9 月 1 日 

Northem League (Indy)

SCHAUMBURG FLYERS VS MADISON BLACK WOLF

シャンバーグ・フライヤーズ       マディソン・ブラックウルフ

Alexian Field   Schaumburg , IL(イリノイ州 シャンバーグ)


朝8時30分、目覚まし時計に起される。この日からシカゴを一時離れるので、荷物を整理しなくては。買い物を結構したので、持ってきたバッグでは入りきれなくなり、秘密兵器の折り畳みビニールバッグ(よく海外のお土産屋に売ってるヤツ)を出す。元々私たちは荷物は少なかったのだが、(夫-大きめのショルダー1つ、妻-リュックサック1つ)目一杯入れてきたので、荷物が少しでも増えれば見栄えの悪いデカバッグになるのは仕方なかった。

部屋を出る前にチョット困った事が起きた。小銭が1ドル札2枚しかない。硬貨を合わせても3ドルちょっとだ。2日分のベッドメイクのチップとエレベーターでもいる。下までくずしに行くのも馬鹿らしい。通常ホテルのベッドメイクのチップは、1人1日/$1(毎日でも帰る日にまとめてでもOK)を枕元に置くらしい。2人で考えた末(ほんの少しですが)ベッドメイクに3ドルで、エレベーターでは渡さないと言うことになった。テーブルにチップを置き部屋を出る。エレベーターを呼ぶとラッキーな事に、いつもとは違う男だった。私たちはすましてエレベーターを降りた。フロントにはいつもはエレベーター係のおじさんがいた。デポジットの2ドルを返してくれたので、1ドルはチップであげた。「これから何処へ行くの?」と聞かれたので、スクァンバーグ(この時点では正しいと思っていた)だと答えると、「そうですか。いい旅を」と言ってくれた。チェックインの時の女性とは大違いで、本当に気のいい人だった。ホテルを出てから思ったのだが彼がデニスだったのでは・・・名前を聞けばよかった。もし最後までエレベーター係だったら思わなかったことだが。

ホテルからエイビスAvis レンタカーまでは歩いていくことにした。当初はLのブラウンラインで行こうと思っていたが、実際に街を歩いてみて、想像していたよりも近そうだと言うことと、駅の階段の登り降りを考えたら大差無いんじゃないかと言うことだ。カバンが大きくなり(重さは大したこと無い)歩きずらかったが、クラーク通りからシカゴ川を渡ると、エイビスは本当にすぐだった。10時になっていたが、昨日食べ過ぎたこともあり2人共そんなに腹は減って無かった。エイビスは大手のレンタカー会社で、日本からも予約が出来る。まず、日本の営業所に電話して車種や日数をきめる。料金を振り込めば自宅にバウチャーが送られてくるので、それを借りる営業所に持っていけばいいのだ。日本でも海外でも車を借りるのは初めてなのだが、ガイド本や友人たちに聞いたところでは、海外のレンタカー会社は広い駐車場があり、道路に出る前にそこで練習(左ハンドルや右側通行を)出来るらしいのだが・・・。しかし、この営業所(Chicago North Loop) は聞いていたイメージと違うぞ。営業所の横にスロープがあり地下から車が出てくる。しかも、入口と出口は一つで、どちらかは待たなくてはいけない。街の中心にあるので狭いのは仕方ないのだが、少しだけ不安になった。

中に入ると、受け付けカウンターに赤いブレザーを着た女性が3人いた。とりあえず黒人のオバチャンに免許証(日本のと国際免許)とバウチャーを見せる.JAFの会員証も見せようとしたが必要無いと言われた。保険の手続きをして完了である。日本で払った料金の中にも保険は含まれているが、自分で不足だと思うモノを現地で追加するのだ。それに自分以外の人が運転する場合も、追加の登録をして料金がかかる。私たちの場合も2人共運転するので追加登録をした。手続きが終わったのでオバチャンに一番近いトリプルエー(AAA American Automobile Association)は何処にあるか聞いたら、彼女も判らないらしく他の人に聞いてくれた。それでも判らないオバチャンはAAAに電話を掛けてくれた。そうしたら、なんとエイビスの隣のビルの中に入ってるとの事だった。AAAは日本のJAFにあたる組織で、全米各地に営業所が在り、車がトラブルの時来てくれるだけでなく、会員は旅行の道路地図を無料で貰える。日本人でも入会できるが、審査が厳しく会費も高いらしい。しかしJAFの会員は同等のサービスを受けられるそうで、私も旅行前にJAFに入会した。偶々エイビスに来ていた白人の紳士が、自分のオフィスが、そのビルにあるそうで、連れていってくれることになった。

私は妻をエイビスに待たせて、徒歩で彼について行った。ビルは道を挟んだ直ぐ隣だったが、何しろデカイ建物で、1階にはLの乗り場まであった。中には会社や店舗が幾つも入っていて、彼もAAAが何処にあるか分からないようで、1階フロアーの案内で聞いてくれた。彼は私に「あそこだよ」と、2階のガラス張りの店を指して教えてくれた。私は何度もお礼を言ったが、彼は「早く用事を済ませ、奥さんの処へ戻って上げなさい」と言ってくれた。なんて良い人なんだ。AAAのオフィスは、小型の車とカヌーが展示してあり、多くの旅行のパンフレットが置いてあった。カウンターには揃いのスタッフジャンパーの人が数人いた。JAFの会員証を提示して「地図が欲しい」と言う。何処のかと聞かれたので、行き先の街を全部言うと、小柄なオネーちゃんは奥に消えていった。5分くらいして彼女は走って戻ってきた。「ご免なさい、全部は無いわ」と言うので見てみると、ベロイトBeloitだけは無かった。でも、ウィスコンシン州全体の地図もくれたので、お礼を言ってチップに1ドル渡そうとしたら、「ノー!貰えません、貰えません」と言う。「あれ、ここはそういう所では無いのかな?」と思ったが、彼女にはチップを受け取って貰いエイビスに戻った。地図は全部で5種類もらった。

待っていた妻に地図を見せると「そんなに貰ったの。タダなの?」と聞かれた。カウンターのオバチャンには「目的は果たせたようね。これから何処へ?」と聞かれたので、「スクァンバーグ」と言うと、オバチャンは「は〜?スクァンバーグ?」と不思議そうな顔。私は地図で「ここだよ」とSchaumburg を指して教えてやった。オバチャンはニヤッと笑ってこっちを見ると「これはシャンバーグと言うのよ」 私も妻も唖然とした。旅行の計画を立てた時に、独立リーグも観たかったので、インターネットでSchaumburg Flyersを調べたのだが、読み方が分からずに(初めはスチャンバーグとかスチャウムバーグとか呼んでた)妻が通っていた英会話教室の先生に聞いたのだ。彼は自信満々で「スクァンバーグだよ」と言っていたのだが・・・。オバチャンにはハイウェイへの出方も聞いて、私たちは地下へ向かった。地下の駐車場は狭くは無かったが、出入口のところだけ余裕のスペースがあるぐらいで、大部分は車がビッチリ並んでいた。とても練習どころではない。私たちの車はモスグリーンのシボレー/プリズムで、既に出安いところに移動してあった。配車係にチップをやり車に乗る。地図とサングラスを取りやすいところに置いてエンジンをかけた。私は仕事柄、他人の車に乗るのは慣れている。緊張は少しはしているが、楽しみの方が遥かに大きい。しかし、市街地を出るまでは気を付けなくては・・・。

出口のランプが青になり、配車係の誘導でスロープを通り外へ出た。クラーク通りは南を向いた一通だ。信号待ちの車の列に入れてもらい、1番右側の車線に乗る。AAAの在るビルを過ぎて2個目の信号を右折する。ランドルフ通りRandolph st.に入り、妻に地図を見てもらう。しばらく直進だそうだ。道路は広いが一車線の幅は思ったよりは狭く(街中だから)、一通で運転しやすいが飛ばしている車が多い。街中からレンタカーを借りるのは、初心者にはお薦めは出来ないと思った。エイビスのオバチャンによると、この道からハイウェイへ出られるらしい。シカゴ川の橋を渡ると「もうスグだよ」と妻。Halsted St.通りの信号の手前に右折ゾーンが在り、立体交差で下に降りられる様になっていた。右折するとランドルフ通りの下を潜ってきたハイウェイが姿を現した。交通量は多くスピードもかなり出ている。思い切って合流したがイメージとしては料金所の無い首都高速と言った感じか。合流してスグに分岐点の標識が出てきたので、「94-90Wisconsin」方面へ行く。オバチャンに聞いたウィスコンシン・ランプだ。なんとか市街地は脱出できたようだ。妻も地図を広い地域のものに換えた。

90号と94号の分岐地点は、あっと言うまに過ぎた。速度計は60マイル前後を指しているので、時速100キロ弱だが、交通量が多いせいか、みな車間距離は余りとらないようだ。中央道や東北道で東京近郊を走っているのに近い感じだ。しばらく行くと前方に飛行機が飛びたつのが見えた。もうオヘア国際空港が近いらしい。と思っていたら進行方向にピンクと紫の大きなゲートが出てきた。料金所らしい。「エーッ聞いてないよ」「タダじゃないのー」と2人で車内で騒いだが、ゲートは近づいてくる。何も分からないままAUTOMATICと書かれたピンクのゲートの方に進む(紫のMANUALのゲートは殆どが大型トラック)。ゲートは数台の列が出来ていたので、とりあえず前の車を観察した。停止する場所の横にある箱(高速の自動発券機くらいの大きさ)に、円錐型のひっくり返したのが(よく銀行の駐車場に在るやつ)付いているので、それに硬貨を投げ込むようだ。私達はポケットから小銭を出したが、そんなには持ってない。自分の番が来たが、幾ら入れて良いか分からない。偶々料金箱の前に立っていた警察官が来て「40セントだよ」と言ってくれたのだが、私は少しパニクってたので、小銭を持った手を彼の前で広げてしまった。彼は笑いながら、そこから40セントだけ拾い集め、料金箱に投げ入れてくれた。小型の信号が青になり、遮断機が上がった。お礼を言って発進した。料金所の手前までは「West 90 O'Hare」だった標識が「West 90 Rockford」に変わった。道路標識は大きくてとても見やすい。ハイウェイからの出口も「Exit ○○St」「Exit ○○Av」と書かれてるので、殆どが交差している道なのだろう。オバチャンから教わった出口は「Exit58」だ。車に乗ってから1時間弱でシャンバーグに着いてしまった。なんという早さだろう。しかし出口を降りたは良いが、この後が大変だった。

野球場への行き方は「Elgin-O'Hare Expressway」からのルートしか調べてこなかったので、シャンバーグの街中から先は人に聞くか、勘で行くしかなかった。エイビスのオバチャンに聞きすぎたのが仇になった(オバチャンごめんね)。さっさと誰かに聞いてしまえば良かったのだが、人通りも少ないので車を降りるのも抵抗があって(実際は本当に平和な町です)勘に頼りグルグル回ってしまった。誤ってハイウェイにも乗ってしまい、入口のゲートでは小銭が無かったので、金を払わずに通り(途中の一般道から乗るときは、料金箱と信号はあるが遮断機は無い)、後ろの車から大顰蹙だった。次の出口で降り、再び乗って戻るときもタダ乗りで、合計4回も罪を犯してしまった。それでもシャンバーグ通りSchaumburg Rd.をウロウロ(シャンバーグ警察やシャンバーグ高校もあり、ここが町の中心だと思い)するうちに、交差点でSpringinsguth Stを発見した。「あっ今の標識見た?」引き返し確認すると、確かに野球場の行き方に書いてある最後に出てくる道と同じ名前だった。その道を行ってみると、静かな住宅街をしばらく走り、高架の道路(エルジン-オヘア道路Elgin-O'Hare Expwy)にぶつかった。その向こうに球場独特の照明灯が見えた。「あっあそこだ!」道路を越えると球場全体が姿を現した。煉瓦造りのSchaumburg Baseball Stadium はモダンな佇まいで、とても魅力的だった。球場の前にはとても広い(向こう端が見えない)駐車場があった。殆ど満車だったので、試合が始まってるのかと思い(Wソックスも急に変更されたので)、急いで車を停め、正面入口に行くと、大きな女の人が出てきて「チケットもショップも6時からよ」と教えてくれた。どうやら駐車場の反対側にメトラMetra (近距離列車)の駅があり、停まっている車は駅利用者の物らしい。私たちは再び車に乗り、今夜の宿探しに向かった。時刻は午後1時だった。

今回の旅行では、シカゴ以外の街での宿泊は、ホテル等の予約はしていない。天候や試合日程の変更等で、宿泊地を代える可能性もあるし、校外の街には車での旅行者には最適のモーテルMotel(ラブホテルじゃ無いよ)が沢山あるからだ。出来るだけ球場の近くにしたかったが、来た道にはそれらしき建物も看板も無かったので、エルジン-オヘア道路を西に向かってみた。この道は州道を経由してI-90号に戻れるので、次の日も楽だろうと考えたからだ。しかーし、行けども行けどもモーテルは無く、隣町のエルジンまで来てしまった。球場から離れ過ぎたので、戻る事にしたが、今度は大通りは避けて一般道を使った。しかし、それが裏目だった。シャンバーグまで延々と住宅地が続き、モーテルどころか店舗も殆ど無かった。早く見つけたいのはやまやまだったが、腹が減ってきた。思えば朝からチャンとした物を食べて無い。車内で昨日買ったポップコーンを食べただけだった。この街での飲食店の情報は全く無いので、シャンバーグ通りのスーパーマーケットの一角にあったサブウェイSubway(日本にもあるサンドイッチ店)に入った。種類も注文の仕方も日本のサブウェイと変わらなかったが、大きさは一回り大きかった。客は私達だけで、店員も話したそうだったので、近くにモーテルが在るか訪ねてみた。若い女性店員は「私は知らないけど聞いてくるわ」ともう一人の店員に聞きに行ってくれた。しかし年輩の店員も「知らない」と言う答えだった。店を出て駐車場で、スーパーへ買い物に来た人にも聞いてみた。地元の主婦は「ここに住んでるけどホテルは無いよ」「向かいの警察で聞いてみたら」と言った答えだった。仕方ないので、警察で聞くことにした。シャンバーグ警察署Schaumburg Police Departmentは池のある庭と建物が綺麗で、玄関には誰も居ないし、パトカーも表には1台も無い。看板がなければ警察とは分からなかったろう。玄関を入ると、奥からベージュ色の制服のとてもカッコイイ婦警さんが出てきた。「この街でホテルを探してます」と言うと、彼女は丁寧に行き方を教えてくれた。

「ホテル・マリオット・シャンバーグ」名前からしてモーテルではなかった。シャンバーグ通りを東に向かい、突き当たりの左手に見えるそうだ。球場とは反対方向だが、他に無いので仕方なかった。10分くらいでホテルに着いた。ホテル・マリオット(発音はメリオットが近い) は建物も駐車場も立派で、一流ホテルの一歩手前と言った感じだ。ロビーも広く従業員も数人いた。フロントで料金を聞いたらツインで一晩$167だった。大変高かったが、探し疲れていたので、此処に決めることにした。鍵と周辺の地図を貰いエレベーター(自動です)で4階の部屋へ向かった。高いだけあって良い部屋だったが、やはり大きな出費だ。「新婚旅行だから1日くらいは、こういう日も無いとね」「ここしか無いんだから仕方ないよ」と言ってはみたが・・・。

周辺地図を見るとマリオット・シャンバーグMarriott Schaumburg はシャンバーグ市の最も東寄りに位置していて、オヘア空港からの距離は15H弱。I-90,I-290等のハイウェイにも出易い。シカゴ市街には寄らずに、空港から直接西に向かう旅行者には、このホテルは最初の(或いは最終の)拠点には最適だと思う。同系列でシカゴに在るシカゴ・マリオット・ダウンタウンChicago Marriott Downtownは有名な一流ホテルだが、マリオット・シャンバーグは素朴で、気楽に入れる印象だった。

午後3時を過ぎていたが、野球に行くまでは随分あるのでテレビを付けてみた。通常の番組の他に、有線で映画や情報番組が観られるようだ。驚いた事に操作画面は日本語版もあった。しかし、番組には字幕や吹き替えは当然無く、ニュースや天気予報を見ていた。大西洋側は大型台風(ハリケーン・フロイド)が来ているらしい。5時になったので球場へ向かった。少し早いかなと思ったが、距離があるので念のためだ。しかし道がガラガラなので15分くらいで着いてしまった。車を球場のすぐ前に停め、時間潰しに歩いてメトラの駅を見に行った。広い広い駐車場は、途中に休憩所(屋根があるベンチ)が幾つもあり、快適に利用できそうだ。球場から駅までは徒歩10分弱と言ったところか。駅の周りには、これから乗車する人が数人、列車を待っていた。利用するのは、殆どがシカゴへの通勤客だ。メトラはシカゴから近郊の街に全部で11路線通っていて、ディーゼルを動力としている。シャンバーグ駅はMDーW線(Milwaukee District West Line シカゴ-エルジン/ビッグ・ティンバーBig Timber間 )の沿線にある。旅行ではメトラ(安くて快適だそうです)も是非利用したかったが、駅周辺の治安や、球場までの距離が全く分らなかったので、確実な車にしたのだった。駅の写真を撮っていたら、丁度上り列車が入って来た。力強い形がとてもカッコイイ!

球場に戻ると、チケット売り場の周りは、結構人が集まっていた。道路の反対側の空き地に車を停め、続々とこちらにやって来る。どうやら球場の駐車場はアチラ側のようだ。でも、駅の駐車場の方が舗装されていて綺麗だし、停め直すのも面倒なのでそのままにしておいた。駅には下り列車が着いたらしく、大勢の乗客がこちらに向かって歩いてきた。各々の車に乗り込み一斉に帰宅して行く。球場の前は高くなっているので、その様子がとても良く見えた。静かだったスプリンギンズガス通りSpringingath Stは、ちょっとしたラッシュ渋滞になった。しかし、帰らずに球場へそのまま来てしまう人や、車で観戦スタイル(ユニホームや帽子)に着替える人もいた。そういう人は予め車を球場寄りに停めていた。どうやら私の車も移動しなくてすみそうだ。それにしても仕事帰りに地元で野球観戦。とても幸せな人たちだ。6時になりチケットの窓口が開いた。私たちは5番目くらいの早さで買うことが出来た。チケットは$3〜7で、メジャーに比べかなり安い。入口では入場者全員にタダで帽子を配っていた。帽子には「Alexian Field」と大きく書かれていて、今日の日付も入っていた。

どうやら球場の名前が変わる記念らしい。入ってスグの所にグッズ売場があった(場外を含め1軒だけ)。店内は広くないが整頓されていて商品も豊富だった。正面玄関からスタンドにはエレベーターで行くので、試合中に店に来るのは面倒なので、先に買い物を済ませてしまった。Tシャツは格好良いのが数種類あり$12〜20、ユニ上$75。但し最終戦と言うことで多少値引きされている。その他カード、ペナント、帽子等あったが、一店しかないこともあり、それ程安くない。エレベーターで(正面ゲート以外は階段)コンコースに出ると、夕暮れ時の大変美しいグランドが目の前に広がった。

シャンバーグ・フライヤーズSchaumburg Flyersは、メジャー傘下に属さない独立リーグIndependent Leagueのノーザン・リーグNohthern Leagueに所属している。チーム名は小型機専用の飛行場が球場の近くに在る事から付けられた。本拠地の Schaumburg Baseball Stadiumは今春完成したばかりの新しい球場だ。ノーザン・リーグの各々のチームの本拠地は、カナダを含めた五大湖周辺の街だが、毎年若干の増減がある。年間86試合を消化するが、シーズンは5月末から9月迄(プレーオフ、チャンピオンシップ含む)と短い。フライヤーズも今日が本拠地最終戦だ。思えば暑い8月に結婚式を挙げる事で、多くの友人知人から「子供が出来ちゃったの?」「奥さん体大丈夫?」と、初めは「出来ちゃった結婚」だと勘違いされていたが、全てはこの最終戦に間に合わせる為であったと言っても過言では無い。言わば我々の結婚記念日を決定付けた球団である(そんな大袈裟な・・)。

グランドでは球場の新名称発表の式典が始まった。数人の関係者が「Alexian Field」と書かれた看板を掲げ、中央のオッちゃんがマイクに向かい力強く宣言した(意味は分からなかった)。マスコットのベアロンBearonが一人で大騒ぎしていたが、観客はまだ疎らで拍手も寂しかった。式典としては物足りなかったが、私達には思ってもない記念となった。妻も私も「ブラボー!おめでとう」と叫び、人一倍拍手をした。きっと周りの人達からは「何だ、この日本人は?」と思われたに違いない。

私達の席はネット裏の1塁寄りで前から4列目だった。フライヤーズは1塁側で、選手達はベンチ前でキャッチボールをしたり、ファンのサインAutographに応じたりしていた(スタンドとの金網は無い)。一人の選手がグランドからスタンドに扉を開け入ってきた。彼は客の一人と知り合いのようで、私達の斜め前の席で話をしていた。メンバー表で背番号「14」を確認すると、投手コーチのピート・キャレントPete Caliendoさんだった。顔をよく見ると、確かに選手にしては老けていた。しかし、サインAutograph を求める人もいたので、私も貰った帽子に彼のサインをして貰った。その時に「日本から来た」と言うと。「珍しいね」「リトルリーグは優勝したね」と言われた。コチラに来て二度目である。アメリカ人が、初対面の日本人と野球の話をするのに、最適な話題だったのだろう。それに彼の経歴を見ると、全米ユースの監督として96年に世界一になっている。メジャーのスカウト歴もあり、イリノイ州出身で地元では有名人だ。彼もベンチに戻り試合が始まった。午後7時25分。

試合開始に合わせるように、7,027人収容のスタンドは程満席になった。ノースリーブで上下白地に縦縞のフライヤーズと、上が青(Tシャツみたいで格好悪かった)、下がグレーのマディソン・ブラックウルフMadison Black Wolf。どちらも知っている選手はいなかったが、最終戦なので地元に勝たせたかった。選手も記念キャップを被っていたが、観客の半分くらいがチームのTシャツやユニ上と、地元との密着感を感じた。試合は1回裏にフライヤーズの2番バッターが、ライト場外にソロホームランを打ち先制した。開始早々スタンドは大いに盛り上がった。マイナー特有の、イニングの合間のアトラクションも、地元リードの中ノリノリで行われた。印象に残ったのは、二人一組の子供が、水の入った風船をキャッチボールするゲームで、取り損なうとビショ濡れになるのだが、本人だけでなく、係のオネーさんや最前列の席も、水を浴びて大ウケだった。その他にもくどい位毎回アトラクションは行われた。

コンコースからも試合が良く見えるのと、全ての席が近いので売り子は居らず、フード、ドリンク類は売店に列んで買う。この日は大変混雑していて、売店は長い列が出来ていた。正面の屋根付きの場所以外にもライト、レフト側に、特設の売店が開いていた。こちらの方が早く買えるが、どうも別経営のようで売り切れるとサッサと閉めてしまった。中央のエレベーター前では、当番選手が(競馬の予想屋みたいな)ボックスの中でサインに応じていた。今日の当番は登板の無い(シャレじゃないよ)Klae Calvert だ。チームのエースで将来有望だそうだ。記念キャップとTシャツにサインをして貰った。

試合はフライヤーズが押し気味に進んでいたが、6回裏に3点を入れ7-1とリードを広げた。トイレ以外は何処からでも試合が観れたので、私達は結構席を出歩いていた。この球場はコンコースの1塁側最端に喫煙所もあり、私としては大変助かった。ライターをホテルに忘れてきたので、2回程(老婦人と中年紳士)火を借りタバコを吸えたのだが、「良い試合だね」「最終戦だから楽しんで帰ってね」と、皆地元チームが自慢の様子だった。

7th イニング・ストレッチは座席に戻り、コミスキーよりは落ち着いて歌えた。ところが歌い終わると、帰ってしまう人がかなりいて、これには正直驚いた。最終戦で、しかも勝ちが濃厚だというのに・・・。たぶん「明日も仕事が早いのだろう」「家が遠いのだろう」と、自分に言い聞かせ、最後まで気分良く観戦した。しかし最後に敗戦処理で登板したマディソンの投手(名前は忘れた)には笑った。彼のユニホームは、他の選手に比べて色が濃くて、マークや背番号も新しそうなのだ。途中入団か出番が極端に少ないのだろうが、一人だけ違うチームの選手のようだった。試合はそのまま7-1でフライヤ−ズの勝利だった。勝ち投手は ゲンケTodd Genke 負け投手はテイラー D.Taylor  ホームランはフライヤーズの ラッシュフォードJim Rushford 。

フライヤーズは既にプレーオフ進出を決めており、それに関するアナウンスが流れる中、帰りは1塁側のゲートから外に出た。階段を降りると車は目の前で、それほど混まずに駐車場を出る事が出来た。帰り道にNeighborhood Pantryと言うコンビニの様な店(開いてるのはココだけ)で、ビールとパンを買った。酒類のケースは、店の人に言わないと開かないようになっていた。客は私たちだけで、中近東系の店主は少し恐い感じだったが、サービスにボールペンをくれた。店の名前と住所が入っていたが「Springingath Rd」は球場と同じ通り(距離は離れています)なので、とても嬉しかった。ホテルに着いたのは午後11時近くで、ロビーも暗くなっていた。


シャンバーグ・フライヤ−ズはプレーオフで、ファーゴ-ムアヘッド・レッドホークスFargo-Moorhead RedHawks に3連敗して、優勝戦には進めませんでした。

2002年9月 ジム・ラッシュフォードはミルウォーキー・ブルワーズでメジャー出場を果たしました。


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