4月3日

私はしばしば「新しさ」の魅力とは、いったい何だろうかと考えます。近年では政治家が「新しい日本を!」などと演説することが多いですが、

それを聞くたびに「“新しい”って何か具体的に言ってみろ!」と叫びたくなります。「新しい○○」と言うだけなら、たとえ内容がなくても言えてしまいますから。

一方、スケッチを続けていると“新しさ”の魅力を痛感することがあります。形の良いサクラの木とはじめて出会ったときのスケッチは気持ちが入って

良くなりますが、同じ木を翌年訪れほぼ同じ美しさに触れても、はじめて出会ったときの気持ちの高ぶりにはかなわず、

スケッチもどこか冷めたものになってしまいます。

そう考えると、“新しさ”の魅力とは、この言葉によって、想像力が呼び起こされるか否かが鍵だと考えます。現実は、そこにあるがままが全てですが、

“新しいもの”の正体は半分以上、各自が想像で補っていますから、現実を越える存在に感じられるのでしょう。(だから内容がなくても語れる)

政治家選びについてはともかく、少なくとも創造には気持ちを高ぶらせる“希望”という想像の生み出すエネルギーの存在を無視できません。

しかし欲望の連鎖には際限がなく・・・“新しさ”を求め続け・・・るしかないのか?「それはすでにあったものである。」(旧約聖書・伝道の書・第一章)か。