8月29日

   Pacific Coast League(AAA) 

FRESNO GRIZZLIES VS RINO ACES

フレズノ・グリズリーズ            リノ・エイシス

Chukchansi Park  Fresno , CA(カリフォルニア州 フレズノ)


 暗いうちに目が覚めるが、睡眠時間が足りてないせいか、すぐにまた寝る。ちゃんと起床したのは7時過ぎ。荷物を車に積んでからフロント横の食堂で朝食に。ワッフル焼き機も有り、他にも色々揃っていて有難い。それに明るくて、とても清潔そうだ。他の客はもう出発してしまったのか?私達の後から来たのは老夫婦と息子の三人組だけ。

 7時40分出発。99号ハイウェイ沿いのホテルだったので、すぐに乗って南下。

禿山の丘が連なった、同じような景色が延々と続く道。平行して鉄道線路も通ってるが、走っている間、電車を見ることは一度も無かった。スピードリミットの標識は55〜65の間を頻繁に変わっていく。車線は2〜4車線、町が近づくと道幅も広くなった。

 8時34分、マーセドMercedを過ぎた辺りでFedxの車が炎上している。単なる衝突事故では済まずに車が燃えてしまうとは…乾燥しているせいだろうか?
 この辺りでは横の線路は無くなってしまった。辺りはとうもろこし畑、りんご、ぶどうの果樹園がちらほら出てきて、やがてそれだけが延々と続く景色に変わっていった。中央分離帯には人の背丈ほどの樹木に花がたくさん付いている。ピンク、白、赤、なんとなく日本でも見かけるような種だ…。

 8時47分、マデラMaderaを通過すると、併走する一般道路沿いにフリーマーケットやパラソルを広げただけのフルーツ売りも目に付いてきた。ハイウェイからは買えないだろうが…。

 フレズノに近づきアップダウンが多くなってきて、鉄道倉庫や看板広告が増え、やがて大きなスライダープールも見えてきた。街の規模の大きさを感じる。通ってきた他の街と比べると通過するのにも若干時間がかかった。フレズノを超えるとまた両脇は果樹畑が続くようになるが、分離帯には大きな椰子の木が立ち並ぶようになってきた。サンフランシスコよりもロスに近い証のようだ。

 今夜の試合はフレズノだが、時間があるのでもう一つ先の都市バイサリアの球場を見に行く予定。一つ先と言っても70キロも離れている。

 やがて州道198号との分岐になり、立体交差で198号を東に向かう。すぐにExit102になり調べてきた通りに降りるが、側道になるはずが工事をしていて東方向に行けない。回り道で行こうとしたが、方角的に別の方に行きそうなのでハイウェイに乗りなおす。すぐにExit 105まで行って降りる。結局、この出口が一番球場に近いのだが、グーグルの検索ではなぜ102などかなり手前で降ろさせるのか?…いまだ謎…

 一般道を5分ほど走り球場正面に到着。昨夜観戦したモデストと同じくカリフォルニア・リーグに所属するバイサリア・ローハイドの本拠地ローハイド・ボールパークRawhide Ballparkだ。チーム名は以前はオークスを名乗っていたが、最近改名したようだ。まあ、このチームの紹介は2日後にビジターで観戦するので、その時に…

 誰も居らず中には入れそうにないので、外側からだけ写真を撮ることに。それにしても…スタンドの裏のコンコース部分を取り囲む塀を「荒野のハゲ山」にしてしまった。西部劇でよく見る景色だが、そのお芝居のセットを見ているようだ。まあ、ここまでやってくれるなら、「ローハイドの名に相応しい見事なスタジアム」と言っても良いだろう。

 外から見るのだけなので時間は大して使わなかった。道中やや気になっていたが…朝食べたコーンフレークにかけた牛乳のせいか、腹の調子が悪くなってきた。球場のある通り沿いを少し行ったコンビニのような雑貨店に入り「トイレを借りられますか?」と尋ねるが、あっさり断られる。仕方なく我慢してハイウェイに戻りフレズノを目指す事に。「う〜地獄だ…」

 妻の運転でハイウェイをさっきとは逆方向に…ガソリンスタンドで給油でもして、その時にトイレも借りようと思っていたが、99号を少し行くと「REST ARIA」の看板が…「なんだあれ?誰でも使えるのかな?」と思いつつレストエリアのあるExitを降りる。日本の「道の駅」からしたら20分の1程度の広さの駐車場にトイレの建物があるだけだが、利用者はそこそこ居るようで、車が何台か停まっていた。トイレも割りと綺麗ですぐに使えた。トイレ以外では簡易なハイウェイマップやフリーペーパーなどが置かれているだけなので、用を済ませばすぐに立ち去る車ばかりで、頻繁な出入りも駐車場は混まないようだった。時刻は10時40分。

 ホッとして再び99号を北上。次の予定はフレズノ郊外の農家にお邪魔することになっている。フレズノとその周辺地域は全米有数の農業地帯で、多くの果物の産地として有名なようだ。街の規模はAAAの野球チームがあるくらいなので、それなりに大きいが、ウェブ情報やガイド本で調べた限りでは「ロスとシスコの丁度中間」とか「ヨセミテ公園の中継地に」など、街そのものの特徴が、観光としてはもう一つの印象だった。だったら…自慢の農業に触れてしまうのが一番と言う訳だw

 高速でダウンタウンに入ってから向かうよりも、郊外の一般道から行った方が分かり易そうなので、フレズノの少し手前のセルマSelmaという小さな町でハイウェイを降りる。すぐにGSがあったので給油をして行く事に。トイレはもう大丈夫だったが、明日はヨセミテまで行くので、満タンにしておきたかった。レジで告げてからセルフで給油。ガソリンスタンドでは殆どカード支払いが便利だ。しかし、レシートを見ると約12.5ガロンで50ドル…「ちょっと高いな…」計算すると1リッター80円くらいなので日本よりは安いのだが…以前はアメリカのガソリンってすごく安く感じたのだが…その代わりレジ前の棚からガムを一緒に買ったのだが、それはレシートに記載されてないのでサービスしてくれたようだ。

 GSを出てそのまま北へ。セルマの中心部はほんの少しだけしかなく一瞬で通り過ぎてしまう。目抜き通りの2nd通りを進んでいくと、一軒一軒の敷地がとても広い住宅地を抜け、それを過ぎるとすぐに農地が広がった。ブドウを作っているのだろうか?果樹畑で手作業している人たちは皆泥だらけだ。想像していたアメリカ農業とは全く違う、とても過酷な作業に見えた。

 

 2nd通りはそのままマッコール通りMcCall Av.になり。広大な果樹畑が延々と続く。東はオレンジコーブOrange Cove、南はキングスバーグKingsburg、地図で見ると40キロ四方ってとこか…フレズノを中心とした一帯は、フルーツトレイルと呼ばれる果物の一大産地だ。途中、眺めの良さそうな場所で写真を撮ろうと、車を寄せ外に下りてみると路肩に溜まった泥に足を取られる。砂ではなくて乾ききった土のようなのだが、グズグズの感触で足がどんどん埋まってしまう。気温も高くなってきて、日差しがとても強い。

 セルマから12マイル。一般道だが信号も無いので、20分ほどで目的地の住所と同じキング・キャニオン通りKing Canyon RDにぶつかった。すぐ西ではハイウェイにも通じてる州道だ。住所検索した結果は大通り沿いだと思っていたが、実際はその側道沿いだった。中央帯があるのですぐにUターン出来ず何回か行ったり来たりしたが、11時半に次郎さんの家に到着。

 

 建物横の車が数台停めてある所へ行くと、仲介してくださったモトさんは既に来ていた。モトさんの家はフレズノの市街地だ。次郎さんが手が離せない時間帯なので、その間に敷地内の桃畑を案内してもらい「やわらかいの取って食べていいよ」と…桃、プラム、リンゴなどを枝からもぎ取って、そのまま口へ…「あま〜い!」そして、小さ目のダンボール箱を一つくれ、「旅行中に食べる分も収穫して行きなさい!」と言ってくれた。残り8日分でも多過ぎるくらい取らせてもらった。それと敷地内の松の木の下に巨大な松ボックリが落ちてたので、それもお土産用にゲット!ソフトボールぐらいあるんじゃないだろうか。でも、モトさんは「ヨセミテに行けばもっと大きいのもあるよ」と教えてくれたが、こちらは国立公園なので落ちている物でも持出しは禁止だそうだ。 

 モトさんはフレズノ市内でフリースクールを運営している方で、日本からも多くの若者を受け入れているバイタリティー溢れる女性だ。私達が旅行の計画中にフレズノでの過ごし方に行き詰ってた(そんな大袈裟ではないが)時に、ロス在住の妻の知人から紹介されたのだ。

 果樹園の中を大股で歩きながらの収穫だったので、けっこう暑くなったが、湿気が無いので、関東のように大汗をかく感じではない。それよりも喉が渇く。それと、果実の木の根元に大きな穴が所々あったが、巨大な野ネズミでも居るのだろうか?

 その後、一仕事終えた次郎さんがやってきて、キノコ工場を見学させてもらい、本格的なキノコ栽培の行程の説明をしてもらった。オガクズ、フスマ、コムギクズを餌にする為に配合し容器に詰める。菌類は植物とは違って、動物と同じように酸素を吸って二酸化炭素を吐き出しているそうだ。栽培法としては日本でもお馴染みらしい。

 

 建物内には作業場や培養室が幾つも続いている。これだけの設備を維持していくのは大変そうだ。次郎さんは兵庫県の出身で、20代の頃にひよこ鑑別の仕事で渡米したそうだ。穏やかな表情、語り口からは、根っこの据わった落ち着きを感じさせる人だった。きっと様々な苦労を乗り越えてきたのだろう。

 ランチを用意してくれてるとの事で食堂へ。そこへ丁度、ご近所(と言っても何キロも先)の日系のご夫婦が大きなピザを持ってやってきた。思いも寄らぬ賑やかで贅沢なランチになった。ヒロさん、ハルミさん夫妻は広島県の出身だそうで、フレズノ出身で広島カープの創世記に活躍した銭村兄弟の事を話してくれた。それと、リトルリーグ・ワールドシリーズで日本チームが優勝した事も、嬉しそうに話してくれた。私たちと話す時は日本語だが、電話で娘さんと話をしている時は英語と日本語両方が複雑に混ざっていた。次郎さんのブナシメジご飯のお握りや、モトさんの梅干や漬物は、素材は若干違うが、出汁が効いていてやはり日本の味だった。それと、イチジクや桃、梨、トウモロコシ、スイカなど地元で取れた果物を冷やして出してもらった。本当に美味い。食べながら気付いたことだが、こんなに気温が高いのに、テーブルの上に置いてある果物が殆ど最初の冷たさを保っているのだ。日本と違い湿度がほんとに無いのだろう。だから痛みも少ないのだろう。

 午後2時前にモトさんとご夫婦は帰っていった。私たちは次郎さんも出店してるフレズノ市内のファーマーズ・マーケットを見させてもらう為、食堂で待っていた。隣では使用済み容器の中身を畑の肥料にする為に作業員の人が中身を掻き出してた。とてもいい匂いだ。荷物の積み込みのお手伝いをして出発。次郎さんの車に付いていく。途中で停まって干しブドウを作ってる畑や、日本に輸出するアルファアルファ(ヘイ)という牧草を説明してくれた。それから、ハイウェイ沿いに大きなガスタンクのようなのが幾つも並んでいる所で、次郎さんが窓から指を指して合図した。着いてから「あれはワインを貯蔵しているんだよ」と教えてくれた。州道41号をExit132で降り、ショウ通りShaw Av.に入る。少し走った小さな公園の駐車場にファーマーズ・マーケットの看板が掲げられていた。

 蔦が日除けになっている売場スペースの一角では、次郎さんの店のファンがすでに待っていた。私は次郎さんの車から荷物を出して並べる手伝いを。妻は喉が渇いたというので、一人で歩いて水を買いに行ってしまった。市街地は治安が良くないので気を付けた方が良いと言われてたので、妻がちょっと心配になる。実際は中心地よりも数キロ郊外だったから、それほど心配な地域ではない。そんな心配をよそにクリスタルガイザー2本を抱えて妻が戻ってきた。すぐそばのタバコ屋で買えたそうだ。

 徐々に開店する店も増えて、買物客で賑わってきた。全部で15〜20店ほどだろうか、野菜や果物主だが、手作りパンやジュースを売っている店もあった。日本では見たことが無い果物も並んでいて、一つ一つ魅力のある店ばかりだ。中でもキノコを扱っている次郎さんの店は列が出来るほど人気だ。名残惜しいが…忙しそうに接客する合間に、次郎さんにお礼と別れを告げ、私達は公園を後にした。

 州道41号を南下、数キロで東西に走る州道180号を越える。その先は一番大きな州道99号が斜めに通っていて、41号、180号、99号、3つのハイウェイに囲まれた三角地帯がフレズノの中心地だ。野球場もこのエリアにある。一般道に降りテュレア通りTulare St.を進む。よく整備された綺麗な街並み。やがて今夜観戦する球場の前に…予約してるホテルはすぐ裏の通りだ。

 スーパー8・フレズノ・コンベンションセンター着、午後4時。フロントで朝食は7時からと言われるが、明日の出発はそれよりも早いだろう。でも、次郎さんちでオニギリや果物など色々と貰ってるので大丈夫だ。部屋でキノコのオニギリとトウモロコシを食べて休憩。しかし、部屋の中も外も暑い。モデストの朝食で持ってきたベーグルもまだ持っていたが、そっちの方が痛みにくいだろうと、それは明日ヨセミテで食べることにした。

 少しして球場へ出発。歩いて2ブロックほどなので帰りも心配は無い。と思ってると、球場の正面入口辺りで黒人の若者二人がタカってきた。「2ドルくれよ〜」「クオーターくれ」私は言葉が分からない振りをして殆ど無視。しかし、球場周辺は1周出来ないようになってるのでレフトでUターンして、もう一度彼らの所を通る。私達が近づくと「コーラおごれ」みたいな事を言われたので、つい笑ってしまう。日本語で「なに言ってるんだ。ボケ!」と笑ってやると、意味も分からず彼らもウケていた。まあ、動じずに対応すれば、あの程度の奴らでは何でも無いですがw

 正面とは真逆のセンター方向から、搬入口と思われるゲートが開いていてグランドが一望できた。こちらのサイドはウェスタンっぽいオブジェも幾つか建っていて、とても良い眺めだったので、写真を撮りながら、そのまま外野から入場しようと…とうぜん係に止められる。仕方ないので一塁側に戻り、チケットを買って、すぐ横のゲートから入場。

 やはりトリプルAともなると、コンコースも広くて立派だ。グランドでは両チームの選手たちがウォームアップ。スタンドはまだ疎らだ。ネット裏からやや3塁よりのコンコース上に大型のRV車が…それを取り囲む一目で家族と分かる集団…中心に居る女性は泣いている。どうやら懸賞で車が当たったらしい。周りの人も和やかで微笑ましいシーンだ。妻はお決まりのようにもらい泣きw

 私達は、選手のサインを貰うのに、取り合えず動きやすい陣地を決めて、持ってきたブドウでも食べながら待機しようと…アルバイトのような若い係に「どっちがホーム側?」と聞いてたら、オバチャンの係が割って入ってきて、色々聞かれてるうちにチケットまで見せる羽目に… 「あなた方は上よ!」と二階に行けと促される。まあ、打撃練習で飛んできたファールボールをくれたのだが…仕方なく2階で食べることになる。でも、正規の席ではなく、下のベンチ横の様子が良く見える場所に陣取った。サインをゲットするには絶好の時間帯だが、狙いはフレズノではなく、ビジターのリノだw

 背番号を確認し、プロスペクトの何番目かも事前情報で持ってたので、食べながら「あいつはパス」とか妻と相談…全員貰ってたらボールが足りなくなる。そこへ背番号7が入ってきたので妻を行かせる。打撃コーチのリック・バールソンPrick Burleson、レッドソックスなどで活躍したオールスター選手だ。しかし、その直後に2番バトラーが現れたので、私も慌てて下へ。

 リノのベンチ横では女の子が一人でサイン待ち。私が大声でバトラーを呼んだが、彼は若手選手に打撃指導中。女の子が「バトラー?」と聞いてきたので「そうだよ。有名な人だよ」と答え、「私たちは日本から来た旅行者だよ」と言うと「Oh!」とビックリ顔の女の子。打撃指導が終わるとバトラーがサインをしに来てくれた。

 ブレット・バトラーBrett Butlerはドジャーズなどで活躍した外野手で、プレーヤーとしての実績はもちろん素晴らしいが、MLB全体の選手会長だった事も…特に、ストライキの時代だったので、ニュースなどで名前が出てくる事も多く、とても印象に残っている。リノでは監督を務めている。

 2階席に戻り、昼間貰ったオニギリ、ブドウ、梨、トウモロコシを食べる。ブドウはまだ冷え冷えだ。ゲームが始まるとさっきの女の子も2階席に上がってきた。私達よりもネット裏に近い一番後ろの席だ。リノの先頭バッターの打球はレフトフライ。フレズノの左翼手、ナディーXavier Nadyが無難に処理。メジャーでもレギュラークラスの選手だが、この試合はグリズリーズで5番を打っていた。ちなみにナディーはUCバークレーの出身だ。

 しばらくすると、女の子が自分が捕ったファールボールを私に持ってきた。「え!?くれるの?」と言うと、彼女は頷き行ってしまった。その裏、グリズリーズはナディーの3塁ゴロの間にフォアボールで出てたボンドBrock Bondが生還、先制点をあげる。

 フレズノ・グリズリーズは、サンフランシスコ・ジャイアンツ傘下のクラスAAAのチームで、パシフィック・コースト・リーグ(以下PCL)に所属している。AAAのチーム数は、メジャーのチーム数と同じ30だが、PCLは16チームが主にアメリカの西側に分布している。以前立ち寄ったタコマもそうだし、遠い所では北中部のアイオワにもチームはある。グリズリーズの歴史を辿ると、母体は“あの”サンフランシスコ・シールズに辿り着くようだが、創世記の1900年代初頭にはフレズノには別にレーズン・イーターズFresno Raisin Eatersと言うチームが存在していたらしい。「干しブドウを食べる奴ら」とは、なんとピッタリのチーム名だろうw次郎さんにも教えてあげたい。レーズン・イーターズは短命だったようだが、その後フレズノにはシングルAのチームが長年在り、AAAクラスのグリズリーズを迎えたのは1992年の事だ。

 対するリノ・エイシズはシェラネバダ山脈からネバダ州に入ってすぐの高地の街リノが本拠地で、メジャー母体はダイヤモンドバックスだ。チームは2009年に誕生したとても若いチームだが、リノにはそれまでシングルAや独立リーグのチームは存在したようだ。

 ゲームは2回に入り、ファールボールがスタンドに跳ね返り、その周りは大騒ぎ。大の男が「俺の手を避けて言ったんだ」と大声で自慢げに叫んでいる。この回はエーシズが犠牲フライ、グリズリーズはボンドのタイムリー2ベースで1点づつを入れた。

 時刻は8時近くなってきて、ようやく辺りが暗くなってきた。エーシズは5回にボートニックTyler Bortnickのソロホームランが飛び出して同点に追い付いた。私にボールをくれた女の子は、兄(彼氏?)と弟の3人で観戦に来てたようだ。ボールを貰ったお礼に、サイン用に日本から持参してきたボールに私達のサインと今日の日付を書いて、女の子の座席まで手渡しに行った。妻は持っていたキティちゃんの小銭入れも中身は抜いて女の子にあげた。私達のサインは日本語で書いたので、彼女は逆さまに眺めていたが、正しい向きにして「これが私のファミリーネームです」と教えて、意味も教えてあげると、女の子はすごく喜んでいた。でも、彼女がくれたファールボールに「君のサインもくれる?」と頼むと、すごく照れた様子で、それでもサインと言うよりも普通に名前を書いてくれた。ヘブンちゃんという名前のようだ。「何歳なの?」と聞くと14歳との事だ。フレズノに住んでるそうだ。

 6回の表、グリズリーズの3番手としてマウンドに上がったのは、なんと“あの”ブラッド・ペニー!Brad Penny!「あの」と言うのは、メジャー実績はもちろん、今シーズンソフトバンクに入団したのに電撃退団していた奴なのだ。まさかこんなところで見れるとは…ペニーは先頭バッターにヒットこそ打たれたが、後続をダブルプレーに打ち取り、結果3人で抑えた。

 イニング間のアトラクションはマスコットのパーカーParkerが大活躍。客に放水するところは鎌ヶ谷のカビーみたいだが、大きなスタンドに向かってやるとは…一際面白いw

 グリズリーズは6回裏にロリンズRyan Lollisのタイムリーなどで2点を勝ち越した。えっ?ペニーに勝ち投手の権利が!?

 私達は1階に降り、7thイニングストレッチの前に買物を済ませようとショップへ。AAAともなると店も立派だが、デザインの良いアイテムもたくさんある。昨年のプレーオフの企画Tシャツでサクラメント・リバーキャッツとの「ハイウェイ99対決」とした洒落の効いた物も…しかし、この店でもT/Cは使えず。どうなってるんだ?シアトルの時は大学生リーグで掘っ立て小屋のショップでも使えたと言うのに…

 その後、まだ行ってなかったレフト方面へ行き、ゴッド・ブレス・アメリカ&テイク・ミー・アウト・トゥ・ザ・ボールゲームを聞く。市街地にある球場なので、塀の向こうは隣家だが、レフトでは垣根をむしってタダ見する奴らが…これも球場の特徴だろうwこちら側にも出入口はあるのだが、構造上この球場は中で1周は出来ないようになっている。ライトの遊具も見たいのでもう一度コンコースへ。

 まだ試合は続いているが、私達は球場を後にする事に。明日はヨセミテ公園へ行くので早起きしなくてはならないのだ。ライトのゲートで係員に球場の名前の発音を聞く。ウェブサイトでも球場の看板でも、名前が分かっても読む事は難しかった。「チュチャンシ・パーク」意味は“インディアンドライブ”との事。理解できたような出来ないような…

 ホテルまでは徒歩5分とは言え、聞いていたイメージも手伝って怖いストリートという雰囲気がした。部屋に荷物を置いて、フロントでPCを使わせてもらおうと思ったら、フロントは鍵がかかっていて誰も居ない。鍵を返却する一方通行の小窓だけになっていた。やはり治安のせいか?

 風呂、洗濯をして、果物を食べて11時半に寝る。しかし、30分もしないで暑くて起きる。内陸のこの街ではエアコン無しでは無理のようだ。


試合結果
フレズノ5−4リノ

勝ち:ペニー(今シーズン唯一の勝星、ソフトバンクで1敗、サンフランシスコで1敗)
  負け:マルチネスJoe Martinez セーブ マッチJean Machi

ボンド3打数1安打1打点 ロリンズ4打数2安打1打点 ナディー4打数無安打1打点(以上、フレズノ)

ボートニック3打数1安打1打点 ジェイコブスMike Jacobs4打数1安打(以上、リノ)

ホーム   次の日