7月1日 

Eastern League (AA)

NEWHAVEN RAVENS VS NEWBRITAIN ROCKCATS

ニューヘブン・レイブンズ VS ニューブリテン・ロックキャッツ

Yale Field NewHaven , CT(コネティカット州 ニューヘブン) 


7時に目覚ましをセットしておいたので、妻はその音で起きたようだが、妻がシャワーを浴びてる間も私は寝続け、起こされたのは7時20分頃だった。すぐに1階のロビー横にある朝食用のスペースに向かう。パン、シリアル、マフィン、べーグル、それぞれ数種類。フルーツもリンゴ、洋ナシ、メロン、ぶどう、ネーブルと豊富だった。各自で好きなだけ皿にとって20卓ほどある木製のテーブルに持っていく。フロントの隣りなので、明るくて開放感のある場所で気持ちが良い。私は朝は余り食べない方だが、パンもシリアルも結構食べてしまった。リンゴを2つ貰って、一度部屋に戻り8時50分にホテルを出発した。

今日は日曜日なので昼間の試合だ。目的地のニューヘブンはそれ程遠くないが、試合開始が1時なのを考えると、出来るだけ早く着いておきたい。時間が少ししか無い事は分かってたのでホテルは日本から予約済だ。運転は妻がしていたが、395号はガラガラで95号との合流まではアッという間に来てしまった。合流してからは交通量は感覚的に5倍くらいになった感じだ。標識も「NewYork」が遂に出てきた。地図では殆ど海沿いを通ってるように描かれているが、実際の海は数キロ先なので高架からでも偶にしか見えなかった。

Exitの番号は段々小さくなっていき、出口も乗り口も比較的多くなってきた。景色も森や土山の中を走るのが短くなり、そのぶん建物が多くなってきた感じがしてきた。Exit51を過ぎると高架からニューヘブンの街が見え出した。思っていたよりも大きな街だ。これまでに何度も見た独特のレンガ造りの他にも、近代的なビルも多く見えた。I-91号と州道34号との分岐と合流はかなり込み合ってゴチャゴチャしていたが、通り過ぎて数マイル先のExit45から降りた。こちらは州道10号に通じている。10号は結構広い道で、ダウンタウンの西の端を通っているようだが、北に向かうと右側(東)は古い街並が、左側(西)は葦の茂みが続いていた。地図によると茂みの向うに川があるようだ。車を端に寄せて地図を確認する。

車は程々に通っていたが、日曜の午前中だからか、のんびりしてる感じだ。あと一回左折すれば球場だが、湿地帯と言う事もあり、左に通じてる道は少ない。それに見通しの良い道なので、停車してる位置からも、かなり手前なのだが曲がるべき交差点の信号は良く見えた。そのダービー通りDerby Av.(降りてから約3キロ)を左折して300メートルほど行くと、道路沿いの左側にイェール・フィールドYale Fieldは建っていた。ここは1927年オープンのとても古い球場で、外壁のデザインも歴史を感じさせる造りをしていた。その壁の大部分は蔦が覆っていて、更に個性的に見える。道路の反対側にはレンガの塀が続いていて、球場の丁度対面にはギリシャ神殿のような巨大な門が聳えていた。地図によるとこの辺は球場も含めてイェール大学Yale Universityの敷地内だ。ジョージ・ブッシュ大統領がイェール大学出身と言うのは有名だが、元大統領の彼の父もこの大学出身で、野球部では左利きの一塁手として活躍したそうだ。

球場のすぐ横の狭い砂利路から入って行くと、中から出てきた車とはスレスレで擦れ違う事が出来たが、奥の駐車場に入る手前で体格の良いオッちゃんに呼止められた。オッちゃんは「ここは一般客は入っちゃダメだ。駐車場は向うだ」と東の方を指した。「チケットを買うだけなので、すぐに退きます」と言うと、「しょうがないなぁ」と言う顔をして許してくれた。そこは球場の裏で、20台くらいの駐車場だったが、関係者や障害者専用なのだろう。オッちゃんが見てたので気を使って、出来るだけ遠くの端っこに停めた。9時50分。

車から降りるとセンターのスコアボードのすぐ裏だと分かった。結構古くて汚かった。オッちゃんが途中まで案内してくれたが、チケットは窓口ではなくて、球場内にある事務所のような所だった。たぶん時間が早いからだろう。日曜なので満員になると思い、一番高い15ドルの席を購入した。帰り際にレフトポールの下の扉が開いていたので、グランドに入ってみると、外野後方の緑がとても綺麗だった。駐車場ではオッちゃんが後から入ってくる車に、さっきのように注意していたが、私達はそれを横目に一旦球場を後にした。

10号を少しだけ南に戻り、レジオン通りLegion Av.を左折する。市街地なので徐々に建物は密集していくが、古くて落ち着いた街だ。レンガ造りの大きな建物が目立つ。道路は比較的ゆったりしていて、歩道も広そうだ。歩行者を見ると黒人の割合が多かった。この道を真っ直ぐ行けば州道34号からハイウェイに乗れるのだが、見通しが良くて交通量も少ないので、かなり手前から乗り口を発見。「アッあれだ!」と思ったら、その手前の交差点の信号を見落としてしまった。交差する道の真中で赤信号が目に入る。慌ててブレーキを踏んだ。「キィーー−!!」と、もの凄いタイヤの鳴く音がした。幸い交差する車は無く事故は免れた。ドキドキしながら、すぐに車を停止線までバックさせた。ゆっくり交差点に入って来た車を運転していた黒人女性が、こっちを見て笑いながら横切っていった。「危ない、危ない」冷や汗モノだった。慣れてきたせいか注意力が散漫になっていたのか?気を取り直して交差点を渡り、大きな病院を通り過ぎハイウェイに乗った。

少し行くとさっきも通ったゴチャゴチャしたインターチェンジになる。今度はI-91号で北に向かった。すぐに「3」「5」とExit番号が過ぎていき、市街地の混雑が収まらないうちに目的のExit8に着いてしまった。出口に接してるのは州道80号のフォクソン通りFoxon Blvd.だが、予約しているモーテル・シックスMotel6 NewHaven Northは降りるとすぐ左側に建っていた。通りの反対側には大きなスーパーもあって便利そうだ。左折してホテルの敷地に入ると、2階建ての長細い建物の周りを駐車場が取り囲んでいて、北側に小さな入口があった。モーテル6は安くて有名なモーテル・チェーンだが、見た感じもそれなりだった。入口の近くに車を停めて中に入った。フロントは応接セットが一組置いてあったが、基本的に狭かった。カウンターには黒人女性が二入いたので、予約している事を告げると「チェックインは12時からなのよ」と言われた。念の為に「予約の確認して」と頼むと、彼女らはパソコンで調べてくれ「確かに予約は入ってます」と言ってくれた。私達が5時頃に戻ってくると告げると、彼女らは「OK、OK」と手を振って見送ってくれた。再び車に乗って市街地へ向かった。

試合開始までは2時間くらいあったが、遅れても嫌なので、34号から降りて、市内を少しだけ流して球場へ向かった。オッちゃんに言われた通り、今度は手前(東側)の駐車場へ入った。こちらも砂利の駐車場だったが、すでに結構な台数が停まっていた。しかし、出て行く車も多かったので、野球観戦以外の目的で停めてる人も多いようだ。誘導係の指示に従って中程に駐車した。林に囲まれた石の階段を上っていくと、球場の横へ出られるようになっていた。さっき来た時よりも人が多く出ていた。まだ時間があったので、私達は道路の反対側にあるイェール大学の運動場を見学する事にした。

馬鹿デカい門をくぐると太い一本道が伸びていて、その周りには至る所に緑が茂っていた。まず入って左手の方に有る校舎だか?部室だか?の古い建物の間を通って行き、西側のグランドに出た。緑に囲まれた芝のサッカー場が何面かあった。その東隣にも何面かのコートがあったが、一回り小さいゴールはホッケー用か?そこから少し北に向かうと東側に沢山のテニスコートも見えた。残念ながらどこのグランドも練習中の選手を見ることは出来なかったが、広大な運動施設は見ているだけでも楽しかった。多くの時間は広いスペースに私達だけがポツンと居る感じだったが、偶に観光客っぽい人達とも擦れ違った。

最後に敷地のド真中に建っているイェール・ボウルYale Bowlを見た。ここは1914年完成の伝統的なアメフトの球場で、70年代にはNFLのニューヨーク・ジャイアンツの本拠地としても使用されている。今では一般的なアメフトの競技場をボウルBowlと呼ぶのも、ここが第一号だそうだ。周囲を柵が囲んでいて中に入るのは無理かと思ったが、一ヵ所だけ出入口が開いていたので入ってみた。柵の内側は10メートル幅くらいの通路がグランドの外壁を取り囲んでいて、壁の上には更に高く芝の土手があり木も植わっていた。壁はレンガ造りだ。その壁にグランドへの入口が数ヶ所ポッカリと空いていた。長さ20メートル程のトンネルを貫けると、競技場の内側へ出られた。そこは客席の中ほどだったが、傾斜の緩いスタンドが楕円形のグランドを取り囲んでいた。通路も壁もとても古くて歴史を感じさせる。長椅子の座席は背もたれも付いていたが、これも木製で古いものだった。私達の他には誰も居なかったのでグランドに降りてみた。グルッと見回してみると、すごく不思議な感じがした。野球場ばかり見てきたので、形が整ったグランド空間が新鮮だったのか?それとも飾りっけの全く無いグランドに、歴史的な重さを感じてしまったのか?比較的新しそうなゴールポストが無ければ、古代の格闘技場ではないかと錯覚しそうな感じだ。

南側の通路から外に出ると、正門側の出入口も少しだけ開いていて、そこから表に出られた。野球場側に戻ると、先程までは萎んでいたユニホーム型の風船が、2階まで届くくらい膨らんでいた。そろそろ入場しようと思ったが、グランド施設で写真を撮り過ぎたのでフィルムが無くなってしまった。新しいのと交換する為に一旦車に戻った。

車を長時間離れる時は、盗難防止のためカバンは後部トランクに入れてある。私達がトランクを開けて荷物を引っ張り出している時、2〜3台横に赤い車が入って来た。金髪の男性が降りてきたが、顔は東洋人っぽかった。妻は「ゼッタイ日本人だよ」と言い、私も日本語に飢えていたので話しかけようと思った。彼の方も私達に気が付き近寄ってきた。「日本の方ですか?」と尋ねると、その人は「そうです、珍しいですねマイナーの観戦で会うのは」と言い、妻の帽子を見て「ヤクルトファンなんですか?」と聞いてきた。妻がそうだと返事をすると、彼は「僕、以前ヤクルトに居たんですよ」と言ってきた。私達が「えっ?」と思ってると、彼は「ぼく、広沢と言います」と名乗った。私は「この男は、そうだ!」と思い、とっさに「わかったー、新庄に自主トレから一緒に付いてたんだよね」と叫んだ。広沢好輝氏は90年に内野手としてヤクルトに入団、その後阪神へ移籍して3年前に現役を引退し、現在はタレント活動をしている。メッツの新庄とは同い年で、阪神時代から仲が良く、今年は渡米時から帯同していたのは有名。彼の言うとおり、こんな所で日本人に会うのは珍しく、その場でお互いに質問合戦となった。彼は新庄を通じてメジャー関係の取材の仕事が増えたが、自身の知識を広げる為にマイナーリーグの勉強中との事だ。それでボストンからポータケット、ノーウィッチと観戦して来たそうで、なんとノーウィッチでは私達と同じく昨日観戦し、泊まっていたホテルも同じだった。しかも部屋番を聞いてみると、隣りの隣りくらいの部屋だったようだ。その前に断られ続けたホテルも殆ど一緒だった。「あのホテルは高くて参ったね〜」などと、すっかり意気投合してしまった。「では、場内で」と広沢氏は階段を上っていった。私達もフィルムを入れ替えて、少し遅れて球場へ向かった。

入場する時には全員に星条旗の小旗を配っていた。中に入ると座席やダッグアウトが綺麗なブルーで、広告看板もカラフルなので、古い外観とは全く違う感じがした。しかしセンターにあるスコアボードだけは、余白が多くて余り綺麗ではない。電光表示部分は全く無く、古いものを塗り替えただけに見える。それから完全な昼間だからだろうか?芝は他の球場よりも青々として見えた。スタンドにはまだ人は少なく、グランドでは両チームの選手がキャッチボールをしたり、短いダッシュを繰り返していた。

ここを本拠にするニューヘブン・レイブンズは、昨日観戦したナビゲーターズらと同じくAAクラスのイースタン・リーグ所属で、母体のメジャー球団は今年からはカージナルスだ。レイブンとは「渡り烏」の意味で、ロゴのRに烏の頭が上手くあしらわれている。ユニホームはノースリーブの縦縞で、袖は黒、胸の文字や背番は鮮やかなブルーだ。対するニューブリテン・ロックキャッツは、ミネソタ・ツインズの傘下で、ユニホームは上下グレーに赤の文字と背番号。黒の帽子に赤いツバが良く目立つ。今日は私もこの帽子を被っている(昨日ノーウィッチで購入)。ニューブリテンは、ここから北に約40キロの町で、とても近いのでロックキャッツグッズを身に纏ったファンも多く見かけた。このチームには奈良県生まれの日系人マイケル・ナカムラMichael Nakamura投手が所属している。私達が三塁側のスタンドを外野方面に向かって歩いて行くと、丁度レフトの守備位置辺りで、他の選手よりも小さくて、体系も少し違う背番号18がキャッチボールをしていた。

「あれがそうじゃないか?」と妻と指をさす。投手で18番というのも日本的だ。彼がベンチに引き上げてきたので、急いでスタンドの最前列まで走ったが一歩遅く、彼はダッグアウトに入ってしまった。フェンスから身を乗り出しダッグアウトの中を覗き込むと、ナカムラはベンチに座って考え込むようなポーズをしていた。「ナカムラさん。サインして」と言うと、彼は「チョット待ってて」と言って下を向いてしまった。更に頭を抱えて考え込んでいる様子だった(実際には分からないが)。仕方ないのでその付近の座席に座って待つ事に。そこへ通路を歩いている広沢氏が見えたので、「広沢くーん」と呼ぶと、こちらへやって来た。ナカムラの事を話すと、「へー、奈良出身なんですか、僕は三重だから近いですね」と広沢氏。少し話をしていると、ナカムラがようやく出てきた。こちらを向いて、ペンで書く仕草をして「書こうか?」と合図してくれた。近くに行き、ロックキャッツの帽子のツバにサインをして貰った。顔も日本人そのままだった。「頑張って」と言うと、「サンキュー」と手を振って走っていった。

観客は半分も入ってなかったが、試合が始まるようだ。国家斉唱は小さな女の子が一人でアカペラで歌い、各ポジションにはリトルリーグの子供達も、選手の横で同じように帽子を胸に星条旗を見つめていた。私達は三塁側の中間ぐらいの席に移動した。試合は2回の表にロックキャッツが1点を先制、3回裏にレイブンズが追いついた。私達は試合展開はそれ程気にしないで、雰囲気を楽しんでいたが、大半は広沢氏と話をしていた。始めは旅行中での事や、現在DL入りしてる新庄の事が中心だったが、日本球界の問題点なども語り合った。それから彼の野球人としての生き方も聞く事が出来た。やはり若くして引退した事が、本人はかなり不本意だったようだ。引退時はアメリカのシステムとかの知識は無かったが、こちらで色々見て、とても良い影響を受けてるそうで、3年のブランクは大きいが、独立リーグに挑戦して、プレーヤーとして自分にケジメを付けたいとも語ってくれた。彼の話を聞いてると、見た目よりも純粋でとても真面目だと言うのがよく分かる。心から応援してあげたいと思った。それにしても日曜だと言うのに客が入っていない。これだけ移動が自由だと、高いチケットを買って損したような気になってしまった。私は1塁側からも写真を撮りにいったが、通路で擦れ違うビールなどの売り子達は、私の帽子を見て、冗談っぽくだがブーイングを浴びせた。1塁側から外を見ると、球場の西側は陸上のトラックがあり、その周りも芝のグランドが囲んでいた。

座席に戻ると広沢氏の姿は無く、妻に聞くと「トレーニングしてくる」と言って外野の方に行ってしまったらしい。代わりにと言う訳ではないが、私達の2〜3列後ろ(その間は誰も居ない)の席に日本人っぽい親子4人が座っていた。「オー、今日はなんて良い日だ」と思い、すぐに「日本の方ですか?」と尋ねると、旦那さんと奥さん同時に「そうです」と言ってくれた。子供まで連れて、こんな所に来てるとは観光客ではないだろうと思い「この辺に住んでるんですか?」と聞いてみた。やはりご主人はイェール大学の研究室で働いてるそうで、ニューヘブン在住だと答えてくれた。「ここのお客の入りはいつもこんな感じですか?」と尋ねると、「初めて見に来たので分からない」との事だった。それからイェール大学のグッズが売ってる所を教えて欲しいと言うと、奥さんが地図を広げて丁寧に教えてくれた。

試合は取ったり取られたりで6回が終わり3-3の同点だった。アトラクションも毎回のように行われていたが、面白かったのは乗用車をグランド内のフェンスに沿って一周させ、観客がボールをトランクや窓から投げ込むのだ。これはオークションで、ボールには値段が書いてあるらしい。試合前にはこれらの車は球場の前に展示されていた。

私達はビールとオニオンリングを買った時に、ネット裏の座席に移動した。この席は小さなテーブルとカップホルダーが付いてるので飲食がしやすい。それに本来のチケットの番号ではこの席なのだ。そこへ広沢氏が戻ってきた。彼は外野フェンスの向こう側の芝生の上をランニングしてきたそうだ。「暑いですね〜」と言って、服を脱ぎたがっていた。昼間のゲームを観戦する時は上半身ハダカの時も多いそうだ。そんな話をしていたので「今の俺では無理だよ」と、私はTシャツを捲くって自分の腹を見せた。「どうしたんですか?虫に刺されたんですか?」と彼が聞いてきた。確かに小さなカサブタが無数に出来ていて虫にカブレた様にも見える。ケープコッドで屋根から降りる時に擦りむいた話をすると、彼は「ウワー、そうだったんですか」とトーンダウンした。意外な事に旅行から帰って友人達に話しても、この話は笑い話には余りならなくて、「痛そー、気の毒に」と言う感想が多かった。もう少しウケるかと思ったのだが・・・

7th・イニング・ストレッチは子供達がダッグアウトの上に整列して、小旗を振りながら合唱した。試合は8回表に4点をあげたロックキャッツが7-3で勝利した。勝ち投手ケビン・フレデリックKevin Frederick 負けケビン・シェリディーKevin Sheredy 

試合が終わっても、広沢氏とは話をしながら退場し、駐車場まで歩いていった。彼は今日中にニューヨークへ帰るとの事だった。彼が車のキーを出した時に、カバンから一緒に小さなリンゴが出てきた。思わず「あっ、それ今朝の朝食のだろ」と言葉が出た。「俺も2個持ってきたんだよ」と言うと、彼は笑って車に乗り込んだ。名残惜しいがシェイ・スタジアムでの再会を約束して彼の車を見送った。空は雲が出てきてゴロゴロと雷が鳴り出した。

私達はそんなには急いでないので、球場へ戻った。丁度ロックキャッツのバスがエンジンをかけて、選手が乗り込むのを待っていた。その少し離れた所に、上はTシャツに着替えていたが、下のユニホームはそのままのマイケル・ナカムラが居た。彼は白人女性と話をしていたが、その様子は恋人同士と言った雰囲気だった。悪いとは思ったが、声を掛けて一緒に写真を撮ってもらった。その様子を見ていた彼女も嬉しそうに見えた。車に戻るとポツポツ雨が落ちてきて、走り出した時にはドシャ降りになっていた。「試合後で良かった。ラッキーだ」と妻と話して、ダウンタウンへ向かった。

球場で会ったご夫婦に教わったとおり10号を左折して北へ向かい、ワレイー通りWhallay Av.を右折した。徐々に賑やかになっていき、交通量も多くなってきた。雨も降っているので、なかなか路名が確認できず、少し進んでは右側に停車して地図を確認。これを2〜3回繰り返し、教えて貰ったブロードウェイ通りBroadwayの手前まで来る事が出来た。地図ではここはイェール大学の敷地内で、2本の並行する道路を使ってロータリーのようになっている。南向きの一方通行から侵入して、エルム通りに突き当たり左回りをして、北向きの一通に入った。ロータリーの中心は駐車場になっていたので、車を入れようと入口の前まで行ったが、自動の遮断機が下りていた。中に入るにはカードが必要なようだったが、よく分からなかったので、路上駐車する事にした。スペースが余り無いうえに、雨が激しく降っていたので停め難かった。

通りの東側にレンガ造りの大きな建物があり、ショーウィンドウに「YALE」のロゴ入りの服などが飾られていた。私達は車から急いで降りると、中央の通路のような所に走りこんだ。そこは建物内ではないが、一応屋根があったので濡れなかった。通路を挟んで南側にグッズショップ、北側は本屋だったが、両方とも入口はガラス張りだったので、中がよく見えた。東側を見ると、少し離れて大学の古い校舎が聳え立っていた。私達はまずグッズショップに入ってみた。店内はとても綺麗で広かった。服、タオル、装飾品、小物など数十種類の商品が整頓され並んでいた。どれも上等そうに見えたが、値段も比較的高いものばかりだった。地下もある店内を一通り見て周ったが、妻はお土産用に小物を少しと、私はTシャツ(22ドル)だけを買った。客の大部分は観光客っぽかったが、レジは数が少なく行列が出来ていた。本屋の方も綺麗で整然としていたが、目的が無いのですぐに出てきた。また雨の中を走って車に戻り出発した。

店から34号の乗口はとても近かったので、午前中と同じように34号から91号を通ってホテルに戻った。出来るだけ入口の近くに停め、最低限の荷物だけを持ってフロントに駆け込んだ。カウンターには午前中の女性達ではなく、代わりに初老の白人男性が居た。二人ともパスポートの提示を求められたが、予約者である妻のカードの姓が違う(パスポートは旧姓)ので、説明に少し手間取った。ようやく納得してもらったが、「結婚おめでとう」と言われた(実際は2年近く経ってるが)。部屋は2階でフロントから一番遠かったが、もう一つの出入口は階段のすぐ下にあった。午後6時半。

雨は激しく降り続いていて、なかなか外に出られなかった。窓から向かいのKマート(スーパーマーケット)を眺めていたが、8時過ぎにようやく小降りになったので、Kマートに買い物に行った。ここは24時間営業だ。買ってきたパンや惣菜を部屋で食べ、テレビでメッツ-ブレーブス戦を見ながら寝てしまった。


ニューブリテン・ロックキャッツはリーディング・フィリーズReading Philliesとの優勝戦を9月11日に控えてましたが、同時多発テロの影響で中止になり両チーム優勝となりました。

広沢好輝氏は2002年6月 独立リーグ・ノーザン・リーグ所属のオールバニ/コロニー・ダイアモンドドッグスAlbany-Colonie・Diamond Dogsと選手契約しました。

マイケル・ナカムラ投手は2003年6月、ミネソタ・ツインズでメジャー昇格し、初登板で初セーブを記録しました。

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