7月4日

   National League 

NEWYORK METS  VS  CHICAGO CUBS

  ニューヨーク・メッツ    VS   シカゴ・カブス   

Shea Stadium  NewYork , NY


何回か目を覚ましたが、結局起きたのは8時半。今日からは町から町への移動は無いので、朝もゆっくり出来る。朝食はホテルのレストランでは高いので、どこかで何か買って来ようと私一人で表に出た。道路がかなり濡れているので、夜中に雨が降ったようだ。ホテルを出てすぐの道路で、通勤途中の人達がパンを買っている。ガイド本にも載っていたスタンド(屋台)のパン屋さんはブルックリンにも居た。大きなベーグルを数個買って部屋に戻ると、鍵が使えなくなっていた。「ドン、ドンッ」とドアを強く叩き、妻に開けてもらった。「1日ごとに交換するのかな?」と思ったが、妻のキーは使えるようだ。ブルックリン橋が描かれてる綺麗なカード・キーを2枚貰ったのだが、私のだけ無効になってしまっている。テレビを見ながらパンを食べた。天気予報では今日の天気は悪いようだ。

今日は祝日なので試合開始は午後1時10分だ。パットとは11時に待ち合わせていたが、その前にフロントに行ってキーの事を尋ねた。3日間の宿泊だが、2回に分けて予約したので部屋を代わる為のキーの無効なのかな?とも思ったが、クレジット・カードと重ねてポケットに入れていた事が使えなくなった原因だったようだ。「ご希望なら、部屋も代えられますよ」と言われたが、荷物を動かすのが面倒なので、キーだけ新しくしてもらった。

1階に下りると、すぐにパットが現れた。「独立記念日おめでとう」と言うと、パットは笑って「ありがとう」と言った。それから私達のお土産のお返しだと言って、メッツグッズ(分厚いメディアガイド、ビデオ、サブウェイシリーズ記念の電車型ペンケース)を持ってきてくれた。電車賃やチケットの事も世話になりっぱなしなので、お返しなんか貰えない立場なのだが、断る訳にもいかないので、ありがたく受け取った。それから昨日コニーアイランドからの帰りに使ったジェイ駅に向かったが、今日乗ったのはマンハッタン方面だ。今日も改札はパットのカードで通った。

42丁目駅で降りて、長い通路をパットに付いて歩いていった。もの凄く混雑しているが、パットは他の人を全く気にせず、とてもゆっくり歩いている。メッツの本拠地シェイ・スタジアムには地下鉄の7番の路線に乗るのだが、何本もある路線のうち、路線図や構内の案内表示でも紫色なのは7番だけだ。パットに貰ったカンペンケースにそっくりな赤い電車に乗ると、すぐに電車は動き出した。車内はそれ程混んでいなくて、3人とも隣同士で座る事が出来た。立っている人も何人か居たが、その中に阪神タイガースのユニホームに赤いリストバンドの日本人を発見。背中には「5 SHINJYO」。指差してパットに教えてやると、「知ってるよJyoと書くのはジャパニーズ・スタイルだろ」と言ってきた。そう、新庄はメッツでは「Shinjo」と表記されている。アメリカ人にも発音しやすいようにと、本人の意思でそうしたのだ。それに付いては賛否両論あるようだが、私個人の考えではローマ字のあて方を日本全体でもう少し改良した方が良いと思う。「Jo」の方が断然良い。ナイスヒットと言う感じだ。新庄は旅行に出発する直前に故障者リストに入ったが、最短で復帰すれば、この日の試合に間に合うのではと、小さな期待を持っていた。しかし、数日前の広沢氏からの情報ではもう少しかかると言われていたし、パットも「せっかく君達が見に来たのに残念だ」と言っている。「やっぱり見られないのか!!」覚悟はしていたが、やはり残念だ。ユニホーム姿のShinjyo君も可哀想に・・・

電車はクイーンズに入って地上に出てきた。高架からの眺めは高層住宅が続いていて、所々に緑も見えた。各駅停車の駅は数字の路名が多かった。東洋系の人も結構乗ってきたが、話してる言葉は日本語ではなさそうだ。30分ほど乗ったろうか?左手に巨大なシェイ・スタジアムが見えてきた。終点の1つ手前のWillets Pt-Shea Stadium駅で下車した。やはりここで降りる人が一番多い。

それほど大きな駅ではなかったが、構内からは陸橋で球場の敷地内に渡っていけた。球場に向かって歩いていくと、橋の終わりにグッズを売ってる店があった。メッツはスター選手が多いが、他の選手を差し置いて一番目立つ所に新庄のユニホームが飾ってあった。感心して眺めていると、すぐに売り子が近寄ってくる。買い物は球場内でも一通り見てからしたいので、「後でね」とかわす。階段を降りると1階には改札と(電車の)切符売場があった。

球場に沿って歩いていき、入場口から中に入った。中(スタンドの裏側)はとても広くてエスカレーターで上に上がる。私達は日本から申し込んだメザニン・レベルMezzanineの席だが、パットはロッジ・レベルLogeのシーズンチケットなので、パットの席を確認してから「後でまた来るよ」と言って、私達は更にエスカレーターで上に向かった。

観客席は4層に分かれていて、グランドに一番近い下層(フィールド・レベル)はオレンジ、そこから上に青(ロッジ)、緑(メザニン)、赤(アッパー)と色分けされていた。私達の席は緑のエリアの前から2列目だったが、建物の3階に当たる部分なので、グランドの内野部分は完全に見下ろす感じになる。ネット販売開始直後の2月末に購入したのだが、独立記念日と言う事もあり、これ以上の席は早めに売れてしまったようだ。パットが言うには、野球観戦をする事こそ独立記念日の正しい過ごし方だそうだ。

スタンドに出て一番先に飛び込んできたのは、やはりライト方面に聳える巨大な電光掲示板だった。得点の他に、ラインナップやボールカウント、他球場の経過も表示され、圧倒するような大きさだ。バックスクリーンを挟んで左中間にある大型モニタが小さく見える。そのモニタの前辺りに、新庄が初ホームランを打ち込んだ外野席がある。4層のスタンドから僅かにポールの内側に飛び出てる部分を除くと、外野席はこの小さなスペースだけだ。レフトのポール際にはメッツの永久欠番に混じってジャッキー・ロビンソンの42番も飾られていた。差別などの困難に立ち向かい黒人大リーガーの先駆けとなった彼の功績を称え、42番はメジャー全球団(決定時に使用されていた場合は、使用選手が引退後)で永久欠番になっている。その事は97年に行われた彼のデビュー50周年を記念したセレモニーで発表された。場所はここシェイスタジアムでだった(メッツ対ドジャース戦の5回終了時)。

ニューヨーク・メッツは、ドジャースとジャイアンツが西海岸に去ってから5年後の62年に創設されたチームだが、チームカラーの青(ドジャース)とオレンジ(ジャイアンツ)は両チームに因んでのものだ。橋と街をあしらった球団マークは、各々の建物も適当に描かれている訳ではなく、エンパイヤ・ステート・ビルやブルックリンの教会や銀行などがモデルだそうだ。元々人気チームだが、野茂、吉井、柏田、デーブ・ジョンソン(元巨人)と、以前から日本との関わりも多くて、今年も新庄だけでなく、バレンタイン監督、マーク・ジョンソン(元阪神)、ティモ・ペレス(元広島)と日本でもお馴染みの名前がいる。昨年は本日対戦相手のシカゴ・カブスと共に、東京ドームで開幕戦を行っている。そのせいだけではないだろうが、通路でもスタンドでも日本からの観戦客をよく見かけた。

独立記念日でも特に目立った事は無くて、普通の国家斉唱をして試合が始まった。1回裏にメッツは犠牲フライで先制した。カブスの先発タパニKevin Tapaniは好きな選手なのでチョット複雑。2回には両チーム1点づつ取り合い2−1でメッツがリード。メッツファンの方が勿論多いが、カブスグッズを身に着けてる人も結構いて、カブスが得点した時は私達の席の後ろの方で歓声が起きていた。それから「サーミー、ソーサー、エー、ビー、シー!」と言う子供の歌声も良く聞こえてくる。出てくる前は天気が心配されたが、この頃から強い日が射してきた。

座席はセクション毎に鉄パイプで区切られていて(全てではない)、1方向しか出入できないので、席を立つ時は大変だった。隣りに座ったオバサンに嫌な顔をされながらも、私は何回か一人で場内の探検に向かった。スタンド裏は各階をエスカレーターと緩やかなスロープが結んでいて、通路もとても広かった。スロープの途中の外に面してる所では、タバコを吸ってる人が結構いた。灰皿は置いてないが、係員が来ても特に注意はしていない。球場の北側はハイウェイが通り、その向こうはフラッシング湾Flushing Bayなので、眺めはとても良い。でも、もっと眺めの良い場所はアッパーデッキの最上段。外野の一番端っこだと下がマトモに見られないくらい怖い。

各階には飲食物の売店とグッズショップが複数あり、若干置いてある物が違ったりもした。この日はメッツの帽子を買ったが、トラベラーズチェックが使えなかった。店員が若い女性だったので「知らないのだろう」と、この時は思っていたが・・・(翌日分で詳しく)

1つの階にもスロープは何本か通っていたが、2階と3階の間のネット裏の真後ろぐらいにメッツ殿堂Hall of Fameへの入口があった。通路には名場面のパネルが何枚も飾られ、中に入るとガラスケースには銅像やトロフィーが飾ってあった。展示物は多くないが、近くには警備員もいた。その奥には場内では一番大きなグッズショップがあった。ガラス張りで綺麗なのだが、目立たない場所にあるせいか客は殆ど居ない。人が前を通ると、店員が「どうぞ、どうぞ」と手招きしていた。

妻は集中して試合を見ているようで、あまり出歩かなかった。試合はランナーは出るものの膠着状態が続いているようだ。グランドではイニングの合間にクイズをやって、予めモニタに映ってる観客に答えさせるゲームを頻繁にやっていた。それから4回か5回にTシャツを投げ入れるコーナーがあったが、空気圧を利用したTシャツを飛ばす銃が、すごい威力で、スタンドのかなり高い所にもTシャツを撃ちこんでいた。私達の近くには飛んで来なかったが、あの装置には驚いた。その銃を扱う係が出てくる時も、モニタに「Tシャツ飛ばし部隊登場!!」みたいな感じで、カッコ良く登場させていた。

何回かパットの席を見に行ったが、彼はいつも居なかった。「何か食べに行ってるか、タバコでも吸ってるんだろう」と思い、特に探さなかったので、会えたのは7thイニング・ストレッチの時になってしまった。この時もTシャツ飛ばしが行われて、それが終わると席が少し空いたので、それからはパットの近くに座っていた。そのエリアからだと、ロッジとメザニンの間にある記者席が見えて、そこに広沢氏を発見。真下に行って「おーい、広沢く〜ん」と呼ぶが、全然聞こえてない様子。席に戻るとパットが「どうしたの?」と聞いてきたので、広沢氏のことを教えてあげた。彼は記事を書くのに集中してる様子だったが、服装は他の記者とは違いラフな感じだった。数日前に本人から聞いた話では、シェイはそれほど服装には厳しくないらしい。ヤンキースタジアムでは服装に注意していかないと、記者席に入れない事もあるそうだ。試合はそのまま2−1でメッツが勝った。

勝ち投手ラッシュGlendon Rusch セーブ ベニテスArmando Benitez 負けタパニ。アルフォンゾEdgardo Alfonzo 4打数1安打、ベンチュラRobin Ventura2打数ノーヒット(以上メッツ)、ソーサSammy Sosa3打数ノーヒット

広沢氏に声を掛けられなかったのが心残りだったが、明日もあるのでパットと共に出口へ向かった。駅の改札は混雑していたが、上の通路に出てしまえば、比較的楽に歩く事が出来た。行きに声を掛けてきた売店は既に閉まっていた。電車も思ったよりは混んでなくて、途中からは座る事も出来た。パットが「明日のチケットは持ってるのか?」と聞いてきたので、「平日だから当日券で入るよ」と言うと、「だったら俺のチケットをやるよ」とシーズンチケットの束から切り離して渡してくれた。「君はどうするの?」と聞くと、「仕事だから行けないかもしれないし、良いんだよ」とパット。2席分なので約70ドルだ。昨日から出して貰ってばかりだ。更にパットは「連れて行きたい店がある。夕食をご馳走したい」と言ってきた。相変わらず早口なパットだが、電車に乗ってる時間は結構長かったので、何故そんなにまでしてくれるのかよく聞いてみた。彼は子供の頃は、親戚がブルックリンに多く住んでいたが、数年前に母親が亡くなってからは自分一人になってしまったそうだ。兄は家族でフロリダに居るが、自分は独身なので折角私達が遠くから訪ねてくれたのに、家に招待して持て成す事が出来ない。明日も色々と案内するべきなのだが、仕事もあるし、それに長く歩くのは苦手だそうだ。「そうか・・・」色々分かって良かったが、チョットしんみりしてしまった。

電車は42丁目駅に着き、乗り換えの為また通路をゆっくりと歩いた。ブルックリン方面の電車(Q、D、N、Rのどれか)に乗り、今度はディカルブDeKalb駅で降りた。地上に出ると大きなフラットブッシュ通りFlatbush Av.が走っていて、交差点の角に赤い派手な建物が建っていた。パットが連れてきてくれたのはジュニアーズJunior’sと言うレストランで、チーズケーキが評判の店だそうだ。中は大きなカウンターとテーブルが20〜30卓。外観と同じで気取った感じは無く、明るい店内も賑やかな会話が飛交っていた。店員は殆どが黒人、客も7〜8割が黒人で、オシャレな服装の人が多かった。私達は中ほどのテーブルに案内され、まずビールを頼んだ。パットが薦めてくれたブルックリン・ラガーと言う地ビールは、ブルックリン・ブルワリーBrooklyn Breweryと言う地元の会社で作られているそうで、とても美味かった。小ビンをラッパ飲みするのが主流なので、すぐに2〜3本飲んでしまった。地ビールは普段はあまり飲みたいとは思わないが、その土地で飲むと本当に美味く感じる。食事は妻とパットがサーモンのコロッケみたいなオカズに、夫々ライス(変わった味付け、美味い)とマッシュポテト。私はビーフサンドとポテトフライを頼んだが、ビールを飲みすぎたせいか半分はテイクアウトしてもらった。店内のテレビではヤンキースの試合をやっていた。腹一杯で苦しかったが、パットがチーズケーキをどうしても食べろと言うので、1つだけ注文した。私は一口だけ食べ、大部分は妻に任せた。パットにも「食べろよ」と言うと、「私も苦しい」と言って一口だけ食べた。パットは1回に食べる量は人並みのようだ。

「これからの予定は?」とパットに聞かれ、「ブルックリン・プロムナードに行ってみたい」と言うと、「歩いていけるかなぁ」とパットは隣りのテーブルの女性に聞いてくれた。変わった髪形の黒人女性は「フルトンモールを真っ直ぐ行けばすぐよ」と教えてくれた(実際は約1.3キロ)。パットが勘定(約70ドル)を済ませ、店を出た。少し歩くと有名なフルトンモールFulton Mall(Fulton St.)に出た。賑やかな商店街が続いていて、歩道も広くて綺麗だった。

ジェイ通りと交差する手前でパットが「明日は仕事なので、ここで失礼するよ」と言ってきた。そう言えば空はまだ明るかったが、時刻は7時半になっていた。パットは「明日も楽しんでくれ、一緒に行けなくてゴメン」と言っていたが、これまで本当に親切にしてもらった。私も妻もお礼を言って彼と握手をした。「日本に帰ったらメールするよ」と言ってパットと別れた。

私達はそのまま真っ直ぐ歩いていき、ホテルのある通りも過ぎて、右側に出てきた区役所Borough Hallの敷地を貫けて、ブルックリン・ハイツ側へ出た。古くてオシャレな住宅街を歩いていくと、突き当たりはイースト・リバーを臨むブルックリン・プロムナードBrooklyn Heights Promnadeだった。この遊歩道は橋と摩天楼を眺める絶好のポイントとして有名なのだが、この時は異常に人が多く出ていた。備付のベンチは満杯で、それ以外にも自分でイスを持ってきて、川の方を向いて座ってる人々。所々に警察官も立っている。「何かあるのかな〜?」と遊歩道を歩いていたが、人はどんどん増えてくる感じがした。

どうやら毎年イースト・リバーで行われるメイシーズ(大型デパート)の花火大会Macy's Fireworksを待ってる人達らしい。調べてきた知識では独立記念日の前日だと思っていたが、どうやら私の勘違いだったようだ。しかし、天気は悪くなって来ていた。自由の女神はかすんで良く見えないし、ツインタワーの上の方には黒い雲がかかっている。辺りが暗くなってきた頃、ポツポツと雨が降りだした。私達は早いうちに木の下に避難していたが、陣地取りをしていた人達は頑張って雨の中座り続けている。しかし、雨足はだんだん強くなっていき、遂にビショ濡れのベンチには誰も居なくなった。木の下も結構濡れるようになってきていた。後から来る人は傘をさしていたが、帰りだす人も目立ってきた。私達もそろそろ限界だ。ずぶ濡れになりながらホテルまで走って帰った。時刻は8時半を過ぎたところだ。

シャワーを浴びて少しすると、外で「ドーーーン!」と音がするようになった。「始ったのかな?」と思ったが、私達の部屋は川とは反対側に面してるので見る事は出来なかった。外に出て行く気力も余り無く、テレビでスタートレック・ボイジャーを見ながら寝てしまった。


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