〜印象に残っている文章〜
■責任なき戦場 インパール■ NHK取材班 著
「2.作戦推進」 より抜粋
最終的には、第十五軍が要求した数字の二割にも満たない部隊数が発令されただけであった。
果たして、これだけの兵力増強で、大本営をはじめとする上級組織は、
インパール作戦ができる思っていたのだろうか。今岡参謀は述懐する。
「できるとは思ってなかったでしょうなぁ。
この範囲で、どうにかどこかちょこっと突っつくぐらいなところだろうと・・・。
敵は、どんどん航空機でも兵力でも充実してきましたからね。
綾部さんも『こりゃ、ダメだなぁ』と言うておられましたよ。ただ、作戦というやつは、
これだけなければこれだけしかできんということが、はっきりいえないんです。
やり方によれば少ない兵力でもできたり、充分つぎこんでも成功しなかったり、ほんとうに水ものなんです。
だから、発令するほうも、これだけしか認められないけど、これで何とかやれやということですよ」
なんという無責任な話だろう。『これでは、ダメだろう』と思っていながら、満足な兵力を与えず、
作戦を認可したとは。
これでは、わざわざ何万人という兵隊を殺すために、作戦をやるようなものだ。
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「3、連合国の戦法」 より抜粋
日本軍の補給に対する考え方は、イギリス軍にくらべて何か根本的に違うものがあるように思えます。
日本兵は戦いにおいて命令を下されると、力のおよぶ限り、任務を遂行しようとしますね。
イギリス兵も同じだと思います。
しかし、われわれが作戦をたてるときには、どんな作戦であれ、物資補給の優れた方法を必ず考慮します。
日本軍のたてた補給計画自体が優れたものではなかったということは、
このインパール作戦の作戦全体の計画も優れたものではなかった、といえるのではないでしょうか。
私にいわせれば、完全なる、軍部の楽観主義、牟田口司令官の計算違いです。
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「4・糧なく弾なく」 より抜粋
各師団は、三週間分の食料・弾薬を携行して、いっきにインパールを攻略するという計画であった。
兵隊一人が持つ荷物の重量はたいへんなものだった。
(略)
逆にいえば、持てるだけ持っても、食料は三週間分が限度だったのである。
だからどうしても、三週間でインパールまでたどりつかなければならなかった。
では、作戦が頓挫したときは、食料はどうするのか。軍では、ジャングルに生えている野草を食べる研究を、
大真面目にしていた。牟田口司令官は、兵士たちに次のように訓示したという。
「ビルマにあって、周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。
これだけ青い山を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ。」
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国境付近では、地獄のような状況が始まっていた。第十五軍司令部中井中尉の話。
「私どもがクンタンにおった時分に、もう第一線から負傷した兵隊や病気の者が、
食い物なしに杖にすがってね、タムの兵站病院目指して後退してくるわけです。
タムの病院というのは墓場みたいなもんでね。
病院とは名ばかりで、ふつうの地面に傷病兵が寝ておるだけのことです。
天幕なしで、直接雨に打たれてね。寝てるんです。
病人のことだから便は垂れ流しですわ。それにハエがたかる。
向こうのハエはね、日本のハエみたいに卵から育つというおとなしいやつと違いますわ。
母親の尻から出る時にはもうウジ虫になっていて、それが産みつけられるんです。
ぱっと傷口にたかって、そういうのが産みつけられると、
もうすぐ肉を食い破って人間の肉の中へ入っていくんですよ。
でもウジ虫は、やっぱり呼吸せんといかんから、出たり入ったりするんです。
もう絶えず白いウジ虫が、兵隊の傷口でうじゃうじゃうじゃうじゃしとるんです。
そういう状態で、そのウジ虫を払い落とす気力も体力もない者は行き倒れします。
ジャングルの中でね。そしたら、もう三日たたんうちに白骨状態になっていきました。」
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権力を持ち、その権力を使って多くの人々、すなわち国民を動かしていくのが政治である。
その政治が誤った方向にいった時、権力を持った人間よりも、権力によって動かされた人々に
多くの犠牲者がでる。それはいつの時代、どこの国でも歴史の不変の真理である。
インパール作戦は、戦略が政略に負けた作戦だとよくいわれる。
戦術的にいえばとうていできるはずのない作戦が、東條首相をはじめとする
時の権力者の政略によって発案、認可され、実行されてしまった。
こうした権力を持ったひと握りの者の声が、やがて組織、ひいては国家全体の意思として
まかり通ってしまうということは、あってはならないはずである。
しかし、現在の日本では、似たようなことが日常茶飯時に、さまざまな組織で起きている。
また行われている。
外国からのさまざまな声、国際貢献の有り方など、現在の日本は、日本だけでは生きていけない
「世界の中の日本」としての難問を山ほど抱えている。そうした問題を解決していく上で、
まずやらなくてはいけないのは、そのような「組織体質」の根本をつきとめ、
改善することではないだろうか。