」と教えてくれた。私は距離的に下から行こうと思っていたので、良い助言を貰ったと思った。

車をホテルの方に移動させ中に入った。ホスピタリィ・インは5〜6階建ての本館と2階建てでモーテル形式の別館が駐車場を囲むように建てられていて、両方に室内プールまで完備されていた。どちらに泊まる場合も本館1階のフロントで手続きをする。私達が行った時はとても豊満な女性が対応してくれたが、他の従業員が制服なのに、彼女だけは胸元の開いた派手な服を着ていた。目付きも鋭くキビキビしていて、多分偉い人なのだろうと思った。私達の部屋は別館の122号室で、朝食(無料)は本館の食堂で6時からだそうだ。部屋はそれほど新しくないが、広くて2部屋に別れた造りになっていた。旅行中で一番落ち着いた感じの部屋だ。時間はまだ11時を少し過ぎたところで「試合にも間に合うね」と球場へ向かった。

運転は私がしたがハイウェイの入口を間違えたため、妻と運転を交代した。妻が運転、私がナビ、このコンビがベストの様だ。交通量が多いのでI-94との合流、I-794との分岐では早めに指示を出し、車線変更での確認も2人でやるようにした。ハイウェイからカウンティー・スタジアムと建設中のミラー・パークMiller Park が見えてくると「あっ!あれが球場?」と妻。私が「よそ見しないで運転に集中して!」と言っても「すごいねー開閉式だもんネー」と余裕の表情。看板に「Stadium Freeway」と在ったので進路変更をさせると、直後に「County Stadium Exit」とあり、ハイウェイを降りた。新球場建設中で、あちこち工事が行われてるので、何回も車を廻されて駐車場入口までやってきた。ところが入口は大渋滞で、駐車できたのは試合開始の時間(12:30)になってしまった。しかも球場まではかなり歩くようだ。駐車場では球場へは行かずに、ラジオを聴きながらバーベキューをしてる人や、キャッチボールをしている人もいた。ラジオはどうやら野球ではなく、グリーンベイ・パッカーズ(NFL)の試合のようだ。橋を渡ると更に駐車場があり、そこからはバスが出ていた。しかし歩いている人の方が多いので、私達もその後について行った。途中、数人のダフ屋がいたが、相手にせずに球場を目指した。建設中のミラー・パークは、以前は駐車場だった場所に建てられているようだ。そのスペースが有ればこんなには歩く事もないのだろう。

ようやくチケット売り場にたどり着き、残ってる中で一番高い$14の席を買った。入口では入場者全員にポスターを配っていた。開いてみると「思い出のカウンティー・スタジアム」と言った内容だった。ブルワーズが優勝した頃の懐かしいユニホーム姿のモリター選手や、パッカーズの写真も載っていた。カウンティー・スタジアムは今年いっぱいで長い歴史を終える予定だった。しかし、7月にクレーンが倒れる事故(作業員3人が死亡)により、ミラー・パークの完成が大幅に遅れるようで、来年途中まで使用される事が程決まっている。しかし、スタンド下の通路売店では「County Stadium 1953-1999」と書かれたグッズが多く見られた。上を見上げるとスタンド裏はクモの巣のようにスロープの通路が張り巡らされ、階段は殆ど無い。造られた当時から車椅子にも対応されてる様で、流石だと思った。

スタンドに出ると、まず大きく張り出した2階席に圧倒された。外野方向にはミラー・パークが大きく聳え建ってるせいもあり、有名なビア樽(ホームランが出るとマスコットがスベリ台からジョッキに飛び込む)は小さく見えた。席の移動は外野席を除き自由だが、この日はマグワイアの居るカージナルス戦と言う事もあり、7〜8割の席は埋まっており、移動も侭ならぬ様だ。それにしても3塁側を中心にスタンドは赤が目立ち、HRダービーの過熱ぶりが感じられる。彼のバッティングにも、試合にも勿論興味はあったが、2度と見られないだろうこの球場を出来るだけ色々見たかったので、今日もアチコチ移動する事になる。試合は2回裏が終わり1-0でカージナルスがリードしていた。

まず「ミルウォーキーと言えばビールだろう」と売り子から1本買った。「えっ、ビン?」と思ったがビンそっくりに作られたプラスチック容器に入っているビールで、それをラッパ飲みするのが主流らしい。今日は結構歩いたし、昼間のゲームなのでとても旨い。アッと言う間に妻と1本づつ飲んでしまったが、「特性カップじゃ無いの?」と妻が言うので「そうだ忘れてた」と周りを見渡した。「多分あれだよ」とブルワーズのロゴ入りの青と白のカップで飲んでる人を見つけた。売り子に訊くと、売店じゃないと無いそうで、さっそく買いに行った。しかし、ガイド本には「ビールを買えばタダ」と書いてあったが、そのカップ(保冷性が高く、こぼさない様に蓋も付いている)に入れて貰うと通常よりも値段が高くなる様だ。妻と1杯づつ入れて貰い、後は普通に買って飲むことにした。(ガイド本のとは若干デザインが違ってた)

飲みながら(トッテも付いてるので楽)スロープを昇り、1塁側の2階席へ向かった。こちら側は日陰なので結構冷んやりしている。客席も真ん中より後ろはガラガラだった。ライト方面の最端から下を見ると、とても恐い。しかし、全体を見渡す眺めは此処が一番良いようだ。ビア樽の下のバックスクリーン最上部には「44 AARON」「19 YOUNT」等、ブルワーズの欠番と共に名選手達の名前が並んでいる。その向こうには駐車場や渡ってきた橋も良く見えた。外野席下のブルペンも見えたが、誰が投げてるか迄は確認できなかった。試合は4回裏にコリアーLou Collierのタイムリーなどでブルワーズが4-2と逆転した。

私達が見たマグワイアの最初の打席(実際には2打席目)はフォアボールWalkだったのでブーイングが凄かった。敬遠ではないのだが、ファンと言うのは有り難いモノである。この効果で年間のホームラン5本は上積みが有るのではないか・・・。結局彼の今日の成績はレフト前のシングルヒットが1本だけでホームランは出なかった。

試合中もコンコースは常に混雑していたが、通路の古い壁には歴代の名選手の記事や記念の品が飾られていた。ビールや食物を買いにくる度つい見入ってしまい、戻ると妻にブーブー言われるのだが・・。それから此の球場は基本的には禁煙だが、コンコースでは吸っている人は沢山居た。灰皿は無いので多くの人はポイ捨てだが、水道で消してゴミ箱に捨てるのが良いだろう(喫わないのが一番だけどネ)。印象に残ったのは、ホットドッグ等を買った人がセルフで通路にある機械でオニオンスライスをかけていく事だった。日本では見たこと無いので解りずらいと思うが、生ビールの機械の様なのがあって、レバーを引くとスライスしたタマネギが無料で出てくるのだ。中には自宅から持ってきた食物にかけたり、それだけを容器に入れてる人も居た。

私も妻もビールを少し飲み過ぎていたので、後半は座席に居ることが多くなった。古い木製の椅子は1人分がゆったりしている。試合はランナーは出るものの得点に動きは無く、マグワイアの打席以外はザワザワしてるだけで、それほどの盛り上がりは無かった。それでも大観衆での7th イニング・ストレッチは感激した。どんな内容の試合でも(この試合が悪いと言う意味では無い)コレがあるから観客は満足して帰れる。と思う・・・。

途中で帰ってしまう人も結構居たので、私達は1塁ベンチ前の2列目に移動することが出来た。試合はそのまま4-2でブルワーズが勝った。勝ち投手パルシファーBill Pulsipher、負け投手トンプソンMark Thompson、セーブ ウィックマンBob Wickman。ベンチの選手が一斉に出てきてマウンド付近に集まった。握手をして引き上げてくる時に野茂を見つけ、妻が椅子の上に乗り「ノモー!!」と叫んだ。聞こえたかどうかは定かで無いが、彼は相変わらず無表情だ。

全体的に赤い観客に押され気味だったが、1塁側は笑顔のブルワーズ・ファンで盛り上がった。やはり地元が勝った方が何となく嬉しかった。選手がベンチに引っ込んでしまうと、観客も皆通路に向かい始めた。私達もスタンド裏のグッズ売場に向かった。ユニホームやジャンパー等の値段の高いものが置かれている店は行列が出来ていたので、通路にある売場でペナント、ヨーントの殿堂入り記念Tシャツ等を買ったが、迷ってると日本人だと思って野茂のモノ(シャレじゃ無いよ)をスグ薦めてきた。行列も無くなったので初めの店に行き、上ユニと記念パッチを買った。店を出ると既に通路はガラガラで、店員達は店閉いをしていた。警備の係が私達に「早く出て」と身振りで言っていた。私達は球場や工事の看板の写真を撮りながら駐車場へ歩いて行ったので、車に着いた頃は既に出口渋滞もかなり掃けていた。

行きに使ったハイウェイに乗って、今度は私の運転でダウンタウンへ向かった。朝が早かったのとビールの飲み過ぎで妻のナビは役に立たず、ダウンタウンの出口を通り越しI-794をミシガン湖沿いに出てしまった。だがこの道路は湾岸線と言った感じで、走っていて気持ちが良かった。I-794は建設中で次の出口で降りるしかなかったが、高架のハイウェイからヨットハーバーが見えたので、そこに行ってみる事にした。高級住宅地を抜けるとヨットハーバーの駐車場が見えた。妻は車にも酔ってしまったらしく、ミシガン湖の良く見える丘の上で休ませた。周りにはピクニックをしてる家族が1組だけ居た。素晴らしい景色で、この辺に住んでる人が本当に羨ましかった。

妻の気分も大分良くなった様で、I-794に再び乗りダウンタウンへ向かった。I-794はかなりの高架なので、一般道への降り口も坂が急だった。有名なサード通りN.Old World Third St から街中を流してみたが、思ったよりも交通量は少なくて(ガラガラと言った方が良いかも…)拍子抜けしてしまった。やはり土曜日の午後の市街地に用のある人はあまり居ないらしい。パブスト・ビールPabst Brewing Companyが在ったので、その周りを一周してみた。裏口の前で車を降りて中の様子を伺ってたら、パトカーが来て黒人の婦警さんに「何してるの?」と言われたので、「もう見学出来ないのでしょうか?」と訪ねると、「此処の者じゃ無いから分らないけど、工場はもう閉ってるわ。ここに居てはダメよ」と言われてしまった。当初、旅行の計画を立てた時は、今日の試合はナイターの筈だったので、本当なら昼間はビール工場を見学する予定だった。しかし、2週間前に突然デーゲームに変更になった為、成行き次第でビール工場の方は諦めようと言ってたのだが・・・もし、平日にミルウォーキーを訪れた人にはビール工場の見学を是非お薦めしたい(無料だし、平日の野球は殆どナイター)。ガイド本に載っていたのは近代的大工場のミラーMiller Brewing Companyと伝統的なパブストだが、土曜の見学時間はミラーが15時30分(平日も)、パブストは14時迄(平日は15時)となっていた(日曜は休み)。野球を明日にして、今日は工場見学と市内観光に充てても良かったが、今日観戦してしまって正解だった。1時間の工場見学と閑散とした街を回る為に1日を使ってしまうのは、滞在日数の少ない私達にはハッキリ言って無駄である。今日、野球と街を見れた事で、明日は早い時間にシカゴへ帰る事ができる。結果オーライだが・・・

キルボーン通りKilbourn Ave.の駐車場に車を停めて、街を少し歩く事にした。NY ヤンキースの背番号2ジータ−の上ユニを着た係の黒人青年が「8時までだよ」と言ったが、そんな時間まで居るわけない。「OK」と言って5ドル払った(4th通りの市営Pなら$2、クソ−!)。地図によるとサード通りの突き当たりはショッピング・モールと載ってたので、行ってみると確かにガラス張りの立派な建物が在ったが、出入りしている人は居らず、ここも休みの様だった。その前の広場には目的も無さそうな人達が、20〜30人ブラブラしていたが、皆平和的で危険な感じは全く受けなかった。その中を突っ切り4th通りから北に少し戻った。西側に在る大きくて美しいが、コレだけと言った感じだ。道も広くかなり向こうまで見渡せたが、人も車も殆ど通ってない。次の交差点でサード通りに戻った。この通りの方が多少は開いてる店も有る。ガイド本にはドイツ風の街並みとあったが、ドイツの街並みがどんな感じなの分からないので実感はあまり無い。でもお洒落で、アメリカ的でない事くらいは私でも分かった。00通りまで行き(ショッピング・モールからから700メートル)店が全然無くなったので引き返した。

有名なマダ−ズMader'sという店は開いてたが、少し気後れしてしまい入らなかった。私達が入ったのはCalderone Clubと言うイタリア料理店で、ガラス張りなので店内は明るく、気軽に入れる雰囲気だった。手前にカウンターが在り、飲むだけの人もOKのようだ。長髪を後ろで束ねたハンサムな店員がテーブル席に案内してくれた。メニューは半分くらいしか理解できなかったが、ミートボール入りの煮物とパスタとサラダを頼んだ。パンも付いてくるので2人では充分だった。しかし、ビールは地元のモノが飲めると思ったが、ミラーを含め日本でも飲める銘柄しか無かった。仕方ないので私はギネスGuinessの黒ビール(ドイツと言う事で)を頼み、「ビールはもうヤダ」と妻はコーラにした。でも、結局私のビールを彼女も飲んでたのでビールは2杯追加したが、なんと料金は$20.83 だった。「安いねー」とチップを弾んでしまった。

運転をする前に少し酔いをさまそうとミルウォーキー川Milwaukee River沿いの公園Pere Marquette Parkへ行った。公園からは近代的なビル群とサード通りの古い街並みが同時に見られる。シカゴ川を挟んだループとノース地区を小さくした様なイメージだが、川幅も橋の大きさも小さいので全てが視野に入った。平日の顔は知らないが、やはり素晴らしい街だと感じた(実際にはもっと東の方に歴史的なモノも在るそうです)。散歩をしてた夫婦が挨拶をしたら立ち止まり、頼んでないのに「撮ってやる、撮ってやる」と写真を撮ってくれた。夕方だと思っていたが時間は午後7時になっていた。駐車場に戻るとジーターが「楽しかったか?」と聞いてきたので、一応「ハイ」と言って車を出した。

ハイウェイに乗ろうと思ったが、迷ってしまい大きなトンネルを抜けるとI-43(北行き)の入口だった。仕方ないので乗ったが、このままだと逆に行ってしまう。次の出口で降り一般道へ入った。殆どの道が数字で表されてたので(例 15th street) ホテルの在る27thまで行って、左折(南に向かう)すれば着くだろうと思った。「17th,18th」と数えながら進むと、街並みが急に変わった感じがした。両脇の歩道で黒人の子供達が遊んでいて、古い家が隣接して建っている。どうやら黒人街に紛れ込んでしまったようだ。対向車も全て黒人が乗っていた。妻が「ちょっと恐いね」と言ったが「子供が外で遊んでるくらいだから、危ない事はないよ」と一応強がってみる。27th通りになったので左折したが黒人街はマダマダ続いた。何となく一緒に左折してきた後続車が気になった。ミラーで確認すると人相の悪い?2人組が乗っている。「つけられてるかも・・」交差点で信号待ちになり、後ろの車は私達の右横に並んだ。妻はこっちを見て「コワーイ」。信号が青になったので発進すると、その車の方は右折して行ってしまった。ただそれだけの事だった様だ。「なーんだ」と妻と取り越し苦労を笑った。やっと対向車では白人の運転手も混ざってきた。27th通りは両側に大小の店が建ち並び、交通量も多く、ダウンタウンよりも賑やかなくらいだった。バス停(ガラス張りで屋根もある)で待っている人は黒人が多かった。さっきの街に帰るのだろう。しかし、冷静に考えると黒人街と言っても(白人の住宅地との差は感じたが)日本の平均的な家よりは大きいくらいで、新しそうな車もかなり走っていた。道路も整備されてるし、割と良い暮らしをしてるんじゃないだろうか。恐がってたのが馬鹿みたいだ。そんな事を話していたらホスピタリィ・インに着いてしまった。辺りはすっかり暗くなっていた。

部屋に一度戻ったが、タバコを切らしていたので、妻には部屋に鍵をかけさせて私1人で買いに出た。27th通りには店が沢山あったのでナビが居なくても大丈夫だと思ったのだ。タバコの絵の描かれた商店も在ったが、無難な大型スーパーに入った。通常のレジの他にタバコの棚が置いてあるレジが一番端に在ったので、ジュースとパンを持ってそのレジに列んだ。自分の番が来たので「ラッキーストライク1箱」と言った。身分証と言われないかと心配だったが(妻にいつも持たせてたので、忘れてきた)真面目そうなレジ係の黒人青年は「$5.80、サー(Sir.)」と私を完全に大人だと認識していた。そういえば旅行中髭を全く剃ってないものナー。

30分ほど(出かけてから)でホテルに戻り、部屋に入ろうとすると、どうした事か鍵が開かない(正確にはキーが回らない)。ノックをしても応答がない。どうせ寝てるのだろうと思ったが、一応フロントへ行って鍵の具合が悪いことを伝える。従業員の青年はスペアーを出してきてキーを重ねて見ていたが「少し鍵が古かったようです。すいません」と言って、新しい鍵の方を渡してくれた。しかし再び部屋の鍵穴に差したが、またも回らなかった。少し心配になりドンドンと強めにドアを叩いたが、応答は無かった。「中で倒れてるのかも」「誘拐されたかも」と色々悪い事が頭の中を駆けめぐり、再びフロントへ。今度はベテランの従業員の大柄のオジサンが一緒に来てくれた。彼はキーを回すと「内鍵が掛けられてるね」と言った。「中に妻が居る筈なんですが、応答が無いのです」と言うと「夫婦喧嘩かい?」と聞いてきたので、「違います。眠ってるのかも・・・」と言うと、オジサンは業務用の携帯電話でフロントに連絡をした。スグに部屋の電話が鳴りだして、少ししてドアが開いた。そこには寝ぼけ顔の妻が立っていた。「心配したんだぞー!」「エー!だって鍵を持ってたんじゃないのー」と言い合いになったが、「マアマア」とオジサン。「すいませんでした。」と2人で何回も謝ったが、オジサンは「気にするな、よくある事だ」と帰っていった。古いタイプのドアなので鍵が2つ付いていて、下の内鍵を掛けると外からは開かなくなるらしい。それと部屋が広いのも仇となり、奥のベッドで寝ていたのでノックも聞こえなかった様だ。その後少し喧嘩になったが、気を取り直し2人で足りない食物を買いに行った。テレビを見て11時半頃寝たが、夜どこも出かけなかったのは旅行中初めてだった。

ホーム 次の日