春の調べ・考


 同志社大学の卒業式にグリークラブの歌う送別の歌“春の調べ”は切っても切り離せない、いわば付物である。筆者1年生の終わりだから1956年3月、春季演奏旅行を中途で切り上げて全員帰洛し、卒業式でこの曲を奉仕し、改めて中国路へ出直した記憶がある。
★ グリークラブ創立30周年記念誌(昭和9年=1934=刊)の年譜を精査すると、大正3年(1914)記事中に
 “12月24日 於同志社公会堂。クリスマス音楽礼拝、三輪花影先生作歌及び讃美歌”というのがある。
 もう一つ、大正4年(1915)
 “3月20日 同志社第40学年卒業式に於て合唱。16名、曲目「三輪先生作歌」”という記事があって、このころすでに卒業式に歌われていたことをうかがわせる。曲名が明記されていないが、讃美歌ならいざ知らず、「先生作歌」とあるのでほぼ間違いないものといえよう。また曲名記載でなく「先生が作られた」という記載は、出来てまだ時日が経過していないことも想像でき、大正3年暮れに完成し、クリスマスに試唱、翌春の卒業式披露と相成ったのではなかろうか。
 


★ 歌詞はそれでよいのだが問題は旋律である。長らく「作曲 L.M.Enilsizer 」と伝えられており、ドイツ人風の名前だが、一体誰だろうというところで詮索が終了してそれっきりであった。カタカナ表記すれば「エニルジッツェル」もしくは「エニルジッツァー」か。何かの誤記の可能性も否定できず、考察は資料不足で前に進まなかった。
 そこへ舞い込んだのが前窪情報であった。「この曲は昔ある男声合唱団が歌ったのを聞いたよ。別の歌詞で。」というのである。早速お願いして送っていただいたのがそのコピーである。

(注)前窪まえくぼ一雄:グリー第18代指揮者。昭和18年卒。


★催事名: 明治節奉祝大音楽会
 日 時: 昭和11年(1936)11月3日
 場 所: 京都朝日会館
 主催: 大阪朝日新聞社京都支局
 プログラム関係個所:(画面右側をClickすると拡大)
  第二部(7)男声合唱 府師範学校音楽部 指揮:中原都男氏 曲目:a 神殿 クロイセル曲/近藤朔風歌 b 山のあなたの エルスセル曲/カルブッセ詩/上田敏訳詩 c 富嶽の頌 スツンツ曲/桑田つねし歌 d 自由の誓 メンデルスゾーン曲/飯田忠純歌


★クロイセル(K. Kreutzer)、スツンツ(J. H. Stunz)やメンデルスゾーン(F. Mendelssohn)は実在確実で同定可能なのだが、問題はエルスセルである。多分この時代この合唱団はこの作曲者名を記した譜面を持ち、名前を認知していたに違いない。

 一つ参考になりそうなことがある。それは「クロイセル」である。これはその「神殿(Die Kapelle)からも確実なのだが、我々はふつう「クロイツェル」もしくは「クロイツァー」と呼ぶ。この語尾「−セル」がエルスセルと語尾が同じである。「Enilsizer」の綴りを今無視して考えよう。エルスセルを今我々が読んだら「エルスツェル」とか「エルスツァー」になるのだろうか?
 もう一つ。かつてガリ版楽譜の時代に筆耕者の誤認でよく歌詞や題名が書き間違えられることがあった。その一つがあのRequiem Aeternamの作曲者の“Peter Cornelius”である。某筆耕者がこれを誤認して“Peter Comeius”とやらかしたのである。こういうことがどこかで無かったのだろうか?つまりアルファベット小文字の「r」「n」「m」「l」「i」などが微妙に繋がると、原名を知らない人は自分の判断だけで綴りを“拵えて”しまいがちである。
 そこでEnilsizerに戻ると、ここに欧文字綴りでは見られなかった「ル」のもとになる「r」が「E」の次に見えないだろうか?そしてそのあとに「i」や「l」が出たり入ったりし、それが最後の「セル」=「-zer」に結びつく。
 (この先が難しい。どなたか考えてください。)
 


★ これでは考察文が空中分解するので最後に同志社グリークラブ愛唱曲集「One Purpose」に掲載された澁谷解説を引用して締めくくることにする。
 三輪源造作詞、L. M. Enilsizer作曲のこの『送別の歌(春の調べ)』は、1916年(大正5年)の卒業式で、グリークラブによって初めて歌われた。以後、卒業式には欠かせない歌となった。この歌のファン、この歌だけは忘れられないという卒業生が、数多くいる。
 グリークラブでは、かつてはフェアウェル・コンサートで、三回生以下の送る側がこの「送別の歌」を歌い、卒業生がNow Is the Hourを歌っていたが、いつの頃からか、三回生以下がYou'll Never Walk Alone、送られる側の卒業生がこの「送別の歌」を歌うようになった。
 作詞者の三輪源造先生は、同志社大学神学部卒、同志社女子専門学校教授であった。国文学に造詣深く、讃美歌の作詞者として知られる。しかしながら作曲者のEnilsizerについては、詳しいことは分からない。

(注)澁谷しぶや昭彦:グリー第26代指揮者。昭和31年卒。


★ 新しい知見、というには少々古いが畏友・KKさん(ほぼ同期で同志社学生聖歌隊=略称DS=に所属していた)からいただいた譜面を紹介する。譜面の最後に「Copied by Y.Kan.」とあるのは乃公とほぼ同世代DSの指揮者だった金田義国氏の写譜ということだろう。同時にこれはDS伝来の混声譜かも知れず、また金田氏編曲の可能性もある。それはさて置いて、
 タイトルは「送別の歌」だが「鶯に寄す」という洒落たサブタイトルがついている。左に「G.MIWA」つまり三輪源造作詞だろう。そして右側にあるのが作曲者だろう「L.M.EULSIZER」とある。これがグリー伝来の譜面と異なるところである。
 「sizer」は共通するし、これを「スセル」と読んだのだと強引に決め付けると、残るのは「Enil」と「EUL」の違い、そしてそれらと「エル」との異同だけになる。さて、(未完)
 

 


 2016年秋。見知らぬ御仁から飛び込んだメールで、この謎に満ちた曲の一端が明らかにされようとしている。奈良在住で男声合唱史を研究している方(以下某氏)が、「送別の歌」の作曲者はこの人だと思います」と言ってこられた。このご連絡は実は乃公にとって二つの発見が重なったものだった。一つは某氏が送別の歌の探索で探し当てた山口隆俊編著の「The Songs of the Male(男性の歌)」の存在、二つ目がそれに掲載された「送別の歌」の譜面から推して「Louis M. Evilsizer」が作曲者として正しかろう、というものであった。
 山口氏のこの本は大正15年共益商社書店刊で、「新しき歌をエホバに向いて歌え」など全部で25の男声合唱曲が掲載されている。この本が広島大学図書館の蔵書であること自体謎だが(それは置いといて)、某氏が全頁写真を撮られたものを恵投頂いた。この中の送別の歌の譜面の右肩に「L. M. EUILSIZER/三輪花影作歌」と記載されており、同志社グリー伝承譜と五十歩百歩なのだが、某氏はこれらの混乱をひとまとめにして仮説を立てて検索したところ、「Louis M. Evilsizer」に行き着いたとの情報を頂いた。「Evilsizer」は「Hymnary.org」サイトによれば、アメリカで作曲家・音楽教師として活躍した人(1852-1922)だという。ファーストネームやミドルネームが同じでファミリーネームの1字だけ異なっている“だけ”であり、年齢から推して19世紀後半から20世紀初頭に活躍したアメリカ人(イーヴィルサイザー?)のようなので、乃公はこの人が「送別の歌」原曲の作曲者と断定したい。
 ただ、一つだけ困ることがある。それは、いくら調べても「春の調べの鶯よ」で始まる旋律が姿を現さないのである。某氏は「どこかの讃美歌集に収録されているのでは」と想像しているとのことであった。
 それにしても、だ。「One Purpose」にあった2TenとBasの並行八度(神の召したもう)はミスプリントだと思うのだが、この譜面もそうなっている。果たして?

(注)山口隆俊:グリー第7代指揮者。大正13年卒。東京リーダーターフェルフェライン創設者の一人

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