《何故屋久島なのか》
屋久島の自然は、平成5年12月に世界遺産として登録された。僕が屋久島に行ったのは世界遺産の島だからではない。
ただ単に樹齢7200年とも云われる縄文杉、その杉をこの目でみること、そしてその杉の声を聞くことが僕にとっての夢だった。その夢を叶えるために屋久島に行った。
屋久島は、直径約30km周囲約130kmの小さな島でありながら九州最高峰の宮乃浦岳(標高1,935m)を含め1,800m級の険しい山が幾重にも連なった山岳島である。その山々の頂きに登ることも一つの楽しみでもあった。
何年か前に皇太子ご夫妻が、この島の縄文杉を御見物されているため、その方々がお歩きになられた観光ルートはかなり整備されていると聞いた。整備された道を歩くのは邪道だと思った天の邪鬼の僕は、あまり人が歩かない屋久島縦走ルートを一人で行く筈だった。…
この体験記は、平成13年10月26日(金)に伊丹空港を出発するときから同月28日(日)に伊丹空港に着くまでの珍道中を綴ったものである。
《登山の準備》
日頃運動不足の僕が、屋久島縦走登山に挑戦するために体力づくりの準備に要した期間は、約1ヶ月である。その間、会社(大阪市淀川区西中島(新大阪駅の南側))から家(吹田市千里山東(名神高速道路の北側))までほぼ毎日歩いて帰った。その距離は、最短ルートで約6.5km、最長ルートで8kmである。僕はその日の気分によってルートを変えて歩いて帰った。
会社を出るのが概ね深夜11時頃であり、歩きはじめた頃は最短ルートで1時間半を要した。だから家に着くのがだいたい夜中の1時前だった。屋久島へ行く2週間前ぐらいには最短ルートで1時間を切るようになり、12時前に帰宅出来るようになった。
普通、登山に慣れた人は約20kgの荷物を担いで山に登るそうである。デスクワークが多い僕は、日頃重たい荷物を持つことが少ないのでザックの荷物は、15kg程度に抑えることにした。用意した荷物は以下の通りである。
【荷物】
着替え:最小限の2日分
嗜好品:インスタントコーヒー(極小瓶)、ウイスキー(携帯サイズ)、ポカリスエット(粉末)、サプリメント
そのた:一人用テント、敷きマット、寝袋、膝掛け、薬、包帯、懐中電灯、笛、地図、コンパス、鍋(中・小)・コップ、スプーン、ナイロンたわし、箸、ナイフ、ハサミ、携帯コンロ、ボンベ、ランタン、オイルライター、ペン、洗面具、汗拭き用ウエットペーパー、テッシュ、ハンカチ、タオル、使い捨てポンチョ、かっぱ、ゴミ袋、携帯スコップ、一眼レフカメラ、双眼鏡、携帯電話、時計、小型ラジオ、サングラス、帽子、軍手、ロープなど
登山においては水分の補給が大切であり、湧き水が少ない山では、かなりの水を担いで登る必要がある。屋久島は至る所で湧き水がでており、水の補給が容易なことから最小限にとどめることとした。
飯盒は、ザックに入りきらなかったので鍋で代用することとした。
第一章 第1日目 (平成13年10月26日(金))
《空港から登山口まで》
朝9時発鹿児島行きの飛行機に乗るために預ける荷物のチェクを受けたところ…
「ちょっとこちらに来て下さい。」と空港の検査員に云われ行ってみると
「おたく、ガスボンベをザックの中に入れているでしょう。」
「それがどうしたんですか。」
「出してもらえませんか。」
「いいですけど…どうしてですか?」
「ボンベのたぐいは飛行機には乗せられないことになっていますので…」
「いやこれは…これから行く屋久島は世界遺産の島なので島での直火は禁止されているからこれがないと飯が炊けないのですけど…僕に飢え死にしろと、いっているのと同じことですよ、もしかして、これってテロの対策?僕がそんな人間にみえます?」僕は必死だった。
「………?」その検査員しばらく考えたふりをして
「それでは、航空会社の人と相談して下さい。」と言ってJASカウンターを指さした。
JASカウンターには2人のお姉さんがいたが、2人のうち優しそうな顔立ちのお姉さんの方へ行って、
「検査員の兄ちゃんが僕に飢え死にしろと言っているのですが…」と言うと
お姉さんは訝しげな顔をして「はあ?」
「いやね、調理用のガスボンベは飛行機に乗せられないと言ったのです。」といつの間にか後ろにいた検査員が言った。…なんでこの兄ちゃんは持ち場を離れて此処にいるのだ?…
「屋久島で縦走登山をしようとこれから行くところなんですよ、島は世界遺産なので直火は犯罪になるんです。貴方、僕に犯罪者になれと…」
「…………」検査員は眉間を親指と人差し指でつまみ俯いていた。僕を納得させる言葉を探しているのか、それともアホなおっさんに付き合うのが疲れたのか?
するとお姉さんは、
「ボンベは気圧変化の関係上、危険物扱いの対象に指定されていますので、お客様そのへんのところご理解頂けますでしょうか?」
知らなかったそんなこと…と思いながらしつこくも
「何かの入れ物に密封してもだめなんですか?」と聞き返した。
「そんな入れ物ございません。」
「本当にないの?」
「ありません!」と強い口調で言われた。
手強い、ならば
「でもボンベがないと山のなかで飢え死にするかもしれませんよ。」
「どのようにおっしゃられようと、規則ですので…」
「困ったなぁ…気圧変化の少ない機内持ち込みでもだめですか?」と聞き返した。
「お客様!そのようなことをおっしゃられては困ります。」
「僕も非常に困っています。」そう言って回りを見渡すと、回りの視線が‘僕がJASのお姉さんをいじめている’といったような感じになっているではないか。特に最初に目があった大阪のおばちゃんらしき人は何か物言いたそうな顔をしている。これまでの大阪における僕の人生経験からして察するところ、このおばちゃんは、僕が話しているお姉さんに何かを聞きたいらしく僕とお姉さんの会話が終わるのを今か今かと待ちわびている様子である。だから僕がどんなに困っているかは関係なくおばちゃんを待たしていること自体が悪なのである。まして、会話の内容を聞かれているようだから『にいちゃん!ええ加減にしぃやぁ』と云うカウンターパンチから始まる終わりを知らない言葉の連打が今にも飛び出そうな感じである。
まずい!まずいぞこれは‘きれいなお姉さんVS訳の分からないことをグダグダ言うおっさん’=‘ウルトラマンVSバルタン星人’のような構図ができあがっている。
大阪のおばちゃんを敵にまわしてはいけない!引き際を探さなければならない。
JASのお姉さんはその様子を鋭く察知し、僕にトドメを刺しに来た。
「これまでこのようなケースは他のお客様にもそれでご協力頂いております。どうか5番カウンターでボンベを預けてお帰りの際、お持ち帰り下さい!」
これ以上言い返すと近くにいる大阪のおばちゃん口撃の的となり、完全に悪いおじさんになってしまう気がしたので、この時点で断念して
「しゃあないなぁ、今日は、このぐらいにしといたろか」と照れ笑いながら‘池のめだか’のギャグで紛らわし隣の5番カウンターに行った。
隣で話を聞いていた5番カウンターのお姉さんはにこやかに笑みを浮かべながら
「それではこの書類にご記入下さい。」と言って、僕に預かり書の用紙とペンを渡した。
僕は、渋々サインし、空港にボンベを預けて飛行機に乗ることにした。
しかし、困った屋久島はどの程度流通が発達しているのか見当がつかない。ボンベなんか売っている店が空港の近くにないかも知れない。飯が炊けないとなるとカロリーメイトばかり食べなきゃならないし、コーヒーも飲めない。
とりあえず、伊丹空港でその日の晩飯になるかも知れない‘おにぎり’を買って鹿児島行きの飛行機に乗った。屋久島へ行くには鹿児島空港で日本エアコミューターに乗り継がねばならずジャンボジェットからプロペラ機に乗り継いだ。途中、桜島がきれいに見えたので縄文杉を撮るために持ってきた旧式の一眼レフカメラを構えた、その瞬間、頭の斜め45度の位置から汗がたらり、カメラの電池が切れている!飛行機に乗る前はまだあったのに…光の調節が分からない…僕は桜島を撮ることを断念した。
午前11時30分、予定の5分遅れで屋久島空港に着いた。空港でボンベの抜けたザックを受け取った僕は、淀川登山口までタクシーで行くことにした。
タクシーに乗って
「淀川登山口まで行ってほしいのですが、と途中で…」と言いかけるとタクシーのおじさんは、
「お客さん、ボンベでしょ、ボンベ持っています?」
「なんで知っているのですか、気圧だの何だのとごちゃごちゃ言われて空港で没収されましてね、それとカメラの電池も買いたいのですよ。」
「お客さん、屋久島、初めてでしょ、初めての人はみんな空港でとられちゃうんですよ。これからボンベ売っている店行きます?その店、なんでもありますからひょっとするとおたくのカメラの電池もあるかもしれませんよ。」
僕はすぐさま、
「是非!お願いします。いやぁ助かりますわぁ」と言い胸をなで下ろした。
そして、登山口とは逆方向にある店に連れていってもらった。
その店は、大きくはないが何でもそろっている店で‘ジャパン’(大阪の量販店)のミニばんと言う感じだった。カメラの電池はあった。しかし、僕の携帯コンロと同じメーカーのボンベがなかった。違うメーカーのボンベを使うのは危険だ。コンロの説明書にも他社のボンベは使うなと‘アホ’でも気がつくところに書いてある。携帯コンロの値段は5〜7千円うーん高い!でも5千円ケチったために『日本ボーイスカウト吹田16団ビーバー隊副長!異なるメーカーのコンロとボンベを使い屋久島で爆死!』なんて新聞に書かれたらどうしようなんてくだらない想像をしていたら店のお兄さんが
「何日登山するのですか?」聞いてきた。
「2泊3日です。」と答えると、
「それなら、携帯コンロのレンタルがありますから、そのほうがいいですよ」と言ってくれたのでボンベは買ってコンロはレンタルすることにした。これで完璧だ!
僕を乗せたタクシーは、屋久島空港前を通過し一路、淀川登山口に向かった。
淀川登山口は、空港から車で1時間の山中にある。途中、仕事上の電話の嵐…この携帯ってホンとにどこでも通じるのだなぁ…と感心していたらタクシーのおじさんが「電源切らないの?そのうち通じなくなるから、でも宮乃浦岳の頂上は通じるよ」と教えてくれた。宮乃浦岳と言えばこれから目指す九州最高峰の山…そんなところで通じるのかとまたも感心してしまった。
途中、屋久島猿の群がいた。ここの猿は、本州の猿より少し小さく可愛い顔をしていた。そしてなによりも大阪のどっかの不良猿どもと違っておとなしい猿達だった。(箕面のお猿さんご免なさい。でも、僕がこう云うのも小さい子供の弁当やお菓子を奪い取ったり、人様の車の上でお昼寝する貴方達が悪いのです。)
タクシーのおじさんは、
「屋久島は、人2万、猿2万、鹿2万と云われています。」と教えてくれた。(しかしそれは過去の話であり、現在では、人は林業が衰退し1万3千、猿は何故か5千、鹿は乱獲により3千となっている。)
でもその言葉、確かガイドブックにも書いてあったなぁなんて思っているうち樹齢3000年の‘紀元杉’があったのでタクシーを止めてもらって写真を撮った。幹の直径は3m以上あった。
「縄文杉はもっと大きいよ。ウエスト16mヒップ43mと云われている」と言われ胸が踊った。しかし、ウエストは幹回りとしてヒップってなんなんだ。
再びタクシーに乗り淀川登山口で降りた。ここまでのタクシー代7,700円、コンロの店に行かない場合は7,000円丁度ぐらいらしい。
登山口にはトイレと車が10台程度止められる駐車スペースがあった。駐車スペースには車が5台止まっていた。
「この人達は、日の出前から登山し、宮之浦岳で昼飯を食べ、夕方までに戻ってくるよ。」とタクシーのおじさんが言った。
登山口のベンチに腰掛け伊丹空港で買ったおにぎりを食べ、登山口のトイレの横にあるポストみたいな木箱に登山届けを入れた。そのときタクシーのおじさんは、
「今年に入って7人行方不明なって、2人が死体で見つかった。でもこれは登山届けを出した人だけの人数で実際のところはもっといるらしいよ。登山届けを出さない人は探さないからね」と言った。
「僕は尾根を縦走するからたぶん大丈夫だと思うけど…」
そう言いながら確か、ガイドブックにも毎年行方不明者がいて、山小屋のトイレに行ったきり戻ってこなかった人(たぶん女性だろうと勝手に決めつけている)が過去2人いたと書いてあったことを思い出した。
「それじゃ、がんばって下さい。」
その言葉に僕は無言で右手の親指を突き立て苦笑いし、立ち去るタクシーをしばらく見送っていた。
《さぁ登山開始だ》
午後1時半、約15kgのザックを気合いと共に背負い淀川登山口から上り始めた。
一番出し入れしやすい胸ポケットに地図とコンパスを入れ、首から緊急用の笛を下げて……
登山口の近くに杖に丁度良い棒があったのでこれ幸いと登山の杖に使うこととした。
かなり起伏が激しい登山道である。これが本当に指定の登山道だろうかと疑いたくなるような道である。岩を木の根を伝い登り降り、木の根の階段を上り下り、倒れた木を跨いだり、潜ったり、沢を歩いたり等々まるでジャングルだ。…実際のところジャングルです。
いやはや、道と云うよりかろうじて人間がすすめる獣道と言ったほうが適切な状態だ。
毎年行方不明者が続出するのも直ぐに納得してしまった。
この道で良いのだろうかと不安になり始めた頃に木の枝に赤いテープが巻いてある。そこで安心するのもつかの間、また、直ぐに自分の進んでいる道が正しいのかどうか疑いたくなるところに出てしまう。そこで、また地図とコンパスを取り出してにらめっこ、意を決して、道を決めてしばらく歩くと赤いテープ見つけてほっとする。考えてみれば、分かりやすいだろうと勝手に決めつけいている尾根沿いの道に出るまでかなり歩かなければならない。
30分位歩いてようやく、屋久島登山のコツがわかり始めた頃、携帯電話がなった。これから岩を越えなければならないが無意識に電話に出てしまった。悲しい性だ。
しかし、おかしい?登山する前に携帯は切った筈なのに。どうも折り畳みじゃない携帯は勝手にスイッチが入るようだ。しかし、なんでこんなジャングルの中まで電波が届くのだ。しかも回りが静かだから着信メロディがよく響く。
「もしもし、吉竹です。」
「□◆◎ですが…」
「あっ…どうも、こんにちは」
「△△△△についてちょっと教えてほしいのですが?」
「ちょっとそれ、今手元に資料がないのでまた月曜日に電話します。」
「明日、土曜日は家ですかそれとも会社ですか?」
「明日そのどちらかに居ることは困難を極めますね。」
「…出張ですか?じゃあ日曜日は?」…『こやつ月曜日と言っておろうが…』と思いつつ
「日曜日の夜なら家に帰っていますけど疲れて死んでいるかも」
「それじゃあ、やっぱり月曜日でいいです。ところで今どちらに?」
「ちょっと遠いところにいます。」
「遠いところって…もしかして海外とか?」
「海外だけど国内です。」
「もしかして淡路島なんて云うんじゃないでしょうね!」
「はずれ!だけど発想的には惜しい。」
「じゃぁ、沖縄とか?」
「場所的には近いが、それは先月、かみさんが僕と愛する4人の子供達を見捨てて1人で行った所」
「どんな家族なんですか?」
「ぼくの家族です。」
「…吉竹さん、今何処なんです?」
「屋久島の山の中」
「はぁ?家族とですか?」
「いや1人で」
「仕事でですか?」
「こんなところの仕事があったらいいかも知れないけど残念ながら違います。」
「何しているのですか?」
「登山しているのです。」
「奥さんと愛する4人の子供達を見捨てて行ってんだ…奥さんのこと言えないじゃないですか」
「なに云うてんですか、いつもは僕が忙しいからといって置き去りにされているんですよ。それにかみさんや息子らにはちょっとむりだな。」
「フッ、置き去り?甘い!うちなんか私の存在が消えかかっているようです。この間なんか、かみさんに『どちら様でしたっけ』とか、息子に『また、遊びに来てね』なんて言われたんですよ。」
「あんた、家に帰ってんの?」
「当然、週に2日ぐらいは…ちゃーんと帰ってますよ。えらいでしょ。」こやつの鼻の穴が膨らんでいる様子が電話を通して見えてくる。
「それって、自慢になるんですか?」
「そう云う意味違ごうて…えらいしんどいなぁと思うて…」
「そうは聞こえんかったように思いますが…」
「それはそうとして…で、なんでまた一人で屋久島に?」
「なんでって、そりゃそこに山があるから。」
「………」
「もしもし?」
「あっ、なんだったけ、あの何とかと云う杉、あれ見に行ってんでしょう?」
「それは縄文杉でしょう。」
「そうそう、それ見に行ってるんでしょう?」
「まぁ目的の半分は。」
「その杉までどのくらいかかるの?」
「一番近い観光登山ルートで山に慣れた人で片道4時間ぐらいかな。まぁ僕は、違うルートから縄文杉に向かっているんだけど…」
「へぇー、そんなに奥地にあるの、その杉。ところで、屋久島ってどんなところなんですか?」
「今にも遭難しそうなところです。」
「‘そうなん’だ。」
「しゃれ云ってる場合じゃないのです。実際!」
「地図とかコンパスとかは持ってんでしょ。」
「今、握りしめています。」
「なら、大丈夫なんじゃないですか。」
「簡単に言わないで下さい。分かりやすい山道ならそんなもんポケットの中に入っています。」
「でも、電話が通じているじゃないですか、それに地図とコンパスの扱いには慣れているでしょう。」
「登山口では単なる時計、ゲーム機、電話帳と化していたんですが不思議と此処は電波が通じますね、でも少し行けば通じなくなると思うけど。言っとくけど、これといった目印がないところで現在地を正確に把握するのは至難の業なんです。」
「そうなんですか、遭難しないでくださいね。しかし元気ですねぇ!」
「まぁ、それだけが取り柄ですから…」
「そっ…‘そうなん’ですか。」…しゃれのしつこいやつだ
「…‘そうなん’ですよ。」と半分やけくそに答えた。
「じゃぁ、遭難しないで生きて帰ったら月曜日に電話下さい。それではまた。」
その電話中、初めて下山する2人の人とすれ違った。一人目の人は、軽く会釈をして行ったが2人目の人は、こんなところで何電話してんねんといった感じの冷たい視線を僕に浴びせていった。
それもその筈、山道は人一人がやっとの幅で先は岩場、ややこしいことこの上ない状況で長電話をしていたのである。
2,3分歩いて僕は改めて携帯電話を見てみるとやはり電波は届いていなかった。ここから気を引き締めて歩かないと本当に遭難の可能性があると思った。
それから30分程歩き続けてようやく淀川小屋に出た。
淀川登山口から淀川小屋まで登山に慣れた人の足で40分と登山マップには書いてあったが僕の足で1時間かかってしまった。と、云うことはこれからの道のりも地図にかいてある時間の1.5倍を見ておく必要がある。
山小屋の辺りは、広々としていて今までとは全く違った景色が広がっていた。山小屋は、想像していたよりきれいな建物だった。
しかし、トイレは大用が1つだけで工事現場に置いてあるようなものを更に‘ぼろっちく’した感じのものだった。分かりやすく言い換えると、‘きれい好きの女性には入れないトイレであり、どこか適当な場所で適当にすました方がまし’と云う感じである。
それが山小屋から20m位離れた場所にポツンとあった。昼はいいけど夜はいやだなと思った。きれいな山小屋でこのトイレだから古い山小屋のトイレはどんな感じか容易に想像ができた。それと同時にトイレに行ったきり帰らぬ人となってしまった2人の女性達の気持ちも理解できた。
山小屋の前で一人の青年にあった。
「こんにちは。」と声をかけると、
「こんにちは、今日はこの小屋にお泊まりですか?」と青年が訪ねてきた。
「いやぁ、とりあえず宮乃浦岳の手前あたりで野営しようかと…」
「ここへ来る途中、宮乃浦岳の頂上で野営したおじさんにあったのですが、頂上は寒かったと言っていましたよ。そうだ!投石(なげいし)あたりで野営にいい場所がありました。天気がこのままなら野営ならそこがいいかも…」
「そうですか、どうもありがとう。ところで今日はどちらから?」
「高塚小屋からです。」高塚小屋と云えば僕が2日目に泊まろうかと思っていた所である。まだ、昼の2時半である。
「へぇー、そんなところから、ずいぶんと早い足ですぇ、さすがお若い。」
青年は得意そうに微笑んだ。僕は続けて、
「おたくは、ここに泊まるのですか?」と青年に聞くと、
「ええ、今日はここで泊まります。」と青年は答えた。
「そうですか、それでは、先を急ぐので!」と言って歩きかけると青年は、
「お気をつけて行って下さい。」と言った。その言葉に僕は、笑顔で振り返って敬礼した。
なかなかの好青年である。
小屋を過ぎたところに浅瀬の流れの緩やかな淀川が流れていた。その水面に映る木々の様子は形容しがたい程の美しさである。(大阪の淀川とは大違い)ようやく辺りの景色を楽しむ心のゆとりが出てきたようだ。でも、それは、そこが単に地形が平坦な所であったからと云うことをその直後におもい知らされた。
そこからの山道がまた険しいことこの上なく、僕は必死に登り続けた。1時間は休憩なしで登っただろうか突然開けた景色が飛び込んできた。標高1630mの小花之江河(こはなのえごう)に出た。そこには湿原地が広がっており、ウォーキングボードが施されていた。歩きやすい所である。ガイドブックには‘コケスミレ’が可憐な花を咲かせていると書いてあったがその季節は過ぎているみたいで今はただの湿地帯だった。だが、そこから見る老木達が山を覆い隠している様は圧巻だった。
そこで、ザックを下ろし水を飲み一息つけてまた、山を登り続けた。約20分で花之江河に着いた。そこはさっき見た小花之江河より広々とした景色が広がった湿原地帯であった。
ここは、5つの登山道の分岐点である。北に向かえば僕が目指す宮乃浦岳や縄文杉に行く‘宮乃浦歩道’、東に向かえば屋久杉ランドに行く‘安房登山道’、南東に向かえば戻ってしまう、南に向かえば‘湯泊歩道’、西に向かえば‘栗生歩道’となっている。
霧が出てきたのでここでは休憩せず先を急ぐこととした。時計の針は、4時近くを指していた。急がねば、日没までに野営の出来る所に出なければならない。
途中、行く手から猿の如く(失礼、ターザンの如く)ジャングルを疾走してきたおっさんにであった。
「兄ちゃんよ、小屋まで4時間かかるぜ!」と声をかけてきた。小屋とは僕の足でこの辺りからだと8時間かかる新高塚小屋のことである。
「こんにちは、いや小屋まではさすがによう行きませんわ、翁岳あたりで野営しようかと…」
「そんならいいけどよ、テントもっているのか?」
「ええ、」
「じゃ、きいつけてな!」と言いながら疾風の如く去っていった。早い実に早い!それなのに確実に僕より15才は上であろう風格をもっていた。『いるんだな、あんな人が』とつぶやいた。
そこから笹藪の中を歩き、沢を登り、岩を登ると広い所に出た。そこで一息し、少し下ると投石の岩屋に出た。ここが避難小屋である。僕は木造の小屋を想像していたが実際は、背丈ほどある小さな岩に大きな岩が乗っていてその隙間が避難小屋と云うことである。そこにはブルーシートが無造作においてあった。異様な空気が漂うちょっと恐い感じの所である。だから、そこから先に進むこととした。しばらく進むと女性物と思われる洋服が張り付いていた小さな岩があり、そこから先は行き止まりだった。恐くなったので直ぐに引き返した。どうやら道を間違えた。さっきの服は何だったのだろうか?考えると恐くなるので忘れることにした。岩屋まで戻り地図を見た。やはり方向が間違っていた。傾いた岩屋と記した看板を踏み台にして上の岩を登ると正しい山道に出た。辺りは次第に薄暗くなってきた。仕方なく山道の少し広めの所でテントを張ろうかと試みたが、ちょっと狭かったので、岩屋の手前の広い所まで引き返した。どうやらここがあの青年が云っていた場所らしい。
結局この日は、翁岳までは辿りつけなかった。
その場所は、風の通り道らしくテントを張るのに難儀した。20分かかってようやくテントが設営できた。テントを張った場所の目の前に‘ここでキャンプするべからず’との警告板がたっていた。『…き、気づかなかった。そんなこと云ったて岩屋は気色悪いだもん。』と心の中でつぶやいた。
無性に腹が減ったので飯を炊くことにした。あまりの空腹に米をしばらく水につけておくこともせず、直ぐに強火で炊いてしまった。しかも、ここが標高1700m前後であることも忘れて…鍋の蓋があまいことも気にせず…
飯盒炊さんなら蓋がきついので多少の圧力が働くから、少々の失敗程度ですんだかも知れないが、鍋の蓋が思ったより緩かったようで結構焦げたうえに水の大半が吹きこぼれて固い飯になってしまった。そんな飯を2合も炊いてしまった。
僕は、この飯に某メーカーの‘30食品ふりかけ’を思い切りかけて食べた。その晩は半分だけ食べて、残り半分は次の日の朝に食べることとした。アウトドア歴bPのまずい飯であった。
故人曰く‘急いては、事をしそんじる’全くもってその通りであった。明日はこの教訓を活かそう。
山の夜は寒い、しかも服は汗でしめっている。そこで僕は、服を着替え、着ていた服をコンロで乾かすことにした。なかなか乾かないが山の夜は長いので結構暇つぶしになった。
時折、少し甲高い「クオゥー」という遠吠えが山にこだまする。おそらく鹿だろうと思った。
そう言えば、まだ野生の鹿には遭遇していないことに気がついた。明日こそは鹿に遭おうと眠りに就こうとしたが、結構風の音が五月蠅いので眠れない。ウイスキーでも飲んで寝ようと思ったが疲れたせいか軽い頭痛がする。僕は、ウイスキーの代わりにサプリメントを飲んだ。この日の夜はラジオを聞きながら寝入ってしまっていた。
第2章 第2日目 (平成13年10月27日(土))
《いざ宮之浦岳へ》
次の朝5時頃だろうか目が覚めたが寒さのあまり寝袋から出る気がせず。しばらくウトウトしていた。日の出の気配を感じた6時頃にテントを出た。東の雲海から朝日が上りはじめていた。実に美しい光景だった。僕はその光景をカメラに納めた。
このシチュエーションにはコーヒーが良く似合うと思った僕は、コーヒーを飲もうとコンロに火をつけようとした。コンロのつまみを回すがなかなかガスが出てこないどうやら壊れたようだ。
酷
(むご)い、‘違いがわかる男を演出しようと思っていたのに’なんてレンタル品なんだと思いながら仕方なく水を飲んだ。冷たい水を飲み、冷えて更にまずくなった朝飯を食べ、テントを撤収した。
野営地を出発したのは朝の7時だった。
再び投石岩屋を通り、投石岳(標高1830m)を登りはじめた。少し登ると松などの高中木がなくなりほとんどが背の低い笹藪の山道になった。この辺りからようやく分かりやすい尾根沿いの山道にでたようだ。しかし笹の葉が道を覆い隠し、足下に何があるか見えないのである。時たまがくっと落ちる所や木の板を蹴上げにした段がある。突然足のすねに激痛がはしり、転けてしまった。木の板にすねをおもいっきり打ってしまった。ズボンに血がにじんでいる。しばらくうずくまり気を持ち直して歩きはじめた。歩いているうちにすねの痛みは消えていた。
投石岳の山頂を右手に配した東側のルートを過ぎると安房岳(標高1847m)が見えてきた。をすぎると山頂に大きな3つの岩を持った翁岳(標高1860m)が見えてきた。翁岳は、笹の絨毯の上に大きな岩がぽこぽこと顔を覗かせている山である。とりわけ、山頂の3つの岩は大きくその中央の岩は何処なく‘太っ腹のおじいさん’の顔に見える。翁岳を歩いていると湧き水が所々出ており、幾つものせせらぎがあった。僕は、せせらぎの水を空になっていたペットボトルに入れた。コップに水をすくい飲んでみた。まろやかでなかなか旨い水であった。
翁岳から栗生岳(標高1867m)にさしかかるころ「宮乃浦までの最後の水」と書かれたせせらぎがあった。ここでもまた、コップに水をすくい飲んでみた。さっきと同じ味だった。当たり前と言えば当たり前のことである。
最初僕は、栗生岳(標高1867m)を宮乃浦岳と思っていて登ってみたら北西に更に高い山があり、ちょっと疲れてしまった。
気合いを入れ、宮乃浦岳を目指した。栗生岳を下り、宮乃浦岳を登った。宮乃浦岳の周辺は登山道が整備されているので非常に登りやすかった。
朝9時、ついに九州最高峰宮之浦岳(標高1935m)の登頂に成功した。
山頂にある高さ2m程の岩に登り手足を伸ばし深呼吸をした。日本晴れであったと云うこともあるが達成感が体中に満ちて実に気持ちの良いものであった。山の四方をカメラに納めしばらくその岩の上の腰掛けていると、人が栗生岳からこちらに向かってくるのが見えた。僕はその人が此処にたどり着くまで待つことにした。
5分ぐらい待っただろうか、その人はようやく山頂まで登ってきた。二十歳を少しばかり過ぎた位の青年だった。
「こんにちは、結構しんどかったでしょう?」と声をかけた。
「こんにちは、いぁー思ったより楽でした。」
「ほんまに楽やった?」
「ええ、特には…」
こやつ、よほどしんどいコースと覚悟して来たのか、見栄はってんのか、それとも本当に楽だったのか。
「そうですか、僕は結構しんどかったなぁ、未明からの登山ですか?」
「ええ、淀川小屋から来ました。貴方は登山口からですか?」
「登山口から来てこんな時間にはとてもじゃないが無理ですね、昨日は、投石で野営しました。日が昇る前は暗いから道が分かりにくかったでしょう。」
「そんなことはなかったですけど…」
「そうですか。投石の岩屋辺りは分かりにくくなかったですか?」
「いえ、特に分かりにくいことはなかったですが、そうでしたか、投石と云うことは岩屋で泊まったのですか?」
あそこは看板が傾いているので確実に方向を誤る場所と思われる。こいつは見栄っぱりだと確信した。
「あそこは、なんだか気味が悪くて、手前に少し広い丘みたいな所があったでしょう。そこで野営したんですよ。」
「確かになんか恐い感じがありましたね。でも手前にそんなところありましたっけ。」
「ええ、あったんです。」
「しかし、野営と云う手もあったのですねぇ、寒くはありませんでしたか?」
「少し寒かったけど寝られない程ではなかったね、風の音が五月蠅かったけど。ところで写真とってもらえませんか?」
「いいですよ。」
それから僕たちは、山頂で写真の撮りあいをした。
しばらくして、見た感じ40半ば過ぎの中年男が登ってきた。(ちなみに僕は40才ジャスト)
「こんにちは、お疲れさまでした。」と声をかけた。
「こんにちは、今日はどちらから登られました。」と自分より早く来ている僕ら2人が不思議でしょうがないようだった。
「僕は、投石で野営していたんですよ。」と言うと少し‘なんだそうか’と云う顔して青年に向かって
「おたくは?」
「僕は、小屋からきました。」それを聞いて安堵が漂った顔つきになった。
「ところで貴方はどちらから?」と聞くと、自慢げそうに
「淀川口から来ました。」と答えた。
「ほうー健脚ですねぇ。」と一応持ち上げておいた。お世辞ではなく僕よりかなり健脚のことは確かである。
中年男は目尻を下げて微笑んだ。
僕は、2人もいるからどちらかは、僕がこれから行くルートと同じ人がいるかも知れないと、思い2人に訊ねてみた。
「これから、どうされるのですか?僕はこれから縄文杉まで行きますが…」
「いゃー、私はここが目的でしたから引き返しますわ。」と中年男が答えた。
「僕も今日は、淀川口まで戻ります。今日は、新高塚小屋か高塚小屋で泊まられるのですか?」と青年が訊ねてきた。
「どうでしょう。体力次第で決めますわ。」と僕は言った
「そうですよね。」と青年はうなずいた。
「それでは縄文杉に会いに行って来ます。」
「お気をつけて!」中年男が言った。
僕は「お互いに!」と言って山頂の2人と別れ一人北西に向かって山を降りた。
《高塚小屋まで》
宮之浦岳から焼野三叉路辺りまではウォーキングボードが施されていてとても歩きやすかった。焼野三叉路は、名前の通り三つ又路となっていて右に行けば縄文杉に向かう宮乃浦歩道、左に行けば永田岳山頂(標高1886m)を通る永田歩道となっている。
僕は、焼野三叉路を右に折れ目的地の縄文杉に向かった。
焼野三叉路からしばらく歩くと平石に出た。広い花崗岩の天然の広場である。平石から先は次第に道が険しくなりはじめた。途中、坊主岩とおぼしき岩を左手に見る。無愛想な坊さんと云った感じの岩だ。カメラのシャッターを切り10秒も経たないうちに辺り一面が霧に覆われ10m先が見えなくなってしまった。もうすぐ雨が降ることを予感した。
第二展望台辺りを過ぎると山道は深い森の中に入ってしまったので雨が降っていても森の木々が傘となり、ほとんど濡れずにすんだ。ただし、道は険しさを増し、‘冗談よし子さん’(とてつもなく古いギャグ)を呟きながら先へと進んだ。
雨は次第に激しさを増し横殴りの状態になってきた。山の尾根を境にして右側は暴風雨である。幸いにも雨が激しさを増した頃には、山道は山の尾根の右側から左側に変わっていた。極めてラッキーである。
第一展望台の手前辺りで野糞を発見、何故か紫色だった。紫芋(九州特産の芋)の食い過ぎやろうのうんちだろうかそれとも年月で変色したのだろうかなどくだらないことを考えてしまった。くだらない詮索をしているうちに第一展望台の案内板の所まで来ていた。第一展望台へは少し登る必要があった。僕は第一展望台が登山ルート上にある通過点と思って登って見たがどうやら行き止まりのようだった。しかも、暴風雨で視界がほとんどない状態の展望台だった。仕方なく第一展望台の案内板のところまで戻ることにした。まずいことに此処から先の道が分からなくなってしまった。回りはジャングルである。久しぶりに地図とコンパスを出して登山道の方向を見極めることとした。登山道と思われる方向に道らしい所が幾つかあるので悩んでしまう。意を決して賭けにでた。コンパスの針だけを信じ、決めた方向にまっすぐ歩くことにした。5分ほど歩いた地点で赤いテープを発見した。歩いてきた道が登山道だったのか、登山道に出たのかは定かではないがとにかく救われたことは事実である。
しばらくジャングルの中を歩いていると、いきなりウッドデッキで張り巡らした場所にでた。ようやく新高塚小屋に到着した。時計は2時を過ぎていた。新しく、きれいな小屋である。小屋からトイレまでは50m程はなれている。登山地図には水汲み場の表示はなかったが、ちゃんと水汲み場も整備されていた。ここで、舎営しても良いのだが明日の行程を考えると、この先の高塚小屋まで行った方が良いと判断した。
しかし、宮乃浦岳から此処まで誰にも遭わなかった。鹿にも遭わなかった。猿にも遭わなかった。
新高塚小屋では足を止めず先へと急いだ。また、ジャングルの中に入った。しばらく歩いていると人の気配がした。宮乃浦岳から歩きはじめてようやく人に出合った。よく此処まで歩いて来られたなと思うほどか細い兄ちゃんだった。
「こんにちは。」と声をかけた。
「こんにちは、新高塚小屋までどの位ですか?」
「此処からだと20分位かな。」
「高塚小屋に泊まろうかと思ったんですけど、あんまりぼろいので新高塚小屋まで行くことにしたんです。」
「そんなにぼろいのですか?」
「僕が見た感じでは…」
「新高塚小屋には人が居ましたか?」
「新高塚小屋には誰もいないようでしたよ、実は宮乃浦岳から此処まで歩いてきて、はじめて遭った人が貴方なんです。」
「ふーん、そうなんですか。新高塚小屋は人気だと聞いてきたもので。ところで、いい杖もってますね。」
「いいでしょう。これ、登山口で拾ったんです。」
「水汲み場ありました?」
「ええ、ありましたよ。明日は宮乃浦岳の方へ行くのですか?」
「そのつもりなんですけど、なんだか天気が崩れそうなのでどうしようかと…」
「新高塚小屋から平石の手前辺りまでは、結構ハードでしたよ。」
「んーん、そうですか。明日の天気を見て決めます。」
「それが賢明だと思います。それでは、がんばって下さい。では!」
「それでは、さようなら。」
か細い兄ちゃんと別れ10分ほど歩くと今度は道しるべを背に呆然と佇む兄ちゃんが居た。
「こんにちは、どうかしましたか?」
「あっ、どうも、こんにちは、ちょっとへばってしまって休憩しているところです。今日は、どちらからこられましたか?」
「宮之浦岳の方からです。」
「と云うことは、淀川小屋で泊まったのですか?」
「いや、投石辺りで野営しました。」
「それは、貴重な経験をしましたね。僕は、白谷山荘に泊まったんです。朝5時に小屋の外に出たとき満天の星空でした。見ました?星!」
「いや、それが5時には目は覚めていたけどテントの中で‘ぼーっと’していてテントを出たのは6時でした。残念なことをしてしまった。でも雲海から登る日の出は見ましたよ。これから新高塚小屋に行くのですか?」
「ええ、あとどの位ですか?」
「30分位ってとこでしょう。」
「やっぱり、そのくらいかかりますか。高塚小屋に泊まるのですか?あそこ、小屋そのものが汚い公衆トイレみたいでしたよ。」
「でも、明日の行程を考えると高塚小屋に泊まらないとかなりしんどいなぁ…」
「そうですか。」
「まあ、野営よりかましでしょう。」
「そうですね。」
「それじゃ、お互いに気をつけて!」
「それじゃ!」
その兄ちゃんと別れてしばらく歩くと今度は50過ぎのおばさんと遭った。挨拶を交わしただけですれ違った。
それから更に10分位進んで背丈位の2倍程の崖を降りると
「わっ!」と驚いたような声がした。よく見ると声の方向に50過ぎのおじさんが居た。
「何だ、人か、熊かと思った。あっと、こんにちは。」とおじさんが言った。
「こんにちは、この島(屋久島)には熊はいませんよ。」
「そうだったな、ところで貴方は、新高塚小屋の方から来たのですよね、小屋にはいっぱい人が居ました?」
「小屋には人の気配はなかったように思いますが。兎に角、ここまで人と遭ったのが貴方で4人目です。」
「新高塚小屋はきれいだと聞いたので結構人が居るのかと思いまして…」
「まだ、時間が早いのかもしれませんね。」
「貴方は、高塚小屋に泊まるのですか、あそこ汚いですよ。」
「みなさん、そう言ってました。そんなに汚いのですか?」
「私の見た限りでは、それに狭いようだったし、あまり泊まれないと思いますよ。」
「そうですか、でも、まあ、行ってみます。」
「じゃあ!」
「お気をつけて!」
「ありがとう、貴方もお気をつけて!」
「はい、ありがとうございます。」
僕を熊と間違えた慌て者のおじさんと別れて誰もが汚いと云う高塚小屋に向かった。
《高塚小屋の夜》
森を抜けると少し開けた場所にでた。霧の向こうに小さな小屋が見えた。大学生らしき2人組の兄ちゃんたちが小屋の前で行ったり来たり熊のようにうろついていた。どうやらあの恐ろしくぼろい小さな小屋が高塚小屋らしい。途中で人に遭っては話をしていたので小屋に着いたのは午後3時を過ぎていた。
服は汗と雨に濡れ、体は疲れ切っていた。小屋の前でうろついていた兄ちゃん達に軽く挨拶をかわしそそくさと小屋の中に入った。小屋の中には女性用と思われるザックが2つ部屋の隅に置かれていた。
小屋の中は大きな2段式ベットのような構造になっていた。玄関をあけると土間があり、小屋の中の両脇にある梯子でロフトのような2階(2段目と云う表現が正しいと思われる階)に上がれるようになっている。1段目と2段目の間は1.5m位しかない。だから1段目で立つと天井に頭をぶつけてしまう。窓は1段目と2段目の両脇(小屋の妻側両面)にそれぞれあるが磨りガラスになっており、玄関の戸をしめると真っ暗になる。当然、ただだから電気もない。
案の定トイレは小屋から遠く、予想を裏切らず汚いものであった。しかもトイレまでは足場が悪いときている。
僕はとりあえず服を着替え着ていた服を小屋にあったクリーニング屋のおまけで付いてくる針金ハンガーにけかて干した。
しばらくすると体のごつい完璧な装備のにいちゃん(子供から見れば完璧におっちゃんで僕からみればギリギリ兄ちゃんと云う微妙な年代、概ね30〜35才位の人)が小屋の中に入ってきた。一瞬で登山のプロだと思った。
「こんにちは。」
「あっ、どうもこんにちは、今日はここにお泊まりですか?」
「ええ、そうするつもりです。どちらから来ました?」
「宮之浦岳から来ました。おたくは?」
「今日は、荒川口から来ました。昨日は淀川口から宮乃浦岳に登って戻ってきてるんですよ。」
「縦走はしないのですか?」
「レンタカーで移動していますから入った登山口に戻らなくてはいけないので…」
「レンタカーって1日いくらするの?」
「軽四で3,500円だったかな。おたくは淀川登山口から縦走してきたのでしょ、登山口まではどうやって行ったのですか?」
「空港からタクシーで行きました。」
「いくらかかりました?」
「7,700円かかりました。でも僕の場合、伊丹空港でボンベを没収されて、それでボンベが売っている店に寄ってもらったからちょっと高ついてまんねん。」
「7,700円かぁちょっと高いかな?僕も昔アメリカに行った時、成田で没収されてアメリカでボンベを買いました。」
「みんなやるんやなぁ、安心しましたわ。前僕がアメリカでアウトドアの旅行したときはキャンピングカーで移動したからなぁ。ほんでこの島に売っているボンベは僕の持っている形態コンロとメーカが違うからコンロをレンタルしてきたんやけどそれが壊れてしもうて、ほんまにどうもこうもならんわ。」だんだんため口になってきた。
「僕のはね、韓国製なんだけど普通のコンロにはまるやつなんですよ。それカナダ製か…そのコンロ、ボンベにはめてみたらどうですひょっとしてきちんとはまれば問題ないはずですよ。」と言いながら湯を沸かしてコーヒーを飲んでいた。羨ましい限りである。
「せやな、ものは試しやほなやってみよ。」屋久島で買ったボンベと僕のコンロをはめてみた。見事ぴつたりはまった。なぜそれを店で試さなかったのか今更ながらに悔やんでしまった。絶対レンタル料の500円は取り戻さなければと思った。
気が付いたら水がなくなっていたので水を汲みに行くことにした。
小屋の前に広がる沢みたいな所に降りたが流れる水が少なく汲めるような所がない。しばらくウロウロして小屋の近くまで戻ると若くわりときれいな姉ちゃんがいた。おそらく小屋の隅にあったザックの持ち主だろう。
僕はその姉ちゃんに
「水汲み場何処にあるかしりませんか?」と訊ねた。
「沢の下のほうにホースがあります。ちょっとづつしかでませんけど…」
僕はもう一回沢を下りホースを探した。
確かにあった。水がチョロチョロ出ている青いホースが…
僕は辛抱強くペットボトルと鍋に水が溜まるのを待った。水を汲み終え小屋に戻るとお姉ちゃんはいなくなっていた。ごっついにいちゃんに
「お姉ちゃんは何処いったん?」と聞くと
「新高塚小屋にいっちゃった。」
「まぁ、気いつかわんでええわ。」と言いながら誰のせいで逃げたんやろ?と、思っていたら小屋の前でウロウロしていた若い兄ちゃん2人組が話しかけてきた。こいつらまだおったんかと思った。
「確か新高塚小屋の方から来た方でしたね。新高塚小屋まではどんな道ですか?」
「此処まで君らが来た道はどんな道かは知らんけど、ここから先は険しい道が多いで、冗談かと思うような険しい道もあればうそのように平坦な所もある。」と答えた。ごっついにいちゃんは、
「まぁ、それが普通の山道だよ。」と付け加えた。
「君ら若いからどんな道でも大丈夫やろ。」
「でも、僕ら登山ってはじめてなんです。」
「そうか、でも、みんな最初ははじめてや。」
「水汲み場はありましたか?」
「あったよ。」
「とりあえず行ってみます。」
「じぁ、行って来ます。」と言って若い兄ちゃん2人は口々にそう言って、新高塚小屋に向かって行った。
ひょっとして、あいつらきれいなお姉さんを追いかけて新高塚小屋に行ったのか?
これで小屋はごっついにいちゃんと2人きりになった。実に気楽だ。昨晩のテントとは大違いの広さだ。
「縄文杉まだ見ていないでしょ、此処から10分位の所だから明るいうちに見てきたらどうです。」
ごっついにいちゃんに勧められ縄文杉を見に行くことにした。さすがに荷物なしの登山は軽快である。10分程山道を歩くと突然デッキを張り巡らした所にでた。
そこには恐ろしく強い気と心安まる雄大な気が混在して辺り一帯に広がっていた。気の主は唖然とするほどのでかい杉、縄文杉である。見た目の直径は有に6mを越える。縄文杉の真ん中は大きな顔のように見える。それはまるで神の魂が宿ったような印象を与える。
僕は、ついに神の木と会うことが出来た。いつの間にか手を合わせていた。
本当は、縄文杉に耳をあて木が水を吸い上げる鼓動を聞きたかったし、両手を広げ幹にへばりつき頬を摺り摺りしたかったが、デッキを越えることは禁止されていた。『んーん残念!もっと早い時期に此処へ来るべきだった。』と思った。
辺りは薄暗く、僕は絞り3.5でシャッターをきったがそのスピードは1/8だった。今まで3脚なしでの手ぶれなしは最高がシャッタースピード1/15である。神が宿ったこの木ならば1/8でも手ぶれはしないと確信した。‘後で、できあがった写真を見ると見事に写っていた。’
縄文杉と別れ山小屋に戻る途中、ふと考えてみるとあのごっついにいちゃんは重い荷物を背負っての10分なんだろうか…僕の場合は、小屋にザックを置き手ぶらの状態で来たから大リーグ養成ギブスを外した星飛馬のような軽やかな状態で10分だった。それに登山地図には登山家で15分と書いてあるコースだ。あのごっついにいちゃんはただ者ではないと確信した。
僕が割合早く小屋に戻ってきたのでごっついにいちゃんは
「何かスポーツでもやってんの?」と聞いてきた。
「毎日努めて歩くようにしているけど他は休みの日の子供の相手とボーイスカウトぐらいや、おたくは?」
「選手としてはあまりよくなかったけど…ラグビーの元全日本代表にもなったこともあるんだ。でも…すぐに腰の骨を折ってそこで選手生命が終っちゃった。」悲しい話である。しかし、これで10分の謎がとけた。ごっついにいちゃんは全日本レベルのラガーマンだったのだ。
ラグビーをやっているといろいろ怪我が絶えないようでそこらじゅうの骨を折っているようである。選手生命が終われば丘に上がった河童と同じで何か技術がないと食っていけないらしい。ラガーマンは会社を辞め、ニュージーランドで経理の仕事を探していると言っていた。
なんやかんやと話しているうちに3人組のお姉さん達(20才代後半?の女性達)が小屋に入って来た。
「こんにちは、私たち何処で寝ればいいのですか?」といきなり聞いてきた。
あまりにも僕の好みとかけ離れた人たちだったので(世間一般からすれば決して不素ではありません…念のため、表現を言い換えると『僕が最も苦手とするタイプの美女』だった。)
「あっ、こんにちは、女性は2階を使って下さい。」と迷わず即答してしまった。僕がそう言うとラガーマンはニヤリとして頷いた。僕らがいる下の段では僕がロウソクのランタンをつけていた。
「こうゆう灯っていいですよね、どなたのかしら?」と女性の一人が言った。
「ああ、それ僕の」
「上は灯りがないから暗いわ」
「今のところ誰もいませんから」
「…それもそうね、ところで上の段にはどうやって上がればいいのですか」
あんたの目の前に梯子があるじゃないかと言いたくなるのをこらえつつ、
「そこの梯子を使って下さい。」
「あっ、こんなところに梯子があったなんて気づかなかったわ。それで靴はどうすれば良いのですか?」
「そのまま上がって隅においとけばいいでしょう。」と素っ気なく答えてしまった。
「でも汚れません?」
「ビニールでも靴の下に敷いておけばいいんじゃないかな。」またしても素っ気なく答えてしまった。梯子の下は冷たく濡れたコンクリートの土間なので登山靴を自分の足下に置いておく方が夜中にトイレに行くのに便利なのだ。
2階から3人組が降りてきて
「トイレは何処ですか?」と聞いてきた。
「小屋を出て右。ちょっと遠いよ。」と答えた。
「足下悪いから気をつけて下さい。特にトイレの入り口は…」ラガーマンは言った。僕と違って紳士である。
「すごいトイレなので覚悟して行って下さい。」と僕は付け加えた。
「覚悟は出来てますよー。」と3人組の一人が答えた。
それからしばらくしてびしょぬれで泥だらけの若者が倒れ込むように小屋に入ってきた。
「はぁ…疲れた!やっと休める!!」が若者の最初の一言であった。
「どうかしましたか?」と声をかけると
「彷徨い歩いてようやくここに来ました。昨日は足を滑らせて気が付いたら崖の途中で寝ていました。」
何というやつだ。
「地図、持っているだろう?それとコンパスも」ラガーマンが聞いた。
「ええ、持ってはいるのですが…いつの間にか迷ってしまって。」
「俺も2回程迷ったが君程じゃないな…しかし、無事でよかったやんか。」と僕が言うと、
「なんとか救われました。ところで僕は何処に寝ればいいのですか?」
ラガーマンと僕は、2人で広く占領していたスペースを寄せた。
「ここを使えよ。」ラガーマンはいった。
こうしてみると3人で丁度ぐらいのスペースである。これで下は男で3人、上は女で3人になった。
腹が減ってきたので飯を食べることにした。米を炊き、レトルトカレーを暖めた。またしても、米を直ぐに炊いてしまったので焦げはしなかったが少し固い飯になった。全くもって学習能力に欠けた晩飯である。昨日の教訓は何処にいったのか?
鍋の中にカレーを入れるとあとで洗うのが面倒なので、レトルトカレーにご飯をつけながら食べた。洗う手間は省けるが実に侘びしい食べ方であるような気がした。
飯を食べ終わってコーヒーを飲んでいたら、いきなり男が入ってきて僕らに挨拶もせず2階の女性に向かって
「やあ、君達ここにいたのか!」と言って、いきなり2階へ馴れ馴れしく上がっていった。あまりにも自然に2階に上がっていったので僕らは3人組の連れかと思っていた。
ところが違うのである。その男こそは、実はナンパの兄ちゃんだったのだ。
ラガーマンと遭難しかけた兄ちゃんは、ナンパの兄ちゃんと3人組のお姉さん達の会話を聞き耳を立てて聞いていた。僕の位置からでは少し離れていたので上の階の会話は聞き取りにくかったがあとでラガーマンに会話の様子を聞くとナンパの兄ちゃんはずいぶん素っ気なくあしらわれていたらしい。よくよく考えて見ると3人組のお姉さん達は、ナンパの兄ちゃんを避けるための防御策として見るからに安全パイの僕らと親しくしようとしていたような気がしてきた。
また、突然、おっさんがドアを荒々しく開けた。
「年輩の人が来ていませんか?」
「いえ、僕らより上の人はいませんが、どうなされました?」
「はぐれてしまったのです。」
「それは大変だ。で、どんな人です?」時計は7時を過ぎていて辺りは暗闇である。しかも横殴りの雨が降っている。
「太めの人です。とにかくその人が来たら此処を動かないように言って下さい。」そう言い残すとそのおっさんは、闇の中へ消えていった。
ラガーマンと僕は顔を見合わせた。
「どないしようか?探しにいかなあかんかな…」
「この小屋の中でこの状況で人を捜しに行けるとしたら僕らしかいないだろうけど。でもしばらくは様子を見た方がいいかもなぁ…」賢い選択である。
それから2時間が過ぎたがさっきのおっちゃんは戻ってこなかった。
「ちょっとやばいかも、だんだん心配になってきた。」
「ひょっとして2重遭難したかもしれんなぁ。せやけど闇雲に探しに行ってもあかんしなぁ。」
「どの辺ではぐれたかも聞いていないし、行ってもおそらく無駄足になると思う。」
「せやな、ほな、やめとこ。しんどいもんな…」結論が出た。と云うか無理矢理結論を出した。
はっきり言ってラガーマンも僕も探しに行く気力と体力が残っていないのである。
それから1時間あまり過ぎたころさっきのおっさんと太いおっちゃんが小屋に入ってきた。
「見つかりましたか。心配しとりましたわ。」
「よかったぁ、ところでどうされてたのですか?」
「どうもこうも、ここまでひたすら歩いてきただけ、ほんとうに疲れた。」
「登山口には何時頃に入ったのですか?」
「お昼過ぎ位だった…と思う。」このおっさんここまで10時間近くかかって来ているのか?はぐれたのではなく置いてきぼりにされただけなのだ。連れがそれに気づかないとは、きっと想像を越える足の遅さなんだろうか?しかし、どうしたら、そんなはぐれ方をするのだろうか?…
2人増えたのでしょうがなく僕ら3人の荷物を少しずつ寄せておっさんら2人分のスペースをつくった。2人のおっさんが加わり小屋での宿泊者は計9人になった。
「実は、ゴルフのコンペで屋久島行きの航空券が当たって本当は来るつもりなかったけど、縄文杉が見たくなって来ることにしたんですわ。」と太っちょのおっさんは言った。
「そうですかゴルフのコンペですか。」そう言うとラガーマンは黙り込んでザックから小説をとりだし、ヘッドランプの灯りで読み出した。何故か少し気分を害したような感じだった。
僕らは寝るつもりでいたから僕のランタンは、自分のシュラフの上辺りに掛けなおしていたので入り口の土間の辺りは暗かった。おっさんらは、飯の支度にとりかかったが手元が暗いので小屋の壁の凹んだ空間に大きなロウソクを立てた。足の遅かった方の太っちょのおっさんは、アウトドア用具の知識が全くないのか、もう一人の探し歩いていたおっさんに、これはどうやって使うのかなど色々聞いていた。食事が終わると太っちょのおっさんは、
「うーん、疲れた」と言ってごろんと横になった。するともう一人のおっさんは、トドのように寝そべった太っちょのおっさんを無言でマッサージしはじめた。
頼まれもしないのに阿吽の呼吸でマッサージをしはじめたのである。
実に怪しいおっさん達である。気の知れた上司と部下の関係だろうか?それともそれ以上の関係だろうか?これ以上詮索すると蕁麻疹が出そうだったので考えないことにした。
夜も更け、いつの間にかみんなが深い眠りにつくはずだった。眠れないのである。あとから来たおっさん達のいびきが小屋じゅうに響きわたっていた。心配させるは、いびきは五月蠅いは、実に迷惑なおっさん達である。
いびきに苛まれながらウトウトしだしたころ急に小屋の中が明るくなった。驚いて目を開けるとおっさんたちがつけたロウソクが引火して小火になっていた。プラスチックの燃える臭いもした。
「火だ!」
と叫ぶと。
「えっ」、「なに?」、「うそ?火事?」、「キャー」と2階で女性達が喚き、
近くで寝ていたおっさん達が飛び起き、自分らが持っていた水の全てをかけて何とか消火した。
小屋の中には焦げた臭いが残っていたので僕は消火を丹念に確認してから全員を起こし全て窓をしばらく開けてもらった。火が燻っている状態で窓を開ければまた火事になるからである。
「よく気づきましたね。」昨日遭難しかけた兄ちゃんが言った。
「眠りが浅かったもんで。」本当は、誰かのいびきが五月蠅かったので眠れなかったと言いたかったが、そこはちょっと我慢した。
「死ぬときはこんなもんかもしれんな。」と言ってラガーマンはおっさんらの方を睨んだ。
「しかし危なかった。火をちゃんと消してなかったでしょう!」とラガーマンが問いつめると
「消した筈だ。俺達が水を持っていたから消せたんだ。」と太っちょのおっさんは言った。保身と話題のすり替えだ。日本の時事の縮図が此処にある。
「でも、小火は事実や。気づかんかったら此処にいるみんなが死んどったかも知れん。」と僕が言い返すと太っちょのおっさんは
「確かに、消したと思ったんだけど……」と言って僕らに背を向け、反省の色もなく眠ってしまった。
本当に迷惑なおっさん達である。
第3章 第3日目 (平成13年10月28日(日))
《観光ルート》
夜明け前の5時頃、遭難しかけた兄ちゃんが下の段の片隅でなにやらもぞもぞと出発の支度を整えていた。
「もう、行くんか?」と声をかけた。
「はい、足が遅いものですから、今のうちに出ないと今日中には下までたどり着かないと思うので…」
「そんなこと言わんと7時頃に一緒に降りようや。」
「本当に、遅いので、一緒に出ると足を引っ張ることになりますので。」
「そんなことないやろ。」
「いえ、本当に歩くのが遅いのです。」
「そうかぁ、そこまで言うなら、しゃあないなぁ、まだ足下暗いから気いつけてな!」
「はい!…では先に行って来ます。」と言って遭難しかけた兄ちゃんが小屋を出ていった。
僕は、もう一度寝た。6時半頃目が覚めた。回りのみんなは、ぼちぼち出発の準備をしていた。ただし迷惑なおっさんは、ごうごういびきをかいて寝ていた。
目覚めのコーヒーが飲みたくなったが水がなかった。寝ぼけまなこで靴をしっかりと履かないまま水くみ場に行った。途中、‘ずでっと’こけてしまった。幸い受け身がとれたので痛いだけで事なきを済んだ。
小屋に戻りランタンに火を灯し、コーヒーを沸かし一息している間にラガーマンは食事を終えていた。僕は、レトルトのカレーを暖め冷たく冷えた固いご飯と交互に食べた。やっぱり冷えて更に固くなった飯はまずかった。僕が飯を食べている途中3人組のお姉さん達は小屋を出て行った。時計は7時を回っていた。迷惑なおっさんの太っちょの方は、まだ寝ている。
朝飯を食べ終え、荷物を直す(大阪弁で「片付ける」と云う意味)時に頭にランタンが当たり、熔けたロウが僕の頭と背中にかかった。とても熱い思いをすると思ったがさほどでもなかった。Tシャツの上から、干してあった昨日まで着ていたジーンズのシャツを着ようとしたが、半乾きでしかも、くさい汗の臭気が鼻をつき気分が悪そうになったので別の服を着た。
支度を終え、小屋の外を見ると既にラガーマンが支度を終えて立っていた。
そして、迷惑なおっさんの片方とナンパの兄ちゃんは外でぶらぶらしていた。どうやらナンパのお兄ちゃんは3人組のお姉さん達に置いてきぼりにされたようだ。
最も迷惑な太っちょのおっさんが起きた。足の筋肉が痛むらしく足の太股を軽くたたきながら顔をしかめていた。‘こういう人の連れはしんどいやろうなぁ’と思った。
「いてて、足が張って動けない。」
僕は同情する気もなく
「火の始末はちゃんと確認して下さいな。」とあらためて注意した。
「ちゃんと確認した筈なんだけど……」迷惑な太っちょのおっさんが答えた。またしても保身だ。
「この人は嘘をついている。」とラガーマンは言った。
迷惑なおっさん達と小屋にいると気分が悪くなるのでそそくさとラガーマンと一緒に小屋を後にした。時計は、7時半を回っていた。
僕はラガーマンと縄文杉やウイルソン株を通る荒川登山口に向かった。
当初の予定では、白谷雲水峡に向かうつもりをしていたが、ラガーマンが一緒に温泉に行こうと誘ってくれたため、躊躇することなく予定コースを変更し、ラガーマンがレンタカーを止めている荒川登山口コースに同行することとした。
ラガーマンのペースで歩いていると僅かではあるが僕のペースより早いことに気がついた。登り降りの激しい道では太股に負担がかかるのである。そして、荷物が何故か日に日に重くなってきているのである。不思議だ、食料があと2食分(しかもカロリーメイト)しか残っていないのに。よくよく考えて見ると昨日まで着ていた衣類の多くが汗や雨を吸っているのである。重くなるはずだ。
ラガーマンの歩く速度が、少しずつ速くなってきているような気がしてきた。
そのためか、重い荷物を背負っているにもかかわらず小屋を出て10分足らずで縄文杉と再会した。
やはり荘厳な空気を持った杉である。僕らは無意識のうちに縄文杉に合掌していた。
縄文杉に別れを告げ、先へと進んだ。
縄文杉から先は、ウォーキングボードが施された歩きやすい道であった。さすが皇太子ご夫妻がお歩きになられた道である。
しばらく進むと浅瀬の沢があるところに出た。そこには、ナンパの兄ちゃんを置いて行った3人組のお姉さんが沢を渡ろうとしていた。
僕らは「あっどうも!」と軽く挨拶を交わし、3人組のお姉さん達をさっさと追い越した。先に行った人を後から来て抜いていくのはちょっといい気分である。
しばらく歩くと枝のつながった夫婦杉のところに出た。木と木の間は約10mその間を一本の太い梁のような枝がつながっているのである。また、しばらく歩くと今度は大王杉のところに出た。
大きい枝が敬礼しているように折れ曲がって伸びていてハイルヒットラーみたいだった。
大王杉を後にし、ウイルソン株に向かった。もう少しでウイルソン株というところで、途中木の枝に何回かザックの上に縛ってある丸めた敷物とテントの包みを引っかけてきたので暗い小屋の中で適当にロープで縛ってあったで荷物が崩れた。
「ちょっと、まった!荷が崩れた。」先へ進もうとするラガーマンを止めた。ラガーマンはウイルソン株の前で僕を待つことにした。
僕は、ウォーキングボードにザックを下ろした。荷物のロープをほどいて結び直すのに5分位かかった。
「ゴメン、ゴメン、暗がりでええかげんに結んどったもんやから崩れてしもうたわ。」そう言って結びなおしたザックを背負ってウイルソン株のところまで行った。
「これがウイルソン株か。ごっつい(大きい)切り株やな。」中の空洞は十畳は敷けるとガイドブックに書いてあったことを思い出した。
「でも縄文杉の方が太いよ。」
「そうみたいやな、ほな行きましょか。」何故かその時は、この切り株には興味がわかなかったし、切り株の中の空洞に入ろうとも思わなかった。後になって考えると不思議である。
ウイルソン株を過ぎたころから雨が降り出した。大した雨ではなかったのでそのまま歩くことにした。
しばらく進むと直径4mはある中が空洞の杉に出くわした。立つ位置によっては、幹の向こう側がみえるのである。‘よぼよぼ’で‘すかすか’の杉である。杉の名前は翁杉、まさにそんな感じである。
この辺りから昔切り出した杉を運んだトロッコ列車のレールが残っているトロ道に出た。枕木と枕木の間には水たまりが出来ていて、トロ道を歩くには枕木を渡り歩くようにしなければならない。だからウォーキングボードより若干歩きにくいが、昨日まで歩いて来た道とは比べものにならない位歩きやすい道である。
特に見るべき杉もなくなったこともあり、次第にラガーマンの足運びが早くなってきた。
‘後ろをついて歩く俺のこと考えているのだろうか’と疑いたくなる早さである。トロ道の枕木を見ながら速歩で歩くのはちょっとしんどい感じがする。30分位歩いてようやくトロ道の速歩に慣れてきた。さすが元日本代表のラガーマン、足運びが軽快である。
それにしても早すぎるぞ、この速歩と、思う一方で‘よくついていけるなぁ’と自分自身に感心した。これも屋久島に来る前、会社から家までの約7kmを約1時間で歩いて帰るトレーニングを1ヶ月続けたお陰だと思った。
しかし、歩く速度が速すぎるためかザックが揺れるため、段々に肩に痛みを感じてきた。
ウイルソン株の手前辺りから縄文杉に向かう登山者と出合うようになってきたが白谷雲水峡との分かれ道となる‘楠川分かれ’を過ぎた辺りからひっきりなしに登山者とすれ違うようになった。やっぱり観光ルートとなっているトロ道の大株歩道は人が多い。あまりにすれ違う人が多いので挨拶を交わすのが億劫(おっくう)になってきた。
トロ道を歩いているうち雨が激しさを増し、ほとんど垂直に降る感じになってきた。雨の中をびしょぬれになりながら歩くトロ道は、永遠と続くように感じられた。最初は、ウォーキングによる体の熱気があったので雨もまた一興と思っていたが、雨はさらに激しさを増し、体を冷やしてきた。さすがにこれではまずいなと思った頃に雨宿りに丁度よいトイレがあったのでそこで休憩することにした。
そこで、びしょぬれになったTシャツを脱ぎ絞ろうとしたところTシャツの背中にランタンのロウがべったり付いていた。
「小屋でロウをこぼした時、なんか気持ちのよい暖かさを感じたけど、こんなに付いていたとは…」
「知らない人が見ると変な趣味のおっさんに見えるかも…」とラガーマンは言った。
「それにしてもこんなにこぼれていたのか。」と感心しながらTシャツを絞った。
僕は絞ったTシャツをザックの中にしまい、ちょっと汗の臭いがする乾いたTシャツに着替えて上から簡易ポンチョを被った。ラガーマンもTシャツを着替え、かっぱを着た。
5分位休憩し、荷物を整え出発した。しばらく歩くと皮肉なもので雨は次第に小降りになり小杉谷事業所跡(かつて集落があったところ)に着くまでには晴れてしまった。山の天気は変わりやすいものである。そうなってくると今度はポンチョが煩わしい。
この辺りから登山者と出合わなくなった。どうやら日帰り登山者の入山時間帯が過ぎたようだ。
爽やかな日差しの中を軽快なスピードで歩いているうち、雨で濡れたズボンも次第に乾きはじめたが、ザックを胸と腰の両方で固定し、速歩で歩いているため、ポンチョの下は汗でスチーム風呂状態となってきた。かといってまたいつ雨が降るとも限らないのである。救いは、山肌から湧き出ている冷たく旨い水を飲みながら歩けることだ。
カメラを濡らさないようポンチョの下に入れてもっていたので太忠川を渡るとき写真を撮ろうとしたが汗の湿気でレンズが曇ってしまっていた。
そうこうしているうちに荒川の橋を渡って荒川口についた。時計は11時少し前を指していた。此処まで約3時間ちょっとできてしまった。早すぎるではないか。山に慣れた登山家が休憩なしで4時間かかるコースである。僕らは、途中有名な杉の前では留まっていたし、少しではあるが休憩もしている。
荒川を渡った東詰めの辺りはかつての貨物駅の空気が残っていた。そこを過ぎると広い駐車場があり、小綺麗なトイレがあった。トイレの前にはベンチがあり、僕らはそこでザックを下ろした。
僕の手にはまだ、淀川登山口で拾った杖を持っていた。
「淀川登山口で拾ったこの杖(木の棒)は、ここに置いていったほうがええんやろか…」と僕が言うと、
「そう言えば、此処の入り口にも2、3本転がっていたね。僕は今日、ユース(ホステル)に泊まるから、この杖、そこに持っていくよ。きっと、誰かが使うだろう。」
ラガーマンはそう言って、駐車場の入り口の方に止めてあったレンタルの車を取りに行った。
3日間登山を共にした軍手は、もうボロボロになっていた。雨の中を歩いてきたので軍手を外すと手のひらは風呂上がりのようにふやけきっていた。
やがて車はトイレの前で止まった。車に荷物を積み帽子を脱ぐと、
「髪の毛にロウがついてるよ。」ラガーマンは笑いながら言った。
「こんな所にもロウがこびり付いていたのか。」と言いながら、笑いながら髪の毛にこびり付いたロウを取った。
幸いにも僕の髪型は、スポーツ刈りなので簡単にこびり付いたロウを取ることが出来た。ロウを取り終えて車に乗った。旧式の軽四だったので少し狭かった。
車は、国民宿舎の温泉に向かった。
《3人で温泉》
荒川口の駐車場を出て直ぐの荒川林道でどこかで見たことのある後ろ姿が見えた。
「あれ、ひょっとして遭難しかけた兄ちゃんとちゃうか?」と思わず言った。
「そうや、あの兄ちゃんだ!」と言ってラガーマンは、トボトボと歩いていた遭難しかけた兄ちゃんに車を横付けした。
「おう、また遭ったな、乗っていくか?」ラガーマンは遭難しかけた兄ちゃんに声をかけた。
「こんな所で遭っちゃいましたね。えっ、乗せていただけるのですか!」遭難しかけた兄ちゃんは嬉しそうに言った。
「いいよ、乗ってけよ、旅は道連れ世は情けなんてね。」とラガーマンは言った。
「よかった、足が痛くて安房(この辺りから歩いて6時間の海沿いの町)まで体と気力がもつかどうか不安だったんです。」と遭難しかけた兄ちゃんは、言った。
「そうか、そうか、よかったな俺らと遭うて。俺、後ろに乗るから兄ちゃんは前乗れよ、兄ちゃんの方が足長いやろから。」と僕が言うと。
「そんなことないと思うけど、いいんですか。」と遭難しかけた兄ちゃんは、言った。
「ええよ、気にするなや。」と僕が言うと、
「じゃあ、御言葉に甘えて。」と言って遭難しかけた兄ちゃんは車に乗った。
「しかし、ほんまに5時間かかってるんやな。」と僕が聞くと、
「ええ、ところでお二人は何時に小屋を出たのですか?」と遭難しかけた兄ちゃんは、聞いてきた。
「確か、7時半過ぎやったかな。」と僕が言った。
「そんなとこかな。」とラガーマンは言った。
「まぁそんなもんやな、ところで俺らこれから温泉に行くんやけど一緒に行くか?」僕が聞くと、
「行きます。行きます。」と遭難しかけた兄ちゃんは、嬉しそうに言った。
‘荒川分かれ’の手前あたりで猿の群に遭遇した。確かに大阪の箕面の猿より小柄であるが一匹だけでかいのがいた。あれはボス猿だろうか?他の猿より2回り以上でかいのである。
車は、屋久島環境文化センター、屋久島世界遺産センター、屋久島自然館を過ぎ安房の交差点を右に折れ屋久島の外周道路に出て屋久島温泉(国民宿舎の温泉)に向かった。
途中、千尋滝の案内看板があった。
「千尋滝って「千と千尋」と関係するんかなぁ?」と僕が聞くと、
「たぶんそうだと思うよ。千尋という地名はあまりないから。」とラガーマンは答えた。
「宮崎駿って結構、屋久島をモチーフにしているような感じがするよなぁ…」とラガーマンは言った。
「そうなんや。」と納得してしまった。
「しかし、結構遠いな、温泉は・・・どの辺なん?」と僕が聞くと、
「もうすぐのような気がするけど、以外と距離があるもんだなぁ。」とラガーマンは言った。
また、雨が降ってきた。ワイパーの向こうに国民宿舎の看板が見えた。車は左に折れ海辺の国民宿舎に到着した。
雨に濡れながら車に積んであったザックを持ったときの重さに驚いた。こんな重い荷物を半日担いで登山していたのかと、つくづく感心したがよくよく考えてみると雨と汗を吸った衣服がザックを重たくしているのである。
温泉の入浴料は一人100円だった。安い、大阪で温泉に入ろうものなら一人1000円以上はする。僕は、車に乗せてきてもらったのでラガーマンの分を一緒に払った。ついでに遭難しかけた兄ちゃんは学生さんらしかったので合わせて3人分まとめて払った。それでも3人合わせて300円である。
ラガーマンの昼飯代と温泉代は車に乗せてもらうための条件だったのである。
温泉に入る前、着替えのTシャツが全て汚れていたので土産物コーナーで新しいTシャツを買った。Tシャツのプリントはもちろん縄文杉。
3人で国民宿舎の温泉に浸かった。
裸になると遭難しかけた兄ちゃんは、あっちこっち痣だらけだった。崖の途中で寝ていたと云うのも納得できる。僕の足のすねの怪我なんて怪我のうちに入らないように思えてくる。ラガーマンは、無傷のようだ。
湯船の硝子越しには、太平洋が広がっていた。僕は、浪の荒れた海をしばらく見つめていた。
波打ち際の断崖に生えている南洋系の木が暴風雨のさらされ激しく揺れている。それを見て思った。‘天候が落ち着くまでここでゆっくりしよう。’と
体を洗う時、左の肩の鎖骨に痣が出来ているのに気がついた。かなりきつめにザックを体に固定していたが速歩の時のザックの揺れが結構負担になっていたようである。‘この痣は屋久島から帰っても4〜5日残っていた。’
国民宿舎に向かう途中にレストランがあったので、温泉を上がってから国民宿舎を出てそのレストランに向かった。
レストランに着いた時は、雨は上がっていた。そのレストランは、土産物屋さんと兼ねていてさっき国民宿舎で買ったTシャツと同じものが置いてあったが、国民宿舎よりかなり高い値段で売っていた。やはり国民宿舎は、リーズナブルである。
レストランには、屋久島名物なる品目がなかったが3人とも腹が空いていたので他の飲食店を探す気にもなれずこの店で食事することにした。3人ともサーモンの丼ランチを注文した。
それでも久々のまともな食事に感動する3人が、一つのテーブルを囲んでいたことは言うまでもない。
食事をしながら色々自分たちのことについて話をした。
なかでも驚いたのは、遭難しかけた兄ちゃんは、学生かと思っていたら実はハーレィダビットソンを乗り回しているコンビニの店長だったことである。
コンビニの店長は言った。
「僕、こんな風体なんでよく学生に見られてしまうんです。それでよく得することもあるんです。」
確かに得なやつだと思った。が、不思議と憎めないやつでもある。
「僕、実は生まれてはじめて山に登ったのですがどうやったらそんなに速く歩けるのですか?2人とも何かスポーツでもやっているのですか?」コンビニの店長が聞いてきた。
「たしかにこの人は、元日本代表のラグビー選手だけあって速いわ、何とかついていったけど。」と僕が言うと。
「そうなのかな?そうでもなかったでしょ。でも、最初の方は少し抑え気味で歩いていたんだよ。」とラガーマンの素っ気ない答えが帰ってきた。
やっぱり、こいつは僕のペースを考えていなかった。どれだけしんどかったか…なぜ、最初のペースで歩いてくれないのだ。最初のペースでも、ちょっと速いと感じたが…僕としても速すぎるから少し抑えてくれと頼むのも少し癪(しゃく)にさわるので言わなかったのも事実だし、全国レベルのスポーツ選手だった人の足についていけるかどうか云うことに対して自分を試してみたかったのも事実であった…でも考えてみれば、昨日、縄文杉と小屋を往復してきた僕のペースから歩くスピードを決めていたのかも知れない…恐るべしラガーマン…続けてラガーマンは言った。
「山登りなんて同じペースで歩く人と歩かないとペースの遅い人も速い人も両方とも辛いんだよ。スポーツと言ったって今はラグビーやってないし、夏は登山、冬はスキー位かな。」…あんたの言う通り確かに僕は辛かった。…でも、あんたのお陰で自信がついた。これは大きな収穫である…
「僕もスキーやってるけど年に1〜2回やな。でも日頃はよく歩いているよ。」と僕が言うと。
「人より遅いなんて気にすることないよ。山登りなんて自分のペースで登ればいいんじゃない。」
ラガーマンはコンビニの店長を慰めた。
食事を終え、レストランを出た。
安房の観光案内所前でコンビニの店長は車から降りた。コンビニの店長とは此処で別れることとなった。
「じゃあな、元気で!」と僕がコンビニの店長に声をかけた。
「色々ありがとうございました。」と言ってコンビニの店長はお辞儀をした。
「また、どこかの山で遭おう!」ラガーマンは別れ際に言った。気の利いた言葉である。
車は、屋久島空港の方へ向かった。
「空港に行く前にコンロを返さなければならんのやけどちょっといいかな?」
「いいよ!」とラガーマンは快く答えてくれた。
車はコンロを借りた店に向かった。
店に向かう途中、普通のおっさんである僕が自分の歩く速度についてきたのがやはり不思議であったようで
「普段どんな運動しているの?」と聞いてきた。僕は、
「実は、此処に来る1ヶ月まえから、会社から家までの約7kmの道を1時間で歩いて帰るトレーニングをしとったんや。」と答えた。
「7kmやったら普通は1時間半かかるよね。」
「歩き始めた頃はそんなもんやったわ。」
「僕も歩こうかな」
「あんたは、十分やろ。」
「これでも、結構ふやけてきているなぁ」
そんな会話をしているうち空港を通り過ぎ店に近づいてきた。
「もうすぐそこや、コンロを借りた店は。」
「空港から近いの?」
「そうそう、あっ、あそこや。」
「こんな店があったのか。」
「電化製品から弁当まであるで。」
車を店の駐車場に止めてもらって、ラガーマンに待ってもらった。
店に着いた僕は、コンロが壊れたことを話して、レンタル料500円と保険料1000円を返してもらった。良心的な店である。
車は再び屋久島空港に向かった。
僕は空港に着いてからザックの中から島に着たときさっきの店で買った使いかけのボンベを取り出し、ユースホステルで使ってもらうよう頼んだ。
「どうせ空港で没収されるボンベだからユースに置いてもらって誰かに使ってほしいんやけど。」
「それがいいね。」
ラガーマンは快く承諾した。
ここでラガーマンと別れることになった。
「ではまた、何処かの山で!」僕が言うと。
「いつかまた、何処かの山で!」とラガーマンは、答えた。僕は手を振りながら
「ありがとう、さようなら。」と大きな声でラガーマンに最後の挨拶をした。ラガーマンは、
「お元気で、さようなら。」と言いながら手を振り車に乗り込み空港から去っていった。
《大阪に帰る》
空港ビルに入るなり警察署の電話番号を空港の職員から聞いて下山の連絡をした。
妻にメールを打った。
「我、無事に生還せり。予定通り伊丹着654便の飛行機にて19:00に帰阪…ほんま、マジで3回ほど遭難しかけた。」本当にやばかったのは2回だけど…
メールの返事が帰ってきた。
「伸之輔(我が家の長男)を途中(塾の迎え)で拾ってから(空港に迎えに)行くので7:30ぐらいになると思う。」
緊張感のない返事である。
乗便までかなりの時間があったので土産を買うことにした。
屋久島のキーホルダー(各地のキーホルダーを息子が集めている)、紫芋のクッキー(屋久島限定品らしい)、屋久島の焼酎(僕が飲みたいもの)を買った。
16:20JAC76便に乗って屋久島を後にし、鹿児島空港に向かった。
鹿児島空港では伊丹空港行きの便まで時間があったので、待合いロビーの中にある土産物屋さんで鹿児島の薩摩上げを試食した。めちゃくちゃ旨かったので薩摩上げを土産用に2箱買った。
17:55JAS654に乗り継ぎ、ほぼ定刻19:00に伊丹空港に着いた。
伊丹空港でザックを受け取ってからJASの5番カウンターに行き取り上げられたボンベを受け取った。
ここで、屋久島登山の旅は終わった。
旅を終えて
無事に帰れてほっとしたと云うのが正直な気持ちである。
旅から帰って…
ショックな出来事が2つあった。
一つは、紫芋のクッキーがいつの間にか家族に食べられてしまっていて僕の口の中には一欠片も入らなかったことである。ただ買ってきただけに終わってしまった。
二つ目は、これがなによりもショックな出来事でテーブルに置いていた屋久島の地焼酎がテーブルを拭こうとした妻の不可抗力によって割られてしまったことである。オンザロックで2杯しか飲んでいないと云うのに…
嬉しいことも2つあった。
シャッタースピード1/8で撮った縄文杉が割合きれいに写っているのである。これは、ちょっとした自信になった。
もう一つは、体脂肪が15%以下になったことである。(登山前は20%弱)思えば10年前に医者から脂肪肝を宣告されたこともあったが、それも遠い昔話になってしまった。(ちなみに、脂肪肝は5年ぐらい前に完治しています。)
不気味な写真が撮れていた。
人の顔に似ていると思って撮った写真、例えば縄文杉や坊主岩などよりも、本当に人の顔に見える岩のある写真があった。ギョエー!
使わなかった荷物が3つあった。
足のすねを強烈に打ち、3ヶ月経った今でも跡が残っている怪我をしたが消毒液や包帯は手当をするのが面倒で使わずじまいだった。
野糞をするとき穴を掘るのに使おうと思っていた携帯用のスコップは、野糞をすることがなかったので使わなかった。
それとウイスキー、夜は疲れて飲む気がしなかった。
まぁ、兎に角いろいろあった旅であった。
今度は、何処に登ろうか…今考え中である。
えっ!今でも会社から家まで歩いているかって?
もちろん屋久島から帰って2、3週間は歩いて帰っていたけど…
今では、しっかりと電車で帰宅していますし、終電を過ぎた時はタクシーを利用しています。
えっ!だらけているって?
普通のおじさんなので許して下さい。