7月3日 

NewYork-Penn League (A)

BROOKLYN CYCLONES VS LOWELL SPINNERS

ブルックリン・サイクロンズ VS ローウェル・スピナーズ

KeySpan Park Brooklyn , NY(ニューヨーク ブルックリン) 


起きて時計を見ると7時10分。妻は1時間も前から起きていて、出かける準備は万全だと言っている。私が身支度をする間に、妻に食堂を見に行ってもらった。なんだか旅行の疲れもあって、まだ寝ぼけてる感じだ。タバコを吸ってボーっとしてるところに、妻がドーナツと牛乳を持って戻ってきた。妻が言うには、食堂は無くて、フロントの横の小さなスペースに朝食(軽い物と飲み物だけ)コーナーがあり、皆それを部屋や車に持っていってるとの事だった。昨日の残り物も大量にあったので、それだけでも十分だ。食べながらテレビを見ていたが、交通情報をやっていた。95号は渋滞してるようだ。

チェックアウトを済ませ、8時半に出発した。今日はニューヨークへ行って車を返す日だが、今日は私一人で運転する事になっている。妻も昨日まではよく運転してくれたが、大都会での運転は不安なので、ナビに専念するそうだ。ホテルの前の側道を少し行って95号に乗った。渋滞はしていたが、予想していたよりは動いている。

隣町のスタンフォードまでチョット時間がかかったが、それを過ぎると徐々にスピードは出せるようになった。しかし周りの車の運転が、昨日までとは全く違う。みなセッカチな感じで、乱暴運転な車もたまにいた。Exit1を過ぎると番号はまた大きくなり、ニューヨーク州に入った。混んではいたがスピードも出ていたので、そこから15キロほどのニューヨーク市への町境までは、すぐに行く事が出来た。95号ハイウェイはブロンクスBronxの東端を真南に進んだ。695号を経由して295号に進む。地図では真っ直ぐ進む感じだが、ハイウェイ上では進む車線が違ってくるので要注意だ。それでも混んでいて手前からかなりユックリなので地図を確認する余裕もあった。ロング・アイランド側に渡るスログネック橋Throgs Neck Bridgeの料金所を過ぎると、湾の向うに大都会の景色が飛び込んできた。道路にも慣れてきたし、いよいよ来たと言う実感が湧いてきた。

ここからホテルのあるブルックリンのダウンタウンへの行き方は、ハイウェイを使っても何通りかあったが、一番シンプルそうなのを選んだ。295号から495号を西に向かうと、ノロノロ運転がしばらく続く。495号はクイーンズQueensを東西に横切ってるが、両脇の景色は団地や古いマンションが続いていた。

真正面に見えるマンハッタンの高層ビル群が、段々と近く見えるようになってきて、もうすぐI-278号との分岐だ。と思っていたら、スピードが出せるようになってきた。横入りされないように、前にピッタリ付いて行ったが、そのせいで分岐の標識に気が付くのが遅くなった。一番遠い車線を走っていたので間に合わない。仕方ないので次の出口で降りて、これまた混雑してる一般道をUターンして495号に乗り直した。短い区間だったが殆ど渋滞してたので、今度は間違えずに278号に入れた。

278号を南に向かうとすぐにブルックリンに入った。ブルックリンはニューヨーク市の5つの行政区の1つだが、1898年まではブルックリン市と言う独立した一つの都市だった。合併以前からプロ野球チームは存在したが、有名なブルックリン・ドジャース(当時はブライドグルームスBridegrooms)が、合併後50年以上もブルックリンをチーム名として名乗っていた事からも独特の歴史が感じられる。そんな事もあってニューヨークに入った時点よりも、この時の方が「今日の町に着いた」と言う感じがした。景色も高架道路ギリギリに建てられた古いアパートのような建物が多くなった。ハイウェイから丸見えの窓に洗濯物を干している女性。申しわけ程度に飾られた窓辺の花にも町の匂いを感じた。特に思い入れがある訳ではなかったが、ブルックリンと言う名前も、なにか懐かしい響きがある。安全ではないと言う評判もよく聞くが、やはりワクワクが大きい。建物の一つにサイクロンズの看板を発見。「野球が戻ってきた」これを見ただけでジーンと来た。

距離は短かったが渋滞していたので、降りるまでにはチョット時間がかかった。下のティレリー通りTillary St.へも出口のスロープの上で、信号を何回か待たされた。おかげで地図を確認しながら下の様子を見れて良かったが。広い一般道は混んではいなかったが、運転ペースは速そうだった。信号で停車してる群れが、青に変わると一斉に飛び出す。タイヤを鳴らしてる車もいるようだ。こちらも負けずに勢いよく合流した。ティレリー通りを西に4〜500メートル行って、信号が赤だったので停車。交差してる路名を確認するとアダムス通りAdams St.だった。「こんな近いのか?」と思いながらも、歩行者に注意しながら左折。対向車もスッ飛ばして来るので注意。アダムス通りはとても広い道路だった。少し行くと左側に大きなホテルが見えたので車を停車させた。看板を見て「あそこかも?」と言うと、「エーッ、すごーい」と妻。午前10時5分。

後続車や対向車に注意して車をUターンさせ、ホテル専用の側道に入っていった。建物の1階にある駐車場の入口に入って行くと、中は広がっていたが殆ど満車状態だった。車係の黒人青年がやって来たので、予約してある事を告げる。それから停められない車を他の場所に移動させてる様だったので、すぐに出かけるからこの場に置かせてくれと頼んだ。青年はチョット困った顔で「何日利用しますか?」と聞いてきた。「車は返してくるので、夜は駐車場は使わないよ」と言うと、「それなら良いですよ」と言った。キーはそのままでトランクの荷物も持って車から離れると、別の係が走ってきて「登録は?」と言って来たので、さっきの係を呼んで説明してもらった。後から来た係の方が偉そうだったので「早くね」と言われた。

入口の開店ドアを入ると、観葉植物に囲まれたエスカレーターが2階へと伸びていた。それを上がると広いスペースの右奥に、フロントのカウンターがあった。ニューヨーク・マリオット・ブルックリンNewYork Marriott Brooklynは今回の旅行の中では唯一モーテルでない普通のホテルだ。一流かそうでないかは分からないが、建物の大きさ、ロビーの内装や照明器具、従業員の服装、態度など、私達にとっては超一流と呼べるものだった。それが運良くインターネットで、一晩129ドル(通常259ドル)で予約できたのだった。まだ時間が早いので、チェックインは無理かなと思っていたが、フロントの美人は部屋の鍵を渡してくれた。エレベーターで4階に上がり、広い廊下を歩き部屋へ着いた。割引なので文句は言えないが、かなり遠い。それでも部屋は新しくて綺麗だった。窓からも日が射していたし、ホテル裏側のジェイ通りJay St.の眺めも良かった。少し休みたかったが、駐車場係との約束があるので、取り合えず車を出さなくては・・・・。

それにしてもこんなに早くホテルに着くとは思ってなかった。マンハッタンのエイビスに車を返しに行くのは3時頃までで良かったので、妻と相談してホボーケンHobokenの「野球の試合が初めて行われた地」に行く事になった。当初の計画では他の日に電車で行く事になっていたが、駅からも距離があるようだし車が使えるなら今日行ってしまった方が良いと思ったのだが・・・マンハッタン経由で道が複雑と言う事もあり、妻は少し反対した。

駐車場係にバッテリー・トンネルBrooklyn-Battery Tunnelへの行き方を聞いて出発した。一度裏側に出て、ジェイ通りを南に数百メートル進み、アトランティック通りAtlantic Avを右折した。ブルックリンのダウンタウンはとても賑やかだ。やはり黒人が多い。少し行くと278号の高架が見えてきた。乗口は大渋滞だったが、側道から回り込んで南に進む。トンネルの入口は一度一般道に降りて、しかも反転するので分かり難いが、なんとか間違えずに料金所まで来る事が出来た。2ドル50セント払い、いよいよトンネルの中に・・・。バッテリー・トンネルはニューヨーク湾(アッパーベイUpper Bay)の海底を通り、マンハッタンとブルックリンを結んでいる。478号ハイウェイでもあり、トンネル部の長さは約2.3キロ。

さっきの渋滞が嘘のようにトンネル内はスピードが出せた。地図ではバッテリー公園の下を通ってるように書かれていたが、出てきた場所の風景はビルに取り囲まれた感じだ。降りずにそのまま島の西端を通る9Aを北へ進む。この道は一昨年亡くなった元ヤンキースの強打者ジョー・ディマジオ氏にちなんで、ジョー・ディマジオ・ハイウェイJoe Dimaggio Hwyと呼ばれている。せっかくのマンハッタンだが、周りも飛ばしてるので、運転に集中して景色を楽しむ余裕は無かった。2キロほどで標識が出てきたので、指示に従い高速を降りる。一般道をグルグル回された感じだが、信号待ちになりポッカリ口を開けてるホランド・トンネルHolland Tunnelの入口を見て一安心。このトンネルはマンハッタンの西側を流れるハドソン川Hudson Riverの底を通り、ニュージャージー州に通じてる。ゆっくりと中へ進むと、一車線の幅がかなり狭い。後続車が迫ってるのでスピードを上げていったが、気を付けてないと路肩の縁石にぶつかりそうだった。それでも数分で出口になり、無事に対岸へ着いた。地図では直進すると、そのまま大きなハイウェイに乗ってしまう感じだったので、早めに右折して一般道へ入った。

グローブ通りGrove St.を少し行くと結構ゴミゴミした下町のような感じになった。妻のナビに従いながらニューアーク通りNewark Av.を経由してワシントン通りWashington St.に出た。左折してホボーケンの街を北上して行くと、両脇は路上駐車が隙間無く続いていて、道沿いの建物は1階が店舗、2階以上がアパートと言った感じだ。交差する狭い道路は3rd、4th、5thと数字が段々大きくなっていき、9th St.くらいから両脇の駐車車両は、縦列駐車ではなく斜め停めになった。まもなく比較的広い11th St.になり、左手(北側)の中央帯に小さな石碑を発見。11th St.を少し通り越して、空いてるスペースに車を斜め停めした。すぐ近くにバス停があるので、歩道にはそれなりに人は居たが、それほど賑やかな所では無さそうだ。通行中の車に注意して中央帯の近くまで行ってみると、低い鉄の柵に囲まれた四角い石碑が、ニューヨークの方を向いてポツンと建っていた。地図を見ると、その方向に数百メートル行けばもうハドソン川だ。

石碑には「On June 19, 1846 the first match game of baseball was playd here on the Elysian Field between the Knickerbockers and the New Yorks. It is generally conceded that until this time the game was not seriously regarded.」( 1846年6月19日、ここエリジアン・フィールドで野球の最初の試合が、ニッカーボッカーズとニューヨーカーズの間で行われた。その試合が、これまで真剣に見つめられてなかった事は、広く認められている。)と刻まれている。石碑以外に見る物は特に無く、すぐ近くの歩道にはホットドッグのスタンド(屋台)があるだけで、他の参拝者も居なければ、特に立ち止まる歩行者も居なかった。でも、私はこの場所に来られた事に、美しい野球場を訪れた時に匹敵するくらい感動していた。150年以上前のこの地で、その試合が行われていなければ、今日野球と言うスポーツが存在していたかどうかも分からない。私達の人生も随分変わっていたかもしれない。先人への感謝と、野球の発展を祈って石碑に手を合わせた。

車に戻り出発。少し先の13th St.の一通を左折してウィロ-通りWillow Av.との交差点の角にあったG.Sに入った。これが最後の給油だ。店員にトンネルまでの行き方を聞いて、再び出発。途中からは来た時と同じ道になった。トンネルの入口には料金所があり、一番左の現金専用ゲートに並んだ(他はトークン専用)。行きは無料だったので、マンハッタンに入る時だけ有料になるようだ。しかも6ドルと高目だった。時間はまだ余裕があったので、出口からは一般道で行く事にした。混雑はしていたが、スピードは然程出てなかったので、周りを眺める余裕もあった。想像していたような乱暴運転の車も無く、マンハッタンのドライブを楽しめた。適当に走っていたので、細かい道順は憶えてないが、レンタカー会社はワールド・トレード・センターWorld Trade Centerの向うにあるので、ツインタワーだけは見失わないようにしていた。後で地図で確認すると、トライベッカTribeca周辺の狭い地域を走り回っていたようだ。

ツインタワーの近くまで来ると、道路の混雑は少なくなって、ビルとビルを結ぶ連絡橋が真上によく見えてきた。気が付くと道路はリバティー通りLiberty St.になっていて「もう、この辺じゃない?」と妻。地図を確認してもらい、サウスエンド通りSouth End St.を左折する。「この辺りだぞ〜」と思ったが、エイビスAvisの看板は見当たらない。行き過ぎても困るので、道端に停車させて一人で降りて見に行く事に。車を停めたのはゲートウェイ・プラザGateway Plazaの真前で、エイビスの営業所の名前もゲートウェイ・プラザなのだが、建物正面にはカフェなどの店舗、その間に駐車場の入口があるだけだ。「おかしいな〜」と思いながらも、通路の奥に歩いていくと、入口に小さく「AVIS」と書いてあった。車に戻りUターンさせて入ろうとすると、そこに横からタクシーが突っ込んできた。ぶつかりそうになったので思わず「何やってんだバーロー!ウィンカーが見えねーのか!!」と怒鳴ったら、運ちゃんは小さくなって「先に行け」と合図した。意味は通じなくても、怒ってるのは伝わったようだ。こう言う時には日本語でも十分効果的だと分かった。車庫の入口で係が「ここで良いよ」と言ったので車から降りる。係のオジサンはポケコンを見ながら登録番号と私の名前を確認して、メーターやガソリン、座席やトランクも見て回った。大きな荷物はホテルに降ろして来たので車内は空だ。「OK、中へどうぞ」と言われたので、横の小さな部屋に入った。中は3畳ほどの狭いスペースで、女性3人が電話、パソコン、伝票らと格闘していた。支払いを済ませ、車での旅は無事終わった。12時30分。

ゲートウェイ・プラザの裏はすぐハドソン川だったので、横道を抜けて川沿いの遊歩道へ出た。川の向うには、先程行ってきたニュージャージー州の街並が良く見えた。気持ちの良い風を受けながら南へ歩いていく。遊歩道はバッテリー・パークBattery Parkの手前まで続いていた。マンハッタン島の南端にあるこの公園は、ニューヨークの歴史的な舞台に何度もなっていて、エリス島、リバティー島などへのフェリー発着場もある有名な観光ポイントだ。自由の女神は少し前から見えてきていたが、手摺沿いを歩いていくと、立ち止まって写真を撮ってる人も増えてきた。

クリントン砦Castle Clintonから公園の中を貫けて北側に出た。緑は多いが、人も多いので寛ぐにはどうかな?と言った感じだった。そのまま公園を出てブロードウェイ通りBroadwayを北上。数分で左手にトリニティー教会Trinity Churchが見えてきた。T字路を右折してウォール通りWall St.へ。この日は道路工事をしていて、昼休みも重なってか?もの凄く混雑していた。穴を掘ってる車道の両脇の狭い歩道は人が溢れ返っていて、妻とも逸れそうになったが、有名なウォール街を通るため人垣をかき分けて進んだ。

無事脱出して「ハアハア」やっていると、妻も「のどが渇いた」と言うことなので、一本曲がった所にあった売店車でジュースと、美味そうだったのでSouvyakiと言う焼肉と野菜を挟んだパンを買う。少し北に歩いた所にあった大きな会社の玄関先に、綺麗なベンチがあったので座って食べた。他の観光客も座って休んだりしていたが、仕事中の人がタバコを吸いに出てきてるのが多く見られた。

そこから更に北へ3〜400メートル進みブルックリン橋Brooklyn Bridgeの袂に着いた。マンハッタンには17の橋が架かっているが、1883年完成のこの橋は、その中でも一番有名だろう。上下線の車道の間に歩行者用の通路があり、私達は他の観光客と一緒に、緩やかなスロープを上り始めた。徐々に横の車道が低くなっていき、数分歩いた頃には両脇を走る車は3〜4メートル下に見えるようになった。その辺りから足元は、コンクリートから木の板に変わった。この方が歩くには疲れなくて良いが、隙間からは下の川が見えるので、初めはチョット怖かった。自転車の人も結構居たが、ローラーブレードは少しガタガタするので大変そうだ。それに誤って落ちたらどうするの?と心配してしまった。たまに振り返ってみたが、その度にマンハッタンの景色は変わっていった。やはり少し遠くから眺めた方が雰囲気が出てくるようだ。

10分ほど歩いたろうか?1つ目の支柱に到着した。そこは少し広くなっていて、ジュース等も売っていた。大きな石の柱に貼られた古い金属プレートにも歴史を感じる。チョット遠くなったが、ここからも自由の女神が良く見えた。少し写真を撮ったりして再び出発したが、ここでマンハッタン側にUターンしてしまう人も多いようだ。そのせいかブルックリン側では擦れ違う人も少なく感じた。橋が終わる地点でも殆どの人はUターンして帰っていってしまった。そのままブルックリンに歩いて行くのは、私達と競歩のオバサンだけだった。そのオバサンもサッサと歩いて行ってしまった。橋は真っ直ぐアダムス通りに通じていたので、そのまま5〜6分歩きホテルに戻った。午後2時40分。

後半に続く


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