〜印象に残っている文章〜

■福翁自伝■  福澤 諭吉著

それからまたこういうおもしろいことがありました。

(略)

ころは旧暦の三・四月、まことによい時候で、わたしはパッチをはいて羽織かなにかを着て

こうもりがさを持って、かごに乗っていくつもりであったが、少し歩いてみるとなかなか歩ける。

「コリャ、かごは要らぬ。かご屋、先へ行け。おれはひとりで行くから」といって、

たったひとりでお供もなければ連れもない。

話し相手がなくておもしろくないところから、なんでも人に会うて言葉を交えてみたいと思い、

往来の向こうから来る百姓のような男に向かって道を聞いたら、

そのときの私のそぶりが、なにか横風で昔の士族の正体が現れて言葉も荒かったとみえる。

するとその百姓が、まことにていねいに道を教えてくれておじぎをして行く。

こりゃおもしろいと思い、自分の身を見れば持っているものはこうもりがさ一本きりでなんでもない。

も一度やってみようと思うて、その次に来るやつにむかってどなりつけ、

「コリャ待て、向こうに見える村はなんと申す村だ。シテ村の家数はおよそ何軒ある。

あのかわら屋の大きな家は百姓か町人か、主人の名はなんと申す」などと、

くだらぬことをたたみ掛けて士族丸出しの口調で尋ねると、

其奴は道の側に小さくなって、恐れながら申し上げますというような様子だ。

此方はますますおもしろくなって、今度はさかさまにやってみようと思いつき、

また、向こうから来るやつに向かって「モシモシはばかりながらちょいとものをお尋ね申します」

というような口調に出かけて、相変わらずくだらぬ問答を始め、

わたしは大阪生まれでまた大阪に久しく寄留していたから、

そのときにはたいてい大阪の言葉も知っていたから、すべてやつの調子に合わせてごてごて話をすると、

やつはわたしを大阪の町人が掛取りにでも行く者と思うたか、

なかなか横風でろくに会釈もせずにさっさと別れて行く。

そこで今度はまたその次のやつに横風を決め込み、またその次にはていねいに出かけ、

いっさいの先の面色に取捨なく、だれでもただ向こうから来る人間一匹ずつ一つおきと極めて

やってみたところが、およそ3里ばかり歩く間、思うとおりになったが、

ソコデわたしの心中ははなはだおもしろくない。

いかにもこれは仕様のないやつらだ、だれもかれも小さくなるなら小さくなり横風なら横風でよし、

こうどうも先方の人を見て自分の身を伸び縮みするようなことでは仕様がない。

推して知るべし地方小役人らのいばるのも無理はない、世間に圧制政府という説があるが、

これは政府の圧制ではない、人民のほうから圧制を招くのだ、

これをどうしてくれようか、捨てようといって、もとより見捨てられるものでない、

さればとてこれを導いてにわかに教えようもない、いかに百千年来の余弊とはいいながら、

無教育の土百姓がただむやみにひとにあやまるばかりならよろしいが、

先き次第で驕傲になったり柔和になったり、まるでゴムの人形見るようだ、いかにもたのもしくない。

 

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