国鉄客車 オハ47(公式側)
オハ47は、スハ43とオハネ17との台車交換で派生的に生じた形式である。
車両番号は改造順に付与されているので、スハ43時代の原番号とは合致しない。
寝台車の乗り心地改善と座席車の軽量化による編成増に寄与した、一石二鳥的な改造であったが、
さすがに優等列車用客車であった43系だけに戦前製遊休客車の台車をそのまま使うわけにも行かず、
多くの車両がTR23のコロ軸受け化といった改造を受けている。
このことは、戦前製で既に多くが普通列車用として使用されていたオハ35が、
晩年まで平軸受けのままだったのとは好対照だった。
オハ47への改造は、オハネ17の大量増備を背景に300両を超え、
本家のスハ43を凌いで43系客車で最もポピュラーな形式となっていった。
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オハ47 2010 米ハマ 浜田発 大阪行き 726レ 1985年 2月 9日 米子駅
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窓枠はアルミサッシ化され、トイレ窓は上段中折りとなった外観は幹線の急行列車用を想わせるが、
この車両が組み込まれているのは山陰本線の名物鈍行、浜田発大阪行きの726レだった。
写真では判然としないが、特有の角型水槽が見えないことから、
本車は他の近代化と合わせて筒型のFRP製水槽に換装されていた可能性が高い。
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オハ47 17 福フチ 大阪発 篠山口行き 443あるいは445レ 1985年 3月 8日 大阪駅
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木製窓枠にHゴム標準サイズの客用ドア、上段内折の洗面所窓、
水槽も鋼製のままというポピュラーなスタイル。
台車は初期型のTR23をコロ軸受け化したものを履いている。
大阪から篠山口までという比較的短距離の運行だが、
当時はこのような区間列車ですら客車で運行されていて、
既に各地で幅を利かせていたキハ47も福知山線では脇役でしかなかった。
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オハ47 18 福フチ 福知山発 鳥取行き 531レ 1986年 3月12日 福知山駅
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木製窓枠・Hゴム標準サイズの客用ドア・鋼製の水槽と、上の17号と同様にポピュラーなスタイル。
一方で、本車は洗面所窓も原形を保っていて、隣接車番でも遍歴が相違することを物語っている。
光線の加減が良く、台車が初期型TR23であることがはっきる分かる。
本列車は大阪発の725レが系統分割されたもので、
1985年3月改正以降は福知山始発の鳥取行きとなっていた。
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オハ47 2029 新ナオ 富山発 直江津行き 437レ 1984年 3月 2日 富山駅
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窓枠はアルミサッシ化され、洗面所窓は上段下降式、
水槽はFRP製に換装された近代的な外観のオハ47だが、
客用ドアはオハ35系を思わせる木製タイプになっているのが珍しい。
この、中桟が無いタイプの木製ドアは直江津区の車輌に良く見られた形態だった。
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オハ47 2075 大ミハ 福知山発 大阪行き 736レ 1984年10月28日 大阪駅
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福知山線の客車普通列車は山陰本線と一体的に運用されていたため、
沿線各区所の所属車が大阪へ乗り入れていた。
このうち、宮原客車区の編成はスハ43系が主体であり、雑多な形式で組成していた他区所とは対照的だった。
写真の2075号の客用ドアは、手前の4位側はご覧の通りHゴム支持標準タイプだが、
向こうの2位側はHゴム支持大窓だった。
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オハ47 2172 新ナオ 富山発 直江津行き 237レ 1984年 3月 2日 富山駅
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北陸本線を北進して富山を過ぎると新鉄局の車両が顔を見せ、ローカル感がより強く感じられる。
写真はその直江津区所属のオハ47である。
客用窓はアルミサッシに、水槽周りは筒状のFRP製と大型の水揚弁装置箱に換装されて近代的だが、
客用ドアはオリジナルのプレスドア、トイレ窓は上段内折ながら、
レトロな波目と石目ガラスの組合せで何ともアンバランス。
そして不思議なことにトイレ流し管が見当たらないが、台車は流し管があった辺りが微妙に濡れている。
積雪で失われたのだろうか。
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オハ47 2193 福フチ 浜田発 福知山行き 544レ 1985年 2月 9日 米子駅
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窓枠はアルミサッシ化されトイレ窓は上段内折りで可動側が透明ガラスとなっている。
また、床下の水槽は筒型のFRP製に換装されていて、
かつては優等列車に組み込まれていたであろうことを想像させる。
手前の3位側ドアはオリジナルのプレスドアだが、
向こうの1位側はHゴム支持標準サイズに取り替えられている。
このように客用ドアが4面4様という事例は晩年の旧型客車には珍しくなかった。
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