更新日 イラスト:2013/6/8 アニメーション:2011/5/5
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本編に掲載した客車たちと同じ時代を駆けた列車をサイドビュー・イラストで再現してみました。
主に国鉄からJRに至るまでの間に活躍した列車を、1ピクセル/50mmのスケールで描きました。当時の懐かしい情景を思い浮かべて頂ければ幸いです。
ちいさなサイドビュー図鑑のページでは、2/3サイズに縮小した当サイトのすべてのオリジナルイラストが御覧頂けます。



キハ181系 特急はまかぜ(国鉄色・両サイド) (2010/7/31初版 2012/12/29更新)
キハ181系特急「はまかぜ」(国鉄色)(2012/12/29更新)
キハ181系特急「はまかぜ」(国鉄色)(2012/12/29更新)
国鉄特急色のキハ181系です。
国鉄分割民営化後は、山陰筋ではキハ82系で運行されていた長距離特急が整理される一方で、キハ181系による中距離特急の、まつかぜ・はまかぜ・あさしお・おき・いそかぜなどが活躍しました。
播但線経由の陰陽連絡特急「はまかぜ」は閑散期には4両編成となるのですが、グリーン車を連結して特急の風格を保っていました。
編成は、上段左側が大阪・香住・浜坂・鳥取向き、上段右側が姫路向きとなります。


DE10が牽引する50系客車普通列車 (2010/7/31初版 2013/6/8・50系客車修正更新)
DE10が牽引する50系客車普通列車(2013/6/8・50系客車修正更新)
DE10と50系の組み合わせは、中国地方では播但線・姫新線・芸備線・岩徳線で見られました。播但線といえばDD51牽引の生野越えを思い浮かべますが、姫路平野内で完結する寺前までの区間列車にはDE10が牽引するものも見られました。
播但線は旺盛な通勤通学需要のもとで客車列車が多数運行されていましたが、1992年に一斉に気動車化されてしまいました。
絵は客車3両で描いてありますが、播但線ではDE10牽引の列車は4〜7両編成で運転されていました。


普通列車山陰号・出雲市行き 〜1984年2月改正までの旧型客車編成〜(両サイド) (2013/5/3初版)
●南側側面
普通列車山陰号(出雲市行き牽引機・DD51)普通列車山陰号(出雲市行き荷物車・マニ36)普通列車山陰号(出雲市行き郵便荷物合造車・スユニ50)普通列車山陰号(出雲市行き1号車・オハネフ12)普通列車山陰号(出雲市行き2号車・スハフ42)普通列車山陰号(出雲市行き3号車・スハ42)普通列車山陰号(出雲市行き4号車・スハ42)普通列車山陰号(出雲市行き5号車・スハ43)普通列車山陰号(出雲市行き6号車・スハ43)普通列車山陰号(出雲市行き7号車・スハフ42)

●北側側面

普通列車山陰号(出雲市行き7号車・スハフ42)普通列車山陰号(出雲市行き6号車・スハ43)普通列車山陰号(出雲市行き5号車・スハ43)普通列車山陰号(出雲市行き4号車・スハ42)普通列車山陰号(出雲市行き3号車・スハ42)普通列車山陰号(出雲市行き2号車・スハフ42)普通列車山陰号(出雲市行き1号車・オハネフ12)通列車山陰号(出雲市行き郵便荷物合造車・スユニ50)普通列車山陰号(出雲市行き荷物車・マニ36)普通列車山陰号(出雲市行き牽引機・DD51)
下に示した普通列車・山陰号の、1984(昭和59)年2月改正まで続いた旧型客車による編成です。
寝台車と普通車の所属はすべて出雲区(米イモ)で、絵のように青色の客車ばかりで編成されていたことが多かったようです。
昭和50年代後半の山陰本線の客車普通列車は、浜田(米ハマ)・米子(米ヨナ)・西鳥取(米トリ)・福知山(福フチ)の各所属車で運行されていましたが、その編成は何れも雑多なものでした。
普通列車とはいえ、山陰号の編成には急行だいせんと共に長距離輸送を担う本列車のプライドのようなものさえ感じます。

(※)絵の編成は「特集●オハネフ12と普通列車・山陰(2)」に紹介した1982年12月28日の829レをイメージしていますが、各車両の特徴を再現したものではありません。
(※)DD51形ディーゼル機関車とオハネフ12形寝台車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を当サイトで改造して使用させて頂きました。

普通列車山陰号・出雲市行き 〜1984年2月改正後の12系編成〜(両サイド) (2013/4/29初版)
●南側側面
普通列車山陰号(出雲市行き牽引機・DD51)普通列車山陰号(出雲市行き1号車・オハネフ12)普通列車山陰号(出雲市行き2号車・スハフ12)普通列車山陰号(出雲市行き3号車・オハ12)普通列車山陰号(出雲市行き4号車・オハ12)普通列車山陰号(出雲市行き5号車・オハ12)普通列車山陰号(出雲市行き6号車・オハフ13)

●北側側面

普通列車山陰号(出雲市行き6号車・オハフ13)普通列車山陰号(出雲市行き5号車・オハ12)普通列車山陰号(出雲市行き4号車・オハ12)普通列車山陰号(出雲市行き3号車・オハ12)普通列車山陰号(出雲市行き2号車・スハフ12)普通列車山陰号(出雲市行き1号車・オハネフ12)普通列車山陰号(出雲市行き牽引機・DD51)
山陰本線の普通列車・山陰号は、1985(昭和60)年3月まで運行されていた夜行普通列車です。晩年の運転区間は京都−出雲市で、出雲市寄りにB寝台車が1両連結されていました。
山陰号は1984(昭和59)年2月改正まで荷物車2両を併結した旧型客車で運行されていましたが、改正後は荷物車の連結が無くなると共に普通車が12系に置き換えられ、この絵の編成となっています。
1984年2月改正は、国鉄による郵便輸送・荷物輸送の縮小、貨物列車の拠点間輸送への移行という、民営化を見据えた大規模なダイヤ改正でした。
山陰号についても荷物輸送の終了で列車の存在意義は少なからず失われることから、列車が存続しても寝台車の廃止は免れないと思われましたが、1年間の猶予が与えられ10系ハネ+12系による普通列車が実現することとなります。

(※)DD51形ディーゼル機関車とオハネフ12形寝台車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を当サイトで改造して使用させて頂きました。

1985年頃の急行但馬号(両サイド) (2010/7/31初版 2013/3/23全形式更新)
1985年頃の急行「但馬」号(2013/3/23全形式更新)
1985年頃の急行「但馬」号
国鉄の分割民営化前後までは、全国各地にローカル急行が多数走っていました。
大阪からは福知山・播但・姫新線を経由して中国・山陰各地へ向かう陰陽連絡列車網があり、急行「但馬」もその中のひとつでした。
絵は姫路発着の短い編成ですが、ちゃんとグリーン車が連結されていて需要の大きさを物語っています。時折キハ65が組み込まれることもありました。
その後、全体の輸送需要は減退してしまいましたが、播但線経由で陰陽連絡を担う特急はまかぜの姫路における乗降客数は現在でもたいへん多く、かつての急行但馬の使命を思い起こさせます。


小さな入換機のいる専用線風景 (2013/1/14初版)
小さな入換機のいる専用線風景(2013/1/14更新)
かつて鉄道の駅は旅客と貨物両方を扱うのが当たり前でした。このため、物流量の多い素材産業を中心に製造事業所は駅の近隣にあって、原材料の搬入・製品の出荷を鉄道を介して行っていたものです。
このような事業所と貨物扱い駅を結ぶ比較的短い線路を専用線と呼び、国鉄時代は全国各地に見受けられました。
専用線内での小運転や入換えは大抵貨主側が行いますから、鉄道車両や産業用輸送機メーカー各社が規格化した機関車を供給していました。ただ、輸送規模も保安度も低いので必然的に産業機械然としたものが多くなります。
絵は日立製作所製の15トン級ディーゼル機関車を描いたものです。○○通運などと表記した黄色いボディは貨物移動機風ですが、全長5メートル足らずながらセミセンターキャブの愛らしいスタイルでした。
(※)ワム80000形及びタキ43000形タンク車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を当サイトで小改造して使用させて頂きました。 また、機関車は様々な様態を折衷したフリーランスであり特定機ではありません。

関門海峡を潜るブルートレイン (2012/11/17初版)
●南側側面

EF81 300番台(下関−門司間)寝台特急富士(西鹿児島行き電源車・カニ24)寝台特急富士(西鹿児島行き1号車・オロネ25)寝台特急富士(西鹿児島行き2号車・オハネ25)寝台特急富士(西鹿児島行き3号車・オハネ25)寝台特急富士(西鹿児島行き4号車・オハネ25)寝台特急富士(西鹿児島行き5号車・オシ24)寝台特急富士(西鹿児島行き6号車・オハネフ25)寝台特急富士(大分行き7号車・オハネフ25)寝台特急富士(大分行き8号車・オハネ25)寝台特急富士(大分行き9号車・オハネ25)寝台特急富士(大分行き10号車・オハネ25)寝台特急富士(大分行き11号車・オハネフ25)寝台特急富士(大分行き12号車・オハネ25)寝台特急富士(大分行き13号車・オハネフ25)

●北側側面(基本編成部分のみ)

寝台特急富士(西鹿児島行き6号車・オハネフ25)寝台特急富士(西鹿児島行き5号車・オシ24)寝台特急富士(西鹿児島行き4号車・オハネ25)寝台特急富士(西鹿児島行き3号車・オハネ25)寝台特急富士(西鹿児島行き2号車・オハネ25)寝台特急富士(西鹿児島行き1号車・オロネ25)寝台特急富士(西鹿児島行き電源車・カニ24)EF81 300番台(下関−門司間)
本州と九州をつなぐ関門トンネル区間は、海水の滴下する海底トンネルであることと、門司駅構内の下関寄りに交直デッドセクションがあることで、列車の牽引には専用の電気機関車が用いられます。
上の絵は、その専用機関車であるEF81形300番台に牽引される東京発着のブルートレインの昭和50年頃の様子を描いたものです。
EF81形300番台は、汎用交直両用機関車であるEF81形を関門仕様としたものです。コルゲート成形で補強したステンレス車体が特徴で、色入れした枠付きナンバープレートもおしゃれです。
東京発着の寝台特急のうち、西鹿児島方面行きの「富士」や「はやぶさ」は24系25型客車で編成され、個室寝台車・オロネ25と食堂車・オシ24を組み込んでいて、オールモノクラスだった大阪発着の列車とは対照的な豪華編成でした。
(※お断り)絵は紹介した列車を正確に再現したものではありません。絵は全て24系25型の0番台で組成していますが、実際は100番台以降が使われていたようです。また、オシ24は形態の酷似したオシ14で代用しています。

1984(昭和59)年・北陸本線221レ 米原発富山行き普通列車 (2012/10/21初版)
北陸本線221レ富山行(EF81)北陸本線221レ富山行(オハフ45 2104)北陸本線221レ富山行(オハ35 2594)北陸本線221レ富山行(オハ35 2575)北陸本線221レ富山行(オハ46 2023)北陸本線221レ富山行(オハフ46 2008)北陸本線221レ富山行(スニ41 2011)
昭和50年代までの北陸本線の普通列車は、他の国鉄幹線と同様に旧型客車で編成された客車列車が主役でした。
特急が停車する拠点駅では、ひっきりなしに発着する特急・急行電車の傍らで、長距離運行される客車列車がのんびりと時間を潰すという光景が当たり前に見られたのでした。
ここに示した絵は、北陸本線の客車列車全廃を翌年に控えた昭和59年2月29日の米原発富山行き普通列車・221レの編成を再現したものです。
編成は、EF81 5-オハフ45 2104-オハ35 2594-オハ35 2575-オハ46 2023-オハフ46 2008-スニ41 2011で、機関車は富山第2機関区(当時)、普通車は名マイの所属でした。
なお、絵に掲載した旧型客車は、当サイトの各形式紹介のページで実物写真をご覧頂くことができます。
(※)EF81は絵では後期形としています。また荷物車は実際は2両連結されていました。

(※)スニ41形荷物車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を当サイトで小改造して使用させて頂きました。

2001(平成13)年・485系特急白鳥号 ラスト・ラン (2012/10/8初版)
485系特急白鳥号(1号車・クハ481)485系特急白鳥号(2号車・モハ484)485系特急白鳥号(3号車・モハ485)485系特急白鳥号(増3号車・モハ488)485系特急白鳥号(増4号車・モハ489)485系特急白鳥号(4号車・サロ481)485系特急白鳥号(5号車・モハ484)485系特急白鳥号(6号車・モハ485)485系特急白鳥号(7号車・モハ484)485系特急白鳥号(8号車・モハ485)485系特急白鳥号(9号車・クハ481)
485系・白鳥号は、大阪〜青森間1000キロを超える日本海縦貫線を約13時間をかけて走破した昼行の特急列車です。
かつては青函連絡船、更には函館発着の優等列車に接続して、同区間をゆく「特急日本海」「急行きたぐに」と共に近畿・北陸・東北の日本海側と北海道を結ぶ鉄道ネットワークの一翼を担っていました。
遥か北へ向かう渡り鳥・白鳥の名を冠するに相応しい、走行距離の長さと北海道連絡という使命に、何かしら郷愁を覚える列車でもありました。
ここに示した絵は、2001年3月ダイヤ改正前の青森〜大阪間ラストランの様子をイメージしたものです。
晩年の編成はグリーン車1両を組み込んだ9両編成が基本でしたが、終盤には2両増結した11両編成で運行されました。向かって左上が1号車で大阪・青森向き、右下が9号車で新潟向きとなります。


寝台特急北陸号 金沢ゆき 〜EF64 1000番台登場のころ〜 (2012/6/14初版)
寝台特急北陸号(上野−長岡間牽引機・EF64 1000番台)寝台特急北陸号(金沢行き6号車・スハネフ14)寝台特急北陸号(金沢行き5号車・オハネ14)寝台特急北陸号(金沢行き4号車・オハネ14)寝台特急北陸号(金沢行き3号車・オハネ14)寝台特急北陸号(金沢行き2号車・オロネ14)寝台特急北陸号(金沢行き1号車・スハネフ14)
「北陸」号は、長岡経由で上野と金沢を結んでいた寝台特急です。発足当初は20系を使用していましたが、1978年から14系に置き換えられ、列車が廃止されるまで使用され続けました。
ここに示した絵は、EF64 1000番台が登場した頃の編成を再現したものです。但し、実際は前寄りにスハネフ+オハネ4両+スハネフの6両を追加した12両編成で運行されていました。
北陸号は元々運行距離の短い列車だったこともあり、民営化後は集客のために個室化改造された車両を積極的に組み込みましたが、移動手段の多様化や経済情勢の変化の前に利用減に歯止めが掛からず、2010年3月をもって廃止されています。
ここでは、下に示した「さくら」号とは逆サイドを描いてありますので、オハネ・オロネの表情の違いもお楽しみ頂ければ幸いです。

寝台特急さくら号 長崎・佐世保ゆき 〜民営化前夜〜 (2012/6/14初版)
14系寝台特急さくら号(東京−下関間牽引機・EF66)寝台特急さくら号(長崎行き1号車・スハネフ14)寝台特急さくら号(長崎行き2号車・オロネ14)寝台特急さくら号(長崎行き3号車・オハネ14-700)寝台特急さくら号(長崎行き4号車・オハネ14)寝台特急さくら号(長崎行き5号車・オハネ14)寝台特急さくら号(長崎行き6号車・オシ14)寝台特急さくら号(長崎行き7号車・スハネフ14)寝台特急さくら号(佐世保行き8号車・スハネフ14)寝台特急さくら号(佐世保行き9号車・オハネ14)寝台特急さくら号(佐世保行き10号車・オハネ14)寝台特急さくら号(佐世保行き11号車・オハネ14)寝台特急さくら号(佐世保行き12号車・スハネフ14)
永らく1レ・2レを名乗り国鉄寝台特急列車の花形であった、さくら号の国鉄民営化前後の編成です。この絵は、下りのさくら号を再現したもので、機関車寄りから1号車となり、1〜7号車が長崎行き、8〜12号車が佐世保行きとなります。
「さくら」号は、1972年にそれまでの元祖ブルートレイン・20系から新開発の14系寝台車に置き換えられ、更に1985年からは東京−下関間の牽引機が、ファンが永らく待ち望んでいたEF66へと変更されました。
14系客車は既に量産され実績のある12系を基本にした手堅い設計である一方、B寝台のベッド幅はそれまでの客車寝台の標準であった52センチから70センチへと拡幅されたことは画期的な改良点でした。
また、分散型電源方式の14系客車は、同じ九州ブルトレでも鹿児島・宮崎方面行きのような途中駅で付属編成を切り落とすのではなく、別々の目的地へ向かうさくら号にとっては好都合でした。
(※)EF66形電気機関車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を当サイトで小改造して使用させて頂きました。

EF64 1000番台の牽く石油貨物列車 (2012/5/13更新、2012/5/19 JR貨物更新車+タキ1000追加)
EF64 1000番台の牽く石油貨物列車(2012/5/19更新)
EF64 1000番台の牽く石油貨物列車(2012/5/13更新)
EF64形1000番台は1980年から製造が始まった、国鉄が最後に新製した直流電気機関車です。当初は上越線の旧型電気機関車の置き換えを目的に開発されました。
本番台は1964年の基本番台車の登場から16年も経って開発されたこともあり、その外観は車体側面のエアーフィルターとその上の明かり窓といった、それまでの国鉄型電気機関車とは異なる趣となっています。
積雪の多い上越線向けとして開発されたことや、客貨両用・重連運用も考慮されていたことから装備は重厚であり、また18.6mに及ぶ長い車体も相まってカッコいい機関車ですね。
上段の絵は、JR貨物が2003年以降に実施している更新工事施工車で、塗装が明るい青とクリームのストライプに変化しました。扇風機カバーのあったところには冷房装置が搭載されています。また、タンク車は最新のタキ1000形としています。
下段の絵は、機関車は民営化後間もない頃の国鉄一般色・JRマーク貼り付け・冷房無し、タンク車は平成生まれのタキ43000形243000番台で黒色塗装・日本石油輸送仕様としています。

(※)タキ1000形及びタキ43000形タンク車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を当サイトで小改造して使用させて頂きました。

キハ47 旧・福知山色
キハ47 旧・福知山色(2012/3/18更新)
1990年代の北近畿地域のJR線は、国鉄時代に電化された大阪〜福知山〜城崎(現・城崎温泉)のルートと京都近郊の僅かな区間以外はみな非電化で、主力車両は国鉄から継承された気動車群でした。
この地域の大半を管轄していたJR西日本・福知山支社に所属するキハ47型気動車は民営化後から1990年代にかけて塗装が変更され、ここに示すうぐいす色に白帯を入れた福知山色となって活躍しました。
兵庫県内の山陰本線では、主に豊岡−鳥取間の普通列車に使用されました。ここでは主に2両編成で運行されていましたが、朝夕の時間帯は上の絵の様な4両編成でも運転されました。また、当時は未だ主力車両だったキハ58系との混結もよく見られました。
その後、宮津線の経営分離・山陰線の電化延伸・舞鶴線電化で同支社管内の気動車所要数は減少し、福知山色のキハ47は順次転出していきます。21世紀になるころには播但線の部分電化に伴う系統分離で出現した新塗装が残存気動車に波及して福知山色は消滅しました。


山陽新幹線100系K編成・こだま
山陽新幹線100系K編成・こだま(1号車・121-5000)山陽新幹線100系K編成・こだま(2号車・126-3000)山陽新幹線100系K編成・こだま(3号車・125-3700)山陽新幹線100系K編成・こだま(4号車・126-3200)山陽新幹線100系K編成・こだま(5号車・125-3000)山陽新幹線100系K編成・こだま(6号車・122-5000)
グランドひかり用V編成は後継車両の拡充に伴い2000年以降長距離運用を徐々に縮小していきました。これで生じた余剰車を老朽化が進む0系こだまの置き換え用として短編成化したものが4連のP編成と6連のK編成です。
V編成だけでは先頭車と車椅子対応の3号車が不足するためG編成からの改造も行われた他、4号車には車掌室が設置され126-3200番台に、こだま専用化に伴う仕様変更に伴い121・122形は5000番台を名乗っています。
また、2002年以降は0系こだまと共に座席の2列+2列化が完了した編成から、順次明暗の灰色にグリーン帯を配した、所謂「フレッシュグリーン」塗装に改められました。
4連のP編成は2011年春に一足先に引退した後、6連のK編成も2012年3月のダイヤ改正で引退することとなり、一部が国鉄時代の塗装に戻されて最後の活躍をしています。


東海道山陽新幹線100系V編成「グランドひかり」
東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(1号車・121-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(2号車・126-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(3号車・125-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(4号車・126-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(5号車・125-3800)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(6号車・126-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(7号車・179-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(8号車・168-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(9号車・179-3100)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(10号車・178-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(11号車・125-3700)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(12号車・126-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(13号車・125-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(14号車・126-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(15号車・125-3000)東海道山陽新幹線100系V編成・グランドひかり(16号車・122-3000)
1985年に登場した新幹線100系電車は更なる速達化のための改良にも増して、二階建て車両の導入や普通車3列席の転換リクライニング化といった旅客サービスの改善が図られた車両系列です。
前頭部も0系のそれを継承しながら更に先鋭化されたことで、洗練されたデザインとなりました。JR東海のイメージCM「クリスマス・エクスプレス」のヒットで、この時代の新幹線を象徴する存在となったようにも思います。
「グランドひかり」はJR西日本が東京−博多間の速達ひかり用として製造した編成で、高速化を狙った走行系の改善と長距離運用に備えた食堂車の組込み、食堂車とグリーン車3両を二階建てするといった特徴を持っています。
21世紀に入ると性能面で速達化に対応できなくなり、2002年にグランドひかりとしての運用を終了しました。この後、V編成は4・6連の短編成化改造を受けて2012年3月まで山陽区間での「こだま」として活躍しました。

※100系3000番台の行先表示器はLED式でしたが、筆者の好みでご覧のように方向幕仕様として描画しました。

485系特急形電車(初期型・両サイド)
485系特急形電車・初期型(2012/1/7更新)
485系特急形電車・初期型(2012/1/7更新)
昭和40年代前半までに製造された初期型485系は、流線型のシルエットを持つAU12形クーラーを搭載し、クハ481はモハ20(151)系以来のボンネット形前頭部とした伝統的デザインとなっていました。
ここに示したのは、大容量化でMGを床下装備としたクハ481-100番台と初期型モハのユニットによる編成例です。また、モハ484は屋根上にAU12は3基しか搭載できず、床置きのAU41を車端部に3基設置した関係で独特な側面となっています。
485系は昭和47年に登場した後期形から、制御車のデザインは所謂「電気釜」へ移行します。またモハ484は200番台以降のAU71集中型クーラーへの変更で定員増が図られ、他の形式もAU13Eへの変更で外観は変化しました。
その後の民営化前後には特急も短編成化政策が推進され、収容定員に劣る初期型は長大編成を運用する拠点へ集約されて使用されましたが、2003年の特急白鳥の廃止と前後してボンネット形クハは順次引退していくこととなります。
このような短編成にボンネット形のクハは、やっぱり不釣合いですね。


昭和50年・475系北陸急行「ゆのくに」「立山」号12両編成
475系北陸急行(1号車・クハ455)475系北陸急行(2号車・モハ474)475系北陸急行(3号車・クモハ475)475系北陸急行(4号車・サハ455)475系北陸急行(5号車・サロ455)475系北陸急行(6号車・サロ455)475系北陸急行(7号車・サハシ455)475系北陸急行(8号車・モハ474)475系北陸急行(9号車・クモハ475)475系北陸急行(10号車・クハ455)475系北陸急行(11号車・モハ474)475系北陸急行(12号車・クモハ475)
急行電車全盛期である昭和50年頃に北陸本線を走った急行「ゆのくに」「立山」の編成です。左上が1号車で大阪向き、右下が12号車で金沢・富山・糸魚川・宇奈月温泉向きとなります。
サロ2両に加えてビュフェ付きのサハシ455を加えた12両編成は本稿でも紹介した485系「雷鳥」と同様の組成であり、当時の急行列車の存在意義を感じさせます。
しかし、昭和50年代半ばには特急の増発政策によって急行列車はその補完的役割に移行し、ビュフェの連結廃止に続きグリーン車減車を経て、昭和57年秋のダイヤ改正をもってその存在に終止符が打たれました。
その後、北陸の交直急行形は東北や九州地区と同様に、近郊型電車として地域輸送に携わることとなります。

九州の475系電車[クハ455-600番台組込み・両サイド]
九州の475系電車(2011/11/26更新)
九州の475系電車(2011/11/26更新)
広島シティ電車の成功に気を良くした国鉄は地方都市圏でのフリークエントサービス拡充を進めます。このうち交流電化されていた東北・北陸・九州地方では急行列車の廃止で余剰となっていた交直急行形が充当されることとなりました。
交直急行形は3両で編成が組めるという利点を持っていましたが、元々が優等列車用であったため、サロやサハを組み込んでいた電動車ユニットを3連化するためのクハが足りませんでした。
そのため、直流用の165/169系クハからの改造に加え、サハ455からの改造で充当しても未だ足りず、サロ455やサロ165を改造するに至ります。ここに描いた絵はサロ改造のクハ455−600番台を組み込んだ編成です。
JR九州に継承された本系列はその後いわゆる九州色に改められて、末期には主に九州南部で活躍しましたが2007年春に引退しました。九州での編成は鹿児島基準でクモハが熊本向き、クハが宮崎向きとなります。

475系交直両用急行形電車[両サイド]
475系急行形電車(2011/11/6更新)
475系急行形電車(2011/11/6更新)
交流電化の進展を受けて1962年に配備が始まった交直両用急行形電車は、汎用性を拡張しながら1965年には抑速ブレーキを装備した455/475系へと発展しました。
本系列の集大成は3電源対応となった457系となりますが、急行形電車は既に充足されていたので455/475系に比べるとむしろ少数派となります。
本系列は主に地方幹線への乗り入れを考慮していたため、クモハ・モハ・クハから成る3両編成が基本となり、クハに替えてサロやサハシ・サハを組み込んだユニットをつなぎ合わせることで列車を組成していました。
上の絵は、その基本となる3両を再現したもので、冷房改組実施とそれにともなうモハの低屋根部ファンデリア吸気口撤去後の姿となっています。なお、当初は60Hz対応車は裾にクリームの帯を巻いていましたが、457系登場後は廃止されています。
民営化に前後して急行列車は殆どが廃止されてしまいましたが、交直両用であることや3両で組成できるメリットから多くが近郊形電車として第二の人生を歩み、2011年秋現在でも車齢40年を超える古参車両が今も現役です。

九州の気動車
九州の気動車(2011/10/16更新)
JR九州へ継承された国鉄型車両は、クリーム10号に青23号の帯を窓下と幕板部分にまとった「九州色」に順次変更されました。これは気動車にも実施され、それまでの朱色などの落ち着いた暖色系調色から一転して清清しい軽快なイメージとなりました。
九州色の車両は民営化後暫くは急行形車両の格下げ使用の広がりで九州の何処にいても、電車・気動車を問わず出会うことができました。
しかしながら、21世紀が近づくにつれてJR九州独自設計のカラフルな装いの新型車両の増備と引き換えに、国鉄継承車両の淘汰が順次進行して、現在ではむしろ珍しい存在になりつつあります。
上に示したのは、左からキハ40 2000番台、キハ53、キハ58の九州色です。キハ40は車齢が若く、多くが機関換装やアコモ改良を受けて現役ですが、地域色に塗り替えられることも多くなりました。また、キハ53とキハ58はすでに引退してしまいました。

昭和57年・485系特急雷鳥号12両編成
485系特急雷鳥号(12号車・クハ481)485系特急雷鳥号(11号車・モハ485)485系特急雷鳥号(10号車・モハ484)485系特急雷鳥号(9号車・サハ481)485系特急雷鳥号(8号車・モハ485)485系特急雷鳥号(7号車・モハ484)485系特急雷鳥号(6号車・サシ481)485系特急雷鳥号(5号車・サロ481)485系特急雷鳥号(4号車・サロ481)485系特急雷鳥号(3号車・モハ485)485系特急雷鳥号(2号車・モハ484)485系特急雷鳥号(1号車・クハ481)
下に紹介した581/583系と共に、向日町運転所はエル特急の花形・雷鳥号を受け持っていました。昭和50年代の編成はやはり12両で、食堂車に加えてグリーン車2両という、まさに「特別急行」と呼ぶに相応しい豪華なものでした。
絵は昭和57年ダイヤ改正前の編成を再現したものです。向かって左向きが金沢・富山・新潟方向、右向きが大阪方向となります。
晩年の国鉄はフリークエントサービスに注力していきますが、これにより特急雷鳥号も昭和57年秋のダイヤ改正以降、グリーン車の減車、食堂車の連結廃止を経て、平成になると6M3Tの9両編成が定着することになります。


583系で運行された特急雷鳥号12両編成
583系特急雷鳥号(1号車・クハネ581)583系特急雷鳥号(2号車・モハネ582)583系特急雷鳥号(3号車・モハネ583)583系特急雷鳥号(4号車・サハネ581)583系特急雷鳥号(5号車・サロ581)583系特急雷鳥号(6号車・サシ581)583系特急雷鳥号(7号車・モハネ582)583系特急雷鳥号(8号車・モハネ583)583系特急雷鳥号(9号車・サハネ581)583系特急雷鳥号(10号車・モハネ582)583系特急雷鳥号(11号車・モハネ583)583系特急雷鳥号(12号車・クハネ581)
昭和50年代に向日町運転所に配置された581/583系はグリーン車・食堂車を含む12両編成となって、寝台特急「なは」「明星」や昼行特急「雷鳥」として運転されました。
ここに示した絵は、その12両編成を再現したもので、上段左側が大阪(九州方面寝台特急ならば西鹿児島)、下段右側が金沢(同・新大阪)方向となります。
その後、同所の583系は寝台特急列車の客車化や昼行特急からの撤退が進み、1985(昭和60)年のダイヤ改正以降は定期運行される列車は急行「きたぐに」だけとなって現在に至っています。


419系近郊形電車・新北陸色(両サイド)
419系近郊形電車(新北陸色)
419系近郊形電車(新北陸色)
1985年に北陸本線へ投入された419系は、その近郊型電車としての能力は万全とは言えないながらも、北陸地域から米原や直江津へと直接乗り入れできる稀少な交直両用近郊型電車として活躍を続けることとなります。
車体の塗装は民営化後暫くして、それまでの赤2号+クリーム10号帯から白に青帯の明るい配色へと変更され、本系列が引退した2011年まで継続されました。
上の絵は、その塗装変更後の姿を再現したものです。民営化により、クハ419のJNRマークが順次撤去されたほか、改造時点で使用停止となっていた内側寄りのトイレ窓を塞いだり、前面貫通扉と愛称表示窓を撤去するものも現れました。
編成は、食パン顔のクモハ419が直江津向き、特急顔のクハ419が米原向きとなります。また、米原向き制御車にはサハネ581から改造された食パン顔のタイプも存在しましたが、番台区分では無く別形式のクハ418となりました。


寝台特急電車を改造した419系近郊形電車(両サイド)
419系近郊形電車
419系近郊形電車
581/583系電車は1980年代に入ると新幹線の延伸や夜行列車需要の衰退、昼行時の接客設備の貧弱さから余剰車が増加していました。一方で地方都市圏の増発と電車化要求の高まりを受けて、余剰車の活用策として発案されたのが近郊型化改造でした。
しかし、財政が逼迫していた晩年の国鉄に用途に見合った車体更新を行う余力は無く、「食パン」と呼ばれる奇抜な外観と安普請の内装でファンを驚かせた419/715系の誕生となったのです。
本系列のうち、九州・東北に投入された715系は1990年代後半に順次世代交代を済ませましたが、JR西日本に継承された交直両用の419系は21世紀になっても後継車両が現れず、2011年3月のダイヤ改正まで活躍し続けました。
絵はクハネ581改造のクハ419を組み込んだ編成で、1985年に登場した時の赤2号の車体にクリーム10号の帯をまとった旧北陸色で再現してみました。


583系特急形電車(両サイド、上段はクハネ583、下段はクハネ581組込)
583系特急形電車(クハネ583組込)
583系特急形電車(クハネ581組込)
昼行特急用の485系とほぼ同時期の1968年に登場した寝台特急電車583系です。前年に登場した581系電車を交流50Hzにも対応させると共に、寒冷地での運用も考慮した改良が為されて系列が変わりました。
581系は新大阪からの新幹線接続の九州特急として、50Hz対応となった583系は主に東北特急として、登場当時は増え続ける速達列車需要を満たすべく昼夜に亘って走り続け、車両の効率的運用に大いに寄与しました。
晩年は新幹線延伸による夜行列車削減で余剰車が急速に淘汰される一方、国鉄の経営悪化による車両新造抑制を背景に、フリークエントサービス拡充のために近郊型電車に改造されるものも現れました。
2011年春のダイヤ改正で近郊型改造されたグループは北陸本線を最後に役目を終えました。2011年夏現在、JR東日本では波動用として、JR西日本では急行きたぐにと波動用で本来の特徴を活かした最後の活躍が続いています。


485系特急形電車(その3)〜短編成化改造車・鹿児島総合車両所Dk9編成風〜(両サイド)
485系特急形電車・鹿児島総合車両所Dk9編成
485系特急形電車・鹿児島総合車両所Dk9編成
1984年に特急[有明]の短編成化を目的として登場したのがクモハ485-0番台です。短編成とは言っても5〜7両だったためクモハにも電動発電機・空気圧縮機が必要で、運転室後方にこれらを収容する機器室が設置されて独特の外観となりました。
ただ、この後は更に短編成化が進み3両編成での運行が基本になったことから、電源も空気もクハからの供給で足りることになり、クモハ485-100番台や1000番台では機器室が設けられることなく客室面積が拡大されています。(下の絵を御覧下さい。)
九州における485系は民営化後に登場した新型特急電車に追われるかたちで3〜5連で運行される日豊本線南部のローカル特急仕業に集約されますが、これはクモハ485の利点を活かすこととなり最晩年まで活躍しました。
上の絵は鹿児島総合車両所のDk9編成を模したものです。絵とは異なってクハは貫通扉の撤去、モハは交流専用化改造が為されていましたが、2010年8月に国鉄色にJNRエンプレムを装備したリバイバル仕様で出場してファンを喜ばせました。


485系特急形電車(その2)〜短編成化改造車・クモハ485-1000とクロハ481-301・302〜
485系特急形電車
485系特急形電車
1980年代後半になると国鉄は全国各地で短編成化・増発によるフリークエントサービス拡充に乗り出します。これには特急列車も例外ではなく、中間車からの改造によって数の不足する制御車を充足することとなります。
また、短編成化で需給バランスの狂うグリーン車は多くがクハ481からの半室改造で賄われることとなりました。ここに描いたのは、モハ485-1000から改造したクモハ485-1000とクハ481-300からのクロハ481-301・302です。
上の絵は4両編成にサロを組み込んだ例で181系気動車の特急[はまかぜ]の電車版ですが、全室ロザは明らかに供給過剰ですね。因みに2010年秋にキハ181系を置き換えたキハ189系[はまかぜ]には半室グリーン車すら存在しません。
下の絵は半室グリーン車を組み込んだ3両編成で、東北地区の特急[たざわ]の一部や[かもしか]は、このクモハ485-1000+モハ481-1000にクロハ481-1000を加えた編成でした。


485系特急形電車(両サイド)
485系特急形電車
485系特急形電車
1968(昭和43)年に登場した485系は、直流・交流50Hz・交流60Hzの国内すべての電化区間に対応した特急形電車で、国鉄の電化区間延伸と共に全国に速達列車網を築き上げた立役者でもあります。
更に、その後の「エル特急」の出現と併せて「特別」な急行列車であった特急を、庶民が当たり前に乗る列車へと変えていったのも本系列と言えましょう。
ここに示した絵は、そのエル特急の代名詞的存在となったクハ481-300番台と後期形モハによる基本編成です。
当初は食堂車は当たり前でグリーン車2両連結も珍しく無かった「特別急行」も、国鉄末期には短編成化・増発政策によりこの絵のようにオールモノクラスの短編成まで出現するようになりました。


キハ52の普通列車
キハ52の普通列車
キハ52はキハ20系に属する気動車なのですが、後期に生産された100番台は横型のDMH17Hエンジンを搭載していて機構面ではキハ58に近い車両です。
本家のキハ20はキハ40に代替されるかたちで民営化前後に早々に引退しましたが、キハ52は勾配の急な閑散線区に分散して残存したことが幸いしてか2010年まで生き延びました。
木次線では民営化後にキハ120が進出したため、キハ52は山陰本線での運用に切り替わります。上の絵は1990年代のそんな情景を再現したもので、木次線時代にトイレを撤去したためかキハ58と組んで走る姿をよく見ました。
右側は同形式の首都圏色の非公式側です。その後のリバイバルブームもありキハ52は気動車一般色が有名ですが、私のような1960年代生まれの世代には一般型気動車と言えばこちらのイメージが強いです。


EF62一次形の牽く普通列車
EF62一次形の牽く普通列車
長野新幹線の開業で鉄路が分断された信越本線ですが、1982年11月ダイヤ改正までは列車番号を次々と変えながら上野から新潟に至る客車列車が運行されていました。このうち、高崎から直江津までの信越本線区間での牽引機はもちろんEF62となります。
国鉄時代に本線において客車3両はあり得ませんが、信越本線での客車普通列車をイメージしたのが上の絵です。
筆者は同線の客車列車に乗車した経験が無いので推測で描いたものですが、EF62型電気機関車の一次形にエスコートされる客車は直江津区所属の、左からオハフ33 2350(→写真)・オハ47 2172(→写真)・オハフ33 2349(→写真)でまとめてみました。

(※)旧型客車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を改造のベースに使用させて頂きました。

スユニ50と旧型客車
スユニ50と旧型客車
機関車の次位に連結された車両は、国鉄最後の郵便荷物合造車のスユニ50です。形式から察する通り50系客車の一族ですが、台車はスハ43系で御馴染みのTR47を履いているので重厚なイメージです。
1978(昭和53)年に登場、幣サイトで紹介している普通列車山陰号(→編成表はこちら)をはじめ、各地の客車列車に組み込まれて使われました。
しかし、登場から10年と経たないうちに国鉄は郵便・荷物輸送から撤退してしまい、大半の車両は廃車されてしまいました。
上の絵は、山陰本線の普通列車をイメージしたものですが、ページサイズの制約で普通車は2両きりになってしまいました。本来ならば牽引機はDE10、スユニ50ではなくオハユニ61やオハニ36になるべき編成ですね。

(※)DD51型ディーゼル機関車と旧型客車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を改造のベースに使用させて頂きました。

芸備線・急行みよしと1866D
芸備線・急行みよしと1866D
急行みよし号はJR線最後のキハ58系使用定期急行列車でした。クリーム地に緑色ストライプの専用塗装が施された2両編成で広島−三次間を1日4往復していましたが、2007年6月末で廃止されてしまいました。
また、このうち1往復は三次から普通列車となって備後落合駅まで乗り入れていましたが、結局これも定期列車として備後落合駅に乗り入れた最後の国鉄型車両となりました。
上の絵は、みよし用車両が日中の間合い運用で、広島発三次行きの普通列車・1866Dとして運転されていた姿を描いたもので、広島寄りに狩留家駅で回転するキハ47を2両繋いでいます。
なお、みよし号のキハ58系気動車は、羽根の突出が無い押し込み形ベンチレーターと循環式汚物処理装置を装備した車両が使用されていました。


EF62が牽引する急行荷物列車
EF62が牽引する急行荷物列車
EF62は横軽越えを含む信越本線直通機関車として開発されましたが、1984年ダイヤ改正で同線の貨物列車削減が行われ、まとまった数の余剰が生じることとなりました。
時を同じくして、東海道山陽本線の荷物列車牽引を担っていたEF58型電気機関車の経年故障が深刻化していたことから、EF62は約半数がその代替機として下関運転所へ転じました。
しかし、この運用は長続きせず、1986年には国鉄の荷物列車廃止によって使途を失うこととなります。 晩年は荷物輸送量の減少により、この絵のように3両編成程度で運行されることもありました。

(※)マニ44形荷物車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を小変更したうえで使用させて頂きました。

下関総合車両所 115系300番台 瀬戸内色
下関総合車両所 115系300番台 瀬戸内色
山陽本線を神戸から西へ進むと、電車は姫路を境にそれまでの221系や223系から115系へと変わります。その115系のうち中期に増備されたのが、乗務員室拡張・客用窓のユニットサッシ化・新製時から冷房を装備した300番台です。
115系300番台は、山陽本線ではその多くが下関総合車両所(広セキ)に配置されていて、同じ115系3000番台に始まったクリームと青帯の「瀬戸内色」に塗り変えられて活躍しています。
広島・山口県内では大抵上の絵のように4両編成を組んで、広島−岩国間の区間電車から岡山県内に乗り入れるものまで様々な仕業をこなします。


キハ40 加古川色と姫路色
キハ40 加古川色と姫路色
阪神間から程近い加古川から分岐する加古川線、姫路から分岐する播但線・姫新線は、かつてはそれぞれの地域色に塗られたキハ40系が使用されていました。
エメラルドグリーンに白帯を巻くのが加古川色で、ワンマン化過渡期に改装済み車両の識別のために客用ドアーと貫通扉がオレンジに塗装されていたそうです。
また、播但・姫新線では「赤とんぼ」とも呼ばれる、朱色とクリーム色の姫路色となっていました。
両者は近隣で活躍していたこともあり、車両の融通で上の絵のような混色編成も見られました。更に、本拠を離れた後暫くのあいだはJR西日本管内の非電化区間で旧塗装のままで活躍する姿が見られました。


115系1000番台直流近郊型電車(両サイド) (2012/12/9更新)
115系1000番台直流近郊型電車(2012/12/9更新)
115系1000番台直流近郊型電車(2012/12/9更新)
米子で山陰本線に合流する陰陽連絡幹線の伯備線は1982年に電化されました。そのときに普通列車用として導入されたのが115系1000番台です。
115系電車は同じ近郊型の113系電車との共通点が多いですが、寒冷地や勾配線区での運用に適した仕様となっていて、この伯備線をはじめ、西日本では山陽本線のほか、上信越地域で広く使用されているのは御存知の通りです。
一族の3扉車は113系同様、非冷房で登場した0番台、新製時から冷房を搭載しユニットサッシとなった300番台、シートピッチ拡大と耐寒耐雪性能を強化した1000番台、そして1000番台の寒冷地向け装備を緩和した2000番台に大別されます。
とは言うものの、国鉄末期からの短編成・高頻度運転ダイヤへの変遷の中で、この115系には113系からを含む制御車化改造による番台区分が多数発生して、今では説明し始めるときりが無いほどに膨れ上がっています。


JR西日本のリニューアル・キハ40系
JR西日本のリニューアル・キハ40系
JR西日本に継承された国鉄型車両は、21世紀に入ると接客サービス向上と保守の簡素化、車両寿命の延長を目的としたリニューアル工事を受けるようになりました。
比較的車齢の若いキハ40系もその対象となり、外観では窓サッシの交換、戸袋窓の廃止、冷房装置の熱交換器の屋根上設置、より強力なエンジンへの換装などが実施され、オリジナルよりも軽快なイメージとなっています。
また、キハ40系の塗色は、米子支社が国鉄時代からの首都圏色を継続した以外は、広島支社管内では黄色とアイボリーの広島色をはじめ、北近畿・北陸地区でそれぞれの地域色が採用されていました。
このバラエティー豊かな塗装も、2010年以降はコスト削減のために全社で首都圏色に戻されることになりました。


福知山線の快速列車〜1980年代〜
福知山線の快速列車
1980年代初頭の福知山線は、尼崎〜宝塚間が電化されましたが、普通列車の多くは大阪と福知山以遠とを結ぶ旧型客車で運行されており、その合間を縫ってカナリヤ色の103系電車が走るという混沌とした時代でした。
キハ47は福知山と向日町にまとまった数が配置され、福知山線や山陰本線の京都口ではラッシュ時には長大編成を組んで、都市近郊輸送というキハ47本来の役割を果たしていたように思います。
ただ、その後の北摂ニュータウンの開発に代表される沿線の輸送需要拡大の前に、福知山線は武田尾の新線化・全線電化・篠山口複線化という変貌を遂げ、キハ47の活躍も昔話となってしまいました。


山陰西部の気動車普通列車[1990年代] その2 (2010/10/17初版 2013/2/10キハ23更新)
山陰西部の気動車普通列車(1990年代) その2(2013/2/10キハ23更新)
JR西日本広島支社管内の気動車は1990年代に順次「広島色」と呼ばれる黄色とアイボリーを基調にした塗装に改められました。1990年代は50系の客車列車に加えて古豪のキハ58から最新のキハ120まで色々な気動車が見られた楽しい時代でした。
山陰本線の益田以西はこの広島色が走る地域で、日中は別々に運用されているキハ47の2連とキハ23単行がラッシュ時には一緒に連結されて3両編成となり、下関〜長門市といった比較的運転距離の長い運用に就いていました。
絵は1990年代初め、機関換装・冷房改造前の塗装だけが変更された頃の姿です。


キハ40とキハ53 〜木次線〜
木次線・キハ53とキハ40(2011/10/16更新)
木次線といえば勾配線区用のキハ52やキハ53が主力でしたが、出雲横田まではキハ40系気動車も入線したことがありました。
当時は、途中駅までの編成と全区間走破する車両を併結して走るのは一般的な車両運用でしたので、宍道駅を出発するときは、上の絵のような編成でした。
こうして2系列を併結すると、キハ40系のデザインは洗練されていることが分かりますが、パワーの点ではキハ53の方がよっぽど頼もしい車両だったことでしょう。


普通列車用に改造された12系客車1000番台
12系1000番台の普通列車
国鉄時代末期には、旧型客車主体で運行されていた地方路線の客車列車のサービス改善を目的として、余剰が発生していた12系客車のうち、主に初期に製造された車両が普通列車用に改造されました。
西日本地域向けにはセミクロスシート化と車掌室への業務用扉の増設といった室内設備の変更をしただけの1000番台が、東北地区向けにはこれに加えて電気機関車からサービス電源の供給を受けるシステムに変更した2000番台が作られました。
絵は西日本地区向けの1000番台で、JR移行後も暫く使用されましたが、山陰本線での使用を最後に1996年に全廃されました。
山陰本線では晩年、豊岡−米子間などの普通列車が日曜・祝日は絵の通りの3両編成で運行されましたが、基本番台車との併用だったため、大抵どこかに帯入りの車両が混じっていました。

(※)DD51型ディーゼル機関車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を小変更したうえで使用させて頂きました。

12系客車で走った臨時列車
 (2010/8/14初版 2012/6/24更新)
12系客車による臨時列車(2012/6/24更新)
国鉄時代は、客車の臨時列車といえば12系だったと思います。編成は上の絵のように、直流電化区間ではEF58やEF65が牽引していました。絵では幅の制約で3両編成ですが、実際は6両くらい繋いでいるのが普通でした。
JRになって客車列車が徐々に削減され、こういった編成が走るのも臨時の夜行列車が中心となり、そして今では客車列車自体が大変珍しいものになってしまいました。
12系客車は1970年の大阪万博の旅客輸送用に製作されましたが、絵に描いたのは万博終了後に増備されたグループをプロトタイプにしています。

(※)EF65型電気機関車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を小変更したうえで使用させて頂きました。

木次線の強力気動車・キハ53(ワンマン化前) (2010/7/31初版 2011/10/15更新)
木次線の強力気動車・キハ53(2011/10/15更新)
島根県と広島県の県境をスイッチバックで越える有名な木次線には、かつて2個エンジンの強力気動車のキハ52とキハ53が配置されていました。
今は小型気動車・キハ120が単行で行き来する同線ですが、国鉄時代は上の絵のような3両編成は当たり前でした。ただ、終点の備後落合まで直通するのは1両だけで、残りは出雲横田で切り離しだったように思います。
キハ52、キハ53とも同様の足回り・客室配置になっていて、共にワンマン改造を受けましたが、キハ52は2010年まで使用され続けたのに対して、キハ53の方は貧弱な接客設備が災いしてか2003年に引退してしまいました。
因みに、同系のキハ23はワンマン改造時にトイレは存置されましたが、キハ52・キハ53は何れも撤去して透明ガラスに替わりました。これは通路を挟んで向かい側に室内設置された水タンクの存在が乗務員業務の支障になったためだと思われます。
絵は左から、キハ53首都圏色[公式側]・キハ53一般色[公式側]・キハ53一般色[公式側]・キハ53一般色[非公式側]


山陰西部の気動車普通列車[1990年代] (2010/7/31初版 2013/2/10キハ23更新)
山陰西部の気動車普通列車[1990年代](2013/2/10キハ23更新)
JR西日本・広島支社オリジナルカラー、いわゆる「広島色」と呼ばれる気動車たちで、山陰本線では益田以西の地域で走っていますが、2010年から順次首都圏色に戻っていくそうです。
左側はキハ23で、山陰本線では益田以西の全域で広く見られ、ラッシュ時には同型車同士やキハ40系と共に2〜3連で、また小串以北のローカル地域では閑散時に単行で走ることが多かったです。
右側はキハ58系の塗装変更車です。キハ23と同様に運用されていましたが、どちらかというと下関近郊でよく見られたように思います。絵はJR移行後に多くの車両に採用された黒色Hゴム仕様としています。
どちらも21世紀を待たずに順次引退してしまい、キハ23の貧弱で窮屈なシートも、キハ28に搭載された4VK発電機関の爆音も今はいい思い出です。


キハ181系 特急「はまかぜ」(JR色)
キハ181系特急「はまかぜ」(JR色)
キハ181系で運行される特急はまかぜは、1998年頃からJR西日本のオリジナル塗装に順次替わっていきました。
アイボリー地にぶどう色を配し、窓下にはJR西日本のコーポレートカラーである青のストライプをまとっていて、その色調はアーバンネットワークの電車にも通ずるものがあります。
2010年夏現在、全国で唯一のキハ181系使用列車ですが、とうとう今年度末での引退が決まりました。


DD51型ディーゼル機関車が牽引する50系客車列車
DD51が牽引する50系客車
山陰本線や播但線では1992年春まで、50系客車を3〜8両連結した普通列車が運転されていました。
山陰西部では客車列車は徐々に縮小され、最晩年は4・6両編成の輸送力列車が朝晩にだけ運転されていました。
また、播但線では最盛期の運行形態を維持していましたが、最後は通勤改造されたキハ58系の大量投入で一気に幕を閉じたのです。

(※)DD51型ディーゼル機関車は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を小変更したうえで使用させて頂きました。



●ごあんない●
(※1) イラストは当サイトのオリジナルですが、DD51型ディーゼル機関車やEF65型直流電気機関車など、一部の車両は「伊勢崎軌道株式会社」様の作品を一部変更して利用させて頂きました。
    作品の拝借にあたり、車体色調の小変更、黒背景のもとで一部床下機器が埋もれるのを防ぐために諧調表現の変更を共通して施しています。
    「伊勢崎軌道株式会社」様については"リンク・お知らせ"のページを御参照下さい。
(※2) ここに示したイラストは、筆者の主観を織り交ぜた絵です。実車や編成を正確に再現したものではありません。
(※3) このページは1920×1024クラスのワイド型モニターでの閲覧を想定しています。低解像度のモニターをお使いの場合は、お手数ですが画面をスクロールさせて御覧下さい。
(※4) 当サイトの列車走行アニメーションとオリジナルの電車走行キットとの相違点については"リンク・お知らせ"のページを御覧下さい。


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