ゼミレポート

       「中国に進出する日本企業」

趙軍ゼミナール
経営学科3年
学籍番号:9830@@@
九鬼 淳

はじめに
1. 日中経済関係の発展過程における特徴
2. 日中貿易における相互依存関係の深化
3. 日本企業の中国進出による市場経済化の促進
4.まとめ(日中経済競争の激化と共生)

はじめに

 私は研究Tで「国際経営」について研究し、企業(特に日本企業)の海外進出について学んできた。そして研究Uで中国についていろいろ学んだ。私が興味を持った「国際経営」を軸に、21世紀に大きな発展を遂げるであろう中国経済・企業について、そしてそこに日本企業はどのように進出していけばよいのか、ということを調べてみた。

1. 日中経済関係の発展過程における特徴

 中華人民共和国の成立以来、日中経済関係の発展過程は大きく分けて3つの時期を経過している。この3つの時期には、それぞれ次のような特徴が見られる。
第一期 (1949年10月の新中国誕生〜1972年9月の日中国交樹立)
・この時期における日中経済関係は、日中両国の国家関係が正常化しておらず、しかも世界的な冷戦構造のなかで、日本はココム(対共産圏輸出統制委員会)やチンコム(対中国輸出統制委員会)などに参加していたこともあり、中国に対する輸出禁止政策が強化されていた。他方では、日本の中小企業を中心に中国に対する貿易拡大の要求が次第に増進にてきた。その結果52年から58年までの間に第1次から第4次に至る日中貿易協定が締結された。
 ・60年代の日本は高度経済成長の時代であり、大型プラントの輸出余力が増進していた時期であった。一方中国側にとっても中ソ対立が激化し、60年以降は旧ソ連からの経済技術援助が打ち切られた為、日本など西側先進諸国の大型プラントに対する需要が高まっていた時期であった。しかし国交正常化以前の日中貿易は極度に制限され、中小企業を中心とする極めて小規模なものに限定されていた。

第二期 (1972年9月の日中国交樹立〜1978年12月の中国による対外開放路線への転換)
・ 日中両国の国交樹立に伴い、74年には「貿易協定」(1月)、「航空協定」(4月)、「海
運協定」(11月)など3協定が締結され、日中両国政府間における経済関係の基礎が確立した。
 ・78年8月には「日中平和友好条約」が締結され、同年10月に発効した。同条約は「両締約国は、主権および領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等および互恵ならびに平和共存の諸原則の基礎のうえに、両国間の恒久的な平和友好 関係を発展させるものとする。」と規定している。友好条約の締結は日中両国間において 正常な政治経済関係を発展させる礎を築いたという意味で、歴史的意味をもつものであるといえる。
第三期 (中国が改革・開放路線に転換した78年12月以降)
・ この時期には中国による対外開放が実現した結果、日中経済関係がそれまでの単なる流通過程での結びつきから、生産過程をも含む結びつきへと深化した。
   79年7月に中国が公布した「中外合資企業経営法」(合弁企業法)に基づき、同年12月には東洋紡が中国の合弁企業、天山毛紡織品有限公司への共同出資・経営に参加した。その後、日本の数多くの企業が中国市場に進出しており、なかでも生産企業への出資と経営への参加は、日中経済関係の流通過程から生産過程への深化として画期的なもつといえる。
・ 88年8月には日中両国間における投資関係を保護し、確立する法的な措置として「日中投資保護協定」が調印された。

第三期における貿易、投資および国際分業などを中心に日中両国間の経済的な競争と共生の問題を以下では考えている。

2. 日中貿易における相互依存関係の深化

日本と中国の双方にとって日中両国間の経済関係を拡大しようとする要求は、時の流れとともに増進している。72年の国交樹立以前の対中国貿易額は、経済関係の不正常な状況を反映して極めて小規模であり、たとえば、70年の貿易総額でもわずか8億ドル余りに過ぎなかった。しかし国交樹立後は大幅に増加し、たとえば、75年における貿易総額は約38億ドルに達している。さらに、中国が改革・開放路線に転換した80年代以降、とりわけ90年代に入ってからは日中貿易額が一段と増加しており、96年以降は総額で600億ドル台に達している。
 90年代に日中貿易額が一段と増加している基礎には、主として日本側による中国からの輸入が輸出を大きく上回って増加していることがある。このような輸入増加の傾向には、中国への委託加工による製品輸入や80年代に中国へ進出した日本企業からの製品輸入などの増進も影響している。他方、日本の対中国輸出の伸び率が低い状況に関してもいくつかの原因が存在している。たとえば、96年と97年の日本側の輸出は円ベースでは前年を上回っているが、ドルベースでは両年とも前年を下回っている。その原因としては96年4月以降に中国側が実施した外資系企業の輸入設備原材料に対する免税措置の撤廃、固定資産投資の抑制、金融引き締めによる資金逼迫などが考えられる。90年代に入ると、日中貿易は一貫して日本側が入超を記録しており、97年にはついに200億ドルを超えるに至っている。このような状況は、両国貿易の均衡発展の観点からは検討すべき課題であると思う。
 日本の中国に対する貿易依存度は、中国の改革・開放路線への転換以後、年を追って上昇する傾向にある。日本の貿易額全体に占める対中国貿易額の比率は、中国が改革・開放路線へ転換した初期の80年までは、貿易総額に関しては3%台を超えることはなかった。しかし、その後はかなり上昇し、92年以降は5%を超え、97年には8.4%に達し、まもなく1割に迫る勢いである。とりわけ輸入貿易額では94年からは1割を超え、97年には12.4%にも達している。その結果、日本貿易全体に占める中国貿易の順位も上昇しており、97年の統計では輸出入貿易総額で第2位、輸出総額では第5位、輸入総額では第2位を占めている。日本の対外貿易総額のなかではアメリカが25%を占め、断然トップの座を維持しているが、日本の対外貿易にとって成長市場と期待される東アジアはアメリカに次いで重要な市場であり、中国はその主役となる地位にあるが、他方、中国本土にとっても日本は香港に次いで重要な貿易パートナーである。日中国交回復以後の70年代後半から改革・開放路線への転換を実現した後の80年代前半にかけての磁気と93年以降における対日貿易総額は中国の国別比率で2割以上も占めている。
 中国の統計によると、97年における企業別対日貿易構成では、日系企業を含めた外資系企業が対日輸出入総額の58.4%も占めている。そのうち輸出では国有企業が47.4%、外資系企業が50.3%、集団企業その他が2.3%、輸入では国有企業が30%、外資系企業が67.3%、集団企業その他が2・5%となっている。(「国際貿易」紙、98年3月31日)中国貿易全体に占める外資系企業の割合が、総額で47%、輸出で41%、輸入で55%であるのと比較して、日本との貿易ではその比重がさらに大きくなっている。
 日中両国間における貿易依存度の上昇は、貿易商品にも反映している。現在、日本の対中国輸出商品の中で最大の大口商品となっている機械機器の輸出額は中国の改革・開放直前の78年にはわずか2億ドルに過ぎず、日本の機械機器輸出全体に占める国別比率で1%であった。しかし、中国の改革・開放以後は急速に増大し、97年には金額で約59倍の117億ドルにも達し、国別比率は3.8%に上昇している。なかでも繊維機械の対中国輸出では、国別比率は約16%を占めている。
 他方中国は日本にとって重要な繊維製品生産基地になっている。日本の中国からの輸入商品のなかで最大の大口商品は繊維製品である。78年における日本の対中国繊維製品輸入総額は3億ドルに過ぎず、国別比率は11%であった。ところが97年には輸入総額は41倍を超える124億ドル、国別比率は55%に上昇している。
 日中両国間の貿易における相互依存関係の深化は、その基礎に両国における国民経済の発展過程において相互貿易を拡大する必然性が存在することを示唆している。

3. 日本企業の中国進出による市場経済化の促進

 中国の改革・開放以来、日本企業の中国への進出は、産業の領域においても、地理的な範囲においてもますます拡大しており、それは日本企業の資本主義的な経営理念や経営方式を中国の業界に伝播し浸透させることによって、その市場経済化を促進するのに寄与している。
 日本の中国に対する直接投資の対象領域は、工業の分野では繊維産業、食品加工業など労働集約型産業に加えて93年以降は自動車、運搬機械、精密機械などの機械工業、電子工業および石油工業など大型ないし技術集約型のプロジェクトへも投資対象が次第に拡大し始めている。機械工業の分野における対中国投資は近年になって急速に進展しており、95年までの日中合弁プロジェクトは1,500件、狭義金額は35億ドルに達している。特に94,95年が多く、この2年間で80%を占めている。自動車工業ではトヨタ、本田、マツダ、三菱自工、日産、スズキ、いすゞおよび日野などがすでに中国で部品生産を中心に事業を展開しており、中国にある部品メーカーを含む自動車関連の外資系企業300社のなかで、日系企業は40社を超えている。電子工業の分野でも日本企業の対中国投資比重が上昇しており、松下、東芝、ソニー、三菱電機および日立などが積極的に事業を展開している。中でも松下電産は96年現在、中国に設立している31の生産会社のうち実に28社をそれまでの3年間に開設している。類型投資額は500億円を超え、日本企業では最大規模である。
 第3次産業に対する日本企業の投資対象は、従来のホテル経営などサービス業から商業および不動産業に重点が移ってきている。日本企業による中国の商業分野への投資は、90年の300万ドルから94年には1億1,400万ドルに増加している。貿易の分野では、三菱商事が97年8月に開業した中国初の合弁貿易会社である東菱貿易有限公司に参加している。中国はそれまで貿易分野への外資の参入を認めておらず、東菱貿易は同時に開業した中国と韓国との合弁企業である上海蘭生大宇有限公司および中技・鮮京貿易公司とともに中国初の合弁貿易会社である。このような合弁貿易会社の設立による中国貿易への外資の参入は、中国の外資利用政策および貿易体制改革における極めて大きな変化とみなすことができる。東菱貿易有限公司の登記資本金は1,250万ドルで、出資比率は中国側が51%,三菱商事が27%、アメリカのコンチネンタル・グレーンが22%となっている。つまり、中国は貿易分野への外資の進出は認めるものの、現段階では主導権はあくまでも中国側が維持する構えである。
 日本企業の中国への進出は、このような産業領域の拡大とともに、地位的範囲においても、徐々にではあるが東部沿岸地域から中西部の内陸地域へ拡大し始めている。
 中国経済にとって日本企業の進出がもたらす経済効果は、建設資金の補充、技術水準の向上、生産および貿易の発展、税収の増進、雇用機会の創出および市場経済化の促進など多岐にわたっている。日本企業の中国進出が日本経済にとっても、はたまた中国経済にとっても、経済効果を持続する限り、日本の中国への企業進出の必然性と中国による日本企業導入の必然性が貫徹することは明らかだ。ただ、国際比較における収益性の低下など経済効果に陰りが現れる場合には、日本企業の投資方向が部分的に中国から東南アジアなど他の成長地域にシフトする可能性があることも否定しえない。実際にこのような状況を背景として、ジャスコ、西友、ダイエーなど大手小売業各社は衣料品の一部について中国からの開発輸入を見直し、調達先を東南アジアへ切り替える動きもあった。

4.  まとめ(日中経済競争の激化と共生の行方)

 日本企業の中国市場進出における諸外国企業との国際競争がますます激しくなってきているばかりでなく、日中両国間の経済関係においても競争が次第に激化してくる傾向にある。日本の国内市場では中国の改革・開放以来、日中両国間における加工貿易および企業進出の拡大を基礎として、中国製低コストの繊維製品をはじめとする軽工業製品の輸入が増大し、これらの製品を生産するわが国の労働集約型産業に対して少なからぬ衝撃を与えている。
 終戦前および戦後の経済復興期を通じて日本の主要産業の地位にあった繊維産業では、60年代から70年代にかけての高度経済成長期に産業構造が急速に重化学工業化したこと、労働力不足に伴い賃金が大幅に上昇し、価格競争力が低下してきたこと、および発展途上国において繊維産業が急速に成長してきたことなどによって国際比較劣位化が進んできた。日本の輸出総額に占める繊維品の比重は65年には18.7%も占めていたが、97年にはわずか2%へ低下しており、輸入総額に占めるその比重は逆に70年の1.2%から97年には7.1%へ上昇している。とくに、中国からの繊維品輸入は90年代に入って大幅に増大し、日本の対中輸入総額の30%前後にも達している。日本の繊維品輸入総額に占める国別シェアでは、中国は93年の45%から97年には55%にも達しており,断然第1位である。つまり、日本の輸入繊維品の半分以上は中国製品である。その結果、日中両国間には繊維品の日本への輸入をめぐってしばしば摩擦が生じている。96年7月には日本紡績協会など業界団体は錦織物ポプリン・ブロードの中国からの輸入が急増し、国内綿紡織業界が深刻な打撃をうけているとして、通産省に対しWTOの新繊維協定に基づく緊急輸入制限措置(繊維セーフガード=TSG)の発動を要請した。通産省は同年8月から調査を進める一方、中国側と協議を行い、11月に中国側が対日輸出の安定化へ自主管理を強化することで合意したことから緊急輸入制限措置の発動を見送った経緯がある。しかし、実際には韓国、香港などからの迂回輸出があり、中国側の輸出管理の実効は上がらなかった。

現段階における日中両国間の経済関係は日本優位の垂直分業を基軸としており、その限りでは経済競争も、経済摩擦も労働集約型製品を中心に展開されている。労働集約型製品の競争力はでは、豊富な労働力と低賃金を基礎とする中国側が比較優位にある。その結果、日本では低コストの軽工業品や農産物などの輸入拡大によって軽工業や農業など労働集約型産業の一部に空洞化が進むことになる。高賃金の日本側が労働集約型製品の生産における比較劣位から脱却するためには、労働集約型産業における労働生産性の飛躍的上昇による生産コストの大幅な低減が必要である。その対策としては、困難ではあるが軽工業など従来の労働集約型産業においても技術を革新し、省力化を探求するとともに、製品の高付加価値化を図ることなどが考えられる。

現段階において日本と中国との間には国民経済の発展水準にかなりの格差が存在しているばかりでなく、このような格差は今後も継続する可能性がある。日本の製造業はネットワークを張り巡らし、ロボットなどのFA(工場自動化)機器を駆使した生産システムを備えた最新鋭の工場計画を相次いで具体化している。また、半導体産業においても最先端の微細加工技術を維持している日本は、その製造、開発に関わる技術の幅と厚みにおいて世界のトップレベルにある。日本の電子部品産業はいまや世界に大きなシェアを占め、世界の供給源となっている。この圧倒的な国際競争力の源泉は独創的な製品開発力にある。このような日本における産業技術の進歩と産業構造の技術集約化の進展は、中国との経済関係において垂直分業の継続を可能にする要因になるのである。仮に中国における産業技術の向上と産業構造の技術集約化がかなり速いペースで進んだとしても、日本のそれが中国を上回るか、あるいは少なくとも並行して進む限り、垂直分業は維持されることになる。まして21世紀の半ばまでには中国の人口は16億人に達する見通しであり、過剰労働力の配置問題は産業構造の技術集約化にとって一定の障害となることも考えられる。急激な産業構造の技術集約化による省力化の進展は、人口大国にとっては極めて難題であると思う。
 しかし、中国が国際比較利益の増進を目指して、産業高度化国際分業を指向し、戦略産業における技術水準の向上を遂行することになれば、技術集約型産業においても日中両国間に特定分野における経済競争や経済摩擦を発生させる可能性はある。たとえば、これまで日本と韓国の業界が激しく競合していた造船業では、数年後には中国が新たな脅威になる可能性があるといわれている。さらに、21世紀の半ばに中国が近代化を基本的に達成して中心国の経済水準に到達し、その後21世紀の末に先進国の地位を確立するというシナリオがもし順調に遂行されることにでもなれば、日中両国間の経済関係は画期的な転換を遂げ、技術集約型産業を基軸とする先進国型水平分業が実現することになると思う。
 その段階では、日本の中国との経済関係における摩擦や空洞化の問題は、主として技術集約型産業をめぐって展開されることになるだろう。たとえそのような段階に到達しても、両国がそれぞれの特徴を生かした水平分業によって、深刻な摩擦の発生を避けることは可能だと思う。自由競争の原理のもとで発展する国際貿易は、大なり小なり経済的な摩擦を避けることはできない。60年代の高度経済成長期以来、日本と欧米諸国は技術集約型産業における水平分業を実現し、多くの経済的な摩擦を経験した。しかし、時には経済摩擦を伴いながらも共生の道をたどっている現実は、仮に将来日中両国間に同様の状況が到来

しても、活路の探求が可能であることを示唆している。日中両国間において仮に遠い将来水平分業が実現し、技術集約型産業における経済競争や経済摩擦が発生しても、産業内国際分業における、それぞれの特徴を生かした水平分業の探求などによって深刻な矛盾を避け、ともに繁栄する道を歩むことは可能である。その段階では新しい水平分業の発展によって、日中両国は高度な段階における競争と共生の時代を迎えることになると思う。

<資料>(省略)
表1

表2

表3

表4

表5

参考文献
・中国企業改革の研究  川井伸一著 中央経済社
・ビジネスはアジアに在り['94]  ダイヤモンド社
・東南アジアにおける経営者の近代化 伊藤禎一編著 アジア経済研究所
・インターネット等

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