8月17日

FIELD OF DREAMS MOVIE SITE

 Dyersville ,IA(アイオワ州 ダイヤーズビル)


 6時に目覚ましが鳴って起きる。カーテンを開けると、まだ雨が降っていた。裏の景色はホテルだらけ。すぐにテレビを付けるが、画面下に常に出ている天気のテロップは「80%雨」。一昨日のリグレーでは「もう残りの日、全部雨でも良い」なんて言っていたが、やはり今日は降ってもらいたくない。せっかくの「夢の球場」が雨では台無しだ。

天気予報を見続けながら朝食。昨日買ったチキンのタンブリングは、クラッカーバレルのとは大分違い、あまり美味くない。それにミートボール入りスパゲティーにトーストを2枚ずつとゼリー、朝からたっぷり食べた。

7時にならないとチェックアウト出来ない、と聞いていたので7時過ぎにフロント事務所へ。昨日とは違う若い女性にカギを渡すだけで手続は完了。7時10分、妻の運転で霧雨の中の出発。

ステート通りから90号ハイウェイへ。もう、かなりの車が走っていた。一度シカゴ方面に向かい、すぐに20号バイパスとの分岐で西へ。標識だと51号、39号も一部兼ねているようだ。5年前はこの道を通って町に入ったのだ。両側は全く何も無いが、地図によると更に南には空港があるようだ。交通量は少ない。

ロック・リバーを超えて少し行くと、20号本線(地図ではBRとなっている)との合流になる。主要道路だが、一車線で舗装状態もあまり良くない。ここからダビュークDubuqueへは一本道だ。雨もなんとか上がったようだが、空はいつ降りだしてもおかしくない色をしている。

景色はトウモロコシ畑が延々と続いている。一本道なのでナビの役目はそれほど無いが、数少ない交差する州道を確認して、到着時間を予測する。ダビュークまでの距離は、地図上ではシカゴ‐ロックフォード間と大差無いように見えていたが、想像以上にアップダウンの多い道で、予定より徐々に遅れてきた。予報だと午後の方が天気は悪くなるようなので、その前に着いてキャッチボールくらいはしたい。妻にスピードを上げるように言うが、一車線なので遅いトラックなどが邪魔で思うようには走れなかった。偶に二車線になって追い越しても、すぐに前に追いついてしまう。

エリザベスElizabethと言う小さな町を過ぎると、なんと登板車線まで出てきて、ガレナGalena辺りでは完全に山道になった。道路地図にはそう言う情報も書いておいて欲しいものだ。全く予測が狂ってしまった。

岩と森が交互に出てくる景色。時たま、林の中から古くて大きな家が見える。ホテルの看板が多いのも意外な感じだった。映画では、ムーンライト・グラハムArchie "Moonlight" Grahamの住んでいたミネソタ州チゾムChisholmのシーンは、ここガレナで撮られたそうで、私達が走っている20号線が登場しているシーンもあるようだ。

アイオワ州に入る前にはミシシッピ川を渡るので、当然、登った以上に下る事になる。結構急な下りなので、妻に安全運転を促す。何も言わないと、そのまま猛スピードで突っ込んでいきそうな勢いだ。大きなカーブを抜けると、眼下にミシシッピ川とダビュークの街が飛び込んできた。アメリカの象徴の1つとも言えるこの川を初めて渡る栄誉は、当然ここまで運転してきた妻に譲る。3つの州(イリノイ、アイオワ、ウィスコンシン)が交じ合うダビュークの街並はとても古くて情緒的。

橋を越えると、道は急に良くなりハイウェイっぽくなった。ほんの数秒で川も港も見えなくなり、また森山の景色。ヒル通りHill Stで下りて急坂の一般道へ。道沿いに進んだら間違ってモーテルの駐車場に入ってしまったが、ここもすごい坂道だ。

「夢の球場」のあるダイヤーズビルDyersvilleは、まだ30キロも先で、空模様もとても気になるが、以前テレビで見た世界最短のケーブルカーにも、予定通り寄って行く事にした。一応、場所だけは調べてきたので、地図を見ながらヒル通りを進む。丘の斜面に家々が立並び、まるで別荘地のよう。やはり地図だけを見て想像していたのとは、大きなギャップがある。サード通り3rd Stを右折すると更に急坂。路駐が多いが、これだけの坂だと、夜のうちに動き出してしまう車もあるのでは?と余計な心配をしながら、徐行して交差する道を確認。サミット通りSummit Stを左折すると、すぐにケーブルカーと同じ名のフェネロン通りFenelon Plの標識が。

突当りの白い家に「Fenelon Place Elevator」の看板があった。「えっここ?」不思議に思いながらも、道沿いに車を停めた。妻はサイドブレーキをいつもよりもしっかり引く。外に出て丘の斜面を見てもレールもケーブルも見当たらない。「乗場は別のところなのかなぁ」と言うと、妻は「なに言ってるの?」と不思議そうな顔。家の横にある小さな展望スペースに入ると、眼下にミシシッピ川と古くて美しい街並が広がった。そして、斜め下に目をやるとケーブルカーが登ってくるのが見えた。「あっ、ここが上だったのか」やっと勘違いしていたことに気付く。「そうだよ。ここから上ると思っていたの?」妻は、最初から分っていたと言う口振りだ。

小さなチケット窓口には、世界各地のケーブルカーの写真が数枚貼ってある。料金は往復で1人1.50ドルだ。窓口のオバサンに指示されて、小さな回転改札を通り乗場へ。待っている人もいないので、2人で乗り降りしながら写真を撮る。階段のような椅子に座って暫くすると、扉が閉まりケーブルカーはゆっくり動き出した。前を見ると、本当に凄い斜面だ。造りも非常にシンプルでドアは常にガタガタいっている。終点までは100メートル程しかないので、ケーブルが切れれば、暴走して激突は間違い無い。

ゆっくりした速度のまま、終点の小屋に付いた。こちらは無人だ。外に出て見上げても、頂上までは大した距離ではない。確かに勾配はきついが、歩いても10分はかからずに登れるだろう。しかし、これが出来た19世紀末頃は、ダウンタウンとアップタウンを結ぶ貴重な交通手段だったようで、日に800人とかの利用があったらしい。確かに毎日だったら、こっちを使いたいね。

下りた場所はダウンタウンの北の端で、港までは500メートルほどの距離だ。ダビュークも映画ではロケ地として多く登場していて、主人公レイRay Kinsellaがテレンス・マンTerrance Mannの著書を調べるシーンはダビューク大学だし、マンのアパートのシーンも実はボストンではなく、この町で撮影された。出演者やスタッフの宿泊も大半はこの町だったらしい。街をゆっくり見たい気もするが、天気が心配なので発着小屋の周囲だけで戻る事に。上がる時は、ケーブルカー内にぶる下がっている紐を引くと、ブザーが鳴って上に知らせる仕組み。上に戻ると観光客が結構待っていた。

 20号ハイウェイに戻り、僅かな山間部を抜けると途端に渋滞になった。どこにこんなに車がいたのだろう?と思うくらい一気に増えた。両脇も大型店やモーテルがそれなりに並び、こちらの方が人も多く住んでいるのだろうか。ノロノロついでに、ここで給油をする事に。工事中の側道に入り道沿いのGSへ。アメリカでは田舎の人はとても親切に接してくれる。ここでも若い女性店員が何も言ってないのに、給油機のそばまで来てやり方を教えてくれた。時刻は10時丁度。

町境を過ぎると車は減り、スピードも出せるようになった。道路もイリノイ側よりも遥に良く、インターステート並だ。心配していた天気も、曇ってはいるが空が明るくなってきた。夢の球場はダイヤーズビルのかなり東端にあるので、手前のファーレイFarleyでハイウェイを下りる事に。ファーレイはレイの妻アニーが大喧嘩をしたPTA会議のシーンが撮影された場所だ。一般道に入ると多少の住宅が並んでいたが、広い庭に大きな物置小屋、農耕機が出ている家が多い。

1マイルも行かないうちに街は終わり、トウモロコシ畑の景色になった。印刷してきた地図を見て、町の西側から農道へ出ようと思っていたが、標識が無いのでどう進むべきか少し悩む。勘を頼りに田舎道を進むと線路が見えたので、踏切を渡り一本道の農道を進む。遠くにサイロのような建物が見えるだけで、あとは畑しかない。もちろん他に走ってる車は無い。少し行くと標識にJamesmeier Rdとあったので一安心。しかし、道路は舗装ではなくなってしまった。圧地されてるのでガタガタ道ではないが、スピードはそれほど出せない。

トウモロコシ畑と落花生畑が交互に出てくる景色。単純な道順なので、曲がり角も間違う心配は無い。一部舗装されている道もあったが、大部分は砂利道だった。すれ違った車は2台くらいだったか。ファーレイから4マイル程で、夢の球場に通じる最後の道ランシング通りLansing Rdへ出た。少し進むと右手に、正に映画の1コマが飛び込んできた。妻も私も、思わず「オーーーッ!」

夢の球場への200メートルほどの一本道(たぶん私道)は、地図にもField of Dreams Wayと書かれている。敷地の手前には小川が流れ、映画と同じで木の橋(下は鉄筋かな)を渡って駐車場へ。見渡したところ来場者は家族連ればかり25〜30人、車は約10台と言った感じ。駐車場のすぐ前にあるムービー・サイトのお土産小屋の横に、芝刈り機に跨ったまま、客と談笑するダン・ランセンDan Lansen氏の姿があった。テレビで見た時よりも10才くらいは老けて見える。彼はムービー・サイトを運営しながら農業も続け、映画で使用された白い家に妻のベッキーさんと暮らしている。

私達のホーム・ページを作った時から、この場所の事は別項で紹介してきたので、細かい事は省くが、手っ取り早い話、ここは映画の舞台と全く一緒(見た目に大きく違うのは、2軒のお土産小屋と、家がすっかり塀で囲われてる事くらい)で、野球ファンにとっては本当に夢のような場所なのだ。"If you build it ,they will come"「それを造れば彼らは来る」の台詞通り、連日野球ファンが訪れ、その数はオープンから15年で80万人にもなっていると言う。勇姿によるゴースト・プレイヤーのイベントや野球大会が開かれる日もあるようだ。

早速グランドに足を踏み入れる。夢心地で忘れていたが、そう言えば車を降りてからはずっと陽が射していた。あんなに心配していたのに信じられない。ライトからセカンドベースの辺りを通って左中間へ。外から見たときは「少し小さいかな?」と思っていたが、中に入ると実際の球場より広く感じる。フェンスのような遮る物が無いからだろうか?外野の芝の上は少々蒸し暑くて、虫も多く飛んでいる。妻も私もグラブを持参してきたので、硬球とソフトボールで念願のキャッチボール。

ドジャース、レッドソックス、カブス、エンジェルス、内野では色々なチームのユニホームやTシャツを着た親子が守備に付いて、バッティングの順番を待っている。例の木製の観客席には奥さん達が座って時たま声援を送る。一見同じグループなのかな?とも思ったが、送球の時などに名前ではなく「○○、サー」などと呼んでいるので、全く知らない者同士のようだ。ライトのライン付近ではビニールマットを広げてピクニックの家族も。外野まで球が飛んでくる事は滅多に無い。

外野後方のトウモロコシ畑は、映画と同じくらいの背丈になっていて、実もかなり大きい。遥彼方まで続いているのかと思ったが、レフトにもある観客席の最上段(2メートルくらい)から背伸びして見ると、数十メートル向うは既に刈取りが済んでいて、球場の回りだけ残してあるようだ。当然、シューレス・ジョー”Shoeless” Joe Jacksonの真似をして畑の中にも入ってみた。顔に虫が飛んでくるし、下も柔らかくて歩き難いのだが、やっぱり感動した。ホント夢のようだ。

写真を撮っていると、みな自然に「撮ってやるよ」と話しかけて来る。なんかイイ雰囲気だ。思わず”Is this Heaven?”「ここは天国かい?」と言ってみたくなる。グランドで面白いのは、サードベースはプカプカのゴム製なのだが、セカンドとファーストは石製で、土地区画の杭のような姿をしている。一番イイのはグランドそのものではなくて、それと接しているトウモロコシ畑や、奥行きのあるライトファウルゾーンの芝の丘、そこに立つ杉の木や家屋なのかもしれない。

その後は、木製スタンドに座りボーっと眺めていた。すぐ傍らで、7〜8歳くらいの男の子に、父親が「みんなに交ざってこい」と言っているのだが、息子はモジモジしている。私も心の中で「ガンバレ。行くんだ!」と思っていたが、最後は父親に手を引かれようやくグランドに出て行った。それを見て私も「俺も行ってくるよ」と妻に言い、グラブを持ってセンターのポジションに走った。かなり前に守ったが、打球が飛んできたのは15分くらいの間に3回だけ。しかも、みんな勢いの弱まったゴロ。レフトを守っていたオジサンが転んだ時に、起こしてやったのが一番動いたプレーだった。子供が打っている時間がとても長いので、当然打席は回ってこない。

お土産コーナーも驚くほど充実していた。まずは、ムービー・サイトとは別経営で、レフトファールゾーンに建つレフト&センター・フィールド・オブ・ドリームスLeft & Center Field of Dreamsへ。20畳ほどの店内には、Tシャツ、ポスター、グラスなどのグッズが整頓され並んでいて、品数もとても多い。壁の一角には、アメリカ全土の地図に、来訪者が名前を書いた小さな紙が、何十個もピン止めしてあるのだが、太平洋側の欄外には「○○○、Japan」(他には香港、オーストラリア)と言うのも数人いた。当然、我々も夫婦揃って名前と国名、県名まで書いて目立つところに刺した。グッズを見ていると、店員のお婆さん2人が「見なさい」と言って、マグカップにお湯を注いだ。描かれているトウモロコシ畑の絵が、熱湯によってゴースト・プレーヤーが現れると言うものだ。Tシャツもドライヤーを使って、同様の事を見せてくれた。一目で気に入ってしまい、友人の分まで買ってしまった。それ以外にも15周年記念Tシャツ、マグネット、絵葉書を買った。田舎だからなのか、ロゴ入りにしては安い。

この小屋の前には、陳列ケースと言うか、大掛かりの掲示板が立っていて、多くの記事や写真が貼られていた。撮影時の様子や、その後のイベントでの様子。年代物のホワイトソックスのユニホームも展示されている。写真を見ると、レジー・ジャクソンReggie Jackson、カービー・パケットKirby Puckett、ボブ・フェラーBob Fellerなどの大選手も訪れているようだ。

グランドへ戻ると、今度はお母さんの1人が良い当たりを幾つも飛ばしていた。彼女は打ち終わると、マスク無しでキャッチャーになった(それまではキャッチャー無し)。硬球なのによく怖くないものだ。見ていて感じたのは、全体的にお父さん達は守備の割に打撃がイマイチで、信じられないくらい空振りが多い。

レフト&センターで買ったものを車に置いて、ムービー・サイトのグッズ売場へ。こちらは商品と客のスペースは分かれていて「7番の帽子見せて」と言うように、中の店員に取ってもらう。ランセン氏の姿は無く、店員は無愛想なオバサン(ベッキーではない)だった。手狭なので、帽子以外はレフト&センターの方が種類は多い感じがした。

私達がいる間も、少しずつだが訪れる車は絶えなかった。それでも1時間足らずで帰る人、半日くらい遊んでいく人、人夫々なので駐車場の車の台数はそれほど変化は無い。私達も約2時間この場所に滞在した。天気も回復して本当に幸せな時間だった。名残惜しいが、今日はまだ100キロも走らねばならない。12時45分、私の運転で出発。今度はランシング通りを西に出て、ダイヤーズビル市街へ向かった。


後半へ続く


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