9 月 2 日 

Midwest League(A)

ROCKFORD REDS VS KANE COUNTY COUGARS

ロックフォード・レッズ VS ケーン・カウンティー・クーガーズ

Marinelli Field , Blackhawk Park   Rockford , IL(イリノイ州 ロックフォード) 


時間は憶えて無いが、夜明け位に一度起きてしまった。カーテンを少し開けて外を見ると、もうホテルを出発していく車が見えた。一般道の向こうにはハイウェイ(I-290)があり、既に結構な台数が走っていた。昨日の感じからすると、次の目的地ロックフォードRockfordへは、それほど早く出発しなくても良さそうなのでベッドに戻った。再び起きたのは9時で部屋には新聞が届いていた。スポーツ覧のトップは「審判のストライキ問題」だ。7月頃は日本でも話題になり「旅行に行ってもメジャーの試合は観れないのでは・・・」と心配だったが、記事は主謀者の審判が職を失うピンチに立たされたと報じていた。天気予報を見ながら昨日買ったパンを食べ(ホテルの朝食は$7〜7.50で前日に注文しておく)、10時前に部屋をでた。他の部屋はドアが開けられ、清掃に入っていた。チェックアウトの手続きをして、90号への出方を聞くと「ヒギンズ通りを行きなさい」と教えてくれた。妻に「運転してみるかい?」と聞くと、「まだ、いい」と言うので私の運転で出発した。

ヒギンズ通りHiggihs Rdは地図によると州道72号線で、広くて走りやすかった。10Km程走りI-90にぶつかったが、ヒギンズからは合流できず、陸橋でハイウェイを通り越してしまった。しかし、次の通りで左折してI-90に乗ることが出来た。右(北)からの方が合流しやすいので、確かに良い道を教わったと思った。90号は程々の交通量で、カッコイイ大型トラックやキャンピングカーも見ることが出来た。昨日の事もあるので今日は小銭を沢山用意していた。ガイド本でも確認したのだが、ハイウェイやフリーウェイは何種類かあって、1番主要なのはインターステートInterstate、次にU.Sハイウェイ、ステート・ハイウェイとあるが、ルート番号の桁数や偶数奇数も意味があるようだ。私も全ては理解出来て無いので、詳しい説明は省かせて貰うが、フリーウェイの「フリー」は無料と言う意味ではない事だけは確かだ。それと、出口の番号(例 Exit58)で目的地までの距離が分かるらしい。あと大事なポイントとしては都市名の書いてない標識は「East」「North」などの方角が重要になってくる。ロックフォードは結構大きい街のようで、標識は常に「West 90 Rockford」だった。

徐々に大きな建物が少なくなっていき、景色は両方向草原(実際は畑だと思う)と言った感じになってきた。遠くに牛舎の様な建物やサイロも見えて、運転も楽しかった。料金所も何カ所かあったが、今日は冷静だったので2つの事を発見した。先ず1つ目は、料金箱のすぐ下には小銭が結構落ちているのだ。これはコントロールが悪く袋に入らなかった小銭をイチイチ拾わずに、別の小銭を投げ入れる人がいるからで、急いでる人や降りて拾うのが面倒な人は25セント(約27円)など惜しく無いのだろう。ミスをしないで投げ入れた人でも、主に¢25コイン2枚を使うので、10セントは損をしていることになる(料金は¢40)。そして2つ目は、紫の「MANUAL」のゲートには係の人がいて、お札も使える事だった。「MANUAL」「AUTOMATIC」と言うのもシフトの事では無く、支払い方法の事なのだ。しかし、一般道から合流するゲートでは小銭は必ず必要なので、用意しておいた方が良いだろう。それにしても最後の料金所はすごかった。ゲートの真上にマクドナルドがあって、ガラス張りなので食べてる客が車から見えるのだ。丁度、一旦停止するので結構寄ってしまう人もいるのではないか・・・。

U.S20号線との分岐点で、私達はU.S20-51方面に進み、スムーズにロックフォードに入れた。妻のナビも大分慣れてきた様子だった。途中、飛行場行きの標識があったが、周りは益々田舎に来た感じだった。ロック川Rock Riverを渡り、メイン通りMain Stに出る。この道は、名前の通り市の中心を走る通りだが、この辺りはまだ街外れで、所々に古い家がある位だった。2Km程行き、交差点で15th Ave とあったので、右折して再びロック川を渡る。古い橋を超えると「球場だよ!」と妻が叫んだので、慌てて車を停車させた。後続車は無かったので、Uターンして道路から少し入った原っぱに車を停めた。バックスクリーンの丁度裏側だ。車で入れる場所が分らなかったので、妻には車の番をさせ、私が歩いて見に行く事にした。小さな看板には「BLACKHOWK PARK」と書かれているので、ここに間違い無いと思うのだが・・・。余りにも寂し気な街並に、球場の周りには犬の糞が散乱していて、「本当に此所でプロ野球が・・・」と誰でもきっと思うはずだ。反対側に出ると駐車場があり、入口に「REDS」と書かれていた。正面入口は比較的きれいだったので安心した。犬の糞を踏まないように車に戻り、川沿いの道から駐車場に入った。

今度は2人で球場の周りを歩いてみた。球場の東側が高台になっていて、西側にはロック川が流れている。東側の高台には1カ所だが木の階段があり、上に昇り林の中から球場側を向くと、外野フェンスの向こうには、ロック川と先ほど渡ってきた橋が良く見えた。場内では作業をしている人がいて、入口の横の事務所でも何か仕事をしている様子だった(人数は両方で5人位)。入口の所で中の様子をうかがっていたら、事務所の窓から「どうしました。何か問題でも?」と若い職員が声をかけた。彼はとても丁寧な口調で「チケットは6時から販売します」「どうぞ観に来て下さい」と言ってくれた。球場内を見ることを許してもらい、3塁側から中に入った。グランドに出てスタンドを見ると、ネット裏以外はアルミ製の簡素な座席だった。しかし、天然芝の美しさが、周囲の景色と絶妙にマッチしていてた。

ここMarinelli Fieldを本拠地にするロックフォード・レッズRockford Redsは、去年まではロックフォード・カビーズCubbiesと名乗っていた。ミッドウェスト・リーグMidwest Leagと言うクラスAのマイナーリーグ所属と言うのは同じだが、名前で分かるようにカブス傘下だったのが、レッズCincinnati Reds傘下になったのだ。場内に比べ入り口付近だけ鮮やかな「赤」が新しく見えるのは、そこだけ赤く作り直した(塗り直した)と思われる。外に出てロック川の方へ行ってみた。岸辺には20羽位のアヒルのような鳥が遊んでいた。川幅は100m弱くらいだ。川沿いの道を黒人の青年が歩いていたので「ハーイ」と声をかけると、ニコッとして手を振った。20年位前のTVアニメ「あらいぐまラスカル」の主題歌の中に、「ロックリバーへ遠乗りしよう」と言う歌詞が出てくる。この物語の舞台はウィスコンシン州である。地図で見るとロック川は、ウィスコンシン方面から流れて来ている。同じ川だという確信は無いが(妻は絶対そうだと言っている)、子供の頃大好きだったラスカルに登場したかもしれないロックリバーを見られた事は、大変嬉しかった。

ホテル探しの前に食事をしようと思い、球場周辺を車で流してみる。シャンバーグに比べ街並みは古く、小さな商店も多い。しかし寂れた街と言った雰囲気で、気軽には店に飛び込め無かった。結局マクドナルドに入る事になったが、入口の扉の横には、黒人のオバチャンが地べたに座り込んでタバコを吸っていた。中に入ると10人程いる店員は全て黒人。日本と同じようにセットメニューがあったので、それを買って席の方へ持って行くと、普通は窓際から席は埋まっていくものだが、中央は埋まっているのに、窓際は誰も座ってなかった。やはり恐い街なのかな?と思い我々も中側の席に座った。食べている時に、黒人の大男と、腕にタトゥー(入れ墨)の入った白人が店に入ってきたが、彼等は大声で話しながら平気で窓際に座った。私は客の誰かに、良いホテルのある場所を聞こうと思っていたが、適任者が見あたらなかった。ビジネスマン風の人もいたが、彼等は地元っぽくなかったし、恐そうな人は嫌なので、少し離れた席の初老の男性に聞くことにした。彼は一人で食事をしていて、近所のオジサンと言った感じだった。私が向かいに座って「失礼。この街の人ですか?」と聞くと、少しの間私の顔を見つめ、ゆっくり首を縦に振った。「私は日本人の旅行者で、安いモーテルを探してるんですが知りませんか?」と聞くと、暫く考えて、「この道を真っ直ぐ北に行くんだ。突き当たるとジェファーソン通りだからその辺りに在るよ」と教えてくれた。ついでに「幾ら位ですか?」と聞くと「う〜ん、一晩25ドル位かな」と言う答え。自分の席に戻り、妻に話すと「え〜安すぎない?」と心配そう。私もそう思ったが、全ての情報が正しいとも限らないので、先ず行ってみることにした。

北に向かうに連れ、段々と街並みが賑やかになっていき、大きなビルも見えだした。「道も密集してるし、こっちが市街地だよ」と地図を見ながら妻。突き当たりと言うか五差路の様になったので、ジェファーソン通りJefferson Stに進んで橋を渡った。さっきより川幅は狭いがロックリバーだ。この辺がロックフォードの中心地だと思う。少しグルグルすると、ホテルの看板があった。「Hotel Lafayette」南部の街と同じ名前だ。その隣は大きく「Rock`nroll」と書いてあった。確かにホテルだが、これなら25ドルでも頷ける。妻は「ヤダよー、怪しすぎる」と騒ぎだす。それに駐車場も無さそうなので、此処はボツにして、メイン通りをもう一度球場方面に南下して、それでも無かったら警察で聞こうという事になった。メイン通りは、市街地を抜けると、球場の入口まで食料雑貨店が2つあっただけで、あとは何も無かった。一度通った道を行っても仕方ないので、15th通りを今度は球場とは反対の西に曲がった。Mrchesano Dr(15th通りとは一本道だがメイン通りを挟んで名前が変わる)を西へ進むと、益々辺鄙な所に出てしまった。どうやらこの辺は黒人の住宅地で、その中でも更に街外れと言った感じだった。家並はきれいでは無いが、庭にはオンボロだが車も停まっていた。暑さのせいか、庭やトラックの荷台に半裸でいる若者もいて、カーステレオの音量を大きくして、退屈そうに過ごしていた。黒人に偏見など全くないが、余り長居はしたく無い雰囲気だった。

再びメイン通りで市街地に向かい、ロックフォード警察Rockford police Stationへ行った。此所は1ブロックが警察署の建物でしめられ、両側の通りに面していている駐車場には、パトカーがズラーッと並んでいた。シャンバーグ警察とは違い、いかにも警察署と言った感じだった。入口を入ると行列が出来ていて、こっちこっちと手招きで誘導され、空港等にある金属探知機の様なゲートを通された。チョビ髭の警察官に「どうしました?」と聞かれたので、「今夜の野球の試合を観に来ました」「安いモーテルを探しています」と、地図を見せながら用件を言った。彼は地図をテーブルに広げ、持っていた赤ペンで、「ここから、こう、こう行って」と地図に書き込みながら、得意そうに球場の行き方を説明した。私が「球場の場所は知ってます。その近くでモーテルを探してるのです」と言うと、彼は「オーー−」と言って、再び赤ペンで説明してくれた。「ここをこう、こうで、良いモーテル沢山、沢山」妻は笑いを堪えていたそうだ。出口でも例のゲート行列になっていたが、「君達は通らなくていいよ」と言われ、彼にお礼を言って警察を出た。

橋を渡って再びロック川の東側に出て、ステート通りState St を東に向かった。この道はUS-20を兼ねていて(行きに通ったUS-20はバイパス)市街地を過ぎても、更に道幅が広くなり、所々に大きな建物もあった。「初めからこの道で街に入れば良かったね」と妻。I-90からの出口は、行きの通りとは1本違い。しかし、街並は全然違っていた。更に東に向かうと、両端にガソリンスタンドやショッピングセンターが立ち並んでいた。まだ警官の教えてくれた場所では無かったが、きれいなモーテルも何軒か見えてきた。I-90への入口の手前の交差点の両脇に、10軒位のモーテルが建っていた。どれも皆、明るくてきれいな感じだった。何軒かの駐車場まで行き、何処に入ろうか迷ったが、電光掲示板に「$59」と表示されていたベスト・イン・シーツBest Inn Saits に入ってみた。フロントは清掃中だったが、美人の受付の係が、「こっちに回って下さい」と案内してくれた。料金は本当にダブルの部屋が59ドルだった。彼女は「税金込みでも、$65ですよ」と説明してくれた。チェックインの手続きを済ますと「朝食はそこの食堂で6時から9時迄です」と言われ、私達は「エー、朝食も付いてるの?」と聞いた。彼女は笑いながら「この辺では普通ですよ」と答えた。鍵を貰い、4階建てのホテルの2階の部屋に。部屋は広くて、とても綺麗だった。「昨日のホテルより良いんじゃないのー」と、3倍以上の昨日の料金を思いだし、嬉しいような悔しいような複雑な気持ちだった。

時間はまだ3時前だったので、近くに買い物に行くことになった。特に変わった物は無いが、日常生活だけなら全てOKと言うくらい、ステート通りには大型店が充実してた。最近は日本でも校外の大通りは、そんな感じだが「それプラス道路と駐車場の広さ」と言えば、理解し易いと思う。中でもウォル・マートWal Martと言う大型マーケットが目を引いたので入ってみた。入口を入ると手押し篭(日本のより一回り大きい)が並んでいたが、そんなに大量には買わないので、店員に言って手持ち篭をもらった。これは日本のと変わらない大きさだった。売り場は当然広いのだが、手押し篭が通るコースが床に示してあり、ぶつかったり、邪魔になったりしないで買い物出来る様になっていた。大きなガラスケースの中に何種類もの惣菜が山盛りになってるのを見つけた。とても旨そうだったので何種類か買う事にした。数種類あるプラスチックの容器のうち、一番小さいのに惣菜を入れて貰い、重さを計って伝票を貰う。日本とあまり変わらない売り方だが、ポンドで表示されてるので、目安を付けるのが難しい。ハム屋さんでは1ポンド分を見せてもらい、多いので半分にして貰った。パンはサンドイッチ用にスライスしてあるのが袋売りされてたので、それを買った。レジは日本と同じようだが、ビールを買ったのでID(身分証)の提示を求められた。店を出てやはり近くにあったビデオ店と本屋に行ったが、そちらでは買い物はしなかった。印象は余り日本と変わらないが、盗難防止の出口のゲートはこちらの方が仰々しかった。

一度ホテルに戻り、買った材料でサンドイッチを作って食べた。3種類買った惣菜はとてもパンに合っていて美味しかった。昼間見た球場の雰囲気では、大した食事も売ってないだろうと判断し、早めの夕食となった訳だが、もう一つ気になる事があった。チームのグッズ等の買い物で、カードが使えないのではと思ったのだ。夜の外出になるので出来れば多額の現金は持って行きたくないが、過去の2球場は当然カード支払い可能で、行く前もそれを疑わなかった。しかし、今日の球場は?である。話し合いの結果、現金は200ドル持って行く事になったが、2人で別け、尚克つポケット数カ所に分散して所持した。5時半にホテルを出て、妻の運転で球場に向かった。

妻は今回の旅行で初めての運転になるが、日本でも左ハンドルは運転した事が無い。しかし、女性にしては運転は上手い方で、日本ではこの車より一回り大きい車を、もっと狭い道でもビュンビュン運転している。それでも出来るだけ混雑してない道で、曲がるのも少ないようにと、ステート通りは避け、ホテルの前を通っているベル・スクール通りBell School Rd.からの田舎ルートを選択した。ベル・スクール通りは片側一車線づつで、両側にはポツリポツリと家もあったが、殆どが草むらだ。帰宅ラッシュと重なったため、思ったより交通量はあったが、妻の運転はスムーズだった。ニューバーグ通りNewburg Rd.を右折すると2車線で道幅も広くなった。追い越していく車に目もくれず、妻は安全運転で、延々と続く古い住宅地を西に向かった。まだ明るかったので、車に乗っている人や、庭で作業をしてる人の顔も、はっきり確認できた。白人と黒人で半々くらいである(ステート通りでは殆どが白人)。20分ほどで球場に着いた。しかし、開門直前だと言うのに駐車場はガラガラだった。昼間より増えたのは数台で、ワゴン車の家族一組がバーベキューの準備をしていた。防犯的な事も考えて、なるべく事務所の近くに停めたかったが、らくらく入口の真正面に停めることが出来た。少し車内で様子を見ていたが、数台の車が来場して、皆中に入って行ったので、私達もチケットを買い場中に入った。チケットは$2〜6(席の移動は自由だろうと思ったが、余りにも少ない入りなので、$6のチケットを買ってあげました)。

入場直後に試合開始になり、私達は先ずガラガラの3塁側のアルミの席の最上段に座った。辺りは薄暮で、レフトフェンス後方のロックリバーも映え、大変美しい光景だった。そしてライトのポールの向こうには、昼間ロックリバーで見たアヒルの群が、歩いて丘を登っていた。「何処に行くんだろうね?」と2人で話していたが、アヒル達は林の中へ消えていってしまった。スタンドから川が見え、橋が見え、森が見え、アヒルまで見える。実に素晴らしい球場だった。何故こんなに客が少ないのだろう?(たぶん50人位)。シーズン最終戦までは今日の試合をふくめて3試合しかないというのに。場内ではわからないが、犬の糞の事を思い出した。それを考えると今日だけでなく、いつもこんな感じなのだろうかと思ってしまう。スコアボードも所々電球が切れていて、見にくい文字が幾つかあった。

地元チームのロックフォード・レッズは3塁側がベンチで、ユニホームはノースリーブで上下白地に赤の縦縞だ。マークを除けばシンシナティ・レッズと全く同じだった。対戦相手のケーン・カウンティー・クーガーズKane County Cougarsは上下グレーだが、マークや背番号の黄色い縁取りが目立ち、なかなか格好良かった。カウンティーと言うのは群のことで、「ケ−ン群」が地域名称だ。本拠地はケ−ン群の中のジィニバGenevaと言う町で、エルジンのすぐ南の方にある。ロックフォードからも近いので、ネット裏や1塁側にはク−ガ−ズのTシャツや帽子の観客も数人いた。対照的にレッズのグッズを身に付けている人はゼロで、カビーズ時代の帽子を被っている人が数人いた(声援は地元ですからレッズの方が大きいです)。

試合は序盤からクーガーズ優勢で進んでいった。レッズは徐々に点差を広げられ、選手も集中力を切らしたのか守備ではイージーミスを連発していた。こんな試合でもアトラクションは毎回行われ、着ぐるみでの相撲や、綱引きなど、少ない観客から参加者を募るのは係員も大変そうだった。それから、若い女性の係2人が音楽に合わせてベンチの上でダンスを踊る場面があったが、今日のスタンドの人数では盛り上がるはずはなく、最後は手拍子も消えて、本当に可哀想だった。片方の娘はとても恥ずかしそうで、音楽が終わらないうちに踊るのを止めてしまった。アトラクションのうち2回ほど、グッズをスタンドへ投げ入れるだけの時があったのだが、シャンバーグの時は子供達が奪い合っていたが、競争率が低いのでそんな事も無かった。それでもレフトの真横にある、ピクニックエリアにいた子供達(2人だけですが)も、この時だけはスタンドにやって来ていた。係の彼女たちは日本人の客が珍しかったのだろうか、私達に向かって投げてくれて、Tシャツとボールをゲットした(周りに誰もいないので、簡単に捕れた)。それにしても係だけでなく、客の方も私達に何となく視線を向ける事が多い。日本人が珍しいというのもあるが、普段でも旅行者が来る事は少ないのだろう。それに私達を除く観客は全て白人なのだ、昼間あれほど多く、球場の周りで見かけた黒人達は球場には一人も来てないのだ。

大差の展開(6回表で2-10)のせいだけでは無いだろうが、試合には余り集中出来ずに場内をウロウロしている事が多かった。ネット裏後方では少し小さめのコップだが、ビールが1ドルで売られていた。安いのでついつい買って飲んでしまったが、フード類が全く売られて無いのにはマイッタ。他には3塁側スタンドの裏でアイスが売っているだけだった。その横(殆ど入口付近)にはグッズ売り場の小屋があって、店頭にも段ボール箱で商品が並んでいた。店と言っても本当に小さな小屋で、神宮球場の外のグッズ売場を想像して貰えば、かなり近いと思う。中には店員が一人いて、奥の棚にレッズの帽子や、メジャーの帽子、ジャンバー、ジャージ(シンシナティのものが多い)。カウンターにはカビーズの帽子、カード、ボールペンが置かれていた。外にはハンガーに掛けられたカビーズ時代に本当に使用されたユニホームも、何と上下で売られていた。その他にもペナント、ボールペン、Tシャツ等カビーズ時代の物は格安で、無造作に段ボール箱に入って置かれていた。中には「Rockford Expos」と書かれたペナントまであった。どうやらカブスの前はエクスポスの傘下だったらしい。何となく人気の無い理由が分かってきた。チーム名がしょっちゅう変わっていては、地元の人もなかなか愛着は湧かないだろう。傘下変更にも対応できるように、独自の愛称を付ければ良いとも思うが・・・。私もその辺までは詳しくないが、メジャー資本にどれだけ依存してるかによっては、そういう権利も無いのかもしれない。7th イニング・ストレッチが始まるのでスタンドに戻ったが、聞こえてきた歌は原曲よりもかなりハイテンポにアレンジされていて、なんか調子を狂わされた。私は楽しみを奪われた気持ちになり、日本語で「ダメだよ、こんな事やってるから客が来ネーンだよ!」と叫んでしまい、周りにいた人に笑われてしまった。

ちょっと恥ずかしかったので、1塁側に移動した。こちらは結構クーガーズのファンがいて、選手と同じ帽子を被っている人の近くに座った。良く見ると結構かっこ良いデザインだった。売店には相手チームの物は売られて無い事を思い出し、余計にその帽子が欲しくなった。髭ボウボウで大変体格の良いオジサンは、クーガーズの帽子を被り、レッズの表紙の帳面にスコアを付けていた。私はダメモトと思い、辿々しい英語で「失礼、私は日本人の旅行者です」「これはケーン・カウンティー・クーガーズの帽子ですか?」と話しかけた。オジサンは目を丸くして「イェー(Yes)」。私は自分が被っていた阪神タイガースの帽子をとって見せ「これは日本で最も有名な野球チームの帽子です」「阪神タイガースと言います」と言ったが、その後言葉に詰まってしまった。しかしオジサンは私の気持ちを察してくれたのか、自分から「トレード?OK。OK」と言って帽子を交換してくれた。日本に帰ってから確認したのだが、英語で「トレードtrade」とは交換と言う意味では一般的ではないそうだ。しかし敢えて野球用語で答えてくれたアメリカの粋な野球ファンとの出会いは、嬉しい思い出となった。オジサンが阪神の事を聞いてきたので、持っていた阪神の野球カード(湯舟、野村監督など5枚)をプレゼントした(彼の帽子は私のに比べ、新しそうだったのでこれでチャラかな)。彼はそれを見ながら「オー!ヘンシン・タイガース」と言って喜んでいた。

再び3塁側最上段に移動すると、周りのレッズファンは「何故レッズのと交換しないのだ」と言うような顔をしていた。妻が「グッズの売店が閉まっちゃうよ」と言うので、見てみると確かに片付けを始めていた。慌てて下に降りた。妻とも相談しながら、これ程安い所はこの先無いだろうと思い、此処で大量に買っていくことになった。一応は新婚旅行なので、いくら変わった場所に行ったとしても、お土産は大量に必要なのだ。それに心配していたカードの使用も可能であった。カビーズの物はとにかく安く、Tシャツ、帽子、ボールペン、ペナントは$1だった。しかしTシャツとペナントには、チームロゴの他にスポンサー名が入っていて、経営難がここでも感じられた。レッズのTシャツも$5だったので、少し混ぜて買った。こちらもスポンサーロゴ付きだ。それと自分たち用にも、カビーズのユニホームを買うことにした(レッズのは無い)。本拠地用と思われる上が青で、下が白地に青の縦縞、胸に赤で「Cubbies」は$30。遠征用の上下グレー、胸に赤で「Rockford」は$20だった。良く見るとマークや背番号が剥がれ掛かった物も多く、状態の良い物を選んで一着づつ買った。大変な量になっていたので、段ボール箱に入れて貰い、車に運んでしまった。もう帰ろうとしていた人も、足を止めて我々に注目していた。たぶん店員にも日本の買付屋だと思われたかもしれない。

一度場外に出てしまったが、再び球場に戻った。係員も見ていたが何も言わなかった。しかし、3塁側ブルペンから選手が引き上げてくる。どうやら試合終了になってしまったらしい。偶々側にいたブルペン捕手に写真を撮って貰い、せっかくだから彼とも撮って、車に向かった。入口では係の娘がビラを配っていた。見てみると「あなたのレッズがプレーオフ進出。チケット予約開始」らしき事が書かれていた。「このチームもプレーオフに出られるんだー」と妻と感心してしまった。彼女たちは訴えるような表情で、一人一人に声をかけていた。きっと、プレーオフなのにガラガラでは恥ずかしいので、少しでも多くの人に球場に来て貰おうと願っているに違いなかった。給料を貰ってるのか、ボランティアなのかは知らないが、選手のためにも彼女たちのためにも、プレーオフには沢山の観客が来て欲しいと思った。残念ながら私達は観に来ることは出来ないが、とても良い球場だったのでもう一言書いておこうと思う。この試合を観るために、他のチームと同じようにインターネットで情報を集めたのだが、このチームだけは公式のサイトが見付からなかった。彼女たちの配っているビラにも電話番号しか書かれてないので、無いと思って間違いないだろう。ざっと調べてみたが、200以上あるマイナー球団のうち、公式サイト、ファンが作るページ、両方とも無いのは全体の5%も無いだろう。客が入らない理由はそれだけでは無いだろうが、経営者や地元の力の入れ方は何となく分ってしまう。周辺環境を含め悪循環になっているようだ。最近ではマイナーのチームでも充分な利益を出している球団も珍しくなく、客が入らなければ、このクラスのチームの移転は簡単に行われる。そうなったら益々ブラックホーク・パークは寂れ、存続さえ危うくなる。私達に何が出来るわけではないが、思い出の地となった「ロックリバーの見える球場」の今後が気になる。

余り集中して観て無かったが、試合は13-3でク−ガ−ズが勝った。帰りは私の運転で、ホテルへ戻った。腹が減っていたので、昼間買ったパンの残りを食べてから、シャワーを浴びて床についた。ここのホテルは綺麗で広くて、おまけに安いのでとてもグッドだが、唯一の欠点は水の出が余り良くない事だ。午後11時15分。


最近(99年12月)知ったのですが、ロックフォード・レッズは来シーズンからロックフォード市内の新球場へ移るそうです。観客が大勢入った方が、球団にも選手にも良いに決まってますが、自分としては少し残念です。

と言うのも束の間。2000年、チームはマイケル・ジョーダンのグループに買収されオハイオ州デイトンに移転してしまいました。(エ〜ン)

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