Yearning for the old days 
2007/07/16海の日 
     

浦 安


   
   
 今や、「浦安」と言えば、東京ディズニーランド♪ お洒落なリゾートホテルが並
ぶベイエリア! でもね、私にとっては…。


  
「浦安」は、我が家にとって唯一のお出掛け場所でした。
一年を通してよく、ドライブ(?)と称されて「ハゼ釣り」に連れ添われて行ったので
した。漁師町だったという頃は知りませんが、私が覚えている浦安は、木一本生え
ていない乾いた埋め立て地が見渡す限りに広がり、目前の海には、堤防?の段々
の斜面に鎖?ロープ?のようなものがあって降りて出られるところでした。

 母が手際よくおにぎりを握り、水筒にお茶を入れて、準備よろしく車に乗って出発
です。途中、川沿いの釣り屋で餌を買い求め、見慣れた車窓を眺めながら、いくつ
かの橋を渡り、浦安へと向かっていきます。赤い橋が中でも印象に残っています。

 父や叔父たちがハゼを釣る傍らで、私たち姉弟はそれを見ていたり、時には竿
を与えてもらって釣りしたり。餌のゴカイは初めは自分ではつけられませんでした
が、そのうち慣れてしまえばへっちゃらになり、自分で餌つけもできることを友だち
に自慢もしましたっけ。でもやはり、波打ち際で遊んだり、アサリを採ったりしてい
ることが多かったかしら…。
茶色に濁ったきれいではない海だけど、泳いでいたこともありましたっけ。(笑)

 「こんなところ、誰が買うのかしらね〜?」と母は当時言っていました。
吹きっさらし、強い海風に砂埃がひどく舞い上がり、何も遮るものがない太陽が眩
しかった。人が住む処とは思えない荒野のような場所なのに、
すでに区画(地縄が張られていたような気もする)されており、所有者が結構に決
まっているらしい。いくら安くても、ここを買うなんて信じられないということでした。
そう、その数年後?十数年後?に、こんな立派な町、街並に、一大アミューズメン
ト地に変貌するとは思いもしなかった親子です。
「あのとき、買っていればね〜。」と母がもらしておりました。

 ハゼ釣りの帰りには、近くにあった「お山の公園」とか「富士見の公園」とか呼ん
でいたかしら?そこに寄ることが楽しみでした。広大な埋め立て地の中にぽっかり
とあった小山で、そのてっぺんからは何にもない周囲を360度見渡すことができ
ました。遠くには富士山が見えていたのかも知れません。
シロツメクサが山一面に覆い茂っており、それを摘んで首飾りをつくったり、ダンボ
ールの切れ端をソリにして山を滑り下りたり、飛び交うトンボを追ったり。草むらの
蔭には小川が流れており、叔父に倣って笹舟や笹笛を作り、姉弟で競ったりして、
はしゃいだものでした。その公園は、何か沢山のものが詰まったような、食後の甘
〜いデザートのような…、とてもお気に入りの場所でした。

 しかし、お金が掛からないで済む、ここしか連れて行ってもらえないから、
「また浦安…」と思ったり、つまらぬ顔したりってこともしばしば…。 
また出掛ける前にはいつも母から、「何か欲しいと言ってはダメ!買って上げられ
ないからね!」と、ジュースなど飲食物やオモチャのような物などをねだらないよ
うにしっかり言い含められたもの…。
お陰様で私たち姉弟は、「あれ買って〜!」 「これ欲しい〜!」などと駄々こねること
がない、質素な、立派な?子どもとして成長しました。(笑)


 
あの海や公園は、どの辺りなのだろう?どのように姿を変えたのだろう?と思い
にふけますが、父ももういないし、二度と見ることができない情景なのだろう…と。
青い海でないけれど、あの海にもう一度行ってみたい。
 
 
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