Medical treatment record2

2006/12/23公開再開にあたり
随分迷いましたが、こんな患者も居るんだということで
再開でも、ただ1999年当時と現在の結核治療・非定型抗酸菌症治療では取り巻く
環境・法律等が異なりますので注意願います。

ちなみにこの1999年は「厚生省(現在の厚生労働省)は結核非常事態宣言を発表
した時期でもあります。

1:1999年8月 健康診断
この日の事を、思い出すのは難しいけど確か多少カゼ気味だったのは覚えてい
る。
今にして思えば、3年前からの仕事も架橋となり1日中の会議が月2回は有り
、タバコの本数も日に40〜60本は吸っていた。
不健康は確かで、日に80本もあったかな?でも別に吸いたい訳じゃないけど
吸っていると妙に安心できるこれは殆ど病気だと思う。
多分ニコチン依存症だったかも知れないけど、それ以上に神経疲労は相当な状
態だった事は確かだと思う。
部内の人間関係も疲れ人的不良債権みたいな社員や自分の趣味的な事以外は、
何でも他人に押し付ける人、やる気を失せる発言を平然とする人、はっきり言
ってうんざりしていたし自分自身も半ヤケクソ状態だった。
確かに胸部痛を訴えた事もあったけど、でもこのとき自分が病気に蝕まれてい
たとは思ってなかった。

2:1999年10月 健康診断結果
正直寒気がした胸部X線結果欄に「腫瘤影有り要精密検査」腫瘤・・腫瘍か!!
肺・・肺癌・・・目の前が暗くなった。
この年齢で肺癌なら5年生存率は限りなく0%だ思う。
子供が1歳だから5年生きてもまだ幼稚園じゃないか、涙が出た間違いであって
ほしい、体が震えた。
この日は、仕事どころではなかった。


3:1999年10月〜11月 A病院
元々A病院の神経科のS医師に見ていただいている経緯もありA病院としたが
本当は会社の健康診断を受けた病院でもよかった。
結果としてこれが以降の僕の治療についての一つの方向性となった事は確かだ
と思う。(正しいかどうかは未だに不明ですが)

受け付けで相談し放射線科に行く胸部X−P撮影し医師より結果の説明を受け
る緊張した。
結果は右肺上部に影があるとの事、後日CTによる詳細な検査を行う事でこの
日は終えた。

病院より指定された日にCT検査を受ける検査には緊張したし結果が出るまで
の待ち時間が長かった。

結果は、右肺上部鎖骨中央の下あたりに空洞があると説明受けた。
医師の所見では、肺癌よりむしろ細菌感染した可能性があると言われたが、自
覚症状が無いので自分自身分からない。
とりあえず、痰を採取して調査する事、ツベルクリン検査で今後の治療方針決
める事とした。
このとき、結核の文字が頭をよぎった。
「長い治療になりそうだな」ますます気落ちした。
ただこの結果より基本的には必要以外の人との接触を避けたし妻や子供とも離
れ自宅では部屋に閉じこもることが多くなった。


4:1999年11月A病院
ツベルクリン反応は擬陽性だったが菌が検出されない。
仕方なく何度か痰サンプルを採取する。
開始1ヵ月後のある日、病院から自宅に電話なるべく早く連絡が欲しいとの事、
会社から電話したが明日直ぐに病院に来るように言われた。

A病院での医師の説明は痰より菌が検出された。
病名は結核・・・・れからどうなるのだろうと不安になった。
仕事、家族への感染・・・・・・・・呆然自失とは、この事かも知れない。

結核となるとA病院では入院治療出来ないので結核治療の地域の拠点病院への
紹介状を書くとのことで受け付けで待機した。

医師からの説明はこの後、何も無く唯B病院で治療して下さいだった。
まさか翌日そのまま入院とは思ってもなかった。
A病院説明不足等は怒りより今となってはあきれるが、これには正直困った
その出来事は受け付けで待機中のことである。
他の患者さんのいる前で「保健所に結核の届け出しますから」と大声で説明
する職員、プライバシーも何もあった物では無い
こんな事は主治医が診察室等で患者への説明を行うべき事じゃないか。
プライバシーの保護が出来ていない、この事は絶対に許されるべき事ではな
い。
実際、待合所で他の患者さんが席を離れたり興味本位で聞いていた患者さん、
まるで早く出て行ってくれと言わんばかりの病院の対応、とにかく周りの目が
冷ややかに思えた。
今後二度とこのような悲しい事が無い事を願う。
この後、正式に抗議した。謝罪してもらっても事実は変わらないし時間も戻
らない不信感は残った後味の悪い出来事だった。
B病院ではそのような事は起きない事を願い家に帰った。
家に帰り一人家族と別の部屋に入り出来るだけ顔も合わさずに寝た。
この夜は、眠れなかった。


5:1999年11月 B病院 内科外来
紹介状をもってB病院へ出かける、出かける前に子供に「いい子にしてろよ」
と遠くから言ったが、まだ1歳解かる訳ないか。

内科外来、待合所で待っていたら看護婦に呼ばれ別室で色々質問された。
そして、ここで待つように云われた。

「まるで危険物みたいな扱いだな」涙がでた、情けなくなった。
昨日の影響もあるかもしれない。
一人きりで考えた、何で自分が結核なんだ。
しばらくして痰採取したが痰が出ない仕方なく看護婦さんがチューブを入れ
て吸い出そうとしたが苦しい、胃の中の物を吐きそうになった。
何も食べてないので唾液だけが口からでた。
でた物の中に痰が混じっておりそれを検査に出した。
結論は、菌があった。
塗末検査の結果はガフキーと呼ぶようで最大の10号から最小の1号まで
あり1号と診断された。
内科外来のA医師から結果と結核予防法35条に従い命令入所てもらいます
と告げられた。
また、担当医はK医師で女性だけど病棟の方を任している医師で心配は、し
ないで下さいと説明があったが、どんな人か解からん
まあ、昨日の出来事で不信感満開状態なので信用できない気持ちもあった。
妻が、入院の手続きなどのため受け付けに行き、病棟に向かった。

6:入院
[1999年 B病院 初日]
とにかくまず病棟に挨拶すると、待ってましたとばかりに看護婦さ
んが出てきてた。
よく見ると病棟は、他の病棟と違い病棟入り口に扉がある、みんな
マスクをしている。
やはり隔離病棟だ!!
看護婦さんからの説明を聞く!!
先ず2週間は病室に完全に閉じ込められる!!しかも電話も駄目・
家族の面会も週1日しかも昼の15分間だけ!!
待ってくれ会社に電話、家に帰って準備しておく事もある!!
(治療開始2週間は安静にしている方が効果が高いそうです)
A看護婦さん(後に持ち受け看護婦さんとなるが)に泣きついた!
何だかんだの末、15時迄に電話で出来る範囲は許してもらったが、
家に帰る事は、「病棟に来た以上帰せない」と言われた。
この時、鬼みたいな看護婦だと思った。
この時のA看護婦さんの印象「ガジガジの人、疲れそう」
会社へTELして事情説明・・・・面会・電話など2週間出来ない
事を説明する、
当然会社も困ると思う当たり前か。
妻は入院道具を取りに帰る。
しばらく、一人で考え事をするがこれからのことを考えると泣けて
きた。
「連絡とか出来ました?」と看護婦さん来たので
「出来ました」と返事したら
「病室に入りましょうかと言われ」病室に向かった。
扉を開けて中に入るとき
「今度この扉を開けて出るのは、何時の日になるだろう」と考えた。
病室に入り採血に痰の採取、必死で痰を出した胸が痛い!!
4時頃に主治医のK医師がきて挨拶と今後の治療について簡単な説
明を受けたが、この日の自分はとても人の話を理解出来る状態でな
かった。
K医師の第一印象は、あまり良くなかった。
マスクをしているため余計顔の印象がつかめないので人相が悪く感
じる。
(多分自分が思った事は相手もそのまま第一印象だったり(笑))
「若い大丈夫か?しかも冷めて淡々と物言う!!難しい人かな?」

A医師には結核70%非結核30%と言われたがK医師には、まず
結核でしょうといわれ愕然とした。
(非結核とは非定型抗酸菌症又は非結核性抗酸菌症のこと)
5時頃に妻が荷物持ってきた、取りあえず落ち着く。
夕方に抗結核薬のテスト投与
薬名リマクタン(RFP=リファンピシン)

飲んで2時間後、小便したら赤色だったびっくりしたが薬の色素で
赤くなるとの事、安心した。
疲れたので寝た。
薬の注意書きには・・・・コンタクトレンズが染まる事あり。
何だか凄い薬だ・・・・・

[2日目]
前日の疲れもあり良く眠れた。
朝から痰の採取、でも痰が出ない出ないどうしようと思った。
必死の思い出したけど、量が少ないと思うが限界でもう痰が出ない。
嫌な予感は当たった、量がやはり少ないそうだ、いよいよ鼻から吸
引する。
ホースを鼻から入れ喉まで送り込む、シュージュジュジュ、コーと
吸引の音がする苦しい気持ち悪い、もう辞めてくれと叫びたい。
ホースを抜かれた途端、それまで出なかった痰が爆発的にでたすご
い苦しい涙がでた。
とにかく平然と吸引する看護婦さんが鬼に思えた。
(見慣れた光景だから仕方ないか)
この日、抗結核薬本格的に投与、薬品名と量は下記の通り
リマクタン(RPF=リファンピシン)起床時3錠
イスコチン(INH=イソニアジド)毎食後1錠
ピラマイド(PZA=ピラジナミド)朝夕食後1包
副作用予防防止薬として
セルベックス(胃薬)毎食後1錠
ピドキサール(ビタミン剤)朝食後1錠

更に、抗結核薬のテストで
ストマイ(SM=硫酸ストレプトマイシン)をテスト量注射した副
作用が無ければ翌日から正式に投与する事となった。
ストマイは、約90間程筋肉注射するとの事・・・尻に注射!!
壊れるかもしれない。

[3〜5日目]
外の情報が限られるとこんなに不便な事は無い!!
しかし空調の部屋で、目が痛い!!鼻もおかしい!!
体壊すかもしれないと思った。
入院して体壊していると思いだした。
(壊れたから入院したのを忘れていた)
この間、結核薬のビデオなど治療方法の勉強もしたので、少し治療
に対して不安なところが減った。
しかしいろんな人が入院しているみたいだけどトイレ以外部屋から
でれないので状況が理解できない。
TVは日頃見ないワイドショウばっかり話題は同じ、見飽きた、退
屈だ!!
同室の患者さんから戦時中の話を聞いたりといろんな事を聞いた。
今は本当に平和で、つくづく自分たちは好き勝手に生きているんだ
なと思う。
(わがままは、禁物ですね)
尿検査の結果
PZAの副作用があるとのことで、下記薬の処方追加
ユリノーム、ラウリット追加(毎食後)
便秘が酷いのでプルゼニド処方

[6日目]
病棟の看護婦さんの名前も徐々に覚えてきた。
ヒマだから名前でも覚えておく事にした。

ほんと、ヒマで仕方ない。
デジカメはこの期間の有効な武器となった。
病室からでれない生活(でれても病棟からでれないけど)お菓子や
雑誌がほしいと思うが売店すら行けない。
でデジカメを活用、看護婦さんにまずデジカメで売店の商品棚撮影
してもらい撮影した画像で商品を確認し
再度、看護婦さんに買いに言ってもらう。
看護婦さんは申し訳無かったが、この期間に何度か買い物をお願い
できた。
行ってもらったB看護婦さん、C看護婦さんありがとうございます。
(この2人の看護婦さん、お願いしやすかった。)

[7日目〜14日目]
なんと言うかこの間、色々あったけどそれほど体は問題ない
K医師の印象が変わった、確かに若いけど決して不安にならない。
しかしもう少し気の利いたしゃべり方して欲しいな、お願いK先生
結核は、治療可能病院が限定される患者が医師を選べないと思う。
患者には選択の余地がないと思う。
逆にいえば患者は医師、看護婦を信頼するしかないし、医師、看護
婦は患者の不安をなくし信頼される治療を求められる。
この相互の信頼関係が成り立たないと治療は円滑に進まないし長い
入院生活に問題もきたすと思った。
病気の治療なんてまあ信頼関係が第一だろうと思うけど
まあ普通はヤブと思う病院はに行かないけど、こいつはそんな具合
に出来ない本当に面倒な病気だ。
しかし外部との連絡が取れないのは本当に不便で仕方ない、殆ど拷
問みたいに思う。
「最低限の自由が欲しい!!」と叫びたい。
9日目に新しい患者さんが入院、少し落ち着きがない当たり前か。
13日目K医師より非定型抗酸菌(非結核性抗酸菌症)の可能性の
話がでた!!
なんだ、そりゃ!!「最初は可能性を否定だろうが先生は!!がー
ーー!!」
少しむっと来たが、冷静に冷静にと思った。
「まあ、多分結核でしょう私は!!」と思い桜の散るころには、退
院したいなと思っていた。
この頃時々寝付けない夜は
ハルシオンを処方してもらい飲む

[15日目]
この日は、2週間目の痰採取どうなる事やらと思ったが、何とか痰
がでた。
毎度の事ながらきつい痰の出やすい人は羨ましいとこの時ばかりは
思って仕方ない。
続けて採血そして午後には胸部X−Pそして後は、K医師の特定部
屋解除命令を待つのみ。
しかし退院する人が居ないから当分の間はこの部屋での生活、風呂
に入りたい。
午後、内科医長の回診があった。(外来時のA医師でした)
皆さんベットの上でへへーとひれ伏している。
うーん何故か日本人は殿様、代官などに対して頭下げる性質なのか
も知れない。
長い武士時代の名残りなのだろうか、でもそういう私も正座してし
てる(笑)
医長回診後、K先生診察、γ-GPTの数値が高い!!
恐れていた事態発生、抗結核薬の投与中止の言葉が頭の中でよぎる。
説明では、肝機能の保護薬を静脈注射するとの事これで投薬はしば
らく続け、採血を行って監視するとした、ひとまず安心した。
で早速 強ミノ注射!!しかし注射器でかいぞ!!

でもそうやって検査結果など理解しやすく説明してくれるのでK先
生に対する印象も変わった。
「取りあえず安心できる、でももう少し気の利いた言い方してくれ
ー!!(笑)」
その後、久々にA看護婦さんが見えて話したけど。
とりあえず特定部屋の絶対安静期間は解除!!病棟内歩行は許可が
でた、うれしくて顔がにやけたけどA看護婦さんの一言
「肝機能が低下しているから基本的には、安静にね!!」
おお!!相変わらずキビシイお言葉!!本当に真面目な人だ!!
でもホントは優しい人なんですけど、真面目なので厳しい人と思わ
れがちかもしれないな??

[16日目]
昼前にまた、新しい患者さんが入ってきた!!
なんか結核の患者多いぞ、病院が満室になるな。
部屋の移動やった嬉しいーーーー!!風呂に入れる。
しかしいろんな人間が居るから精神的には疲れるな。
新しい部屋には、先に出た患者さんが居た。
新しい部屋は、窓側の場所うーん嬉しいような悲しいような解から
ん!!
病棟内歩行を試みる、体力が低下している体が重いこんな事は、初
めてだ。
今更ながら自分の体が情けない。
しかし右胸が時々痛む無理は禁物だ、安静にしよう。
とある日の自分
[17〜19日目]
病棟用の食堂で食事が出来る。
病室での食事は、精神的に良くない。
病は気からと言うがまさにその通り、食堂で食事は食べ物が美味く
感じる。
更に入浴日、これには涙がでた。
ほんと、日常生活では何も感じない事がこれほど、嬉しく有り難い
と感じたのは初めて。
健康な体になって早く普通の生活に戻りたいとつくづく思う。
D看護婦さんに以前私が、願いしてたタイタニックのビデオ持って
きてくれたので早速食堂のTVで見る。
(D看護婦さんありがとう)
入院してから妙に人の有り難味や優しさに対し敏感になっている。
逆に言えば、そんな干渉に浸る余裕が自分自身に無かったのかも知
れない。
結核は嫌だけど入院して少し良かったかと改めて思う、変なヤツだ
私は。
子供の最新画像を見たでっかくなったと思う。
子供は私の顔覚えてくれるだろうか不安だ。
21日目に会社の先輩夫妻が見舞いに来てくれた。暇つぶしの本も
って来てくれた。
人と会うことが非常に少ないのでこれが妙に嬉しい。

[20日目]
何か今日は、無気力な一日だ。
TVもいい加減飽きた、退屈で退屈で退屈だ・・・・・・・・でも入
院は始まったばかり、頑張ろう!!
午後にK先生が来た。
「前回の痰の塗末検査は陰性です」
と言われヤッター嬉しいと思いきや
「γ−GPTは前回値より悪いです」
今度は落ち込んだ。
下げて上げるなら良いけど、上げといて下げないで!!落ち込みが
大きいよK先生。
取りあえず対策として抗結核薬を一部減量する事にした
RPFを3錠(450mg)を2錠(300mg)に変更
INHを3錠(300mg)から2錠(200mg)に変更
当面様子を見る事にした。
「頑張れ肝臓!!」と祈った。
夕方、個人的に世話になっている方に電話した。
話しているうちに涙が出て止まらなかった、涙もろくなっている。

[21日目]
とにかく副作用が出ないように出来る事はやってみよう。
肝臓に負担のかからないように注意する事を聞いたのでてやってみ
る。
とにかく出来る事は何でもしよう、薬の中断だけは避けたいので頑
張る。
今日は入浴日、とにかく今の生活で数少ない贅沢な時間だ。
K先生の診察、しかし他の人と違い毎日くる人だ、熱心なのか心配
なのか判らないけど何故か最近、安心感がある。
人によっては2〜3日に一度の医師もいるらしく同室の患者さんか
ら羨ましがられた。
「でも、要は治療の中身でしょう!!」と思うがやはり逆の立場で
考えるとなるほどと思えた。
でも、たまには笑顔で「今日は、どうですかと言って欲しいな」愛
想笑いも仕事の内だよ先生!!

[22日目]
遂に師走だ、家族に会いたい何よりも妻と子供に会いたい家に帰り
たい。
窓から見える景色が余計にその気持ちを増長する。
今日、病棟に新しい看護婦さんEさんが配属されたA看護婦さんと
挨拶にきた、よろしく。
隣の病室からA君が移動だいぶ元気が良いみたい。
今日もK先生の診察、診察出席率優秀ですね。
でも、先生に対する最初の不安感は、今は無い。
唯一判らんのはマスクで鼻から下は隠れてるので今ひとつ表情が掴
めないので、まるで能面を相手に話している気分だ!!
(ほんと殴られるな)
そう考えると先生や看護婦さんマスク無しの顔は雰囲気変わるのだ
ろなと思った。
でも、目から感じ取れる雰囲気は信頼しても良いと思うが。
まあ、私の治療、頼みますよK先生。

K先生の診察後に廊下でA看護婦さんが「どう、調子は」と声を掛
けてきたので、K先生との診察中の話をした。
話の中で塗末結果が陰性の話したら、A看護婦さん病院建物内の条
件での散歩時間の売店、自販機への買い物の許可をちょうど廊下に
いたK先生にお願いしてくれた。
K先生も少し考えた様子だけど病院内という事と売店、自販機に行
く事が目的なら良いでしょうと言って許可してくれた。
このとき、妙にK先生、A看護婦さんが優しい人だなと実感した。
とにかく感謝、ありがとうございます

[23日目]前触れ
この日の私は、上機嫌だった何しろ売店に行ける。
嬉しくて楽しくて仕方ない。
朝は、自動販売機に行く紙コップのココアを買う美味い!!ほんと
美味しい。
でも何か病棟の人マスクしてない・・・・おいおいおい良いのかよ
日中、病棟内でマスク忘れ歩行、私だけ注意された。
傍にしてないヤツ居るのになぜだ!!おい差別か!!
部屋の扉空けてたら、「この部屋は閉めないと駄目です。」
おい、今は特定部屋解除の患者で行き場が無い患者しか居ないから、
特定外病室の患者と同じだろう!!
体操時間、なぜかいらつく。
昼ご飯の受け取り時、マスクせず食事受け取る人がいる、でも看護
婦注意しない。
何かメチャ腹立つ!!
午後、売店に行くでも病棟の患者で外の店で買い物して帰ってくる
人が居る。
「伝染病で隔離入院してるんだろう!!人に感染させたらどうすん
だ」と思った。
見つからないなら何でもOKか!!
疑問に思う、売店行けるのは良いけど嫌な物も見た!!そんな気が
する。

[24日目]1.2.3.ファイヤー
マジにこの日切れた!!
見てみぬふりの看護婦!!(一部の病棟看護婦)
そして食事時間と他科診察呼び出しと入浴順番のダブり
最後に、切れた態度取る他科看護婦の態度
ほんと、こいつら信用出来んこの病院はルール何もないのかと怒り
まくった。
私も看護婦さんの気持ちも判るでも病棟で出来ることはコントロー
ルしろ!!患者の気持ちも考えろ!!
大体、なぜ扱いに差があるの。
看護婦の注意無視する人は仕方ないけど!!
菌を撒かない、菌をもらわない様にする為にマスクするのだろう。
大体、塗末陽性で強制入院させたのはどいつだ!!
言っちゃ悪いと思い我慢したけど限界、抑えが効かない。
でも、この日私の爆発をまともに受けた看護婦のすみません。
(超反省してます)
途中、A看護婦さんも抑えに入ったが耐え切れずテンション高かっ
た。
主治医の治療方針は、文句無い。
ちゃんとしてくれる看護婦さん達の気持ちも判る。
でも我慢できなかった。
この日落ち着かず、ハルシオン飲んで寝る。

[25日目]衝突
昨日の怒りが朝からムズムズ起き出した、抜いた刀を納める鞘が無
い状態。
9時の注射の看護婦さんに文句爆発埒があかん。
10時に検温の看護婦さんに話し解かる人と話がしたいとお願いす
る。
午後、A看護婦さんと話す、納得出来る事と出来ない事があるが、
なんとなくA看護婦さんの言っている事の意味も解かる。
しかし、本質的にマスク着用の意味と何故扱いの違いを受ける理由
は、理解出来ない。
まあ、いろいろ考えたが多分、欧米的な考えならYESはYES、
NOはNOだが日本的に
よく言えば人道的?というか、あいまい・・・・・玉虫色に丸め込
む社会性かも知れない。
まあ、マスクの注意は、病棟の患者に対して平等にしてもらうよう
には、お願いした。
まあ、A看護婦さんも立場もあるから難しいと思うし、これ以上困
らせても信頼関係の上ではマイナスだから何も言わない事にした。
ただこの日ラッキーなことは、夕方〜深夜の看護婦さんが、Nさん
なので怒る気も失せて
馬鹿な話が出来た事が幸いだった。

[26日目]クールダウン
昨日の怒りはなく目覚めた。
日中の看護婦さんがYさんもあり、能天気というか軽くあしらわれ
るので、こちらも冷却速度が加速し冷静なれた。
更にタイミング良く会社の同僚が見舞いにきたのが、ラッキー!!
しかも、ガラガラというか玩具というかノートPCもって来てくれ
た!!
これ1台でCD聴ける、ゲームOK、そして日記等ヒマが潰れる・・・
精神安定剤かこれは。
今まで断片的にノートに書いていた事をPCでまとめて見ることに
した。
きっと何時か、この入院の日記が自分自身の長い人生で役立つかも
知れないと思い、纏める
事にした。
思い出すと意外にいろんな事が冷静に考えれるようになった。
今日は、どちらかと言えばブルーだ

[27日目]やっと元気になる
この日生活は特に変わらないでも、少し色々考えすぎと思う。
日中は特に変わらないけど、そういえば食事の時のアナウンスでマ
スクを付けてくださいと
言葉が増えたなきにしているのかな。
夜、寝る前再びA看護婦さんと話した。
結果は人は人、自分は自分、治療方針や治療で不安な所はやはりK
先生とよく相談すべき事だし、人の行動や態度を気にはなるけど気
にしすぎる事も無い。
とにかく完全に直して退院することが大事でその為には、医師、看
護婦の指示指導に従う事は従い病気を治す事と思った。
病院として努力して欲しい所もあるけど自分の病気を治す事を第一
に考える事にした。
やはり患者と医療従事者の相互の信頼関係を無くすのが一番いけな
い事と思う。
お互い、感情のある人間同士だから・・・・・

[28日目]とにかく治療
昨日、短時間だが看護婦Aさんと話せたのが良かったみたい、今日
は吹っ切れた気分で望める。
同時期入院の患者さんの1人、なんと無罪方面(結核ではなかった
みたい)で退院が決定したみたい嬉しそう。
ほんと羨ましい、でも自分は自分早く病気を直す事を考えよう。
しかし羨ましい。
早く退院したいけど、子供の事等を考えるとやはり時間がかかって
も、確実に直す事が良いと何度も自分自身に言い聞かせた。
薬の減量が治療にどれだけ影響するか心配だけど心配しても仕方な
い、K先生を信じて治療頑張るしかないか・・・・・。
もう一度、結核治療の本を読む、退院しても暫くは薬漬けの生活が
続く事や不規則、中途半端な薬の飲み方は耐性菌の出現に力を貸す
ことになる事など色々なことを知った退院してから大丈夫かな俺は
不規則生活者の見本だから・・・・・・
でも、きちんと治療せず再発したら更に辛い治療が待っているから、
完治めざそう。
あとは、誰も感染してくれるなと祈るだけ。
後日談だが!!
このころ会社では大騒ぎになっていたそうです・・・・・・
(当然、保険所から健康診断eteのご指導があったそうです)
またこの事件をきっかけに私の部署の禁煙派が一気に攻勢をかけ喫
煙派は肩身の狭い思いをする羽目になったそうです。
(復職が怖い)

[29日目]呆然自失
SM注射、久々の看護婦Aさんでした。
手際が良いと言うかでもちょっと痛い!!
でその時、「培養の結果帰ってきてるよ!!」教えてくれた。
ドキドキする。
早く、K先生来ないかなーー!!
何時まで経っても来ないよー!!今日は休みか?がっかり!!
16:30頃にK先生来た。
目の周りの雰囲気は、少しにこやかな顔と言うより初めて見る笑顔
何かな?

「培養の結果ですけど非定型抗酸菌でした」・・・・・
何がなんだか判らないもう唖然とした。
このときの自分の顔はどんな顔してたのだろうか。(知りたい)
退院は肝機能の関係もあるから来週には出来るでしょうと言われた
けど、前の日にとにかく治療と仕切りなおしたばかりなので、心は
ヘラヘラしている。
先生が去ったあと、周りからおめでとうといわれてもヘラヘラして
いる。
廊下を歩いていたらK先生が居たので、これまでの事と今後の事を
知りたいから一度説明して欲しいとお願いした。
「でも非定型抗酸菌症て治るのか?」
新たな不安が出で来て素直に喜べなかった。
病棟婦長さんとも話をした、色々話したけど、とにかく知りたい事
を自分でまとめる事にした。
でもマスクはずした顔、初めてだけどやはりマスクなしの方が、表
情が判るから話しやすいし言いたい事が言える。
病棟内のいろんな人と話した、羨ましそうに思うひとや喜んでくれ
た人色々だった。
結核なら薬もあるし完治できるけど・・・・・
非定型抗酸菌症は特効薬が無い為治療は困難な面があると
こないだ読んだ結核の本に書いてあったので、かえってこの方
が不安だよ〜・・・と言った。
とにかくはっきりした事は、感染の可能性が無くなり家族、友人、
仕事仲間等周りへの感染の心配が無い事は嬉しかった。
とにかく、嬉しかった。
これからの治療についての不安は、ますます大きくなる一方だった。
この日より以下の薬が投薬中止となる
抗結核薬 ピラミナジド(PZA)
その副作用防止用に飲んでいたユリノームが中止になる。
家族に会社に友人に電話した、反応は色々だったが何はともあれよ
かった。
深夜、なぜか涙が止まらなかった。
何度も寝ようとしたけど泣きたくなる何故だろう・・・・・・

[30日目]これからの事
とりあえず、非定型抗酸菌症と判ったけどこれからの事をまず整理
してみる事にした。
疑問点、不安な所は色々あるけど、これからの自分の事だから理解
しておく事は大事だと思う。
今日、最後のストマイの注射は看護婦Kさんが注射する、毎日嫌で
仕方なかったけど、今日で最後だと思うと何か妙な気分になった。
最終的に28本注射、長い注射から尻が開放された。
何故か右足の膝が急に痛み出す、また副作用か心配になる。
病棟婦長さんに聞きたいことを、紙に書いて渡した。
K先生に非定型抗酸菌症についての説明文のコピーをもらい説明受
るが、見通しがはっきりしない。
先生に対して何か物足りないと感じてた事が判った。説明の仕方が
下手!!
患者の心理状態を考えて説明して欲しいと思ったが、逆に言えば仕
方ないとも思う。
その辺がK医師と接してきてからなぜか漠然とあった不安感かも知
れない。
でもしっかりして欲しい、治療を任せたのだから。
唯一理解出来たのは、結核と同じ症状の出るタイプの菌だと言う事。
抗結核薬が使用できる判った事、治療期間は2年程かかる事。
「本当に難儀な病気だ!!」これが第一印象だった。
色々考えたけど、退院が素直に喜べない、何故だろう不安が襲う、
同時期入院も患者さん達が色々意見を言ってくれた。
本当なら自分が退院したいのに、みんな一緒に考えてくれた。
本音は、素直に喜べない中途半端、これから外来で治療できるか不
安になる。
でも、家にも帰りたい気持ちもある、何でこんなに中途半端なんだ
長期入院中のKさんと夜、食堂で1時間ぐらいしゃべる。
Kさんに「なげやりになったら駄目だよ」とアドバイスくれた。
Kさんの方が、退院目前の塗末検査で排菌確認されて、退院延期で
落ち込んでいるはずなのに逆に勇気づけられた。
夜に急激に発熱37.8〜38.5度まで体温上昇関節が痛い!!
もしかしたらユリノームを中止した事によるリバウンドかも知れな
い!!
急に止めずにPZAと日をずらして中止すれば良かった!!と思う
が医者じゃないから分からん!!
とにかく関節が異常に痛い!!涙が出る!!
看護婦さんに氷枕持ってきてもらう、本当に情けない体だ!!
氷枕で少し気分が落ち着いたのかも知れない、寝てしまった。

[31日目]泣き虫になったよ!!
朝から涙が出る。
気分も最悪、久しぶりに病室で食事する。
Fさんが心配で見に来てくれた「YさんやSさんも心配しているぞ
・・・」
昼には元気出しますから心配しないで下さいと言いたかったが言え
なかった。
今日から薬が変更となる、新しい薬は下記の薬。
エサンブトール(EB=塩酸エタンブトール250mg)毎食後1錠
クラリス(CAM=クラリスロマイシン200mg)朝夕食後1錠
EBは副作用で視力障害の恐れがあるとのこと、場合によっては失
明もある。
特に糖尿病の人は要注意の薬だそうです。
嫌だな〜と思うが薬の選択肢が無い。
クラリスは、私がリファンピシン、イスコチンと強力な薬に対して
過敏反応する為、投与される薬で非定型抗酸菌症の治療に有効だと
K医師より説明を受けた。
前の日に説明受けたけどホント薬漬けだ!!
朝の注射、今日の担当看護婦はNさんだったが強ミノ注射してもら
うとき急に自分の体が情けなくなりボロボロ泣いた!!しまった恥
ずかしい。
堪えていたけど、アレルギーで薬が飲めない自分の体が悔しかった。
「悔しいー!!せめてアレルギーと副作用がなければ、安心出来る
のに」
「こんな体で退院して家族に迷惑かけたくない」
そう考えるとますます涙が止まらない。
午後のK先生の診察のとき、昨日の事を言った、病棟婦長さんが一
緒に居てくれて聴いていてくれた。
K先生は「大丈夫ですよ自分で自己管理できているから」
といってくれたけど、自分は不安で仕方ない。
先生は気分転換と退院しても大丈夫な自信をつける為にと言って外
泊を許可してくれた、明日から1泊2日でお願いした。
病棟婦長さん一緒に居てくれてありがとうございます。
しかし、恥さらしの出来事は夜中、看護婦Nさんに座ったまま寝て、
やがて崩れた姿で寝てる恥さらしな寝姿を見られた。
最低だ!!
朝笑いながら「びっくりしましたよ」と言いながら笑ってた。
最低の姿見られた!!(忘れてね!!)

Yさん、Fさん、Sさん達が外泊の事聞いて「まあ息抜きして来い
と」言ってくれたとにかく明日は家にかえる。
でも、外泊許可書の用紙持ってこないな。
看護婦Nさんに確認する、え!!ないよ?
「先生が明日から1泊2日でOKしてくれたけど????」
「外泊の指示出しておくねと言ってたよ〜!!」
看護婦NさんK先生に連絡、なんと先生忘れてたー!!
頼みますよK先生!!
この事は、笑うしかなかった!!。

[32日目]久々の自宅
朝9時に妻に病院に迎えに来てもらう。
病院の門に立つのは1月ぶりだ、周りの景色も少し冬景色となって
いる。
改めて、冬が来たと実感した。
門の前で車が来るのをじっと待つ、スポーツマフラーの音!!赤い
車が見えた。
妻と子供がやって来た。
子供の顔を見ると、どうも父親の顔忘れたみたいで睨まれた、悲し
いけど仕方ないか。
妻の運転でドライブした後、ファミレスで食事でも肉が食えない。
完全に油物を体が受け付けない、悲しい!!体質も変わったか?
家に帰る、帰って来た!!クリーム色の壁を見て一安心。
子供も家に着くときには、何か判ったみたい、ハイハイが上手に出
来ている。
しかも掴みながらも自分で立つ。
何か泣けてきた、家を出るときはウーとマンマンマーしか言えない
のが言葉になりかけのお話する。
そんな姿見たら涙が出た(ホント泣き虫になった)
しかし、妙に疲れるしんどい、早々と寝たが胸が痛い、吐き気がす
る不安になった。
妻も少し心配そうにしたけど大丈夫と言っておいた。
でも、家に帰って大丈夫かと不安はよぎる。

[33日目]再び病院へ
今日は病院へ戻る日、決して帰る日じゃない病院へ出かける日と何
度も言い直した、帰るのは家で、病院は出かける所だ!!
小さな庭の芝生の草むしりと掃除をしたら近所の人が集まって来た。
しばらく話してから、出発準備。
この日は体力確認も兼ねて電車で行く事にした。
玄関を出て曲がり角で振り返ると子供がじっと見つめていたので、
手を振った少し悲しいくなる。
家から駅まで歩いた疲れる、駅前で床屋に行き散髪そして買い物、
食事。
予定通り電車に乗る走行中で見える景色は車と違い目新しさも感じ
る。
病院近くの駅で下車したとき、昼の薬飲んでない事に気が付く慌て
て飲む
社会復帰して昼の薬本当にちゃんと飲めるのかな?不安だ!!
でも意識付けしないとこれから2年間だぞー!!退院したら自己管
理!!頑張ろう!!
病棟に入るとき「帰ってきました」と言いたくないので、「戻りま
した」と看護婦さんに言った
病棟に戻り、毎度の患者メンバーと色々話す。

[34日目]一夜明けて
今日は採血の日、朝から血抜きだ!!
とりあえず、毎日の強ミノ注射は今日で最後となる。
これからは週2回程度の強ミノ注射と錠剤による肝機能保護となる。
いよいよ薬も外来治療に向けた薬に切り替わった、これからが始ま
りと思って頑張ろう。
区切りの強ミノ注射はHさんがする、中々豪快に針を刺された。
でも、不思議に痛くないのが不思議だった?
昼過ぎにK先生が来て診察、EBが心配で仕方ないので一応眼科の
診察をする事にした。
少しでも不安を取り除きたい気持ちだった。
肝臓は正常値なので安心しているがやはりアレルギーが心配だ!!
K先生の結果をちゃんと説明する点は信頼できるが、しゃべり方が
なーと思う。
「自信があれば、会社復帰はいつでも出来ますよ!!」毎度の事だ
けど、あの言い方は愕然とくる物がある。
K先生、相手の立場を考えた言い方して欲しい。
私はサイボーグでもロボットでもない、人間だ!!心も感情もある。
ほんの少し微笑んで物言えば、人間少し安心感もでるし不安が不安
では無くなる。
でも、治療方針には何も不満は無い、ただ説明の仕方を単発的では
無く流れに沿った説明をお願いしたい、あと気持ちも大事。
自分自身もナーバスになりすぎとも思う、これも問題かも知れない。
幾何学的な説明でなく感情的に安心できる説明があれば、自信も持
てるのに。
やっぱり自分の心も乱れているのかな?少し混乱する。

[35日目]とりあえず体力復帰
ああ、くよくよ考えても仕方ない。
しかし、昨日の夜から下痢だ、しかも今日は、10時までに3回も
下痢をした。
やはり薬が換わったせいか?、取り合えず酸化マグネウムを自発的
に中止する。
結核の薬ではないから、この辺はコントロールしないと。
眼科の外来、医師、外来看護婦みんなマスクする。
でも本心は俺は、非定型抗酸菌症だからしなくて良いのに!!
この辺は、矛盾している。
家族や周りには感染しないと言って自分達はマスクか!!
正直言ってマスクなしで診察して欲しかった、傷つくなー!!
そう言う自分もマスクしてるか・・・笑い
視力、眼圧など診察し特に異常なし。
でもEBを長期に渡り使うので定期的に診察する事にした。
午後から少し運動をする、すぐ汗かく息切れする。早く体力は戻さ
ないと・・・・・・・・・・・
婦長さんと会って話をする。
K先生の治療には問題ないけどあの説明では、退院即OKと言われ
ても釈然と来ないしすっきりと退院出来ないと訴えた。
やはり病気を治す目的で入院して菌が違うから退院して外来で来い
と言われても納得できない
「自身があれば社会復帰は何時でも可能」こんな説明は無いでしょ
うと言った。
夕方、婦長さんがA先生と話してくれて明日の午後に再度説明しま
すと言ってくれたので少し安心した。
婦長さんありがとうございます。
K先生には申し訳ないけど
でも治療手法は心配してない後は、心の問題と思うもう少し無機質
な会話じゃなく人間的な会話が出来れば、今回のような事は無かっ
たと思う。(スプーン一杯分の説明が無かったからかな?)
でも、抗酸菌症て本当に治るのか心配だ!!
この日は、K先生の診察は無かった?
あれば、悩ましいけど無いなら無いでなんか物足りない。
きっと、何か言われたのかな?申し訳ない事をした。
まあ、考えても仕方ない。
とにかく年末には退院の気持ちを持って頑張ろう!!
結局この日下痢は合計6回困った物だ!!

[36日目]医長回診
今日も下痢がでた、何故かなと考えるしかし2回目は水だぞ!!ヤ
バイかも。
今日は、無気力だ!!窓からの景色もそろそろ見納めだ!!
しかし、この病棟北部屋より南部屋側は日の出も見れていいな〜
2000年の初日の出、ここで拝むのも悪くないか?いやいや年内
退院だ!!
今日は!!強ミノ注射?????そうか週3回に変わったんだよな
忘れてた。
医長回診の時間。
今回も、大名行列みたい前回より多い・・・・A医長以下、各医師
がやってきた。
私の番、K先生が病状を説明する。
A医長から入院時の私が7:3で結核:非定形抗酸菌と言ったけど、
その非定型抗酸菌の中でも薬の効くタイプだから良い方に入ったね
と言われた。
まあ、1年の治療と1年のフォロー?で直せますからとも言われた。
この時、思った!!
「この説明だ!!これが聴きたかった」
12/9の段階でK先生に今日の説明が欲しかった!!
ならばもっと気が楽に出来たのに!!
16時頃、A医長と今までの経過と病状などの説明を聞いた。
非常に判りやすく、簡単明瞭だった。
概略は。
・今回のケースのM.kansasiiと言う非結核性抗酸菌と診断される確
 立は、塗末痰検査で陽性となった場合約6%の確率らしい。
・M.kansasii症は、化学療法で治療可能だと言う事。
(その他、80%は化学療法が難しいまたは困難)
・塗末陽性の内30%が非定型抗酸菌症でありその内、約70%がMAC症
 で約20%がM.kansasii症で、あとその他が 10%である。
・化学療法で完治出来る確立が高い非常に運が良かったケースだと
 言う事。
・入院時のX−P、CTより判断すると肺癌などの可能性は低く
 (無い)塗末検査で陽性(ガフキー1号)なのと空洞があるので
 結核または結核症の可能性が高かったこと。
・しかしCT画像の状態に対して自覚症状があまりにも無く、咳痰
 等に微熱等が加わり結核特有の症状が無い事から考えると非定型
 の可能性は高かった。
(A医長の所見では最初から非定型の可能性が高い患者だった)
・病巣部に空洞があり前後は炎症をしているのに微熱が無い、この
 辺も結核と多少異なっていた。
・入院2週目あたりのCPR検査結果で結核菌の可能性が低くなり
 M.kansasii症の可能性が高くなっていたそうですが、培養検査報
 告で確定した。
(結核及びMAC症ついてはCPR検査でで否定された)
 ただしCPR自体が誤判定もあるのでK医師も最終結果まで断言
 出来なかった(CPR検査とは一種の遺伝子検査?)
・現状の胸の痛みについては、稀に痛む場合もあるが右肺気管支に
 も炎症が多少あるかも知れないので、再度CTを取り検査する。
・菌が陰性化しているので治療方針自体は間違っていなかった。
・社会復帰は段階的に行なう方が良い。
 但しあまり消極的でも良くないので多少オーバーかなと言うぐら
 いで徐々に慣らす
 しかし治療が完了するまでは軽作業レベルまでの仕事に留める方
 が良い。
・少し神経質な面もあるから気にしすぎで体を壊さない様にした方
 が良い。

医長の説明は、素人の私にも非常に良く理解出来た。
K先生にこの半分で良いから流れに沿った説明を受けていたら、も
う少し気が楽なのになまあ言ったところで仕方ない!!でもやはり
退院後もK先生にお世話になるのだからもう少し頑張って欲しい。
あとからA看護婦さんから聞いた話は今年に入ってM.kansasii症の
患者は私が始めてでは無いかといわれた、MAC症の患者は割合多い
そうだが。
まあそれだけ、少ないと言う事であり、また化学療法が出来ること
は自体はラッキーだったと言う事だろう。
本当にラッキーかな??

[37日目]気力なし
下痢だ下痢とにかく下痢
下痢が毎日続く、これには困った、やっぱクラリスの影響かな?
一晩考えて見た結果22日の水曜日に退院するのが良いかなと思う。
年末前に少しゆっくりしたいし今後を考えて見れば22日が妥当と
思う、でもなんかこれからは大変だなと思うけど。
35条の関係でゴチャゴチャが発生した!!
でもいい加減にしろ、大体35条だ34条だと言って患者振り回し
てしかもA病院は自分で申請書提出しに行かされたし、その提出分
の34条が申請却下の連絡は申請したこちらには説明しないで
逆に非定型だった事が分かれば、今度はその日から34条だ!!ふ
ざけるな!!
まあ、もう費用負担来たら来たで支払うけど。
(この病院には、文句ない)
ただ保健所とA病院事務は許せんいい加減にしろ・・・・吠えたく
なる!!
考えるだけでムカツク、1月前の事を今更ながら思い出してキレル
だけ無駄!!
早く退院した方が気が楽に思えてきたら、さっさと退院出来るよう
に鞄に荷物詰め込み出した。
体力は、やや入院前の体力に戻ってきた気もするが過剰は禁物、慎
重に。
夕方、K先生の診察。
今日は比較的話しやすい抵抗感もない、上手く言えないけど表情と
言うか空気が安心出来る。
下痢の話をする、やっぱり慎重派なんだなと感じた。
いきなり胃カメラとは・・・・・・まず薬変えてから下痢になった
ら薬だと思うけどね。
まあ、経験差でしょう、慎重な所はK先生らしいやと思うと妙に可
笑しく思えた。
でもそれがK先生の良い所かもしれない、そう人のあら捜しせず良
い所を見つけて良いように考えないと
でも医者は患者にどれだけ安心感を与えるかが大事ではとも思える。
ホント医者という仕事はメンタル面でもタフでないと勤まらないの
では?と思えるようになった。
まあ医者でなくともその辺は、いろんな立場を当てはめても言える
事なので自分も見直そう!!
まあとにかく今日のK先生は、ただ単にいい人に思えたこれはこれ
で良い事としよう。
多分自分の見方も変わったし、K先生も何か言われたのかな?
まあ避けるような態度ではないから良い方で考えよう。
しかし、整腸剤来ないかなーーー!!

[38日目]退院日の決定
今日は、便も少し良くなった。
良かった下痢でなくて、RFPとCAMの飲む間隔を調整してみる。
どうも、朝だけに集中するからもしかしたらと思うので自分でコン
トロールを試みる。
これからは、自分で体調管理をしないといけないから色々試みる事
にした。
(退院したら具合悪くても直ぐと言うわけには行かないから)
しばらくは、体が治るまで時間が必要だけど順序をもって直す事に
する。
気持ちも大事だ!!午前中にFさん退院(と言うか無罪放免)
退院挨拶のとき風呂に入っていたのでちゃんと挨拶出来なかった。
医師の外来日も違うから会う事も無いかなでも会えば「こんちわ、
元気してますか」と声をかけよう。Fさん元気で!!
午後から、妻も交えてK先生による治療経過説明。
今日は、先生はマスクしてない
始めてみるマスクなしの顔、やっぱ口元が見えると表情全体が読み
取れるので安心出来る。
しかしながら、A医長とチョット違ったが説明自体は納得が出来る
内容だった。
持ち受け看護婦のAさんも居たので、解かり難い点は補足説明があ
ったので安心できる。
一通りの説明と今後の注意点を聞くまあ大方納得した。
2、3聞きたいなと思う事もあったけど、今の段階で質問するのも
愚問だし先は長いのでこれからの治療で整理していこうと思った。
とにかく、投薬後2週間目の培養と3週目の培養結果が楽しみだ、
また薬剤耐性かどうかの結果もまだ時間がかかるから、この結果の
後が今後の事になると思う。
しかし、今日みたいな説明だと良くわかるのに。

退院については、K先生の所見判断を元に考え、ズルズルするのも
良くないし薬にも慣れてきた事、肝機能が落ち着きだした事から
入院45日目に退院とした。
もう巷はジングルベルだ!!(笑)

K先生は割合簡潔に言う人だな〜と、この時思ったでも最近時々見
せる人間味のある受け答えは好感が持てる。
とにかく、これから外来だけどお願いしますね、K先生。

[39日目]何故か脱力感
今日は、朝から強風が吹く部屋の換気扇がゴーゴーとうなりうるさ
い。
しかし窓から見える景色は風の影響かかすんでない。
EBを飲みだしてから毎日、鉄塔などを見て眼の状態を確認する。
今日は便の調子も良い昨日から追加したビオフェルミンR錠が効い
たのかな?
食後のむかつきも少ない!!
まあ昨日、K先生とAさんに言われた通り、気にしすぎだな!!
一々気にしていたら、これから体が持たないぞーー!!気楽に行こ

体力は不安があるが以前よりは回復、体鍛えなきゃ!!
しかし、何故か脱力感がある。
なんか、閉鎖された空間で生活したので、もう終わりと思うと妙に
寂しい気持ちと、嬉しい気持ちが交互している。
昼間、看護婦Hさんが歩行器の具合が悪いので整備?していた。
少し見てたけど、意外と看護婦の仕事は大変だなと思った。
会社の仲間にTELしたら、ラッキーな話題。
なんとストレスの原因の社員、遂に辞表出した!!ヤター!!
気持ちよく会社に復帰できる。!!嬉しいね!!
何故かな社会復帰、頑張りたくなる!!いいぞ頑張ろう!!
最近、食堂でいつもKさん、Sさん、Yさんと喋る事が多い
でも、Sさん寂しそう!!気持ち判らないでも無いか。
この頃から病棟の患者さんの4割程が退院するからな。
一気に10名!!すごすぎる。
しかしみんな退院すると同時に薬の自己管理を注意しないといけな
い。
退院後、守れず再入院→1剤耐性→2剤以上耐性(多剤耐性)注意
しないと、でも目標はみんな同じ完治する事!!
しかし非定型抗酸菌症は、4種類の菌のグループでどのグループに
属するかで治療方法が異なるから怖い。
先は長いなーーはーーーーため息しか出ん

[40日目]カウントダウン
いよいよラストの週始め後5日うーん、今週は挨拶ちゃんとしよう
と思う。
でも最近、Sさん元気がない。
薬剤性アレルギーで減感差療法、徐々に薬を増量して体を慣らす治
療法の為、一旦薬を止めているので、不安な気持ちは良くわかる。
ついこないだまで、同じ気持ちだったから。
何言っても病気の事が気になって仕方ないのは解かるけど、不安な
ら主治医に聞きたいことまとめて、聞いた方がいいとしかいえない。
しかし年末に向けて慌しい、退院者、一時退院者が多いみたい。
散歩時間色々喋った爺さん、凄く嬉しそう年末は家に一時帰宅でき
るみたい。
やはり年末は家に帰りたい・・・・・・・・・
けど排菌者は出れないのでみんな、塗末検査結果で左右される!!
自分は治療開始の退院と思いこれから大変だ!!頑張ろう!!
しかしみんな外出・外泊すると寂しい病棟だな。
このとき感じたのは、扉の外と中では時間が違うと感じた。
まるで病棟内は時間がゆっくり進んでいるように感じるが、外では
ドンドン進んでいく
きっと、人の動きが少ないからホント止まっている感じになるのかな。
午後に妻が面会少しこれからの事を話す。
色々あるけど頑張るしかない、でも長い治療だ!!
ついでに荷物持って帰ってもらう、出来るだけ身軽に退院したいの
で持って帰ってもらう。
毎度の事ながら自宅から遠い郊外の病院まで来るのが大変なのに、
妻には本当に申し訳ないと改めて思う。

[41日目]時間は進む
いよいよ、あと4日。
でも、テレビカードを買うのが勿体無いので食堂でTVを見ること
が多くなる。
最近、Kさんとよく喋る、でもKさんの退院がはっきりしないのが
心配だ。
体調だいぶ良いがでも、多少下痢気味の便が気になる。
クラリスとEBを飲みだした頃の、胸の気持ち悪さはだいぶまし。
病は気からと言うが、本当にナーバスになり過ぎた反省しよう。
しかし、ダラダラして居たらなんと午後からの時間が早い早い!!
しかし非定型抗酸菌症についてかなり解かった事が多い。
でも、心配な事がある。
これは、K先生に聞いてみよう。
そうウダウダ考えても仕方ない、専門家や医者でないから一人で考えるのが馬鹿みたいだ。
理解出来ない事、不明な事は聞くべき人に聞くこれが大事だと思う。
そう、解からない事を聞くことは恥でもない、万能な人間でもない
しまして、お爺さんの知恵袋を持っている分けでもない。
自分から病気に向かわないと、治療はいい結果につながらないと思
う。
医者は、患者に対してどのように治療するかを考え、患者はその治
療方針を理解しそして患者自身が治るという気持ちで病気に望む事
が大事と思う。
でも、何だかんだ考えてるうちに、もう夜だ!!

[42日目]肺の病気の怖さ。
なんか慌しいぞ!!
こないだ退院した御爺さん再入院?
トイレに行くとき、一番入り口の前の病室、話し声が聞こえる。
家族が頻繁に出入りしている?、ヤバイのかなと考える。
なんか、呼吸装置?人口呼吸器?の音・・・シューハー・シューハ
ーと響く・・・・
何だろう、今までにない何か緊張感みたいなのを感じる。
Kさんと食堂で話していたらやっぱり、あの御爺さん無理したのか
な?と話していた。
でも、やっぱり無理は怖いみたい、別の人も再入院、しかも低肺症
で酸素マスクしてないと駄目みたい。
一度、肺は悪くすると元通りにならないと聞いたけど本当に怖い。
怖すぎる。
急に無理な事すると、急性呼吸不全もあるし、怖い。
非定型抗酸菌症だからと言って安心できない、肺の病気は病気だか
ら。
これ以上、進行しないようにまた、完全に直る事を信じて頑張ろう。
K先生の診察が少し変わった気がする。
どこがどうと言う訳じゃないけど、なんか違う人と人が話している
顔が違う、以前は何か緊張感と言うか距離感?みたいなもの在った
けど、今は無い。
そう、表情があるといった方が良いのかな、言葉も淡々と喋るので
はなく喋り方から雰囲気が読み取れる。
こないだ、妻も含めた説明で先生の考えたかみたいなのが感じ取れ
たせいかな?
何はともあれいい事だ!!
でも、いよいよあと3日!!

[43日目]驚きの結果
今日は水曜日、シーツ交換日だけど2日後、退院の私は無し。何故
だ!!
綺麗なシーツで寝たいよーーーー!!駄目か!!
でもなんとYさんも非定型抗酸菌症と確定!!なんだなんだ。
同時期入院の4人中3人が非結核、しかも1人は、完全無罪。
どうなっているんだ!!今の医者は!!
でも、素直に喜べない。
Sさん、やはり寂しそう!!何を言っていいか分からない。
午後、病棟ペットボトルボーリング大会!!
なかなか面白そう、参加可能な患者さんで開催。
やってみると意外と面白い!!看護婦さんたちの工夫凄いですね。
狭い病棟で数少ない楽しみだから、外に出れない患者さんも楽しそ
う。
人の笑顔がこんなに楽しいと感じた、でも子供の時以来かも知れな
いこの感覚は!!
しかし、南病室担当の看護婦Sさん何故か名前覚えている??
結構名前、有名かも知れない。
女性の患者RさんKさんと食堂で話す。
でも、Rさんは耐性菌だったのか少し治療に手間取るらしい。
でも、私の場合を説明するとそれもあながち喜べないなと思ったら
しい。
完治の目途が出来て退院なら嬉しいけど途中退場で2年の外来治療
は大変しかも完治出来るかは今の時点でわからないのはやはり嫌み
たい。
夜、準夜勤の看護婦Nさんに一応、お別れの挨拶をした。
退院日はお休みだそうで、会えないので一足早くお別れです、まあ
気が向いたら遊びにきます。
(そんな遊びに来る病棟ではないけどね此処は!!笑)
ホント、Nさんには、いじめられた?(いじめた?)
でも疲れた時によく減らず口に付き合ってくれてありがとう、まあ
この病棟の紅一点の若手看護婦さんですからね。
じゃああとの看護婦さんは・・・・・殴られるなこりゃ!!

[44日目]退院前日
いよいよ、1日前!!
今日は、Kさんが退院する日。
Kさん何故か35条申請が却下され34条にされていたらしく、退
院前の精算で入院費の請求が来たそうです。
なんと、大変です。
退院後、保健所に文句言いに行くそうです。
だって34条なら拘束されないからね。。。。。。。。。
K医師の入院中最後?の診察、明日は外来で日中忙しいみたいだか
ら。
とにかく風邪等には注意する事など色々説明を受けた。
一時色々あったがこのところのK先生の態度は人間味のある話方に
聞こえる。
一般的な話題も交えながらの話もするので割合安心できる。
先生とは色々あったけど、でもちゃんと話せば向合える人だから良
かった。
これで我慢できなけりゃきっと爆発してるし退院したら転院してバ
イバイだ!!
このよるA看護婦さんと1時間程しゃべった。
A看護婦さんにはずいぶんお世話になったと思う、ありがとうござ
います。
立場や考え方の違いはあるけどいろんな勉強が出来たことは自分と
しては良かった。
これから退院してからが本当の意味での治療だし先は長い。
そしてまたストレスに悩まされる日々もあるかもしれない。
でも、明日とりあえず退院する。

扉の向こう側に出る、二度と再び舞い戻るつもりも無い。
生き方も、考え方も違う人間が同じ病気で治療する病棟は他の病棟
と違うところかもしれない。
みんな、限られた環境の中で菌が陰性化する時を待つ、ある人は3
ヶ月程ある人は1年も。
でもみんな早く出たい自由に歩きたい人に会いたい家に帰りたい。
きっとこの入院が自分の中で忘れていた事を教えてくれた大切な時
間だったと思うようにしたい。
いいことから考えよう、そして始めよう。

病棟の看護婦のみなさん、お世話になりましたありがとう。
K先生お世話になりました、そして外来よろしくお願いします。


[45日目]退院
この日は妙に寂しいか嬉しいか不思議な感覚だった!!
多分治療目処が立っての退院でないのが原因かも知れない
ずいぶん長い間仕事を休んだけど、ずいぶん家族と離れたけど今日
でおしまい。
久々に長い休憩したと思いこれからを頑張ろう!!
今までのストレスからこの期間開放された事はなによりだが今後は
どうなるか?
まあしかしこれはこれで良かったとしなければブラックホール状態
に陥るので
まあ良い休憩したと思い、笑っていよう。
夕方妻が迎えに来た!!挨拶と薬それから外来日について説明受け
る。
A病院から持ってきたCT画像をA病院に返してくださいと言われ
る。
最後に看護婦さんに
「無理したら駄目よ!!」と一言、忠告感謝します。

A病院の放射線科は行きたくないけど、神経科にはS医師もいるし
持っていくか・・・
しかし面倒だな!!

みんなに別れの挨拶、一足先にさようなら。
それぞれ複雑だけど、それぞれ大変だけど1日も早く全員退院出来
ることを祈ります。
そして扉の外に出たこれで無罪放免だ!!(一応だけど)・・・・
さあ、家に帰るぞ!!