〜印象に残っている文章〜
■瀬島龍三 参謀の昭和史■ 保坂 正康 著
第二章「大本営参謀としての肖像」より抜粋
太平洋戦争が佐官クラスによって引き起こされ、彼らによって負けた、
といわれるのはこうした専権的態度をあらわしている。
佐官クラスの参謀は参謀総長をだしぬいて作戦の起案を行い、それを参謀総長に認めさせ、
参謀総長は天皇の允裁を求めて実行に移す。
しかし、たとえそれが失敗してもその責任は将帥が負うことになる。
参謀は参謀総長を補佐するどころか、責任所在の盾につかい、自在にふるまうようになったのが、
昭和陸軍の最大の欠点であった。
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第四章「商社経営者への道」から抜粋
かつて、瀬島機関に身を置いたこともある元社員が、きわめてクールな分析をした。
「戦後教育を受けた者には、日本陸軍の組織など少しもわからなかった。
ところが瀬島さんをとおして日本陸軍の姿も知った。
でも現実に伊藤忠での実情を見て、大日本帝国が負けた理由はよくわかりましたね。
日米の間には物量の差もあったんでしょうが、
もう一面では日本陸海軍内部の縁故とゴマスリが退廃を生んでいたんです。
業務本部のなかでも、そして他の部門も、瀬島さんや瀬島機関に実にマメにゴマをするようになる。
ゴマスリに長けた者と営業の現場で働いている者とのギャップは大きかった。