古い絵日記20
3月 3日

高い技術と知識と行動力を駆使して働き、世の中に価値を生み出しながらも、安い賃金かつ残業代および休日ゼロでも何も文句を言わずに黙々と働く民。

あらゆる社会保障制度の恩恵を最低限まで減らされつつあっても、次々に税率が高くなっていっても文句を言わずに支払う民。

選挙という内政しかみていない上、長期的な戦略を支える定見なく感情的で下手くそ外交の結果、戦争になったツケを払わされても文句を言わず従軍する民。

安倍政権の望む、「あるべき国民の姿」とは、おおよそこんなところでしょうか。

 

伊吹文部科学大臣の「人権メタボ」発言には驚きました。こちらから逆に「民主主義・人権不感症大臣」という名称を進呈します。

柳沢厚生大臣の「女性は産む機械」発言や中川秀直幹事長の「閣僚は首相に絶対忠誠を」発言などを聞いていると、日本には民主主義も人権も

いまだに根付いていないのだと再認識させられます。そう思っていた矢先の伊吹大臣の発言に絶句しました。

 

日本では敗戦後のGHQ草案によって、「男女平等」や「基本的人権」が憲法に盛り込まれました。

現在の私達がなにげなく享受しているこれらの権利は、日本人が自らの歴史に基づいた反省の念から創出して身につけたものではないためか、

その重要性を理解している人は多くないようです。

 

憲法学者の樋口陽一氏によると、おおもとを辿れば、そもそも「国家」というものは

それ以前の独裁制や身分制の(個人を封じ込めていた)社会から人々を開放するために誕生したものだそうです。

しかし、国家が自明のものとなると、本来個人の人権を守るために生まれた国家が、人権を守るという国家の役割を果たさず、

こんどは国家という組織を維持することが最優先となり、逆に人権を抑圧するように変形してきているのです。

 

その国家権力を抑制するために「憲法」を仕立てて国家を縛ってバランスをとるのが立憲主義です。

安倍内閣は(権力者自ら)憲法を改悪し、うまくすれば人権を限りなく縮小させて、国民を国のために働く奴隷に近づけようと下準備に余念はありません。

 

しかし私達も、(自分達で勝ち得たものでないがために、その重要性や危うさに気がつかず、)水のように在って当たり前と思っている人権が、

簡単に権力者のいいように奪い取られる危機がくることを実感していないようです。

しかも日本では、いまだ個が熟成しておらず、「一丸となって」というような言葉が好まれ、その組織のリーダーが方向を間違えても

ブレーキとなれる人材が育たず、あの敗戦の時のように(あるいはレミングのように)笛吹きについていって、全員で沼に沈んでいくように思えてなりません。

 

国会では、憲法改正には議会の3分の2の賛成が必要で、これは過半数を握る与党でもよほどの大義でもない限り不可能な数です。

だから安倍総理は、国民投票法案を成立させようとしているわけです。国民の方が扇動しやすく扱いやすい、と考えているわけですね。

ずいぶんとなめられたものですが、私も国民投票のほうが、憲法を変え易いだろうと思っています。

私達は、自ら奴隷になるような選択を、深く考えてみることもなく、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」式の判断を(戦前と同じように)するのでしょうか。