Yearning for the old days 
2008/03/23
     

台 所


   
   
 レバーを左右に上下すれば、お水もお湯も自由自在♪のシンク〜
タイマーセットで自動消火、天ぷらは温度管理もしてくれる、お掃除もラクラク♪
のIHコンロ〜。スイッチポンで、お皿もコップもピカピカ乾燥♪の食洗機〜。
ゆったり二人並んでお料理できるマンゴーオレンジのキッチン♪


 我が子どもの頃の台所は…。
ちょうど真四角の感じのスペースで、多分1坪くらいなのかな?
 
 ガス台とシンクがL字型に配置されて、角にはガス炊飯器が置かれていた。
ガス台側が、茶の間(兼・祖父母寝室)に面していて開口していた。
今風で言うなら、「対面キッチン」となるのかしら?(笑)
母が大きな鍋をかき回し、湯気が立ちこめる光景が見える。
 
 「お皿持ってきて」 「お茶碗並べて」と母が言う。
食器棚は、茶の間にあった。左の下段から取り出す。
今思えば、あの小さな食器棚には、11人をまかなう食器が詰まっていたのか!
洗面用のタオル、醤油やソース、お茶葉や海苔なども入っていたのにね。
未だに実家に残っている当時の食器を見ると、とても懐かしい。
安物で洒落たものではないが、愛着を覚えるもの、大切なものになっている…。
 
 さて、シンクは洗所台も兼ねていた。
風呂場には小さな洗面台があったのだが、土間にスノコが敷かれていたそこに
下りて使う習慣はなかったのだった。
小さかった私たちは、漬け物か何かのプラスチック樽を踏み台にしてシンクに手
を届かせていたと思う。金物の洗面器があって、水や湯沸かし器で湯を張って、
パシャパシャと顔を洗っていた。もちろん歯磨きもここ。

 また、シンクの横は、風呂場の入口であった。
その入口前には、二層式の洗濯機も置かれていた。
本当に小さく恥じらいのない頃は、ここでスッポンポンになって風呂場に入ったが、
羞恥心が芽生えてからは、風呂場に入って脱衣して、ドアを少しだけそろりと開け
て、洗濯物を洗濯機の上のカゴに入れていたっけ。
そして、洗濯機の横には、叔父の部屋の出入り口もあった。

 そう、冷蔵庫は、かなり離れて茶の間を一直線に通り抜けた所(今風に言えば、
玄関ホールとでも言うのかな?)に置かれてあった。
そして冷蔵庫の上には、電話機(黒いジーゴロするダイヤル式)も置かれていた
っけね。

 そんなこんなで、小さく多機能な3Wayの台所は、キュッキュッ!
一人いればその後ろをまともに通るゆとりもなかったと思う。
調理台というようなスペースもないから、まな板をシンクの上に置いて、傾かない
ようにしながらも、具材をザックザックと四角い菜切り包丁をおろしていた。
そんな中でも、手際よく見事に調理が進んでいたのだね…。
もちろん配膳台もないのだが、料理ができれば、すぐに子どもたちが皿を取り出
して、盛られた皿をちゃぶ台に並べるから、事足りていたのだね〜。
子どもの手、今思い起こして感心してしまった。(笑)

 11人もいれば、食べ物の嗜好、好き嫌いはいろいろなもの。
洋風なもの、バターくさいものがダメな祖父、肉がダメな叔母、食事というより酒の
肴がないとかなり不機嫌な父、苦手なものばかりあった(もう過去形(^^;)だけど)
私、青魚でじんま疹がでる弟…、そんなんだから、母も料理をつくるのはとても苦
労をしていたものだ。一つカレーをつくるにも2種類だものね。


この頃は、ガス台の場所に炊飯器が置かれていたよう。


それにしても、祖母や母の料理と味、受け継げていませんね…。
 あちゃ、すみません。

 
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