〜印象に残っている文章〜
■青眉抄■ 上村 松園 著
人事をつくして天命を待つ、とむかしの人が申したように、何事もやれるところまで
努めつくしてみた上で、さてそれ以上は大いなる神や仏のお力を待つしかありません。
芸術上のことでもそうであります。自分の力の及ぶ限り、これ以上は自分の力では
どうにもならないという処まで工夫し、押しつめて行ってこそ、
はじめて大いなる神仏のお力がそこに降ろされるのであります。
天の啓示とでも申しましょうか、人事の最後まで努力すれば
必ずそのうしろには神仏の啓示があって道は忽然と拓けてまいるものだと、
私は画道五十年の経験からしみじみとそう思わずにはいられません。
なせば成る、なさねば成らぬ何事も、ならぬは人のなさぬなりけれ・・・の歌は
このあたりのことをうたったものであろうと存じます。
人の力でどうにもならぬことが、特に芸術の上で多くあるようです。考えの及ばないこと、
どうしてもそこへ想い至らないことが度々ありました。
そのようなときでも諦めすてずに、一途に、それの打開策について想をねり、
工夫をこらしてゆけば、そこに神の啓示があるのです。
“なせば成る”の歌は、この最後のもう一押し、一ふんばりを諦めすてることの
弱い精神に鞭打つ言葉であろうと思います。
“ならぬは人のなさらぬなりけり”とは、人が最後の努力を惜しむから成らぬのである、
ということで、結局最後は天地の大いなる力がそこに働いて、その人を
助けるのであります。
一途に努力精進している人にのみ、天の啓示は降りるものであります。
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いたずらに高い理想を抱いて、自分の才能に疑いを持ったとき、
平々凡々な人間にしかなれなのなら、別に生きている必要はない、と考え、
絶望の淵にたって死を決したことも幾度あったことか・・・・。