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絵画

上 平成15年度全国水墨画大賞展大賞受賞作品(150号)

平成23年 母校高岡高校に寄贈

 

   右 お茶の水ニコライ堂

   高岡市民美術展に出品

画 歴

昭和41年    東京南画院 初入選
昭和45年  東京南画院 奨励賞第一席
昭和46年  東京南画院 院友に推挙される
昭和52年  北日本新聞社賞受賞
昭和62年  特選《皇岳賞》受賞
平成 元年  東京南画院 無鑑査に推挙される
平成 5年  東京南画院 準同人に推挙される
平成 9年  全国水墨大賞展 佳作
平成11年  高岡市民美術展覧会 奨励賞受賞
平成11年  勤労者美術展 北陸中日新聞社賞受賞
平成13年 南画院(東京)同人・審査員に推挙される
平成13年 同院法人理事に就任
平成13年 全国公募水墨大賞展・大賞受賞150号
平成14年 同展において、北日本放送賞受賞
平成15年 富山県民会館において個展
平成15年 南画院展入選38回目同人出品「峰」
平成15年 高岡市民美術展において2度目の奨励賞

 

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居合道

 

大森流 師範

2014.1.4. 高岡武道館にて。

稽古初め式演舞

合気道

 合気道は、気・心・体の錬磨と人間述道をベースにした和の武道とい

われています。

大正14年柳生流柔術の流れを中心に開祖植芝盛平が武道の新境地

を開く。そして東京都新宿区若松町に専門道場を建設、合気道普及の

名楚となり指導者の育成に努める。

今や、日本全国の組織となり、海外ではアメリカ、ヨーロッパ、東南アジ

アをはじめとし、36ケ国に支部が設置された。

毎年、本部指導派遣員が参加している。

               

 

上の写真は、短刀取りの技、小手返しです。

私が合気道を知ったのは大学2年の時。空手部に所属し稽古をしていたその折合気道二段の友人に手

もなくひねられ投げ飛ばされた経験がある、しかも柔道や剣道のような試合がない武道といわれ目が覚めた。

高岡市へ帰って即座に入門したのが、現在の富山県合気道連盟である。

会員200名余、大門町、黒部市、小矢部市、高岡市に支部があり、毎週、月、木、県営武道館で稽古を

している。今や、私の健康管理一端となっており、夕食後に行くと一汗かいて消化され快よい睡眠が出

来る。是非皆さんにもお勧めしたい。

ちなみに、私の段位は、合気道5段(日本合気道連盟最高顧問)、居合道5段、合気刀法3段です。

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小説

私は、北日本四季の会、同人誌のメンバーである。毎年1冊の文集や

5年毎の記念号を出版している。(右表紙は私の絵である)

その中で、現在、日本の剣豪伝の一人、富山県氷見市(越中国氷見郡

仏生寺村出身の農民の倅「仏生寺弥助虎正」を現地で調査しており、私

なりに収集した資料を参考に掌編を書いてみたのでご披露します。別に

津本陽が「修羅の剣」でとりあげているが、もっと地元にいる特権を活か

し、詳しい事実を掘り下げてみようと思っています。

 

着書

  1)アヴエとアボカ 

    (ヨーロッパの司法書士制度)昭和47年発刊

  2)昭和ひとけたの旋律  

    (わが半生感動の記録)平成3年発刊

  3)あしたはきっと晴れ

    (北日本新聞連載マンガ 三女あらみなおこ著

                        平成11年12月発刊)

  4)四季の心(平成20年発刊)

     

剣 客 仏生寺弥助(洛中編)  高田政公
ひえーっ堪忍しとくれやす。」時ならぬ若い女の悲鳴があたりを呀した。「持たぬかそれがしは新撰組局長芹沢である怪しい者ではない。」と右手はすでに豊満な舞妓の胸元に伸びていた。「なにをおしやすか、ごむたいな…。」と年の頃は五十前後の随行の男が制止しようとした瞬間、芹沢の尽忠報国と刻んだ大鉄扇が、うなりを生じて男の眉間を打った。「わあーっ」といって眉間を石榴のように割られ血しぶきとともに仰向けに床机の上に倒れそのまま男は起上ることができなかった。あたりは遅咲きのしだれ桜が満開になりお室の仁和寺の境内は中洛外の花見客でごった返していた。境内一杯に並べられている床几には、色とりどりの酒肴が散在していて正に酒盛りの真最中であった。その中の出来事に、たちまち周囲は黒山の人だかりとなった。その弥次馬の群れの中からひょっこり姿を現わした色浅黒の一見農民とも武士ともつかない精悍な若者がすばやく近づいて舞妓の襟をつかんでいた芹沢の手首を軽くひねってとたん「痛たあ。」と顔をしかめもんどりうって、ひっくり返ったのである。恐いもの見たさに遠まきにしていた判官びいきの弥次馬は一斉に大歓声をあげ、しばしどよめきが止まなかった。芹沢鴨と云えば、神道無念流の使い手で着名な剣蒙である。かつては常州潮来の潮来館に屯集していた狂人的な水戸攘夷党の間で鳴らした男で天狗党の生き残りである。人をあたかも大根を切る如く斬る無類の粗暴な人物として近藤勇や土方歳三からも一目おかれていたが、後日あまりにも京の町民民家に対し恫喝や椋奪が過ぎた為新撰組の隊規を乱す者として情婦お梅と添寝中沖田總司等に暗殺されたことは有名な話しである。その男が無名の田舎素浪人に手もなくひねられたことは、彼にとってこの上もない屈辱であり恥辱であった。酔って形相まで変っていた芹沢は供につれれていた野口鍵司、平山五郎、平間重助等(いづれも新撰組きっての手練の者達)に「なにをしておる、その男を叩っ漸れ!」と叫んだ。芹沢の虎口から逃れた舞妓はいつのまにか群集の中に消えて後に残った田舎武士(越中国氷見郡仏生寺村出身の弥助)は両手をだらんとさげて突っ立っていた。芹沢の下知で抜刀した一行が彼を取り囲んだ時、花のおぼろ月が中空にかかり、あたり一面青白い光が人々の顔を照らし出していた。それが更に凄惨なムードを醸しだし見物人は固唾をのんで緊迫した空気が流れた。そして風前の灯となっている弥助を哀れむ声が聞こえてきた。その時何を思ったか芹沢は「待てっそち達は手を出すな、もともと拙者がおこしたことだ。始末は拙者がする。」と一行を制止しながら眼はすでにいつもの殺戮の残忍な眼を弥助にそそいでいた。そしてゆっくり近づいていった。芹沢鴨、本名は芹沢光幹別名は下村嗣次常州玉造芹沢郷の生れで清河八郎等と上洛したのが1963年文久3年2月京の壬生屯所において近藤勇、土方歳三、沖田総司等の天然理心流の剣客達と新撰祖を結成した。当時の京都は勤皇、佐幕の血なまぐさい抗争に明け暮れる明治維新の夜明前の様相を呈し禁門の変、以来幕府と長州の対立が日毎に激化し正に騒乱の巷となっていた。その中で彼等は、それぞれの夢と野望を抱いて白刃とともに生きた人斬りの浪士達の集団が「誠」の旗印を羽織の背に染めぬき京の治安維持を任務とする会津藩の守護職松平容保の配下になったのである。当時としては正に異例中の異例であるが、その集団が薩長土肥即ち倒幕派の四藩の志士達から蛇蝎の如く嫌われ鬼のように恐れられた新撰組の誕生なのである。その隊士の中には芹沢と同じく神道無念流の使い手、近藤芳助、新見錦、平山五郎、永倉新八等がおり北辰一刀流(千葉周作) には伊藤甲子太郎、山南敬助、藤堂平助、小野派一刀流には大石鍬次郎、小林桂之助、天然理心派には近藤勇、土方歳三、沖田総司、井上源三郎、横倉甚五郎…いづれも無類の剣術好きで手練の者達である。その日は4月9日亥の刻に上洛してから無音に流れしばし退屈しのぎにお室仁和寺の境内まで供をつれて散策し花見洒をしこたま飲んで気勢をあげ酌女を物色中の際丁度運悪く通りかかった舞妓の一行にからんだことから騒ぎが大きくなった。そこへ偶然にも通りかかったのが当時江戸三大道場のひとつ九段下の俎板橋近く(現在の神田神保町専修大学本館靖国神社寄り)にある「練兵館」の主斉藤弥九郎(越中国氷見郡仏生寺村出身)が同郷のよしみで芹沢と同じ神道無念流の極意を授け師範代並みまで仕込んだ弥助であった。弥助は道場の風呂炊きや雑用係で氷見からでてきたが根が剣術が好きでひまさえあれば道場の稽古を覗いていたのを見込まれ兄弟子岡田十松利真から剣の手ほどきを受けた弥九郎自らも手をとって教えたところ驚いた天才的剣児だったのである。千人に一人という天禀を持っていると舌を巻いた。めきめき脱があがり二年で免許皆伝という異例のはやさに周囲は驚いた。弥九郎は師範代にする為に学問をすすめたが弥助は全くその気はなく無学文盲のまま剣だけを頼りに全国の道場破りにでかけたのである。先づ九州から中国、中国から京へと武者修業の旅を重ね破った道場は百をこえた。得意の片手上段の構え一本で相手を倒してきた。その強さには剣聖の姿を彷彿とさせた。その自信と技の冴が一投と高まっている時、芹沢鴨との出会いとなった。柄に手をかけ裂帛の気合いもろとも抜き打ちに袈裟切りをかけてきた芹沢の大刀は空を切った。その瞬間片手上段の弥助の太刀は峰打ちで芹沢の肩をしたたか打った。「うっ」といって芹沢は前のめりに倒れ込み動かなくなった。「うおー」という見物人達の声は驚きと歓声で暫くは夢をみているような情景だった。供の一人は芹沢を介抱しあとの二人は弥助の敵ではなかった。二人とも胴を打たれ刀を杖に起き上るのがやっとだった。弥助は静かに刀を鞘におさめ腕を組ながら月あかりを背中に浴びて群集の中へ消えていったのである。

 

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社交ダンス

 

右上の写真はルンバ、パートナーは、タバタダンススクールの加納祥子先生

私は、5年間ダンスの個人レッスンを受け、モダンの部ではワルツ、フォックトロット、スロー、タンゴ、

ブルース。ラテンの部では、チャチャ、ルンバ、パソドブレ、ジャイブ、ジルバの審査を受けました。

 

練習の成果があり、全種目2級シルバースター賞受賞(富山県舞踏教師協会)、タンゴ一級を取得する

事が出来ました

 

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交流

 


ピアノ演奏中


フルート演奏中

赤い○で囲んである人物は高田政公です。


高岡開町400年記念 第9の合唱


万葉集朗唱中


日本司法書士政治連盟 賀詞交換会
2011.1.14 赤坂プリンスホテルにて。 左から
衆議院副議長 衛藤征士郎 氏
厚生労働大臣 小宮山洋子 氏
高田政公
公明党国会対策委員長 漆原良夫 氏