8月20日

   American League 

CHICAGO WHITE SOX VS BOSTON REDSOX

シカゴ・ホワイトソックス              ボストン・レッドソックス

U.S. Cellular Field  Chicago , IL


 6時にセットしていた目覚ましに、2人とも全く気付かず、起きたのは6時半を過ぎていた。急いでパン、野菜サラダ、ハム、バナナを食べ、出発の用意をする。7時25分チェックアウト。カード決済だが一度も提示を求められなかった。ネットでの予約時に番号は入力してはいるが、たいていは利用時にも確認するもんだが...特に問題無いのなら、この方が面倒でないので助かる。 

 私の運転で出発。ホテルのすぐ東のプライヤー通りPrior Avを南に向かい、マーシャル通り、フェアビュー通りFairview Avと進む。ラッシュ時の混雑は全く無く、道はすいていて静かだったが、住宅地でクネクネと細くなってきた。地図も標識もあってはいたが、少し心配になる。でも、川の手前で5号の標識が出てきたので一安心。さすがにハイウェイに乗る手前では、それなりの交通量になってきた。それでも乗ってしまえば早い早い。5号ですぐにミネアポリス・St.ポール国際空港Minneapolis St.paul Intl Airportに到着。行きに見逃した進入口もすぐに見つかり、「Rent-A-Car Retune」の標識に従い立体パーキングへ。

 建物の中にはレンタカー会社の看板が、たくさん吊下がっていた。エイビスAvisも目立つところにあり、その方向に進むとオバさんの係が出てきて車を誘導してくれた。「はい、ストップ」、車を停めるとオバさんはすぐに車のチェックをはじめた。こちらが何も提示しなくても車両番号で分かっているようだ。伝票を受け取り事務所へ。中のカウンターは白人とアジア系の男性がいた。伝票に確認サインを求められるが、ガソリンが満タンなのに請求されてるのでクレームを言って直してもらう。

 案内表示を見ながらエレベーターでターミナルレベルへ行くが、構内モノレール(Train Stopと書かれているので電車?)乗場で両脇で走っているので、どっちに乗って良いか分からず何本かやり過ごす。案内図を見てもよく分からず困っていると、空港職員らしき太ったオジサンが近づいてきた。「どこへ行きたいの?」と聞かれ、「ユナイテッドのカウンターです」と答えると、「ついて来なさい」と言われ、一緒にシャトルに乗った。どうやら2本あるシャトルはどっちも行き先は同じだったようで、移動距離もほんの数百メートルだけ。シャトルを降りても暫くオジサンに付いて行き、エスカレーターの手前で、「これに乗って真直ぐ行け。すぐそこだから」とオジサン。お礼を言ってエスカレーターに乗ると、オジサンは手を振って別方向に歩いて行った。エスカレーターは1階上がるだけのもので、上に行くと正面に航空会社のカウンターが並んでいた。

 ここはコンコースEと言う場所で、リンドバーグ・ターミナルLindbergh Terminalの西端に位置する。名前の由来は、あの大西洋無着陸飛行のチャールズ・リンドバーグ(ミネソタ出身)に因んでの事で、空港には、もう1つ小さ目のターミナルも南側にあるようだ。この空港はノースウェスト航空Northwest Airlinesのハブになっていて、ここを拠点に乗り継いでいく日本人利用者も多いようで、殆どのトイレに「Restroom お手洗い」と表示されていた。

 幾つかあるカウンターの頭上には、航空会社の吊看板があり、ユナイテッドUnited Airlinesのスペースも2つあったが、この時は隣のエアカナダまで広げてチェックイン業務をやっていた。私達も列に並んだが、係に「ここはE-チケット専用です」と言われ並びなおす。Eチケットとはデータを全てコンピューター内で管理しているチケットで、手続きも簡単スムーズなのだそうだ。日本でもそのサービスは行われているらしい。

 混んでいたので少し時間がかかったが、無事チェックインを済ませゲートE8へ。約1時間待って搭乗。飛行機は思っていたよりも新しくて綺麗だった。01年にニューヨークで乗った小型機に比べ、大きくて機体もしっかりしてそう。座席も横一列に5人並びで、一応前に8席だけファーストクラスもあった(誰も乗ってなかった)。窓の外は、荷物を積込んでいるのがよく見えたが、最後まで自分のバッグが見えなかったので少し不安。

 10時になり予定通り離陸。偶々なのだろうが、ミシシッピ川の景色の良いところでは、わざと機体を斜めにさせて、良く見えるようサービスしてるかのようだった。天気も良く、低いところを飛んでいるので森や湖の景色が良く見えた。全く何も無いところから真っ直ぐの道が出てきて、町に近づくと徐々に増えてくる、同じような景色が続いていたが、上から見ると本当に面白い。シカゴに近づくにつれ雲が多くなり、よく見えなくなってしまったが、高度が下がって雲の下に出ると、すでに都市近郊の景色になっていた。着陸時は前の赤ん坊が泣いていた。私は気持ち悪くはならなかった。

 オヘア空港OユHare Intl Airportには11時前に到着した。着いたのはターミナル1だったが、数日前にあれだけ探したエイビスのカウンターが、こちらではすぐに見つかった。でも今日は車ではない。「こんなもんだよなぁ」と思いながら荷物受取へ。乗客はみな電光掲示板で便名とコンベアの番号を確認していたが、早く来すぎたせいか、出るまでに少し間があった。「#5」と表示されたので行ってみると、私の荷物が一番に出てきた。少しホッとした。

 5年前と同じように「Train to City」の表示に従い歩いて駅へ。券売機でトランジットカードを購入するが、アメリカ人でも買い方を戸惑ってたので、教えついでに改札でコチシタ(99年の旅行記を見てね)をやったが、不思議な顔をされる。

 L(地下鉄と高架鉄道の愛称)でダウンタウンへ。ワシントン駅では白人女性がギターを弾いていた。レッドラインに乗り換え12時20分、グランドGrand駅に着いた。地上に出ると空は完璧に曇っていた。懐かしのトーキョー・ホテルTokyo Hotelの前を通り、ラッシュ通りRush Stを左折すると、予約してあるレノックス・スイーツLenox Suites Hotel Chicagoはすぐに見付かった。
12時30分チェックイン。フロント係に今日の天気を尋ねると「時々雨です。ジャンパー持って出かけるように」と教えてくれた。部屋は11階、エレベーターで上がる。突き当りの1112号室だ。室内は、フロントや廊下と同じように落ち着いた内装だ。思ったよりも広くて、冷蔵庫やキッチンもちゃんとした料理が作れるくらいの設備だ。

 少し休んでから昼食に出かける。やはり名物のピザを食べようと言う事になりウノ&ドゥUno & Dueへ。ホテルの裏を通るオンタリオ通りOntario Stの並びで、ワバッシュ通りWabashとの角にドゥ店。そこから2ブロック南のオハイオ通りOhio Stとの角に、5年前に訪れたウノ店がある。当然、近くて、行った事の無いドゥ店に入る。しかし、案内係に「満席なので空くまで待って」と言われたので、「あっちの店は、確か待たされなかったよなぁ」と、一度外に出るが、100メートルほど離れたウノ店の行列が、よーく見えたので、慌てて店内に引き返し「待ちます、待ちます」と名前を書いた。この時に注文も受け付けて「呼ぶから待ってて」と言われ、外のテラスで一服しながら待つ。他にも待ってる人が3〜4組いたが、椅子もあるのでそれほど苦ではない。

 15分ほどで放送で呼ばれ、テーブルに案内される。予想よりも大分早かったが、他の待ってる人は「お持ち帰り」だったのかもしれない。ピザ以外はここで初めて注文し、お婆さんのウェイトレスに、サラダボウルとビールを頼んだ。ビールはボストン産と書いてあったが、地ビールみたいな味でとても美味かった。名物のスタッフド・ピザは、以前に比べたら脂控えめで美味くなった気がした。それでも、やはりボリューム満点、2人でも食べきれず、4分の1を持って帰る(前は半分)。

 ドライブ移動での行程を終え、シカゴに戻ってきた安堵感からか、少々飲みすぎてしまった。部屋に戻り、ひと寝入りしたら、起きたのは5時近くになっていた。私は少し頭痛がする。 

 5時過ぎに球場へ出発。以前は初めてなのでタクシーを使ったが、今日はレッドラインを利用。駅にはレッドソックスのユニホームや帽子の人が大勢いた。しかも、カードのチャージで手間取ってる人が多い。そんなに旅行者が来ているのか?チケットが少し心配になる。
20分ほど電車に揺られSox-35th駅に到着。35th Stに面してるので、この名前なのだろうが、長年チームの主砲を務めるトーマスFrank Thomasの背番号が35なのでピッタリの駅名だ。駅はすでに凄い人手。まだ空は明るいし、人も大勢いるので、それほど治安が悪い感じはなかったが、球場までの2〜300メートルの途中には、黒人のダフ屋がたくさんいた。中には小さな子供の手を引いてチケットを売っている父親もいた。 

 球場周辺でも赤いファンが目立つ。「やっぱりボストンファンは、どこ行っても多いよ。良い席は難しいかもね」などと話しながらチケット売場へ行って唖然・・・「Sold Out」の張り紙が。「嘘だろ!?」窓口の黒人のオジサンに聞くと「少し遅かったな」と苦笑い。仕方ないので翌日、翌々日の券だけ購入したが、こちらも良い席は残っておらず、2階席と外野席だけ。なんと言う大失態だ。昼寝などせずに早く球場に来るべきだった。それ以前に、旅行3日目に前売りを買いに来ていれば、良い席も残っていただろうに。レッドソックス人気を侮っていた。

 落込んでいてもしょうがないので、駅に戻りダフ屋を当たる事に。しかし、さっきまでいたダフ屋の集団は、商売は済んでしまったのか、残っているのは3〜4人だけ。髭の大男に「今日のチケットはあるか?」と聞くと、ポケットからチケットを出して「良い席だぞ。1枚100ドルだ。ペアであるぞ」。すぐに私達は所持金を確認したが、私が104ドル、妻が50ドルしか現金は持っていなかった。「カードか旅行小切手で支払えるか?」と聞くと、「現金だけだ」と言う答え。まあ、そう言う商売なのだろう。ダフ屋が「幾ら持ってるんだ?」と言うので、持っている154ドルを見せると「それで良いよ」とチケットを差出した。私は嬉しくなり、思わず「ホントに?、サンキュー、サンキュー!」と、ダフ屋の肩をバンバンと何回も叩いてしまった。ダフ屋も、その仲間も笑っていたが、妻は、「そんなに叩いて、黒人の大男が怒ったらどうしよう」と思っていたそうだ。

 チケットの定価は32ドルと書いてあるので、倍以上払った事になるが、背に腹は変えられん。観戦出来ないほうが辛い。取りあえず安心して球場へ戻る。さっきはチケットの事でいっぱいで気が付かなかったが、観客の中にはリーゼントに派手なサングラス、中には衣装まで凝ったプレスリーElvis Presleyがたくさんいた。今日はエルヴィス・ナイトと言う事で、正面口の前には特設ステージが出来ていて、ソックリさんがバーニング・ラブを熱唱している。

 場内に入っても、流れてる歌も大型モニタもエルヴィス一色。レッドソックスの打撃練習を横目に、私達は、まず「座席を確認しよう」と、セクション番号を確かめながらホームから3塁方面に進む。3塁ベースも通り過ぎ「あれ?こんな方なのか」まだまだ進み、結局「152」の通路が出てきたのはレフトポールから4〜5つ目のセクションだった。「なんだぁ、そんなに良い席じゃないなぁ」と言いながらシートに座る。定位置に野手はいないが、大体レフトの真横くらいだろう。

 現金が全く無くなってしまったので、T/Cを崩す為に買物に。外野方面から回ると、丁度1塁側のブルペンではペドロ・マルチネスPedro Mart地ezが投球練習中。残念ながら、この3連戦で彼の登板は無いだろう。更に進むとタマネギの良い匂いがしてきた。しかし、飲食物は現金オンリーだろうから、まずグッズ店だ。見るのもソコソコで、効率良く釣銭がもらえるよう、4ドルのペナントを買い、20ドルのT/Cで支払う。16ドル戻ってきたが「大事に使おうよ」と妻が言うので、一先ず座席に戻る。

 座席に戻ると、今日の先発バーリーMark Buehrleがベン・デービスBen Davis相手にキャッチボールを始めた。3塁側ブルペンの目の前なので、これは近い。そして、Wソックスのリリーフ陣4〜5人がダッグアウト方向から、ブルペンに向かって歩いてきた。その中央に一際小さくて細い選手が...「たかっちゃーん!」妻は既に叫んでいた。周りのファンも続いて「シンゴー!」文句無しで一番人気だ。私も妻も、神宮球場名物「応援用ビニール傘」(この時はミニガサ)を広げた。傘には「SHINGO TAKATSU 22」「高津 ガンバレ!」と大きく書かれている。しかし、高津はちょっと手を上げただけで、すぐにブルペン横の待機室に入ってしまった。

 私達はスワローズの帽子を被っていたこともあり、当然周囲の目を引いた。すぐ後ろの男性が「その傘はなんだい?」と聞いてきたので、「高津の日本でのチーム、ヤクルト・スワローズの応援スタイルです」「これが帽子」YSを指して「ヤクルト・スワローズです」妻のトレーナーをめくってTシャツの背中を見せ「22番タカツです」と説明してやると、その周りにいた人まで「ホ〜〜」「フ〜〜ン」「シンゴは22番だったのか」「かわいいアンブレラだわねぇ」と感心しているので、ロゴとキャラクター(つば九郎)の描かれたタオルまで広げて見せてあげた。みな私達に感謝でもするかのように「彼はいいピッチャーだよ」「シンゴが来てホントに良かったわ」と言ってくれ、私も妻も良い気分だった(ちなみにヤクルトファンなのは妻だけで、私は違います)

 その後、ブルペン付近には何人か投手が出入していたが、高津は姿を見せず。ファンのサインに応じてたのはブルペン捕手のイ・マンスMan Soo Leeだけだった。誰にでも無制限で応じてたので、私もボールにサインしてもらった。

 試合開始前にパラシュート降下の余興があり、エルヴィスのメドレーの中、3つの落下傘がグランドに舞い降りた。試合前のワクワク感が一層高まる。が、しかし、それを打ち消すように、階段を下りてきたカップルが「そこ、私の席だけど」・・・「えっ?」一瞬、「ダフ屋に偽チケットをつかまされたか!?」と思ったが、チケットをよく確認すると、私達の座席は隣のセクションだった。通路入口には両脇のセクション番号が表示されているので見間違えたのだ。また5メートルばかりポール寄りになってしまった。

 試合は序盤からレッドソックスが攻勢。初回にバリテックJason Varitekのタイムリーなどで2点を先制すると、2回表にはラミレスManny Ramirezの満塁ホームランが飛び出した。Wソックス側からしてみると、相手投手がシリングCurt Schillingなので、序盤からこの得点差は痛い。しかも、トーマス、オルドニェスMagglio Ordonezの両主砲が怪我で長期離脱してるので、ただでさえ攻撃力が落ちてるのだ。元気の良い赤いファンを横目に、地元の白黒のファンは最初からシラケ気味になってしまった。ラミレスへのブーイングも虚しい。

 その後、バーリーは持ち直したが、シリングも全く危なげない投球を続けていたので、6−0のまま早い展開で試合は進んだ。私は、酒がぬければ頭痛は治まると思っていたが、徐々に痛みが増している感じがする。飲食もジュースを買って飲んだだけで食欲も無かった。妻には「何か買って食べれば?」と言ったが、私を心配してか妻も何も買わなかった。しかし、イニングの合間に高津が、レフトを守るリーCarlos Leeのキャッチボール相手をするため、グランドに出てくると、傘を広げ「タカツー!!」高津は調整のためか、1人でもフェンスめがけてボール投げをしていたが、その度に声援を送る妻。私はそれに付き合う元気は無かった。

 レッドソックスは7回表にも3点を追加して9−0。私は頭痛に加えて寒気もしてきた。7thイニング・ストレッチが終わってから、グッズ店に避難したが、寒さは凌げても人込みと立っている事の辛さでトントンか。

 8回裏Wソックスは、クリーディJoe Credeのタイムリーでようやく1点を返す。しかし、まだチャンスは続いていたのに、アロマーRoberto Alomarに代打が送られ、ブーイングが起こる。彼は、旅行前にトレードでやってきたのだが、私もそれを知ったのは今日の試合前。当然、打撃力アップの為の補強なのだろうが、この得点差ではベテランを休ませると言うことか。結局、9回にもレッドソックスは1点取り、10-1で試合終了となった。高津は調整登板も無し。

 勝ち投手シリング 負けバーリー ラミレス3打数2安打4打点 バリテック4打数2安打1打点 デーモンJohnny Damon4打数2安打 カブレラOrlando Cabrera4打数2安打4打点(以上ボストン)  コネルコPaul Konerko3打数1安打 ペレスTimo Perez3打数ノーヒット アロマー3打数ノーヒット(以上シカゴW) 

 頭痛がますます酷くなってきた。すぐに帰って横になりたかったが、誰も席を立たない。治安面で不安があるこの球場では、単独で駅に向かうのは抵抗がある。「みんな、何やってるんだぁ?」と思っていると、照明が消え、場内は暗くなった。間もなくイントロが流れ、プレスリーの歌声が聞こえてきた。グランドにスポットライトが当てられ、真っ赤なオープンカーに乗ったエルヴィスの登場だ。スタンドも大歓声に包まれる。「これがあったのか」私もプレスリーは嫌いじゃないので(つーか大好き)、なんとか我慢して見ていく事にした。他の催しだったらタクシーで帰ったかもしれない。

 ソックリさんだとは分かっていても、声も歌い方もそっくりだし、遠目にはプレスリーそのものだ。ネット裏には女性ファンが殺到し、握手を求め黄色い声が絶え間なく続いている。エルヴィスも自分がしていた白いスカーフを最前列の女性の首に掛けてあげている。なんと、スカーフが無くなると、スタッフがエルヴィスに予備のスカーフを巻いて、それをまたエルヴィスが別のファンに。歌いながらそれの繰り返しだ。中には抱きついたり、キスしたりするファンもいたが、決して年配女性だけではなく、若い女性ファンも多かった。死後何年も経っているのに彼の人気は健在と言うことか。私もリアルタイムでなく聞いたクチだが。

「サスピシャス・マインド」「監獄ロック」「今夜は一人か」話をする事はなく、次々とヒット曲を歌い、エルヴィスはまたオープンカーに乗り、ゆっくりフェンス際を回り始めた。私達の前にもやってきたが、顔はあまり似てなかった。ホームプレート付近まで戻ると、スポットライトが消え、エルヴィスの姿は見えなくなった。直後に赤い光が上空に向かってゆっくりと上りはじめた。スタジアムの屋根の高さも超え、どんどん上昇していく光。見上げる角度は真上にもなった。「エルヴィスは天に戻っていきました」と言う演出なのだろう。

 その後は、場内が暗いまま花火大会となった。レフト後方で打ち上げられるので、今度は良く見える。花火は断然日本の方が上だと思っていたが、これまでに見た事の無いパターンの変わった花火もあって、なかなかレベルの高い花火だった。アメリカ的に進化してると言う事か。でも、まだまだ日本の花火には及ばないと思う。10分ほどで花火は終了。エルヴィスも含め時間的には40分くらいか?

 一斉に退場となったので、通路も駅も混雑していた。比較的早く電車に乗れたが、乗客数の調整の為か?なかなか発車しなかった。私達は運良く座って帰れたが、前の婦人に「何の帽子なの?そのマークは?」と聞かれたので「高津の前のチームです」と教えてあげると、またまた感心され喜ばれた。

 ホテルに着いたのは11時近かったが、チェックインの客がまだ結構いるようで、ベルボーイが忙しそうにしていた。一緒にエレベーターに乗ると、カートに乗った荷物を指して「タクサン、タイヘン」と日本語で言っていた。部屋について、私はバファリンを2錠飲んですぐにベッドに入って寝てしまった。妻は風呂に入ってから、マフィン(パン、ジュースなども部屋に付いている)を食べて12時半頃寝たようだ。


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