<装備計画>
今回の山行では、山スキー部の1990年ローガン峰への遠征と同じく、 我々が普段北海道で行なっている山行形態にできるだけ近い山行形態での 登山を目指した。装備計画の基本方針は以下のとおりである。
1.普段から我々が使い慣れている装備を用いること。
2.現地調達のための情報が充分でないため、できるだけ日本から装備を
持ち出すこと。
3.(怪我、病気などに備え)基本的な装備は2パーティー分用意すること。
装備のリストは別に示した。我々は、通常6人が一緒に行動すること、 緊急時以外には日本人メンバーのみが登山活動を行なうこと、とした点に 留意して参考にして頂きたい。特に気がついた点、これからの遠征時に 参考となるであろう点を以下に述べる。
★生活用具
計画ではテントは常にパーティーと共に移動させることにしていたが、
負担が大きく、後半ではエージェントから借用したテントをBCで用いて、
持参した6人用テントはメララに張り置きした。
★炊事用具、燃料
キャラバン中に使用する炊事用具類はすべてエ−ジェントから借用した。
燃料は主に薪を使用した。今シーズンにメラピークへ入山したパーティー
すべてが薪を燃料として利用していたこと、資金面で余裕がなかったこと
から薪を使用したが、薪の利用は法的に禁止されていることであり問題で
あった。計画段階から充分な予算を燃料購入のためにあてておくこと、
エ−ジェントを使ってルクラでケロシン調達を前もって行なっておくことが
重要であろう。上部キャンプでは、エ−ジェントから借用しキャラバン中に
使用した炊事用具をそのまま用いた。燃料としてはガスを用いた。ガスは
EPIガス350cc缶を1食に1缶用意した。幸運なことに、写真にあるように、
積雪を黒ビニール袋に入れ吊るし日射によって水をえることができたため、
ガスは余り気味であった。しかし、もちろん、好天ばかりが期待できる
訳ではない。
★登攀用具
無線機(144MHz, FM, 2W, 3台)は、キャラバンそして登山期間を通して
非常に重宝した。ネパールへの無線機持ち込みには面倒な手続きを伴うが、
エ−ジェントと早目に交渉し是非持参すべきである。デポ旗は布のみを日本
から持参し竹は現地で伐採した。支点類は一切使用しなかったが、ルートの
状態次第では必要になったであろう。雪崩対策として雪崩ビーコンと
ゾンデストックを個人装備とした。自力救出以外に雪崩から生還する手段の
ないヒマラヤ登山では、これらの装備は必需品であると考える。
★予備・修理用具
これらはすべてBCにデポし、行動時に持ち歩くことはしなかった。
ほとんど使用しなかった。
★梱包用具他
4斗袋やビニール袋をはじめガムテープなどを現地調達することは
不可能であろう。登山期間が長いことも考慮し、充分に余裕をみて
準備するのはもちろんのこと、ネパール人スタッフにそれらの管理を
任せず、装備係自らが消費量をきちっと把握することが必要であろう。
★行動用具
衣類は普段北海道で用いているもので充分であった。
★登攀用具
雪崩ビーコンとゾンデ用ストックを個人装備とした。その他の登攀用具に
ついては技術の項を参照されたい。
荷上げ時はデポ旗のあるルートを3人1組で行動すること、 アタック時も3人1組で行動することの2点を考慮して用意した。 リスト中には重複がある。
4.現地調達
現地購入したガスはカトマンズでも余り出回っていない。早目の調達が 肝要である。今回、粗悪品はなかったが、チェックが必要である。一部の 装備はレンタルを利用した。
5.装備寄付
各企業に隊員が文書を持参し、お願いした。文書は、山とスキ−の会 会長、山スキ−部部長と登山隊隊長の連名で出した。幸いにも、お願い したすべての企業に御協力頂くことができた。この遠征に対し御支援、 御協力いただいた各企業及び担当者の方々には、深く感謝いたします。
<輸送計画>
装備の別送は行なわなかった。これは、ネパール入国のための通関が 困難であること、費用がかさむこと、そして何よりも我々が手に持てる 重量の範囲に収まったからである。スキーを持参した我々でさえ別送の 必要はなかったのだから、通常のトレッキングピークへの遠征では別送は 必要ないと思う。ネパール国内での輸送についてはキャラバンの項に譲る。梱包は上部食料を日付けごとに分けた程度で特に行なわず、スキー、 スノーバー等以外は各隊員が上部で用いるメインザックにそのまま 梱包した。カトマンズまでの輸送については特に問題なかった。 ドンキーを用いたジリからルクラ間では、食料を中心に傷んだものが あった。その他のものについては問題がなかった。ダワによると、 ドンキー(ろば)で運ぶ場合には若干の傷みは通常のことらしい。