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「トルコ行進曲」について

★テンポの問題、打楽器使用の問題★

 「トルコふうに」と指定されたこのロンド関する、作曲者モーツァルトの指定テンポは「アレグレット」である。だが、多くのピアニストが、「アレグロ」と言ってもよいような、かなり速いテンポを採用してきた。他方、グールドのように、まさにアレグレットと言うしかないような(いや、アレグレットとしてもむしろ少し遅いかも知れない)テンポを採用した例もあるし、マリア・ジョアオ・ピリスのCDの演奏も、かなりゆっくりのテンポである。

 工房のCD(つまり石田の演奏)においては、べつに世界記録を狙うつもりもなかったが、かなり速いテンポを採用した。

 それから、第2テーマやコーダの部分で、シンバルや太鼓、トライアングルなどの打楽器を鳴らしてみた。

 これらの諸点について、どのような考えからこういうことを行ったかを、一度まとめて述べておきたい。


1 テンポに関する久元祐子氏の説

 前々から私は自分の「感じ」としてこの曲を非常に速く弾きたかった(しかも最後にさらにアッチェルランドしたかった)ので、そうするつもりでいたのだが、ちょうど演奏を開始しようとしているころに、ピアニスト・久元祐子さんのご著書『モーツァルトはどう弾いたか』を読ませていただいたところ、自分の考えに心強い裏付けを得た思いで嬉しくなった。

 久元さんは、ひとつには同じ「トルコふう」の音楽におけるモーツァルトの代表作として、「後宮からの誘拐」などを想起する。あの序曲の雰囲気、あのめまぐるしく16分音符が駆け回るせかせかしたテンポを思い起こすと、このソナタの「トルコ行進曲」もまた、そうとう快速なテンポがふさわしいことになるのではないか。

 そして久元さんは、にもかかわらず「アレグレット」という指定がされたのについては、当時の「アレグレット」がどういうテンポだったかは不明である上、アマチュアピアニストたちの演奏技量に配慮した結果である可能性もあると示唆されていた。なるほど、そう考えれば納得が行く。

 久元さんは、このような考えから、実際に演奏会でこの曲を演奏されるときも、かなり速いテンポを選ばれるそうである。聴衆の一人(大学の先生だったという)からアンケート用紙で「プレストで弾くなんて」と怒りをぶつけられたことがあるというぐらいだから、石田よりももっと速いテンポで弾いていらっしゃるのかも知れない。


2 各ピアニストとのテンポ比較

 久元さんによると、ケンプ、エッシェンバッハ、アンドラーシュ・シフ、内田光子は四分音符=132前後、リリー・クラウスは速くて144ぐらい、ピリスが遅くて100前後、グールドが88ぐらいで弾いているという。

 私が制作中に設定していたテンポは、174ぐらいであった。だが、第1楽章〜第2楽章と続く音楽の流れを受けた上で自然だと感じるテンポにした結果、少しだけテンポをゆるめて、最終的には170を切るぐらいにした。それが現在公開している演奏のテンポである。本当は、この楽章だけの弾き方としては、もう少し速いほうがいいような気がするのだが、それだと、どうも2楽章までの流れとの違和感が大きいのである。今のテンポでもグールドのテンポとのちがいはほぼ「倍」に近い。

 それから、ついでに言うと、私がこの曲を演奏するとき、「これだけはやってみたい」と思っていたのが、最後から4小節目あたりからの、急カーブで加速するアッチェルランドである。くだらないディテールだと思われるかも知れないが、奏者はそういうディテールを核にして演奏の構想をふくらませることもある。

 その意味で、ここをこう弾くというのは、曲全体をどうとらえるかということと深く関わっている。私はこの曲は「お祭り騒ぎ」の曲だと思っているのである。その騒ぎはコーダに至っていよいよ最高潮となり、常軌を逸してつっ走る。その「勢い」が、テンポの加速になって噴出するのである。

 だが、そのままの勢いで最後の和音連打をやったのでは、何だかしまらない感じなので、ここで急ブレーキをかける。その具合は苦心したところだが、完全にうまく行ったかどうかはわからない。


3 打楽器の使用

 それから、打楽器の使用。久元さんのご著書でも、「トルコふう音楽」におけるにぎやかな打楽器使用について述べられ、そのような陽気な音楽にふさわしいテンポ、という観点を押さえながらテンポが考察されていく。まことにすぐれた着眼だと言わねばならない。

 打楽器の使用可能性については、私は久元さんの前著『モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪』で初めて教えられた。モーツァルト工房が聞いてあきれる不勉強だったのだが、あるかたから借りた1980年発売のCDに、すでにヨーロッパの演奏家が打楽器つきフォルテピアノでこの曲を演奏した録音があった。すでに20年以上も前から、そうしたこころみがあったわけである。

 これが「トルコふう」と指定された、「後宮」の序曲などを彷彿とさせる音楽であること、トルコふう音楽に賑やかな打楽器はつきものであった(その最大の特徴ですらあった)こと、そして、当時のウィーンで打楽器つきのピアノがつくられていたことを勘案すると、この曲で打楽器が使われた可能性、少なくともそれを「やってもいいこと」と想定して書かれた可能性は高いと言わなければなるまい。何より、鳴らしてみると実に面白いのである。それで、私は断然、打楽器を鳴らしてみることに決めた。

 だが、そうなると、当時の「打楽器つきピアノ」についていた打楽器の種類やその音色にこだわる気があまりしなくなるのである。弦に紙を接触させてファゴットのような効果を出す「ファゴット・ツーク」の効果は私はあまり欲しいと思わなかったので入れず、シンバルと、太鼓と、そしてトライアングルを鳴らしてみた。当時の打楽器つきピアノでトライアングルを自在に鳴らせたはずはないが、しかし、モーツァルトは、もしそれが可能なピアノがあれば、きっと鳴らしてみたに違いないと私は思う。というか、鳴らして面白ければ鳴らせばよいと私は思うのである。

 「モダンピアノの音色で弾いてるのに打楽器が鳴っている」というだけで「のけぞった」という変な人もいたが、そういう人にはのけぞっておいていただくとして、私は打楽器を派手に鳴らすのが楽しく、ご機嫌であった。実を言うと、アルファ版(完成の2歩前ぐらいの版)ぐらいのときに、工房のサイトでMP3ファイルで公開したのを久元さんも聴いてくださり、「ノリノリの演奏を楽しんだ」という嬉しいコメントとともに、打楽器のたたき方はもっとバリエーションをつけてはどうか、というアドバイスをいただいた。それでますます私は調子に乗り、いろいろにたたき方を工夫し、ついにCDに収録した演奏のようになった次第である。




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