7月3日 (2)

NewYork-Penn League (A)

BROOKLYN CYCLONES VS LOWELL SPINNERS

ブルックリン・サイクロンズ VS ローウェル・スピナーズ

KeySpan Park Brooklyn , NY(ニューヨーク ブルックリン) 


部屋で少し休み、3時45分頃ロビーに下りる。今日は野球観戦の前に人と会う約束をしている。その人とは4ヶ月ほど前にインターネットを通じてメッツの掲示板Message Boadで知り合ったのだが、すぐにヤフーYahoo!のクラブ・サイクロンズClubs Brooklyn Cyclonesと言う会員制のサイトに招待され、書き込みをしたりメールをやり取りするようになった。その頃から(その前から)サイクロンズの人気は異常とも言えるくらい凄くて、シーズンが始るまで、まだ何ヶ月もあるのにクラブの掲示板は大変盛り上がっていた。その事は3月にニューヨーク・デイリー・ニュースNewYork Daily Newsと言う新聞にも紹介され、私の事も「最も遠くのファン」と言う事で本名で載ってしまったのだ。クラブで中心になって動いているその人は、私の旅行計画を聞いて、積極的に案内役を買って出てくれたのだ。

約束の時間には少し早かったが、ロビーの公衆電話から彼の会社に電話をかける事にした。しかし、教わった番号にかけても全然通じなくて、早口の案内が流れ切れてしまう。ロビーをウロウロしていたホテルの偉い人(支配人?)に尋ねると、「どこにかけるの?」と聞かれたので、「ブルックリンにある会社です」と答えると、「ではコインを入れたら先に1を押して、それから番号です」と教えてくれた。どうやら市内ではエリアコードと言うのがあるらしい。その通りやってみると、今度は違う音がした。なんだか上手くいったようだ。相手が出たので自分の名前を言うと、「オー着いたのか、私だよ」その後、早口で喋り続けてるので、「もっとユックリ話して」と言うと、少しだけユックリになり何とか聞く事が出来た。彼が言うには「仕事がまだ終わらないので、あと50分待って」との事だった。時間が早い事は分かってたので「OK、ホテルの前で待ってるよ」と言って電話を切った。

部屋に帰るには時間が半端だったので、玄関にある椅子に座って待つことにした。ホテルの入口は全面ガラス張りで、外が良く見えた。タクシーやホテルのリムジンで到着の色々な客が降りてくる。アラブの石油王?の一家はトランクから出したバッグが馬鹿デカかったので、係が押しても台車が全く動かない。別のグループは地面にひざまずいてお祈りを始めた。係は対応に大変そうだったが、私達は退屈しないで待つ事が出来た。

気が付くと私の座ってる横にサイクロンズの帽子を被った大男が立っていた。立ち上がって「パット?」と聞くと、彼はハアハア息を切らせながら頷いた。私は事前に写真を送っておいたが、彼の姿を見るのは初めてだった。太っているとは聞いていたが、それにしてもデカイ。パトリック・ウィットPatrick Wittさんは生まれも育ちもブルックリン、仕事もブルックリン。メッツとサイクロンズ命の41才だ。メールではお互いに愛称で呼び合っていたので、初対面から自然とパットと呼んでしまった。妻も私も握手をして、日本から持ってきたプレゼントを渡した。パットはビックリした様子だったが、中身(阪神タイガースの帽子、阪神の扇子、新庄の野球カード、他の日本選手のカード数枚)を見せながら説明すると、とても喜んでくれた。話しながらホテルを出て駅へ向かった。

ホテルのすぐ裏にあるジェイ駅ではなくて、1ブロック東のローレンスLawrence駅から乗ったが、パットの後を只くっ付いて行ったので、何線に乗ったかは分からず(たぶんRかN)。パットとの会話は結構大変だった。メールでは辞書を片手に自分のペースで書いたり読んだりしていたが、相手にはそんな事は見えてない。心配だったので来る前のメールにも「少ししか話せないよ」と言っておいたのだが、そんな事は忘れてしまったのか早口で喋り続けるパット。「ゆっくり話して」と言っても、すぐに早口になる。会話に集中していたせいか、どこで乗り換えて、何線に乗ったのかも気が回らなかった(後日確認するとDekalub駅からD)。乗っていたのは15分位だろうか?

3人で改札を出ると、白髪の男性が近づいてきた。パットが気付き彼と握手をしたあと、私達に紹介してくれた。チャールズ・ユーバンクスCharles Eubanksさんはクラブ会員の一人だが、ドジャースが移転するまで本拠にしていたエベッツ・フィールドEbbets Fieldの近くに住んでいて、「跡地を見たい」と言う私達の為にパットが呼んでくれたのだ。彼は日本語で「ハジメマシテ、とてもウレシイ」と言って握手をしてくれた。

降りた駅はプロスペクト・パークProspect Parkで、西側には同名の公園が広がっている。出口を出るとパットがすぐ横の駐車場を指した。見ると金網の向うにある建物の壁いっぱいに絵が描かれていた。ブルックリン周辺への訪問に付いては、ネットを通じて数人の方からアドバイスを頂き、この壁画の事も聞いていた。エベッツ・フィールドの前で優勝旗?を持って整列するドジャースの選手達。パットが駐車場係と交渉して、中に入れてもらった。決して上手いとは言えないが、気持ちが伝わってくる絵だ。

そこから東に少し歩いていくと、道の向うの建物に野球選手の絵が描いてあった。「おお!これが・・・」すぐにジャッキー・ロビンソンだと分かったが、「こっちからだよ」とチャーリーさんが言うので、道路を挟んだ東側の大きな建物の方へ進んだ。その高層アパートが建っている敷地が、以前エベッツ・フィールドがあった場所だった。チャーリーさんはカバンから古い写真と、高倍率の周辺の地図を取り出して、それを見せながら説明してくれた。面している道路を一回りしたが、所々で立ち止まり「こちらがホームプレート」「外野フェンスはここまであった」などと教えてくれた。話し方もパットとは違い、ゆっくり丁寧なので分かり易かった。東端の入口にはボールの絵に「1962」その下に「This is the former site of Ebbets field」と書いた小さな看板が貼ってあった。駐車場の壁にも球場の名前が書いてあったので、「あれは当時の物ですか?」と尋ねたが、全て取り壊されたので、後から付けた物と言う事だった。向かいの古い商店の屋号もEbbets○○だった。北側には小さなスペースだが、「花」と「空と野山の風景」と「ジャッキー・ロビンソン、マルコムXら人物6〜7人」の壁画があった。

一周してきて初めの壁画があった建物の前に来た。壁画の反対側の狭い校庭?には、沢山の子供達がバスケや追いかけっこ等をしていた。そこはジャッキー・ロビンソン中学校Jackie Robinson Intermediate Schoolで、野球選手としてだけではなく、人権運動家としても活躍したロビンソン氏の名前が付けられている。遊んでいる子供達がみな黒人だったので「黒人だけの学校ですか?」と聞くと、チャーリーさんは「地域の人全ての学校だよ」と教えてくれた。もう少し時間をかけて見たかったが、試合の時間が迫っているので駅に向かう事にした。チャーリーさんが「遠くから来てくれて、嬉しかったよ」と言ったので、「試合に行かないのですか?」と聞くと、今日はチケットが無いので帰るそうだ。「そのアパートに住んでるの?」と聞くと、「ここではないけど、すぐ近くだよ」と言って、その場で握手をして見送ってくれた。私も妻も「ご親切にありがとうございました」と礼を言って彼と別れた。

3人で駅に戻り、何線か分からないが(たぶんDかQ)、球場のあるコニー・アイランドConey Island行きの電車に乗った。初めのジェイ駅でもそうだったが、改札ではパットが自分のカードで私達2人を先に通し、自分は最後に通ると言うやり方だった。勿論カードは3人分カウントされてるので、悪いから「払うよ」と言うと、「いいよいいよ、気にするな」とパット。今日の野球のチケットもパットが用意してくれたのだが、初めにも書いた通りサイクロンズの人気はとても凄くて、チケットの入手も非常に困難だ。それに前売りの予約も、年間席やパッケージ席が中心で、単独の試合のチケットは更に入手し難くなっていた。これはクラブの掲示板でも問題になっていたが、パットはメールで「君達のチケットは用意するから、心配ないよ」と言ってくれていた。それを信じて来てしまったが、その代金を払うと言っても、電車賃と同じく「いいんだ、いいんだ」。車内は込んでいて、アチコチで賑やかな会話が飛び交っていた。

30分ほど乗ったろうか?パットが指で合図をしたので、後について電車を降りた。古くて薄暗い構内だったが、人で賑わっていた。外に出ても人込みは続いていて、ド派手な看板が立ち並ぶ売店通りは活気が感じられた。コニー・アイランドはブルックリンの南端に位置する、大部分を海に囲まれた町だが、海水浴場に水族館、海岸沿いにはボードウォーク・ウェイと呼ばれる遊歩道がある楽しい所だ。映画のロケ地としても有名だが、中でもサーカスや見世物小屋もある遊園地は、古き良き時代の独特な雰囲気があるそうだ。マンハッタンから地下鉄で約1時間。

歩き出すとすぐにサイクロンズの名前の由来にもなったジェットコースターが見えた。パットに確認すると、「そうだよ。でも、名前は一般公募から選ばれたんだ」と教えてくれた。5分ほど歩くと球場に着いた。完成したてのキースパン・パークは、派手な外観がいかにも「楽しそー!」と言う感じだった。球場前の歩道は観戦客で溢れていたが、正面入口の近くで「パーーーット!!」と、手を振るオッちゃんがいた。そばまで行くとパットは私達を紹介してくれた。オッちゃんは奥さんと娘も引き連れていて、3人とも私と妻に握手を求めてきた。「君の事は知ってるよ」とオッちゃん。どうやら彼もクラブのメンバーのようだ。パットは分厚い財布を出すと、中から綴りになった大量のチケットを取り出した。それを人数分破いてオッちゃんに渡すと、オッちゃんはお金を払った。オッちゃん一家が入口に向かうと、パットは私達にもチケットを渡してくれた。

混雑した入場口では係員が何人も「ヘイ、パット」と挨拶していた。まだホームでは7試合目だが、パットは有名なようだ。見た目も特徴あるのだが・・・。コンコースに出ると、今までのマイナー球場とはチョット違った風景が飛び込んできた。レフト後方に遊園地の灯りがチカチカしてたが、球場もそれに負けないくらい派手だ。レフトにあるスコアボードは文字盤が赤で、上部にはサイクロン・コースターがあしらわれている。バックネット前の芝生には黄、赤、青でデカデカとCYCLONES。1番目を引いたのは照明塔なのだが、カラフルなネオン管がライトを囲んでいて、大きなフラフープが何本も浮かんでるような感じだ。フェンス公告も沢山あったが、それが目立たないのだから凄い。イメージを一言で言うとしたら「不思議な国の球場」と言う感じだ。それからマイナー球場には珍しくライトの一部に外野席があった。パンフレットにも場内の案内にもこの席は載ってない。パットに尋ねると、「見たい人が多いから作ったんだろう」と言うことだった。その後方には海が見えたが、パンフレットの写真では外野スタンドが無いので、ビーチも丸見えになっている。う〜ん、この方が好みだ。

パットの後についてネット裏の階段を下りていく。特に番号を確認してなかったので「どこまで下りるんだ?」と思っていたが、一番前の列まで来てしまった。パットが「ようやく着いた、フウーッ」と言う感じで、デカイ体を座席に沈めた。「エッ」と思い、チケットの席番を確認する。どうやら私達の席はネット裏の最前列1番〜3番のようだ。人気チームを見れるだけで喜んでいたが、まさかこんなに良い席とは・・・。

ブルックリン・サイクロンズは、ニューヨーク・ペン・リーグNewYork-Penn Leagueと言うショート・シーズンのクラスA所属だ。Pennと言うのはペンシルベニアPennsylvaniaの略で、主にニューヨーク州とペンシルベニア州にチームが分布していると言う事だろう(実際はチョット違う)。6月末から9月初めまでと短い期間に各チーム76試合を行う。サイクロンズは、昨年カナダのセント・キャサリンズSt. Catharinesから移ってきたクイーンズ・キングスQueens Kingsが、今年からブルックリンに移り、メジャー母体もブルージェイズからメッツになったのだが、同リーグにはヤンキース傘下のスタテン・アイランド・ヤンキースStaten Island Yankeesもあり大変な事になっている。昨年ヤンキースとメッツの間でワールドシリーズが行われ、数十年ぶり(以前はヤンキース対ドジャース)のサブウェイ・シリーズとして盛り上がったのだが、それが今年はマイナーの公式戦で行われようとしているのだ。しかもメジャー母体が共にニューヨークの球団なのだから凄い。5つの区のうちプロ野球チームが無いのはマンハッタンだけになってしまったのも凄い事だ(ヤンキース-Bronx、メッツ-Queens)。この事はニューヨークのコアな野球ファンを混乱させるのだが、サイクロンズのネーミングに関しては、球団がとても良い選択をしたようだ。ブルックリンには現在メッツファンもヤンキースファンも沢山住んでいる。だからメッツを名乗らない事で、メッツファン以外の人からも応援してもらえる。パットはスタテン・ヤンキースを引き合いに出して「サイクロンズは頭の良い選択だったんだ」と教えてくれた。元々は昔ブルックリンにあったセミプロチームの名前らしいのだが。

席に座るとすぐにパットが「腹減ってないか?」と、ホットドッグを買ってくれた。悪いのでビールを買って「これは出させて!」と念を押した。そう言えばホットドッグの発祥の地はコニー・アイランドだそうだ。球場はすでに満杯状態で、「本当にマイナー・リーグ?」と思ってしまうほど良く入っていた。私達の後ろには入口で会ったオッちゃん家族が座っていた。パットはシーズン・チケットを7席分持っているそうだ。グランドには若い女性歌手が出てきた。パットに「誰?」と尋ねると、あまり有名ではない歌手だそうだ。国家斉唱が終わり試合が始った。

サイクロンズは白地に赤い文字の派手なユニホーム。対するローウェル・スピナーズは上が濃紺、下がグレー。このチームはレッドソックス傘下で、本拠地もボストンのすぐ北の方だ。パットは試合当初からデジカメをバックネットの網目から飛び出させて写真を撮っている。クラブのページに載せる為だが、これなら綺麗な写真が撮れるわけだ。カラーモニタには先発投手のロス・ピープルズRoss Peeplesのアップが写っていたが、「このピッチャーは良いぞ、絶対に打たれない」とパットお薦めのようだ。しかし、得点された訳ではないのに1回を投げただけで降板。どこか痛めたのか?パット残念。それから打つ方ではこの日は7番サードのエドガー・ロドリゲスEdgar Rodriguezがお薦めだそうで、地元では”E-ROD”と呼ばれ人気者だそうだ。しかーし、この選手もデッドボールを受けて早々と退いてしまった。

試合は4回で1-0でサイクロンズがリードしていたが、その頃からクラブのメンバーが入れ替わり立ち代り私達の席を訪れた。「よく来たね」「楽しんでるかい?」「会えて嬉しいよ」「私は大阪に妹がいるんだ」「俺は柔道を習ってるんだ」みな掲示板で私達が来る事を知って、挨拶に来てくれたのだ。彼等がわざわざ長い階段を下まで降りてくるのは、もう1つ理由があった。全ての人がそうではないのだが、今後の試合のチケットをパットに頼みにくるのだ。パットも殆どは一人で観戦する事が多く、7枚のシーズンチケットはクラブ会員の為に購入したそうだ。それでも良い席なので、「この日は、もう無い」「この日は1枚だけなら」とパットは対応に大変そうだ。それにパットはチョクチョク席を空けていた。すぐに腹が減ってしまう体質らしく、よく食物を買いに行くのだ。その間にも訪問者はいたが、そう言う時は私達に挨拶して「パットは売店かい?」と、皆よく知っていた。

何度目かのパット留守の時、露出度の高い服を着たグラマーなラテン系の女性がパットの席に座ってしまった。「パットの友達ですか?」と聞くと、「そうよ」と彼女。プレー1球ごとに歓声を上げ、身を躍らせる彼女に、正直「まいったな〜」と言う感じだったが、パットが帰ってくるまでと思い我慢。しかし、パットは帰ってくると通路の向こう側の空いてる席に座ってしまった。その隣りには彼女と同じような格好の女性。その後ろにはアガリ(休み)の選手が3人、スピードガンを手にデータ収集をしてた。一旦逆転されたサイクロンズだったが、6回に再逆転して相手投手をノックアウトした。2番手からも追加点を奪い5-2でリード。

超満員のスタンドは終始盛り上がっていたが、マスコットのサンディー君Sandyも動きが良くて、グランドを端から端まで走り回り、観客を乗せるのが上手かった。サンディー君は海が近い事もあってか?カモメなのだが、千葉ロッテのマー君に比べると幼い感じだ。彼?の指揮での7thイニング・ストレッチも盛大に行われ、直後にサイクロンズが点を取るとウェーブまで起こった。2周、3周とウェーブは続き、私達も勿論参加したが、パットも重い体で立ったり座ったりしていた。

私達は買い物も忘れなかったが、ここのグッズショップは凄かった。店はコンコースから階段を下りて1階にあるのだが、綺麗で広くて品数が豊富だった。しかし、それ以上に客が多いので、私達が行った試合終盤は大混雑していた。たぶん試合中はずっとそうだと思う。サイクロンズの物は見た目は大量にあるのだが、品切れも多く帽子は調節付きのタイプのホーム用しかなく、Tシャツも来る前に確認していたメインの一番カッコ良いのは品切れだった。それからブルックリン・ドジャースの物も、帽子、Tシャツなど夫々数種類おいてあった。私はペナントとユニホーム(上)を買った。レジも大変混んでいる。

座席に戻ると、隣りの女性が「何を買ったの?」と聞いてきたので、ユニホームを見せてあげると、「高かったでしょー、凄いねー」。確かに140ドルは痛かった。しかし、それほど良いデザインとも思えないユニホームだが、個性的で不思議な魅力があった。球場もそうだがコニー・アイランドのイメージにはピッタリかもしれない。ブルックリンと言う事でも、もっと明るくて派手だと思っても良いのかも知れない。パットも近くに来て「嬉しいよ、ありがとう」と言ってくれた。私はデータ収集の3人に頼み、そのユニホームにサインを貰った。彼らはマシュー・ピーターソンMatthew Peterson、ウェイン・アゥフWayne Ough、ルーズ・ポートバンコLuz Portobancoの3投手。

試合は7−2でサイクロンズが勝った。勝利の瞬間も皆立ち上がって大喜びしていた。歓声の大きさで、改めて観客の多さを実感する。何度も言ってしまうが本当に凄い人気だった。このチームは特別の存在だ。こうなったのもそれだけブルックリンの人達が長い間待っていた自分の街のチームなのだろう。勝ち投手マイケル・コックスMichael Cox セーブ ジェイソン・スコービーJason Scobie 負けダン・ジェネリーリDan Generilli

少しの時間の後、グランドの照明が消えた。ライト後方で花火が上がり、一旦静かになっていたスタンドがまた爆発した。フラフープと通路の小さな灯りがついていたので、ノーウィッチの時のように真っ暗にはならなかったが、この騒ぎを見ていると何て事無い花火でも凄い物を見てるような気がしてくる。10分ほどでそれも終わり、人々が一斉に出口に急ぐ。私達も混雑の中を進み、パットと共に外に出た。入口に居た当番(イベントの案内をしている)の選手が「パット!」と声を掛ける。人込みの中、パットは何事も無いような顔で手を振って答える。駅までの道も混雑していたが、パットが「サイクロン・コースターに乗っていくかい?」と聞いてきた。「エーッ、まだ営業してるの?」と聞くと、「夜中までやってるよ」。パットが乗りたいから言ってるのかと思ったが、そうではなくて自分は見てるからと言う事だった。遠くから来た私達の為に言ってくれてるようだ。でも、今日はチョット疲れ気味だったのでコースターはやめて帰る事にした。時間は11時を過ぎていたが電車(F路線)は結構な人が乗っていた。途中で空いた席にはパットを先に座らせてあげた。立ってるのが大変そうだったので。ジェイ駅に着いたのは丁度午前0時頃だった。ホテルの玄関が見えるところまでパットが送ってくれ、明日の打ち合わせをして別れた。パットの家はジェイ駅からホテルの反対方面だそうだ。明日は一緒にメッツ戦を見ることになっている。


メッツの新庄剛志選手が、調整の為7月14日(スタテン)、15日(ブルックリン)のスタテンアイランド・ヤンキース戦に出場しました。センターとライトを守り、打順は両試合とも3番で1安打づつを打ちました。この試合は最初のフェリー・シリーズで、大変盛り上がりました。パットから送られてきた写真です。

9月、サイクロンズはウィリアムスポート・クロスカッターズWilliamsport Crosscuttersとの優勝戦で先勝し優位に立っていましたが、同時多発テロの影響で両チーム優勝となりました。

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