ゼミレポート

       「日本と中国の発展の仕方」

趙軍ゼミナール
須藤 孝洋


(提出ファイルが不完全であるため、前半は欠如)

2・基盤となるもの

日本の基盤

・日本の資本主義の入り口・
 日本は資本主義このことは誰もが知っているだが、日本が昔から今のような自由競争や市場の自由化がおこなわれてきたと思っては間違いである。戦前日本には政治の派閥は、もちろんのこと、経済においても財閥主体(現住友グループや三菱グループなどの前身)の市場となっていた、戦前日本は帝国主義でもあり重商的経済政策をうちだしている国であった。敗戦後日本はアメリカ主体のGHQのもと本格的な資本主義経済を導入する。

・自動車と日本・
 戦後の復興で様々な産業がうまれ発展していったが、私は自動車に的をしぼろうと思うかつて日本の自動車はアメリカの自動車業界を追い抜きそして窮乏させた。そして日本の自動車は一気に世界の舞台におどりでた。まさに日本の産業の主であったかのようだった。しかし今の自動車業界は外資との提携や統合がさかんである、いかに企業が生き残りに必死だかわかる。まさに盛者必衰であるそれは日本の経済全体にもいえることであり、自動車業界と日本経済がいかに関わっているかわかる。古いがその関係をあらわす相関図が1955年〜1990年までの国民総生産と自動車生産台数で証明されており相関図における相関関係数は0.8503という極めて1に近かった。日本における自動車メーカーを上げれば、トヨタは絶対にかかせない存在である。今でこそ規模も技術もたしかだが、敗戦当時トヨタはGHQ指導下で倒産寸前までになっていた。しかし日銀名古屋支店の斡旋により東海銀行や旧三井銀行の融資によりまぬがれた、1950年朝鮮戦争が起きたこれにより自動車業界のみならず様々な産業が特需により経済発展が皮肉にも戦争を糧として急速に進歩した。1957年日本は初めて自動車を輸出したトヨタのクラウンであるしかしアメリカでは評価がえられないほどお粗末なものだった。今でこそクラウンは高級自動車として評価されているが、43年前は坂もろくに上がれないシロモノだった。ところが
1973年の第1次石油ショックによりアメリカに低燃費車のブームが起きたつまり日本車である。そのまえに60年代には国内では「マイカーブーム」がおこりトヨタでは「カローラ」、日産では「サニー」といった大衆車を発売した。1967年には自動車保有台数が14万台を超えるほどになった。バブル期では「クラウン」など高級車が多く売れ一時期、大衆車の売上をこえるときもあった。低燃費、低価格そして高品質が目安となる今では高価格、高品質では金持ちや物好きはわからないが、一般の人には手がだしにくいと思う。まさに日本の経済に対する国民の嗜好が変化していることがわか。

・日本の資本主義・
 日本は戦後、復興しますますの発展をめざし欧米に追いつくことを目標に五十五年体制
という形を示した、この日本独自の資本主義で日本は15年で先進国へとなった。しかし
現在ではこの五十五年体制というのが崩壊している。ちなみにこの五十五年体制というの
は国全体(政府と民間)で成立していた。企業では企業一家主義を唱たり、系列化を進め
たりなど企業もシェア第一主義であった。また労働者のための、労使の春闘方式もこの体
制下で出来上がったものだった。この時に一番重要視されていたのが「雇用の三種の神器」
といわれた「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」どれも今では過去の誤りだったかのよ
うに批判が多い、私にはこの変化が団体主義から個人主義へと日本が変わり始めているの
ではないかと思う。今の日本企業は実力を重んじているそのため五十五年体制が不必要と
なっている。政治には五十五年体制の名残がまだ感じられるが、過去のような自民党の一
党独裁体制はもうないと思う。現在の政治は五十五年体制の崩壊後の迷走状態なのではな
いかと思う。このように日本における資本主義は五十五年体制のもとしっかりとした根がはれたといっても過言ではない。

中国の基盤

・毛沢東の存在・
 かつて中国の先駆者であった孫文の意思をひきつぎ社会主義路線をつきすすめた絶対的権力者であった、毛沢東その存在は1976年に死亡するまで絶大な力をふるっていた毛
沢東は絶対的威信により中国経済は政治優先方式をとっていたため1958年〜1978
年の20年間の停滞をよぎなくされた、社会主義者の経済学者マルクスの存在が大きく影
響していることが五ヵ年計画でわかる。あくまでも社会主義にこだわった毛沢東の固執し
た理念や理想がうかがえる。「階級闘争論」によると無産階級と資産階級の闘争と社会主義
と資本主義の闘争のこといっている。「真」の社会主義・共産主義の優越性を示そうとする
ための思想である、これにより中国は大躍進運動や文化大革命といった混乱がおきた。私
が思うには毛沢東は、中国の現実的な未来像が見えてなく自分の理想をだしすぎたため混乱を起こしてしまったのだと思う。それと社会主義・共産主義に対して相当な期待や希望を持ちすぎたのだと思う、しかし中国の純社会主義の基盤を作ったのは間違いなく毛沢東である。

・改革開放政策・
 1976年の毛沢東死後から中国は社会主義の形にこだわりが線から点になりつつある
しかし内面では社会主義というこだわりは絶対の存在がうかがえる中国は改革開放政策の
始めた年の1979年〜現在においてまで経済の年平均伸び率は約8〜9%と上昇してい
ることがわかる、今まさに世界においてもダントツの成長率をほこる国となっている、日
本は戦後18年間続いた経済成長を、中国はすでに21年目にはいっているこの成長は始
まりから40年〜50年ぐらい続くといわれており簡単に計算すると最低でも2019年
まで続くと思われている。国土や人口が日本とは違いすぎるので日本より年月がかかるの
は当然だが、もし現在の日本と同じ位まで発展したとすると本当の超大国となる。アメリ
カや日本、ヨーロッパなどは恐らく比較にならないと思う。化けるための基盤が今おこな
っている政策である、もちろん現在の位置にこぎつけるまでには相当な改革をした金融機
構の改革や、貿易における改革、農村経済など書き連ねたら終わらないほど改革や修正を
さまざまな分野に対して見直しが行われた。そこで私は商品経済の改革のこと書こうと思
う。今まで中国は集団経済を重んじ個人経済を軽視していたしかし1979年からの改革
開放政策により個人経済をみとめる方針を打ち出した、また華僑・華人を中心に外資との
合併も奨励したこれにより外資による補償貿易、委託加工が起き発展した。中国は資本主
義要素を導入することで近代化を実現していった、中国の経済が大きな物からマクロ的に
なっていったのだ。現在中国の外資経済は合資、合作、独資の三形態あり今もなおその数
を増やし発展している。中国の基本的所有形態は5つあり国有経済、集団経済、個人経済、
私営経済、外資経済とあるいかに経済が拡大しているかが良くわかる、昔だったら国有経
済と集団経済しか主流とならなかっただろう。1987年の第13回党大会により「国家
が市場を調節し市場が企業を導く」と提起されたようにいかに中国が資本主義要素に対し
理解を示しているかわかる。商品経済と経済活性化を結びつけ社会主義経済でも不可欠と
したことで外資の見方もかわり発展が急速化していった。

・ケ小平の存在・ 
 毛沢東が純社会主義の基盤をつくったように、ケ小平は新時代のための基盤を作成した
ケ小平は毛沢東とは違い、社会主義国の1人でありながら資本主義論者であったために、
資本主義要素を積極導入することで発展させた、しかしケ小平も行き着く先は毛沢東と同
じで権力の誇示に精一杯であった毛沢東は自分の権力で示したが、ケ小平は自分が押して
いる政策や経済発展が進むことで権力の維持を考えていた。両者とも国民に疑問を持たせ
たくなかったのだろう。しかしケ小平の言動により社会主義の理念そのものがあいまいと
なった、社会主義の計画経済と資本主義の商品経済まさに水と油のようなものが、たかだ
か何十年入り混じるということは、その国がどのような理念のもとで運営されているのか
客観的に見れば未知のものに等しい、しかしケ小平は極左路線を歩んでいた中国を変化さ
せ計画経済から市場経済にし専制的社会主義から民主的社会主義へと変化させた、立派で
偉大な功績である。今の中国の基盤はケ小平の実積なくして語れないと思う、これから中
国は今までの社会主義や共産主義とは違い、次世代の社会主義(中国式社会主義社会)を
確立させていくことが中国のこれからの方向性を決めていくのだと思う。 

 3・国家的な経済関与

< 日本としての経済 > 

 政・官・財この三つのトライアングルにより日本の経済は成立した、私はこのトライ
アングルについて書いてみようと思う。

(1) 政治における経済意識
堺屋太一いわく「経営者は5年、政治家は10年、官僚は15年遅れている」この言
葉にあるように日本の中枢にいる者の意識が疎くなっていると憶測できる。現にバブル
期における政策や方針が日和見的であり先見性のなさが目につく、例をあげれば「リゾ
ート法」がまさに政府の象徴的なものであるかつて日本は景気が良く金が溢れていた。
そのような状況で日本はリゾート開発計画を打ち出した(建設省、国土庁などの七省庁
がこの計画に賛同)日本の約3分の1をリゾート地にするという大規模な公共事業政策
を実施した、しかしバブル崩壊により政策の大半がストップしこの計画も失敗した。こ
れにより日本の国土の環境破壊が進み土地の荒廃が多発した。現在でもIT革命と称し
光りケーブルを道路や橋などに埋め込んでハイテクの普及させる構造が練られている。
単なる公共事業の別の発想ともいえる。公共事業には本当に必要性のあるものから無駄
なものまでたくさんあるが、金ばかりだし国債を発行する政府が果たしてこのままでい
いのか不安である。

 公共事業以外にも政府における経済の有り方や存在が不明な点がまだある。バブル崩
壊後日本の景気は一時期浮上する株価は上昇し、住宅需要も伸び公共事業も大量発注さ
れ消費財も売れた。経済不況は底を打ったと政府は見解をだしたが実際はこの景気の上
昇も不況の一端であってこの時期気の緩みによりますます不況を長引かせることとなる
(過去40年代のアメリカ同じことが起きている)金融機関では不良債権が頻発する、
しかし政府の見解は「景気は減速しながら拡大している」とした。結局は政府の不況対
策が遅れるだけだった、(政府は不況突入後、金融対策のみで具体案は出していない)ま
た公定歩合においても2年間で6回も引き下げ修正をした(6%〜1.75%まで下げ
た)率直にいえば政府は経済状況を把握していなかった。いかに政府の経済観がずれて
いるかわかると思う、補足すれば政府の対応の遅さが日本の症状を重くしたといっても
過言ではあるまい。
  
(2) 官僚の経済意識

 官僚の日本での歴史は明治時代から始まる、冷静に考えると戦前から唯一公に残って
いる組織である。今でこそ官僚主義というのは批判されるようになったが、過去日本で
は重要な組織であった日本が欧米各国に追いつくためには適切な方法であった、「官僚が
指導し民衆が従う」発展途上国には適応したやり方だった。このやり方を日本は明治〜
昭和40年代までつづけた、しかし日本は戦後四半世紀で先進国になったため、しだい
に官と民の関係が崩れていく。そもそも官僚主義というのは発展途上国に適応するので
あって今の日本のような成熟した先進国には足を引っ張るものでしかないのだ。官僚組
織(官僚主義)は五十五年体制のもと日本的風土のように政治家の後ろ盾となったこの
ために日本は腐ったといえる政府の公式文書考案の大半が官僚によるものといわれている。

 官僚の気質は特異なもので古い業界を維持し新参者や異端者を極端に嫌う、だから行
政改革や規制緩和には厳しいとくに経済規制では「百害あって一利なし」といわれるほ
どである。なぜ官僚がここまで規制を守りたいのかというと業界の既得権益を保護しそ
の見返りとして天下り先を確保するためである。つまり彼等の経済観は消費者ではなく
自己の利益獲得のほうが優先しているのだ。中には違う考えもあると思うが日本は集団
主義が一番のため必然的に否定されることとなるだろう。官僚が栄えた国は日本だけで
なく古くは古代ローマ時代や近代ではイギリス、現代ではソビエト連邦が存在した。み
な衰退か滅亡の道を歩んだつまり過去官僚主義が栄えた国は、決して長く栄えないとい
うことがわかる。官僚主義がもたらすものは無駄の発生と効率性や生産性の悪化である
日本は前者達と同じような道を歩んでは欲しくないとせつに思う。

(3) 企業における経済意識
 かつて日本は「シェア第一主義」が企業の根底にあったが経済不況により消費が伸び
なくなったため「消費者第一主義」となった、しかし政・官・財のトライアングルの一
端を担った大手企業は安定化せず政府の援助により安定化をめざしている。現在、銀行
では不良債権により経営難や経営不振があいついでいる、「シェア第一主義」により規模
の拡大や系列化により銀行が中核として成立していたため企業の倒産により下請け業者
や納入業者も含め銀行を巻き込んで共倒れした、このため不況が深刻化し拡大化してい
った。

 各業界で現在、統合や再編、倒産がおきており日本型経営の処理が始まっている。ま
た株式においても日本の企業優先主義でなくアメリカの株主優先主義がさけばれるよう
になってきた今までの企業方針は株主のためでなく長期的な視点で企業利益をみていた。
しかし今では、消費者のための経営方針が各企業で示され始めている、私はこれからの
時代、政府や官僚達の癒着はこれからの経済不振をまねいてしまうのではないかと思う。
政府の公的資金投入は大手企業にとっては保険的な存在になってしまうのではないかと
思う、資本主義における競争に水を差すシロモノになりかねない。
 日本の国家的経済関与は限りなく保守的に近いものが感じられる、試行錯誤を繰りか
えしても良いから今の日本に適応する体制や方針をうちだして欲しい。それと後手後手
にまわる政策を改善すべきだし、官僚主導としない構造を作るべきだと思う。まずは政
治家の脱利益を考えて欲しい民主主義とはなにかと痛切に感じた。

< 中国としての経済 >

 社会主義として建国された中国しかし今では真逆にちかい経済政策を打ち出している
昔の中国まるで違う国であったかのように。国家として中国がどのように急速な成長に
携わってきたか書こうと思う。

(1) 毛沢東の中国
  中国の建国者は間違いなく毛沢東であるのは確かである。しかし毛沢東の政治は独裁
的でありまた老人政治(引退がない)でもあった、イデオロギーが全ての革命政治であ
った。また幹部の人事も縁故関係が中心であり実力が認められない制度であった。また
政府の政策も「計画経済」、「国営企業」、「人民公社」が柱となり社会主義の基盤を作り
上げた。しかし毛沢東の経済方針は重工業偏差であって他の軽工業や農業は遅れること
となるこの考えはソビエトによる政策を基としていた。だがこの重工業政策は失敗する
また毛沢東政権下、大躍進運動や文化大革命がおこり経済は20年近く頓挫する。これ
により先進国との差はますます広がる、結局中国は毛沢東死後に改革を打ち出すことと
なる。つまり毛沢東の掲げた理想観念と中国社会にはあまりにもギャップがありすぎた
のだ、それは経済にもいえたことで生産力第一、効率第一、物質的第一の経済政策を行
ったため中国の経済に混乱と停滞をもたらしたこの打開策として文化大革を毛沢東は発
動した。確かに毛沢東の偉業は尊敬されており「建国の父」と崇められているが、現在
では彼がしたことは意味の無いことのように言われている(文化大革命など)しかし今
となっては中国の発展にはかかせない時代だったと思う。なぜならこの期間で中国は経
済発展の難しさや重要性を肌で感じた、つまりハングリー精神が養われた期間としてみ
れば、意味のない時代ではないのではないだろうか。

(2) 改革開放政策
  文化大革命時においても中国では「四つの近代化」と称し毛沢東の存命中でも叫ばれ
ていた。毛沢東死後大きく好転しはじめる1978年に「工作重心転換」が提起された
これにより中国経済は発展することとなる80年代に入ると本格的に改革開放政策が実
施された(後に経済都市として有名になる上海浦東経済開放地区もこの時期に設立)外
資導入がおこなわれ、社会主義の根本である憲法でさえも93年には「社会主義市場経
済」、「国有企業」、「農業請負制」が主となり旧体制の柱であった「計画経済」、「国営企
業」、「人民公社」は撤廃された。(国有企業と国営企業の違いは所有と経営が分離してい
るかどうか)このように改革が進んだため経済においても変化し工業生産では国営企業
の比率は30%を下回り、小売では数%にまでなった。(過去、小売は90〜100%)
政府による経済直接介入が少なくなった証拠ではないだろうか。

 経済や政府の方針が変革することは「現状脱皮」ということには重要であり、日本に
も必要ではないかと思う、中国のように急激に変貌をとげるのではなく年月がかかって
も良いからやる時期がきていると思う。1994年には中国は大体的に変革する。

・財政体制改革...金融改革により「商業銀行法」ができ収益の最大化を目的とする真
の商業銀行ができる、市場に対応した制度とした。これにより受身
的な経営方針でなく企業の自主権にまかせるといった資本主義的な
要素をふくんでいる。

・税制体制改革...中央財政収入が先進諸国に比べ低くまた、年々税収も低下していた
ため中国政府は税収を確保するため。増税でなく中央税と地方税の
配分方法を制度化する「分税制」を導入した。

・為替管理改革...中国は国際化にともない対外関係における外貨準備金を作り資金の
流入や流出にそなえることとした。(後にIMF八条国に移行し元の
交換性を確保する)

・企業改革.......私営企業を認め、国営企業に対し自主化をうながし、また外資にお
いても様々な方法で合併などが合法となった。

・価格体制改革...市場の開放などにより計画経済価格から市場価格に移行により食料
価格が自由化された。(インフレやデフレーションが起きうる経済に
なったと言える)

 以上のような改革が中国の94年において本格的に導入された、この改革により中国の
社会主義的市場経済が確立する。

(3) ケ小平と「漸進主義」
  毛沢東死後、中国の政権の重鎮として君臨したのは間違いなくケ小平であった。毛沢
東死後、一時期だが華国鋒が国家主席となるが旧体制を維持したため、国政を一時期危
機にしてしまう。そのため当時でも権力者だったケ小平が中央の指導部につく、ケ小平
は改革に積極的であり旧体制の改革にのりだす。憲法改正(権力の過度集中に対する制
度)や党と行政の職能の区別、企業における責任者の選任など示した。また新たな政治
主導の形として「漸進主義」を打ち出した、後に「猫の目行政」ともいわれる政策上で
小刻みに調整と変化をおこなう行政の方針を確立させた。(大規模な構造改革をいくつか
の側面にわけて小出しすることで反対派や大衆の不満をやわらげることで柔軟な政府と
した)中国の変革仕方はソビエト(現ロシア)のようなペレストロイカのように短期間
で行わなかった。そのため経済体制には過度の負担がかからず、体制崩壊をまぬがれた。
しかしロシアでは急激な変化により経済体制は崩壊し修復可能ではなくなってしまった。
だが当時西側はゴルバチョフ当時大統領には賛美し偉業をたたえた、しかし現実は批判
的にみられていた中国の変革の仕方のほうが正しかったのだ。私はケ小平の「我々は改
革を打ちだした時点で政治体制改革を含めたい」と語った言葉に、現在の制度がいかに
良くないか国のトップが把握していると感じられる、これはなにもこれから発展してい
く国にだけ、必要な人材ではなく先進諸国にも必要なことである。今の日本にもケ小平
のような人材が存在してくれることを願う。

(4) 天安門事件
  一時期「北京の春」といわれた民主化運動が起こり共産党体制は民衆から否定され一
時期、改革は頓挫する。その後1988年に物価改革がおこなわれ小売価格が自由化と
なったため、食料や酒、タバコが値上がりした。このことによりインフレが起きそこに
民衆の経済や政治の不満も加わり、学生や市民による大規模な民主化運動が起こる。だ
が政府の対応は武力鎮圧であった、そのため西側先進諸国は経済制裁の発動や外資の進
出をとめた(このことにより中国指導部における開放路線は一層進展する)後のケ小平
の言葉で「社会主義の生産力の発展にとって有利かどうか、社会主義国家の総合的国力
の増強にとって有利かどうか、人民の生活水準を高める有利かどうか」と残している。
いかに民衆や国家について考えているかうかがえる。これ以後二桁台の経済成長伸び率
を中国はおこすこととなる。

 (補足)
  中国の経済意識の高さには日本と違い、指導部における人事においても経済専門家が
大半をしめている。また幹部においても終身制を廃止し区分して規律審査委員会を設置
した。また中国は実力主義を示すかのようにかつて‘右派分子’として政治闘争に脱落
した朱鎔基を指導部にとりいれた、後にアジア通貨危機を金融政策で守った(不動産価
格や株価の下落を防ぐ)これにより「赤い経済皇帝」とよばれるようになる。いかに中
国が権力も才能もある人間を重要ポストにおいているかわかる。日本と比較するといか
に日本が縁故的、派閥的で経済重視でないかわかる中国を見ると日本のトップにおける
経済観に不安が起こるのは私だけだろうか。

4・日本のこれからと中国のこれから

 両国とも発展しそして独自の政策や方針を打ち出し、試行錯誤し現在の位置にまでた
どりつけた。これはまぎれもない事実である、私はこれからの日本と中国について私個
人もしくは資料をもとにした見解を書こうと思う。

<1> 日本のこれからの問題と予想

 先進国としてアジアそして一時期は世界の日本と称されていたが現在では落日である
かのようにあらわされている点が多い。これからの日本はどのような方向性をもってい
けばよいか暗中模索の状態に近いと思う、そこで私はあらかじめ出てきそうな問題を挙
げていこうと思う。

1、 高齢化問題...この問題はもう各国で頻発し始めているから詳しくは良いと思うが、過去のベビーブームにより多子化になり歳月が経ち今では老齢化してきており少子化の時代により逆三角形となり税収入の増税により消費の伸び悩みが予想される。  (実際に年金の扱いも変化しはじめ、政府の方針でも年金を受け取る年齢をあげるなどして影響の最少化をはかっている)

予想,,,恐らく私たちの世代前後は年金などないと思う。それに税金として国民年金にいれても無駄となるため、この制度そのものが廃止になり自分の貯蓄により生活することになるだろう。

2、 日本の破綻...有り得ないと思う人もいるが、今日本は少しずつ危機へと足を踏み入れ始めている。現在の国債を考えればこの調子では後数十年で150兆円になるのではないのだろうか。しかも日本は先進国でありながら国債のランクは中堅の国家と同じなってしまった。
この意味は世界が日本の価値は下がったといわれているのに等しいものである。

   予想...まず今の政府における意識の改革が必要である。なるべく国債というみえない金に頼るのではなく、今使える金でヤリクリしなければ破綻も夢ではなくなってしまう。それにこれからの人にとってはとんでもない重りをしょわされるはめになってしまう、でも恐らくこのままだと我々に大きなツケとして残ると思う。

3、 政治意識...日本の政治ほど甘く、派閥的で一切のスタンドプレーを許さない国はそう多くないと思う。五十五年体制の崩壊後も基盤と影響力により依然、自民党は与党(今は連立)として存在し相変わらず消費者の声を理解していない者が多い。

   予想...民衆による政治離れにより今、無党派層が増えている(私も無党派)恐らくこれからの時代団体ではなく個人の能力が重視され、もしかしたら首相公選選挙という制度まで、でるかもしれない。

4、 経済と市場...経済は今、過渡期のような状況で企業の外資との提携や国内企業同士の統合が進み。過去経営に無理があった企業は倒産をよぎなくされている、つまり日本の経済意識がしだいに実力主義へと移行し始めたといえるだろう。市場においてはハイテク産業が勢いを持ちはじめている。

   予想...IT(情報技術)を使用した企業や産業は今でも数多くあるが、これからの時代もっと多くのハイテク関連の企業や産業がでてくるのは必然である経済における発展途中分野であるハイテク産業は次世代の経済の片腕を担う存在になるだろう。また市場においてもハイテク関連の商品が大きな市場にもなりうると思う。

5、 中国との関係...現在日本企業の多くが中国に進出し他の外資同様に中国経済にかかわっている。しかし隣国である日本の対中投資はまだまだの状態である。現状ではいまだに中国経済の本格的な進出には積極的でないことがうかがえる。

    予想...WTOの中国加盟により恐らく日本企業は中国の巨大な市場に本格的に進出するだろう。いわば中国が同じテーブルに座ったようなものだからだ、これは日本のみにいえたことではなく世界各国の企業も本腰をいれて進出するこであろう。現在の中国同様だが未来の中国に関心がない国はないと思う、(先進諸国では)ダントツの成長率と巨大市場これほど投資家や企業にとって魅力的なものはない。日本にとってアジアで一番の脅威となるのは間違いないだろう。
  
  <これからの日本>
  五十五年体制により日本は発展し経済大国へとなりそしてバブル崩壊により経済にお
おきな影響をあたえた。これには政治や企業の経済の先見性が鈍っていたことが原因と
思う。経済や政策というものは過去の経験をいかさなければ意味がない、私はこの不況
を見直し検討することで、これからの日本の展望や方針がいかされなければいけないと
思う。今の日本には多くの不満や不安があり中には次世代にも影響を確実に及ぼすもの
もある。官僚主義の権力削減と政治家の持つ経済観の発達が早急に必要ではないかと思
う、企業の自主発展はもちろんだが一番重要なのは消費者であり国民でもある我々が意思をしっかりもって行動に移すことではないだろうか。

 

<2> これからの中国の問題と予想

  改革開放政策により経済、政治とも見違える程に発達し今では経済成長率を二桁台は
常に維持している。まさしくこれからどのように発展していくか楽しみな国である、そこで私は中国における問題と予想を書いてみようと思う。

1、 人口の増加と少子化...中国は人口増加抑制のため一人子政策を実施した、(以前は
毛沢東の政策により多子化がすすめられた)このため人口
の増加は防止することができた。大国であっても人口の増
加は経済負担や貧富の差がでやすいため中国の社会主義市
場経済の足かせになりうるからである。

    予想...1人子政策において中国は諸刃の剣を持つこととなるだろう今までの人
口を約半分の人口で支え、またその半分の人口で支えるといった構造は
間違いなく日本と同じで高齢化を少子化が支えるといった構造である。
中国は日本と違い規模も大きい、もしそんな状況になってしまうと中国
の経済的な打撃は日本も上回るかもしれない。仕方のないことかもしれ
ないが、早めの打開策(具体案)が必要になってくるだろう。

2、 地域格差...中国は改革開放政策により沿岸部では発展し内陸部との格差が生じ
ている。このことにより人口の流出が起こり、95年には約8400
万人が自分の地域から流出したとされている。現在でも深刻な問題と
されている。

    予想...今後も起こり続けるとは思うが、発展の目標が沿岸でなく内陸と示され
れば多少は人口の流出は防げるし、出戻りする人もでてくるはずだ。ま
た発展の分散により全国民が一定レベルの生活水準で暮らしていけるの
ではないだろうか。(現に中国政府は中国西部の発展に協力するよう日本
に頼んでいる)そうすれば人口の移動に悩むことはなくなると思う。

3、 食糧問題...「人口増加を繰り返し高度経済成長により需要が増えれば、中国におい
て食糧問題が起きまた、世界的な食糧危機がくる」と一時期叫ばれた。
確かに世界的にも人口は増えているが、中国の発展においてその問題
を持ってくるのはひがみのようにしか思えない。実際に中国も「中国
は自国で養える。」と明言している。

    予想...中国はまだまだ国土があり食糧問題は問題ないとしたが、人口の増加や
発展による耕地面積の削減、日本のような農村の過疎化や高齢化を考え
ると楽観視はあぶないのではと思う。(世界的な食糧危機になれば)輸入
国日本にとってはかなり危機的状況になるのは確実である。でも食糧危
機については後何十年のうちには必ずおこるものとして考えていた方が
良いだろう。


4、 経済と市場...現在でも中国における外資の市場参入は頻繁に行われている、また
年々その数も増えている、広大な国土と世界最高の人口を持つ国の
経済水準は毎年順調に伸びている。実際に1995年の経済規模は
(米ドル換算)ロシアと比べると歴然としている。中国のGDPは
6914億ドルになっておりロシアの二倍で実質経済力もロシアの
六倍近くになっていた。これが5年前だとすると、現在の中国経済
はかなりの経済規模になっている。市場でも同様にいえる経済が発
展すれば自然と流通もさかんとなる社会主義市場経済により十分に
資本主義的な要素があるため産業も発達してきている。

     予想...このまま順調に発展していけば恐らく、ニューヨークやロンドン、東
京に続く証券取引所が設立も夢ではないと思う。また今世界において
ハイテク産業が重視されており、中国経済の新たな基盤にもなりうる。
また巨大な市場をもっているため経済規模の拡大も考えられる、これ
からもますます中国経済の発展や外資の市場参入が期待できる。

5、 日本企業との関係...現在、中国において日本企業は多く進出しておりまた、中国
側も積極的に日本企業の市場参入をうながしている。しかし
日本企業の技術導入は進んでおらず、中国に対する日本企業
のイメージは他の海外企業に比べ断然低いものとなっている。

     予想...WTO加盟によりますます日本の企業の中国に対する意識は強くなっ
てくると思う。そのため日本企業が中国での技術指導や技術移転も考
えられる、もし技術の本格的な導入がおこれば日本企業偏差もなくな
り日本企業における現地幹部採用も夢ではなくなる。
 
   <これからの中国>
    人口の多さや経済規模の大きさまた、これから出てくる新たな市場をみれば中国
がいかに期待のもてる国だということがわかる。確かに不安も多いが中国の指導部
や「猫の目行政」といった政治の仕方を考えれば、日本のような盛者必衰の形は避
けられるのではないかと思う。発展には様々な問題が起こるものだが、どのように
中国が対処するのか楽しみでもある。次世代の大国としての中国経済を私は期待し
ている。
   

 < まとめ >

  今回、中国と日本の経済状況や過去の出来事を勉強し私なりに両国の状態や構造を多
少だが理解することができた。全部を把握するということはかなりの時間や労力がいる
と始めてすぐに感じたし、実際にこのレポートを作成するだけでも結構大変だった、こ
のレポートは広く浅くできており必要最小限に凝縮して作ったため、見る人が見れば恐
らく不完成といわれても仕方のないものだ。しかし日本と中国の経済発展を比較し検討
するための必要項目はいれたつもりだ、特に日本がいまだに官僚主義を維持し日本を動
かしていたこと、政治家の先見性のなさや、これまでの企業の有り方など果たして今の
状態で良いのかと疑問に思うことが多かった。中国については、資料が古かったり抽象
的なものが多かったため、不透明なものが多く確信的なことは書けなかったがはっきり
いえることは、中国はこれからの行く末が楽しみであるということだ。しかし両国とも
はっきり言えることは、日本のこれからは発展した上で出てきた負の部分をいかに解消
していくかである。中国については発展中にでてくる問題を無視せず早期解決をするこ
とである。日本、中国の両国の決定的な違いは、日本はこれからどのような道を歩み過
去の官僚主義体制を主導していた国のように衰退するのか、それとも官僚主義体制の打
破により生まれ変わるのかのどちらかである、一方の中国は発展するということがわか
っているため道は一応だが定まっている。これは大きな違いであり、国の方針が理解し
やすく政策のあり方も民意に表されやすいということは一つの国家としてありがたいこ
とだと思う。日本のような不透明な状態では政府の方針や政策は民衆には理解しにくい
経済の高低は方向性の有無さえも左右すると感じた。
 経済発展とは誰かがするものでなく自分を含めた今の環境が経済を支え、そして経済
発展を促すものとして考えてもらいたい。経済とは私たちが住んでいる状況に深く結び
ついているものであり決して他人事ではない、政策をきめる政治も日本では暗中模索で
なにが今の日本には必要であって不必要であるかわからない。一方の中国は指導部が経
済に対し博識高い人が多いため方向性が打ち出しやすい、経済発展にとって政治の有り
方は切っても切れないものだと私は思う。本当の資本主義と民主主義とはなにかをもう
一度考えるべきだ、中国の打ち出した社会主義的市場経済のような短所を減らし長所を
とりいれるという政策のように合理的であるべきだ。これは日本にだけ言えたことでは
なく世界各国の政治にも見習うべきものと思う。中国の打ち出した「漸進主義」こそ新
たな政治の方向性なのではないだろうか。これからの日本にとって経済発展とは自己保
身ではなく本当の実力を見分け、合理的にできるかどうかにあると思う、これはなにも
個人だけにいえたことではない組織にもいえることである。これからの中国にとって経
済発展とは「漸進主義」のもといかに行動するかにあるのだと思う。いかに合理的に政
策を示しても必ず歪みはでてくるものでその歪みに対していかに対処するかが中国の経
済発展に影響すると思う。中国、日本の両国この相対的な両国がこれからの時代どのよ
うに変化するのか大変に興味深いものと感じられる。

                参考資料 日本の興亡50年
                          岡田 任弘
                     中国経済改革と将来像
                           凌 星光

 トップページへ ‖ 戻る(返回)