1990年、ローガン峰(カナダ最高峰5956m)で、 北海道大学山スキー部・山とスキーの会を母体として スキー登山が行われました。このローガン峰よりも高い山に スキーを十分に活用して登りたい、そういう6人が集まって メラピークスキー登山が計画されたわけです。高い山というのには それだけで魅力を感じます。そして、北海道の山に登る場合に 考えなければならない様々な要素に高度という新しい要素が加わり、 登山が難しくなる反面、その楽しさも倍増します。 カナダ・ローガン峰で得た経験を土台にしてヒマラヤに挑戦してみました。
計画を進める上でまず感じたのは、ヒマラヤにはヒマラヤ特有の 登り方があるということでした。簡単に言うと、シェルパとか サーダーとかポーター、キャラバンと言ったことです。これらは、 ヒマラヤ登山と言うとすぐに連想できるものなのですが、 その実情は実際に行ってみないとなかなかイメージしにくいものだと思いました。 ポーターのテントや食料は誰が用意するのか、コックとキッチンボーイの 違いは何だ、サーダーは普通ピークまでついてくるものなのか...等 はっきりしないことばかりで、我々の事務手続き一般をお願いした 旅行代理店のコスモトレックをうんざりするほどに質問責めにしてしまいました。
最近のヒマラヤ登山は大衆化し、特にネパールヒマラヤの トレッキングピーク(簡単な手続きで登ることができる山)に登る場合、 登山許可の取得、サーダー、コックの雇用から食料、装備の調達まで すべて現地の旅行代理店に代行してもらうことができます。 しかし、それらに頼らずに自分たちでできることは自分たちでやろうと あれこれと試みたつもりです。その分時間がかかり、なかなか計画が 進まずいらついた事もありましたが、自分たちらしい山登りができたと思います。
ザトルワラでの5停滞の時は、もうずっとこの峠を越えられないのではないか と弱気になったり、順応が思った通りに進まず気持ちばかり焦ったりしました。 そんな時、6人でよく考え話し合うと、どこかから良い知恵が出てきて スムーズに事が進んで行きました。仲間がいることがこんなにも心強く、 頼りになることを知りました。そんな仲間と6人揃ってピークに立てたこと、 そして無事日本に帰って来れたことは本当に嬉しく、 また自信を得ることができたと思います。
そしてこのスキー登山が、決して6人だけでできたのではないことを改めて 実感します。我々を応援してくれた現役部員の皆さん、 貴重なアドバイスをして頂いた海外委員会の皆様、 物心ともに援助して頂いたOBや多くの岳人の方々、食料や装備などの 寄付をして頂いた企業の方々、そして未熟な私たちをご指導して頂いた 徳田先生に隊員を代表して心よりお礼申し上げます。